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 二人とも子供が好きだった。

 親の反対を押し切り、学生結婚をした時から、子供を授かったらどんな風に育てようかと、相談するのが楽しかった。

 それなのに何年たっても子宝に恵まれず、病院で不妊治療を受ける決断をして……

 まさか、あんなに辛いものだったとは。

 特に女性の側の負担は恐ろしく大きい。骨身を削られる精神、肉体両面の苦痛を強いられ、それでも耐えて治療を続けた。

 最初の1年を乗り越え、5年、10年、二人で不毛な結果に堪えた。
 
 妻はいつでも笑っていた。

 検査の結果、不妊の原因が男の側、つまり好幸の側にある事が判っても夫を責めなかった。射精後の精子の運動能力が比較的弱い為、受精に至る可能性が著しく低い精子無力症の傾向が好幸にあるのだと言う。

 妊娠の可能性はゼロではない、そう医師に励まされ、二人は希望にしがみついた。

 結婚直後のいざこざから疎遠になっていた幹雄や俶子との仲が幾らか修復され、夫婦で実家を訪ねた時に「孫はまだか」と訊かれるのは、さぞ辛かっただろう。

 それでも妻は笑っていた。

 いつでも心を覆う笑顔の鎧を脱ぐ事なく、好幸とも友達の様に仲の良い夫婦を演じ続けた。強い女だな、と思った。

 でも、その強さに何処か甘えていたのかもしれない。
 
 固い鎧の内側で、繊細な心がボロボロに擦り切れている事実を知ったのは昨年の6月、円の誕生日だ。
 
 義理の両親と同居を始めて9か月が過ぎ、介護に慣れてきた反面、意識しない内に介護のストレスを溜めていた時期でもある。





 45才になった妻は疲労のみならず、更年期特有の精神、肉体両面にわたるバランスの崩れに悩まされていた。
 
 積極的な不妊治療は前年に止めていたが、諦めきれず眠れない夜を過ごす事も多く、この日は改めて母になれない絶望を噛み締めていたのだろう。

 真夜中に台所の隅で一人、泣いていた。

 トイレに起きてきた好幸がその姿を見つけてしまい、呆然と立ちすくんでいると、振り返って円は又、笑った。

「何でもない。ちょっとホルモン・バランスが不安定になってて、気持ちにも影響が出るの。それだけだから気にしないで」

「でも、お前、その顔」

「大丈夫だってば。だって、ほら、私って……」

 あの時、彼女は何を言おうとしたのだろう?
 
 何にせよ、最後まで言い切る事はできなかった。言葉の途中で笑みが凍りつき、又、嗚咽が漏れた直後、
 
「何でもない! 何でもないの! 何でもないから、あたしを一人にしてよっ!!」

 大声で叫んだ。

 かつて聞いた事が無い程の大きな声、激しさで。
 
 
 
 
 
 それは好幸にとって、己の罪を改めて自覚した瞬間でもある。
 
 友達の様な夫婦という枷、明るく気丈な妻という役割を無意識に押し付け、その陰で血を流す傷口に気付いてやれなかった。
 
 いや、敢えて目を逸らしてきた。心の鎧をまとわせたのは、結局、好幸の弱さに他ならない。
 
 どちらからともなく離婚の話が出たのは、今年に入ってからの事だ。

 このままでは友達でいられなくなる。

 いや、只、傍にいるだけで心をすり減らし、何時の日か、憎しみさえ抱きあう様になるかもしれない。
 
 その実感を二人とも恐れていた。二人とも臆病で、人付き合いが下手くそで、親友と呼べる相手はお互いしかいないのに。
 
 変な所で俺らは似ている。
 
 なら、今の気持ちで、友達でいられる内に別れよう。
 
 例年より長い梅雨が明けた頃に漸く心を決め、離婚届を役所からもらってきた。だが、よりにもよってその直後、幹夫が夏風邪をこじらせ、肺炎で生死の境を彷徨う事態へ陥ってしまった。
 
 改めて話し合う余裕など無く、手続きは前に進んでいない。
 
 でも仲違いする前に別れる決断をした事自体は間違っていなかった、と今でも好幸は思っている。
 
 実際、この病院へ泊まり込み、円と交代で幹夫に付き添っている間は、お互い軽口を叩き、冗談を言い合うくらい明るく振る舞えているのだ。
 
 おそらく、それは今だけの事。ゴールが見えているからこそ結べる仮初めの和解に過ぎないのだろう。

 だが、例えそうだとしても、好幸と円にとってかけがえの無い一時である点に変わりはない。
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