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第3話 小さな予兆
しおりを挟む証券会社でのアルバイト初日。
店内は想像よりも静かだった。スーツ姿の男性たちが新聞を広げ、株価ボードを睨んでいる。電子表示ではなく、黒板にチョークで数字を書き換える方式だ。
昭和だな、と妙な感慨を抱く。
「佐伯さん、これ前場の値動きまとめといて」
先輩社員が書類を渡してくる。
「はい」
私はペンを走らせながら、頭の中で未来のチャートをなぞる。
1980年。
任天堂はまだ家庭用ゲーム機の本格普及前。
ソニーはウォークマンがヒット中。
トヨタは安定成長。
バブルの本番は1986年以降。
焦る必要はない。
だが私は一つ、試してみたいことがあった。
昼休み、私は人気のない倉庫スペースに入り、ポケットからリンゴを取り出す。
――収納。
リンゴが消える。
――取り出し。
ひんやりとしたまま戻る。
完璧だ。
「もしこれを……」
私は想像する。
市場で安く仕入れた農産物を保存し、高値で出す。
冷蔵設備不要。
腐敗ゼロ。
理論上、利益率は異常値になる。
だが同時に、リスクも理解している。
急激に儲ければ、目立つ。
目立てば、何かが動く。
それが“時間”なのか、“人間”なのかはわからない。
その日の帰宅後、私はテレビニュースを見て凍りついた。
「千葉県内の食品工場で火災」
私は立ち上がる。
その工場は――
未来の記憶では、1983年に事故を起こすはずだった。
三年早い。
「……もう、ズレてる?」
私は今日、何をした?
証券会社で少し未来予測を口にしただけ。
リンゴを出し入れしただけ。
直接的な改変はしていない。
それでも歴史が動いた。
背筋が冷える。
もしかして、私が存在しているだけで、未来は変動するのか?
夜、布団の中で天井を見つめる。
一周目の私は、未来を“知っているだけ”の存在だった。
だが今は違う。
私は介入者だ。
「……確かめないと」
翌日、私は証券会社で小さな実験をする。
あえて、未来で下がる銘柄を“上がるかもしれません”と軽く示唆してみた。
数人が買いを入れる。
終値は、わずかに上昇。
本来なら下落日だったはずだ。
私は帰宅して新聞を確認する。
小さな記事。
「○○社株、思惑買いで微増」
――未来と違う。
胸が高鳴る。
変えられる。
確実に。
だがその瞬間、頭に鋭い痛みが走った。
「っ……!」
視界が歪む。
一瞬だけ、崩れたビルの映像が脳裏をよぎる。
2020年代の、あの地震の光景。
ノイズのように流れ込み、消える。
警告。
そんな言葉が浮かぶ。
何かが均衡を保とうとしている。
私は息を整える。
「急ぎすぎない」
株価を動かす程度なら小さな波。
だが大規模な改変は反動が大きいのかもしれない。
ならば戦略を変える。
直接的な改変ではなく、“準備”を進める。
災害備蓄。
医療知識の普及。
耐震基準の強化を促す情報発信。
未来を一気に変えるのではなく、リスクを分散する。
私はノートを開く。
未来改変計画に追記する。
――原則:緩やかに誘導せよ。
窓の外では、昭和の夜が静かに広がっている。
遠くで電車の走る音。
この世界はまだ、何も知らない。
崩壊も、喪失も。
私は拳を握る。
「私は、壊さない」
自分の欲望で、世界を歪ませない。
守るために変える。
だがその夜、夢を見る。
巨大な波。
揺れる地面。
そして、誰かの声。
――選べ。
目を覚ますと、心臓が早鐘のように鳴っていた。
歴史は、ただの記録ではない。
それは流動する力だ。
そして私は今、その流れに足を踏み入れている。
昭和55年。
未来改変は、思ったよりも危険かもしれない。
それでも。
私は止まらない。
次の一手を、打つ。
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