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麻婆豆腐はここにある
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「お疲れ様でした。それでは皆さん、また次の稽古で」
「お疲れ様でした!」
私はふう、と一つ息をついて、軽く掃除をすると着替えて道場を出た。
美弥さんや琴音さんの教え方が上手なのか、居なかった八年の間に生徒さんが倍に増えていた。美弥さんたちにはそのまま師範代として居て貰い、私はたまに型がおかしい所を直したり、彼女たちが指導で手が離せない時のサポート役に徹していた。名誉顧問みたいなものである。
私が居ない間の道場を支えていたのは美弥さんたちである。それに、私は私で持って来た大量のスポーツやゲーム、レシピ本をどうにか形にするべく常盤や黒須さん、それにチカ様たちを交えて水面下で動いており、ようやく将棋と囲碁、オセロについてはルールが浸透してきた所なので、そちらもサポートするので中々忙しい。
運動系については元からやっていたパターゴルフに野球、ドッジボールがかなり競技者が増えており、トーナメントや交流試合が盛んに行われているので、まだ新しい球技は控えておいた方がいいかも知れないな、と黒須さんたちの意見が合致したので、ひとまずステイ状態だ。
ようか堂では私のレシピを元にクロワッサンに近いものとデニッシュに近いパンが出来ており、リンゴジャムやオレンジジャムを中に入れたりしたものも中々評判らしく、先日山ほど持って来た。
確かに美味しいのだが太りそうなので程々にして欲しい。
あともう少し生地の層を増やしてくれないと胃もたれする事も伝えると、また調整に入るらしい。久我さんは相変わらず勉強熱心な人である。
帰りがけに少し寄り道をして、常盤の待つ長屋へ帰る。
あの人は本当に国王なのかと思うほどこまめに長屋の掃除をし、料理を作り、更には野球の練習もしつつ試合をしていたりする。仕事はどこへ行った仕事は、と思っていたが、黒須さんが言うには以前とは別人のように働いているそうだ。山積みの書類をものすごい速さで片付けると待ち合わせていた長屋の奥さん連中と八百屋での安売りだとか新鮮な魚が入っただとか言っては買い物に消えて行くらしいけれど、仕事はしているので何の文句もないらしい。
「お前がむしろ料理が全く出来ないお陰で、急いで片付けて食事の支度をしなくてはと思うらしくてな。俺としては処理能力が上がった常盤様が見られて嬉しい限りだ。あの御方はやれば出来るのに、ずっとサボってばかりだったからな。この調子で決して料理などをやろうと思うな」
と励まされた。
いや実は黒須さんには話していないが、一応結婚した訳だし、ふといつまでも何も出来ないままではいけないと思った時もあったのだ。
もしかしたら私も人妻になった事で進化したかも知れない、と早めに帰った時にみそ汁を作ろうとしたのだが、いざネギを切っていたら自分の指までざっくり切ったという情けない事態が起きた。
まずい事に流血を止めようと手拭で血止めをしている時に常盤が買い物から戻って来て、私の手を見て顔面蒼白になり、「ナノハが死ぬ」と私を抱え上げて医者に走った事がある。
それ以降私は刃物も禁止になった。何度言っても人間は儚いという認識が改まらないのも困ったものだが、本当に料理に向いていない人間というのはいるものなのである。
(……んん?)
家が近くなるにつれて、普段とは違う匂いが漂って来た。
あれ、これは……。
私は早足になり家の扉を開けた。
「朱鷺さんただいま帰りました」
「ああナノハお帰り。もうすぐ出来るからちょっとだけ待ってておくれよ」
たすき掛けをした常盤が台所で火にかけているもの。
それは、麻婆豆腐だった。
「もしかして豆板醤出来たんですか?」
「そうなんだよ。まだ売るまでには調整が少しかかると思うんだけれどね、ほら、ナノハは中華とやらが好きだろう? 早めに試したくてさ」
確かに中華料理屋で漂っているあの辛みを思わせる匂いが食欲をそそる。平鍋の中のさいの目に切った豆腐が赤々として何とも美味しそうでよだれが出そうになった。
「だけど、朱鷺さん余り辛いの好きじゃないでしょう?」
「あんまり辛いのは駄目だからさ、ついでに餃子も作ったんだよ」
ちゃぶ台の上には半月型に折り畳んだ平たい餃子らしきものがお皿に載っていた。包み方はまだ修行中らしい。中身は鶏肉のミンチとニラやネギなどを刻んで入れてあるようだ。
「日本に居た時に、あの中華料理屋に連れていけと何回も行ったのは味を覚えるためだったんですか?」
「決まっているじゃないか。ナノハがアレが食べたいとかって日本に戻りたくなったりしたら困るからね。なるべく私が再現出来るようにしようかと思ってさ」
常盤はもう五年も一緒に住んでいるのに、急に居なくなった時のショックが抜けないらしく、暫く私の姿が見えないと落ち着きを無くして道場までやって来たり、王宮の文官の詰所に顔を見に来たりする。私などよりよほど繊細な人なのである。
よし、と器に盛った麻婆豆腐に匙を入れ、ご飯を盛ると運んで来た。
「それにさ、忘れたのかい? 今日は結婚記念日じゃあないか」
「……覚えてますよ勿論」
「だから、華やかな方がいいだろう? それで、これなんだけどね……」
懐から常盤が取り出したのは、細かい細工が施された金の指輪だった。
「設楽さんがね、結婚すると日本では夫婦は指輪をするんだって教えてくれたんだけど、なかなか気に入るものが出来なくて、何度か作り直して貰ったんだよ。これならナノハに似合うかと……ほら、私もお揃いなんだよ。だからね、あの、良かったらつけて貰えたらと思って」
だからその美貌で照れないで欲しい。目に眩しいのだ。
「……ありがとうございます。嬉しいですが、まずは折角の麻婆豆腐と餃子が冷めるのでご飯を食べましょうよ」
「あ、そうだったね! 頑張って味見をしたんだけど、ちょっと辛くて味がよく分からなくなったから、もし不味かったら餃子と漬物を食べておくれ」
私は麻婆豆腐をご飯に乗せて一口食べた。──うん、私にも少々辛い。でも久しぶりの麻婆豆腐は体に染み渡るわあ。
「もう少し辛さは抑えめでもいいと思います。でも美味しいですよ」
「そうかい? じゃあ沢山食べておくれよね」
嬉しそうに自分は餃子を食べる常盤を見ていると、本当に愛されているなあと目の奥がじいんとしてしまって、後で話そうとした事がぽろりと出てしまった。
「えーと、指輪の件なんですが、当分つけられないかも知れないです」
「……何でだい? 稽古の邪魔になるかねえ?」
「いえ。太ると思うので、指のサイズが変わってしまうと思うのでうっ血しそうで」
「……? 太るのかい? ようか堂でまた何か……」
「いえ、家族が増えるので」
一瞬固まってがちゃん、と箸を落とした常盤が私の顔をまじまじと見た。
「もしかして……まさか、妊娠したのかい?」
「はい。さっき確認に行ったらお医者さんも間違いないと。三ヶ月目に入るそうです」
「私とナノハの子供……」
常盤ががたっと立ち上がると、いきなり外に走り出した。
何事? と私も慌てて立ち上がると、常盤が表で大声で叫んだ。
「みんな聞いとくれー! ナノハが妊娠したよー!」
「何ですって? おめでた?」
「ナノハ先生がおめでただってよ!」
「朱鷺さんでかした!」
長屋からわらわらと笑顔でご近所さんが現れて私は赤面した。恥ずかしいにも程がある。
「この長屋では七十年ぶりぐらいかね子供が生まれるのは。嬉しいねえ」
「生まれたら一度抱っこさせて下さいね!」
美弥さんと琴音さんが涙ぐみながら私に抱きついた。
……ああ考えてみたら、長生きな人たちだから五十年百年単位ぐらいでしか子供が生まれないんだったわ。私もあれだけ連日のように致しているのに全く出来なかったのは、元から出来にくいお国柄だったんだ。常盤が叫ぶのも仕方ない事か。でも恥ずかしい事には変わりないんだけど。
「ナノハ、大事な体なんだから稽古は生まれるまで休みなさい。仕事も駄目だよ、いいね?」
常盤が真剣な顔で私を見るが、むしろ動かない方が体に悪いとお医者さんも言っていた。
「稽古は休みますが、他の仕事はしたいです。少し動かないと筋力が落ちて難産になったりするそうですし、書類仕事なら問題ないです。辛くなったらお休みしますので」
渋る常盤を説得すると、美弥さんたちにもそういう訳だから暫く稽古はお休みで、とお願いした。
「勿論ですよ! ああ今夜は飲まずには居られないね。あんた、ちょっと酒屋まで走っていいお酒買って来ておくれよ」
美弥さんがハッとしたように旦那さんを呼んだ。
「おうよ、みんな、うちの奢りで酒盛りだ!」
「うち芋の煮っ転がし作ったのが沢山あるからツマミに持って行くよ」
「私の所にも頂き物の鱈子がありますよ」
「よし朝まで集会場で宴会だあ!」
「おめでとうナノハ先生!」
ワイワイと長屋の皆が挨拶して消えて行く。
「朱鷺さん、流石にいきなり大声でやられると恥ずかしいです」
「ごめんよナノハ! あんまり嬉しくて皆に知らせずには居られなくて」
「……おい菜乃葉、子供が出来たというのは本当か?」
振り向くと父が驚いた顔のままで東雲さんと立っていた。
ちなみに東雲さんの諦めない押せ押せのアタックに父がとうとう本気で向き合う事になり、先日父と東雲さんは夫婦になった。東雲さんの方がめちゃくちゃ年上なのに、どうしても自分がロリコンみたいな気持ちになって居たたまれないと言っていた父だったが、一途に思われていると真剣に向き合わざるを得なかったらしい。まあ今はどちらも幸せそうなので何よりだが。
「はい。おじいちゃんとおばあちゃんになりますけどどうぞよろしくお願いします」
私は頭を下げた。
「……東雲、私たちも宴会に混ざろうじゃないか。結婚早々に孫を持つ身になって済まないが、家族が増えるのは嬉しいんだよ」
「私もナノハさんが義理でも娘になって、家族の一員になれたのにさらに新しい命まで……。朝まで飲みましょう旦那様!」
二人は腕を組んで弾んだ足取りで集会場の方へ歩いて行った。
「……私たちより周りの方が騒がしかったですねえ」
「そうだねえ……あ、でも私もものすごく嬉しいんだよ!」
「私もですよ。朱鷺さんと私の子ですしね。頑張って働いて下さいねお父さん」
「お父さん……ふふふ、こそばゆいねえ」
「私はお腹空きましたのでご飯食べましょうよ。もう朱鷺さんのせいですっかり冷めちゃったじゃないですか」
「温め直すからちょっとお待ち。妊婦が冷えたものを食べたらいけないよ」
五年経っても十年経っても、こんな風に穏やかに時が過ぎていくような気がするなあ。
「朱鷺さ……常盤」
誰もいないのをいい事にようやく呼び慣れた常盤の名を呼んだ。
「ん?」
「私は、常盤と出会えて良かったです。子供とずっと仲良くやっていきましょうね。死ぬまで愛してます」
「……私は死んでからもずっと愛するよ。まだまだ愛が足りないねえナノハは」
そっと肩を抱き寄せて、ま、いいよ、と微笑んだ。
「時間は沢山あるからね」
「お疲れ様でした!」
私はふう、と一つ息をついて、軽く掃除をすると着替えて道場を出た。
美弥さんや琴音さんの教え方が上手なのか、居なかった八年の間に生徒さんが倍に増えていた。美弥さんたちにはそのまま師範代として居て貰い、私はたまに型がおかしい所を直したり、彼女たちが指導で手が離せない時のサポート役に徹していた。名誉顧問みたいなものである。
私が居ない間の道場を支えていたのは美弥さんたちである。それに、私は私で持って来た大量のスポーツやゲーム、レシピ本をどうにか形にするべく常盤や黒須さん、それにチカ様たちを交えて水面下で動いており、ようやく将棋と囲碁、オセロについてはルールが浸透してきた所なので、そちらもサポートするので中々忙しい。
運動系については元からやっていたパターゴルフに野球、ドッジボールがかなり競技者が増えており、トーナメントや交流試合が盛んに行われているので、まだ新しい球技は控えておいた方がいいかも知れないな、と黒須さんたちの意見が合致したので、ひとまずステイ状態だ。
ようか堂では私のレシピを元にクロワッサンに近いものとデニッシュに近いパンが出来ており、リンゴジャムやオレンジジャムを中に入れたりしたものも中々評判らしく、先日山ほど持って来た。
確かに美味しいのだが太りそうなので程々にして欲しい。
あともう少し生地の層を増やしてくれないと胃もたれする事も伝えると、また調整に入るらしい。久我さんは相変わらず勉強熱心な人である。
帰りがけに少し寄り道をして、常盤の待つ長屋へ帰る。
あの人は本当に国王なのかと思うほどこまめに長屋の掃除をし、料理を作り、更には野球の練習もしつつ試合をしていたりする。仕事はどこへ行った仕事は、と思っていたが、黒須さんが言うには以前とは別人のように働いているそうだ。山積みの書類をものすごい速さで片付けると待ち合わせていた長屋の奥さん連中と八百屋での安売りだとか新鮮な魚が入っただとか言っては買い物に消えて行くらしいけれど、仕事はしているので何の文句もないらしい。
「お前がむしろ料理が全く出来ないお陰で、急いで片付けて食事の支度をしなくてはと思うらしくてな。俺としては処理能力が上がった常盤様が見られて嬉しい限りだ。あの御方はやれば出来るのに、ずっとサボってばかりだったからな。この調子で決して料理などをやろうと思うな」
と励まされた。
いや実は黒須さんには話していないが、一応結婚した訳だし、ふといつまでも何も出来ないままではいけないと思った時もあったのだ。
もしかしたら私も人妻になった事で進化したかも知れない、と早めに帰った時にみそ汁を作ろうとしたのだが、いざネギを切っていたら自分の指までざっくり切ったという情けない事態が起きた。
まずい事に流血を止めようと手拭で血止めをしている時に常盤が買い物から戻って来て、私の手を見て顔面蒼白になり、「ナノハが死ぬ」と私を抱え上げて医者に走った事がある。
それ以降私は刃物も禁止になった。何度言っても人間は儚いという認識が改まらないのも困ったものだが、本当に料理に向いていない人間というのはいるものなのである。
(……んん?)
家が近くなるにつれて、普段とは違う匂いが漂って来た。
あれ、これは……。
私は早足になり家の扉を開けた。
「朱鷺さんただいま帰りました」
「ああナノハお帰り。もうすぐ出来るからちょっとだけ待ってておくれよ」
たすき掛けをした常盤が台所で火にかけているもの。
それは、麻婆豆腐だった。
「もしかして豆板醤出来たんですか?」
「そうなんだよ。まだ売るまでには調整が少しかかると思うんだけれどね、ほら、ナノハは中華とやらが好きだろう? 早めに試したくてさ」
確かに中華料理屋で漂っているあの辛みを思わせる匂いが食欲をそそる。平鍋の中のさいの目に切った豆腐が赤々として何とも美味しそうでよだれが出そうになった。
「だけど、朱鷺さん余り辛いの好きじゃないでしょう?」
「あんまり辛いのは駄目だからさ、ついでに餃子も作ったんだよ」
ちゃぶ台の上には半月型に折り畳んだ平たい餃子らしきものがお皿に載っていた。包み方はまだ修行中らしい。中身は鶏肉のミンチとニラやネギなどを刻んで入れてあるようだ。
「日本に居た時に、あの中華料理屋に連れていけと何回も行ったのは味を覚えるためだったんですか?」
「決まっているじゃないか。ナノハがアレが食べたいとかって日本に戻りたくなったりしたら困るからね。なるべく私が再現出来るようにしようかと思ってさ」
常盤はもう五年も一緒に住んでいるのに、急に居なくなった時のショックが抜けないらしく、暫く私の姿が見えないと落ち着きを無くして道場までやって来たり、王宮の文官の詰所に顔を見に来たりする。私などよりよほど繊細な人なのである。
よし、と器に盛った麻婆豆腐に匙を入れ、ご飯を盛ると運んで来た。
「それにさ、忘れたのかい? 今日は結婚記念日じゃあないか」
「……覚えてますよ勿論」
「だから、華やかな方がいいだろう? それで、これなんだけどね……」
懐から常盤が取り出したのは、細かい細工が施された金の指輪だった。
「設楽さんがね、結婚すると日本では夫婦は指輪をするんだって教えてくれたんだけど、なかなか気に入るものが出来なくて、何度か作り直して貰ったんだよ。これならナノハに似合うかと……ほら、私もお揃いなんだよ。だからね、あの、良かったらつけて貰えたらと思って」
だからその美貌で照れないで欲しい。目に眩しいのだ。
「……ありがとうございます。嬉しいですが、まずは折角の麻婆豆腐と餃子が冷めるのでご飯を食べましょうよ」
「あ、そうだったね! 頑張って味見をしたんだけど、ちょっと辛くて味がよく分からなくなったから、もし不味かったら餃子と漬物を食べておくれ」
私は麻婆豆腐をご飯に乗せて一口食べた。──うん、私にも少々辛い。でも久しぶりの麻婆豆腐は体に染み渡るわあ。
「もう少し辛さは抑えめでもいいと思います。でも美味しいですよ」
「そうかい? じゃあ沢山食べておくれよね」
嬉しそうに自分は餃子を食べる常盤を見ていると、本当に愛されているなあと目の奥がじいんとしてしまって、後で話そうとした事がぽろりと出てしまった。
「えーと、指輪の件なんですが、当分つけられないかも知れないです」
「……何でだい? 稽古の邪魔になるかねえ?」
「いえ。太ると思うので、指のサイズが変わってしまうと思うのでうっ血しそうで」
「……? 太るのかい? ようか堂でまた何か……」
「いえ、家族が増えるので」
一瞬固まってがちゃん、と箸を落とした常盤が私の顔をまじまじと見た。
「もしかして……まさか、妊娠したのかい?」
「はい。さっき確認に行ったらお医者さんも間違いないと。三ヶ月目に入るそうです」
「私とナノハの子供……」
常盤ががたっと立ち上がると、いきなり外に走り出した。
何事? と私も慌てて立ち上がると、常盤が表で大声で叫んだ。
「みんな聞いとくれー! ナノハが妊娠したよー!」
「何ですって? おめでた?」
「ナノハ先生がおめでただってよ!」
「朱鷺さんでかした!」
長屋からわらわらと笑顔でご近所さんが現れて私は赤面した。恥ずかしいにも程がある。
「この長屋では七十年ぶりぐらいかね子供が生まれるのは。嬉しいねえ」
「生まれたら一度抱っこさせて下さいね!」
美弥さんと琴音さんが涙ぐみながら私に抱きついた。
……ああ考えてみたら、長生きな人たちだから五十年百年単位ぐらいでしか子供が生まれないんだったわ。私もあれだけ連日のように致しているのに全く出来なかったのは、元から出来にくいお国柄だったんだ。常盤が叫ぶのも仕方ない事か。でも恥ずかしい事には変わりないんだけど。
「ナノハ、大事な体なんだから稽古は生まれるまで休みなさい。仕事も駄目だよ、いいね?」
常盤が真剣な顔で私を見るが、むしろ動かない方が体に悪いとお医者さんも言っていた。
「稽古は休みますが、他の仕事はしたいです。少し動かないと筋力が落ちて難産になったりするそうですし、書類仕事なら問題ないです。辛くなったらお休みしますので」
渋る常盤を説得すると、美弥さんたちにもそういう訳だから暫く稽古はお休みで、とお願いした。
「勿論ですよ! ああ今夜は飲まずには居られないね。あんた、ちょっと酒屋まで走っていいお酒買って来ておくれよ」
美弥さんがハッとしたように旦那さんを呼んだ。
「おうよ、みんな、うちの奢りで酒盛りだ!」
「うち芋の煮っ転がし作ったのが沢山あるからツマミに持って行くよ」
「私の所にも頂き物の鱈子がありますよ」
「よし朝まで集会場で宴会だあ!」
「おめでとうナノハ先生!」
ワイワイと長屋の皆が挨拶して消えて行く。
「朱鷺さん、流石にいきなり大声でやられると恥ずかしいです」
「ごめんよナノハ! あんまり嬉しくて皆に知らせずには居られなくて」
「……おい菜乃葉、子供が出来たというのは本当か?」
振り向くと父が驚いた顔のままで東雲さんと立っていた。
ちなみに東雲さんの諦めない押せ押せのアタックに父がとうとう本気で向き合う事になり、先日父と東雲さんは夫婦になった。東雲さんの方がめちゃくちゃ年上なのに、どうしても自分がロリコンみたいな気持ちになって居たたまれないと言っていた父だったが、一途に思われていると真剣に向き合わざるを得なかったらしい。まあ今はどちらも幸せそうなので何よりだが。
「はい。おじいちゃんとおばあちゃんになりますけどどうぞよろしくお願いします」
私は頭を下げた。
「……東雲、私たちも宴会に混ざろうじゃないか。結婚早々に孫を持つ身になって済まないが、家族が増えるのは嬉しいんだよ」
「私もナノハさんが義理でも娘になって、家族の一員になれたのにさらに新しい命まで……。朝まで飲みましょう旦那様!」
二人は腕を組んで弾んだ足取りで集会場の方へ歩いて行った。
「……私たちより周りの方が騒がしかったですねえ」
「そうだねえ……あ、でも私もものすごく嬉しいんだよ!」
「私もですよ。朱鷺さんと私の子ですしね。頑張って働いて下さいねお父さん」
「お父さん……ふふふ、こそばゆいねえ」
「私はお腹空きましたのでご飯食べましょうよ。もう朱鷺さんのせいですっかり冷めちゃったじゃないですか」
「温め直すからちょっとお待ち。妊婦が冷えたものを食べたらいけないよ」
五年経っても十年経っても、こんな風に穏やかに時が過ぎていくような気がするなあ。
「朱鷺さ……常盤」
誰もいないのをいい事にようやく呼び慣れた常盤の名を呼んだ。
「ん?」
「私は、常盤と出会えて良かったです。子供とずっと仲良くやっていきましょうね。死ぬまで愛してます」
「……私は死んでからもずっと愛するよ。まだまだ愛が足りないねえナノハは」
そっと肩を抱き寄せて、ま、いいよ、と微笑んだ。
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みんなの感想(5件)
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はぁああぁ……一気読みしてしまいました
読後感がすっごくまったりと心地良いです
渋めのお茶とあんこの串団子を冬の炬燵でのんびり食べてるようなホッコリとした幸せな心地です〜
あんな穏やかに愛してるよ、と言ってくれる旦那様が私も欲しい〜(*´∇`*)
お父上も素敵です
素敵なお話をありがとうございました
買いてくれてありがとうございました
あの…それで、またお茶をいただけますでしょうか?
以前も一度スペシャルなのが欲しい的に図々しくもお願いしたらば確か、まりあーじゅふれーるのいんぺりある?…を頂いて嬉しかったものですから💦🙇♀️💦
お茶は大好きです
ルピシアのぶっくおぶてぃー100種がうちで私に飲まれるのを待っております
私からは作者様にその中から、まっちゃいりせんちゃ「夢がたり」を淹れさせていただきます🍵
今後も健康に気をつけて執筆を続けてください
楽しいひとときをありがとうございました╰(✿´⌣`✿)╯♡
(・∀・)っ_旦 にゅいえとわーれのぼわらくてをみるくちーで
私のお茶程度で喜んで頂けるならどーぞどーぞ(笑)
作品ののんびりした世界観も気に入って下さり何よりでございます(ΦωΦ)
楽しい時間を過ごして、ゆったりと紅茶を飲みつつまた別の作品も覗いて下されば幸いです。
暑くてバテバテですが、お体に気をつけて下さいませ~。
一気に読了❗😆
完結、お疲れ様でした🍶
ラブラブハッピーエンド⛩️
そして、このまったりした空気感がいいですねぇ🍵
常盤様の口調の効果もあって、R18場面でも どこか ほんわか優しくて。。。🍡
コメントの絵文字が和風まったり系ばかりに・・・珍しくも貴重な体験ができました🍣
常盤様ってば、最終的には すごいスパダリに。。。🍱
溺愛だし、あれでは主人公の父親も反対できないでしょ🍘
そういえば、枠に空きが有ることですし、タグにも『R18』入れておいた方がいいと思いま~す🙋
(・∀・)っ_旦 あいすれもんちーでも
ありがとうございました!追加しておきました。
確かアップする時にR18区分であげたとは思うんですが( ̄▽ ̄;)
楽しんで頂けたなら何よりです。
また別の作品でもお目にかかれますように!
ちぇけらー♪(笑)
一気に読み切ってしまいました
転移してしばらく過ごして戻っても時間が経過していないとかめっちゃ憧れますね
ほんわかファンタジーもいい感じで好きです
たまにぶっこんでくるお笑い要素・・・空飛ぶおでん種・・・ごはん食べながら読んでたので危うく噴き出すところでしたよw
次は何読もうかなぁ~
(・∀・)っ_旦 すももじゅーすでも
ありがとうございましたm(_ _)m
更に時間が戻るなら積極的に行きたいものです(笑)
徹夜が出来るあの時代に……!
また別の作品でもお目にかかれますように!