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演劇フェスタ【3】
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【ルーシー視点】
本日は待ちに待ったリーシャ様のお芝居である。横で旦那様、大旦那様、大奥様と並んでいる所に、私ごとき一メイドが席を連ねるのも大変おこがましい話ではあるのだが、皆様私がリーシャ様に身も心もお仕えしている事は理解しておられるので、驚くほど寛容に接してくださるのが有り難い。
まあ最悪、どんな手段を用いてでも観るつもりではいたのだが。
思えばこの2ヶ月、本当にリーシャ様は苦労しておられた。
稽古に行く前は、掌に「人」を三回書いて飲み込んでから赴き、
「ルーシー………やっぱりおまじないはおまじないよね。所詮ヒッキーは家の中で大人しくしているのが筋なのよ」
とグッタリした顔で馬車で愚痴ったかと思えば、
「ムーンシャドー先生が『相手役の役者は、全て人間に化けてる犬か猫だと思えば良いのです』と言ってくれたから、今日はすごく上手く出来たわ!流石に先生が一流だと教え方が違うわね!」
とご機嫌で稽古を終える事もある。
言い聞かせもおまじないの一種だと思うのだが、リーシャ様は無駄に私に信頼を置いているので、偽薬(プラシーボ)みたいなものだと思われる。
ちなみに、稽古の時にムーンシャドー先生と私を呼ぶのは、どうやら前世の好きなマンガに出ていた人物だそうで、「顔を怪我してしまったせいで引退した一流の女優の先生」らしく、傷を隠すように髪で片側を隠して欲しいだの、黒いロングドレスを着て欲しいだのやたらと注文が多かった。
まあそんなことでリーシャ様のヤル気が引き出せるのならお安いご用である。
連日どこかしら良かったところを見つけては誉めまくったせいで、乗せられやすいリーシャ様は思ってたより早く、演技という世界でも素晴らしい力を発揮できるようになった。
ウチのリーシャ様はヒッキーなだけで、実はやらせてしまえば何でもこなせるのである。リーシャ様最高。ファンタスティック。
ブーーーーー。
考え事をしてるうちに会場が暗くなり、開演のベルが鳴った。
あくまでもフィクションの体裁ではあるが、ぶっちゃけリーシャ様と旦那様のラブロマンスである。
私も僭越ながら関係者の一人として台本の改訂に立ち会わせて頂いたが、リーシャ様が「よし来た!」などと思いながら旦那様のファーストキスを奪い取った事や、「こうなりゃ既成事実はよ」などと夜這いをかけようとしたと言う、リーシャ様のイメージがガラガラ崩れるような事実はしっかり隠蔽させて頂き、お互いがさりげなく盛り上がってキスに至った公園デートや、会いたくて会いたくて思わず夜になろうが構わずに詰め所まで行ってしまったなどとプラトニックな感じでキレイにリフォームさせて頂いた。
リーシャ様は恋愛経験がなかったせいで、何でもいきなりゴールに飛び込もうとするのが困りものだった。
純情な旦那様でなければ、早々に押し倒されて食われてしまうところだ。
自分の美貌を意識してないと言うのは本当に恐ろしい。
『無理矢理ではなく、わたくしが!ローエン様をお慕いしているのです!』
舞台はカフェのシーンである。
実際は「私が無理矢理迫ってるんだからほっとけ」(意訳)みたいな言動を取ったリーシャ様に説教をした記憶しかないが、これも公爵令嬢仕様におとなしめに仕上げて貰った。
観客は最初のリーシャ様の登場で溜め息と大きなどよめきが起こる程だった。
どの役者が出ていても観客はリーシャ様にしか視線が行かない。当たり前だ。リーシャ様なのだから。
さっきリーシャ様の事を「もう美貌は衰えてるんじゃ」などと失礼な軽口を叩いていた男たちの陶酔している顔を見て、フン、と鼻を鳴らした。
リーシャ様はほったらかしてても恐ろしく美人だが、更に手をかけると、それはもうこの国の全ての男たちの魂を引っこ抜けるほどの美しさになる。
まさに女神だ。
背後から後光が射している。
リーシャ様を良く知る私がヘアメイクをしたのだから当然だが。
隣をチラッと見ると、昔を思い出して感極まったのか、旦那様がだーだー涙を溢しておられるので、そっとハンドタオルを渡した。
「うぅ、すばない」
鼻をすすりながら受け取る旦那様に、いい年のオッサンが何をやってるんだと呆れたりもするが、リーシャ様の史上最愛の御方なので、常にフォローは怠らない。
リーシャ様が居ないとすぐ廃人になりそうなところがとても他人事ではなく、近頃ではこの顔の残念な旦那様に親しみすら覚える。
私もリーシャ様が居なかったら、と考えただけで、まともに生きていける自信がない。
何より、とてもつまらない人生だっただろう。
本当に良かった、リーシャ様のメイドになれて。神に感謝である。
『ローエン様!』
『ナタリア!』
舞台は想いをようやく通わせた2人が結婚式を上げ、初めての夜のシーンであるが、少々隣が怖くて見られない。
大旦那様からはいつもの「死ねば良いのに」と言う呟きが聞こえてくるし、隣では「俺のリーシャが、俺のリーシャが穢れる」とか歯軋りの音がする。
2人でベッドに倒れ込んで初夜を匂わせつつ一旦暗転し、数年後の子供と遊ぶ夫婦でエンディングだった筈だが、男優と倒れ込んで暗転する直前にリーシャ様の、
「んぎゃっ」
と言う小さな声が聴こえ、私と旦那様が同時に椅子から立ち上がった。
旦那様を制して、私が行くと身振りで合図した。私と旦那様がいきなり消えたら大旦那様たちが不安になってしまう。
幸いにも大旦那様たちには聴こえなかったようだ。
トイレに立つ振りをして急ぎ控え室へ向かう。
「リーシャ様!」
控え室へ入ると、リーシャ様のナイトドレスが血まみれだった。一瞬血の気が引いた。
「まさかどこかお怪我でもっ!」
慌てて駆け寄ったが、どうもリーシャ様はいつも通りピンピンしている。
「あらルーシー。舞台観てたんじゃないの?」
不思議そうな顔で笑いかけてきたリーシャ様は、間近で見るとやはり光輝いている。眩しい。
いやそうでなくて。
「観てたからリーシャ様の淑女にあるまじき奇声が聴こえたのでございますよ!
その血はどうされたのですか?」
「すみません!俺が鼻血出しました!」
タオルを顔に当てていたクレイトンだか言う相手役の役者が手を上げた。
「ベッドへ倒れ込む時に手の置き場所がずれてリーシャさんの胸に行っちゃって、慌てて別の位置に手をついたんですが、カーっと頭に血がのぼってしまって、こう、ボタボタっと」
「こっちもビックリしちゃったのよ。いきなり血が落ちてくるなんて思わないでしょう?心配かけてごめんなさいねルーシー」
私は安心したが、相手役の役者に念押しする事だけは忘れなかった。
「決して、リーシャ様の胸を揉んだとか人前で言わないで下さいね。
旦那様に知られたら、クレイトン様の役者生命に関わるような大ケガをなさる可能性がございます。
………ボーッとしてますが、リーシャ様もですよ?
あくまでも照明の熱さで逆上せて鼻血を出した、と言う事でお願いします」
顔を青ざめさせたクレイトンがコクコク頷いた。
「ルーシー、でも故意じゃないのだからーー」
「確信犯だろうと事故だろうと『妻の胸を揉んだ』という事実は旦那様には揺らがないのです」
「もっ、揉んでませんから!ちょっと手を置いただけです!」
「似たようなものでございます。旦那様は常軌を逸した愛妻家ですので、この件はくれぐれも箝口令でお願い致します」
私は深々と頭を下げた。
暴れる旦那様を止めるのは、なまじ腕が立つせいで少々面倒なので、無かったことにするのが一番良い。
「わかわかわか、分かりましたっ」
わかわか言っていた役者が力強く頷いたので一先ずは大丈夫だろう。
男というのは自慢が好きな生き物なので、飲み屋などでつい、
「俺、あの女神の胸を触っちゃってさぁ」
とか一言言えば、あっという間に話が広がり、旦那様のリーシャ様センサーにすぐ引っ掛かるのだ。
せいぜい殴られる位で済むだろうが、少し大袈裟に言っておく方が間違いないのである。
「もうルーシーったら。ウチのダークがまるで手負いの獣みたいじゃないのよ。役者さんを脅かさないでちょうだい」
フフフと呑気に笑っているが、リーシャ様の近くにいる時は穏やかな大人しい旦那様だが、リーシャ様が絡むと別人なのだ。
知らぬは本人ばかりである。
その後、無事にエンディングを終え、カーテンコールで拍手喝采を受けていたリーシャ様の照れ臭そうな表情は、本当に目眩がするほど可愛らしく、旦那様のご機嫌がぱーーっと目に見えて上昇したので、私も漸く胸を撫で下ろした。
舞台のリーシャ様を堪能できなかったのは腹立たしいが、夫婦円満でいて下さるとリーシャ様がずっと笑顔でいてくれるので、私の小さな不満などは二の次である。
さあ、後はお子様たちの舞台だ。
リーシャ様の舞台メイクを落として着替えをお手伝いしなくては。
本日は待ちに待ったリーシャ様のお芝居である。横で旦那様、大旦那様、大奥様と並んでいる所に、私ごとき一メイドが席を連ねるのも大変おこがましい話ではあるのだが、皆様私がリーシャ様に身も心もお仕えしている事は理解しておられるので、驚くほど寛容に接してくださるのが有り難い。
まあ最悪、どんな手段を用いてでも観るつもりではいたのだが。
思えばこの2ヶ月、本当にリーシャ様は苦労しておられた。
稽古に行く前は、掌に「人」を三回書いて飲み込んでから赴き、
「ルーシー………やっぱりおまじないはおまじないよね。所詮ヒッキーは家の中で大人しくしているのが筋なのよ」
とグッタリした顔で馬車で愚痴ったかと思えば、
「ムーンシャドー先生が『相手役の役者は、全て人間に化けてる犬か猫だと思えば良いのです』と言ってくれたから、今日はすごく上手く出来たわ!流石に先生が一流だと教え方が違うわね!」
とご機嫌で稽古を終える事もある。
言い聞かせもおまじないの一種だと思うのだが、リーシャ様は無駄に私に信頼を置いているので、偽薬(プラシーボ)みたいなものだと思われる。
ちなみに、稽古の時にムーンシャドー先生と私を呼ぶのは、どうやら前世の好きなマンガに出ていた人物だそうで、「顔を怪我してしまったせいで引退した一流の女優の先生」らしく、傷を隠すように髪で片側を隠して欲しいだの、黒いロングドレスを着て欲しいだのやたらと注文が多かった。
まあそんなことでリーシャ様のヤル気が引き出せるのならお安いご用である。
連日どこかしら良かったところを見つけては誉めまくったせいで、乗せられやすいリーシャ様は思ってたより早く、演技という世界でも素晴らしい力を発揮できるようになった。
ウチのリーシャ様はヒッキーなだけで、実はやらせてしまえば何でもこなせるのである。リーシャ様最高。ファンタスティック。
ブーーーーー。
考え事をしてるうちに会場が暗くなり、開演のベルが鳴った。
あくまでもフィクションの体裁ではあるが、ぶっちゃけリーシャ様と旦那様のラブロマンスである。
私も僭越ながら関係者の一人として台本の改訂に立ち会わせて頂いたが、リーシャ様が「よし来た!」などと思いながら旦那様のファーストキスを奪い取った事や、「こうなりゃ既成事実はよ」などと夜這いをかけようとしたと言う、リーシャ様のイメージがガラガラ崩れるような事実はしっかり隠蔽させて頂き、お互いがさりげなく盛り上がってキスに至った公園デートや、会いたくて会いたくて思わず夜になろうが構わずに詰め所まで行ってしまったなどとプラトニックな感じでキレイにリフォームさせて頂いた。
リーシャ様は恋愛経験がなかったせいで、何でもいきなりゴールに飛び込もうとするのが困りものだった。
純情な旦那様でなければ、早々に押し倒されて食われてしまうところだ。
自分の美貌を意識してないと言うのは本当に恐ろしい。
『無理矢理ではなく、わたくしが!ローエン様をお慕いしているのです!』
舞台はカフェのシーンである。
実際は「私が無理矢理迫ってるんだからほっとけ」(意訳)みたいな言動を取ったリーシャ様に説教をした記憶しかないが、これも公爵令嬢仕様におとなしめに仕上げて貰った。
観客は最初のリーシャ様の登場で溜め息と大きなどよめきが起こる程だった。
どの役者が出ていても観客はリーシャ様にしか視線が行かない。当たり前だ。リーシャ様なのだから。
さっきリーシャ様の事を「もう美貌は衰えてるんじゃ」などと失礼な軽口を叩いていた男たちの陶酔している顔を見て、フン、と鼻を鳴らした。
リーシャ様はほったらかしてても恐ろしく美人だが、更に手をかけると、それはもうこの国の全ての男たちの魂を引っこ抜けるほどの美しさになる。
まさに女神だ。
背後から後光が射している。
リーシャ様を良く知る私がヘアメイクをしたのだから当然だが。
隣をチラッと見ると、昔を思い出して感極まったのか、旦那様がだーだー涙を溢しておられるので、そっとハンドタオルを渡した。
「うぅ、すばない」
鼻をすすりながら受け取る旦那様に、いい年のオッサンが何をやってるんだと呆れたりもするが、リーシャ様の史上最愛の御方なので、常にフォローは怠らない。
リーシャ様が居ないとすぐ廃人になりそうなところがとても他人事ではなく、近頃ではこの顔の残念な旦那様に親しみすら覚える。
私もリーシャ様が居なかったら、と考えただけで、まともに生きていける自信がない。
何より、とてもつまらない人生だっただろう。
本当に良かった、リーシャ様のメイドになれて。神に感謝である。
『ローエン様!』
『ナタリア!』
舞台は想いをようやく通わせた2人が結婚式を上げ、初めての夜のシーンであるが、少々隣が怖くて見られない。
大旦那様からはいつもの「死ねば良いのに」と言う呟きが聞こえてくるし、隣では「俺のリーシャが、俺のリーシャが穢れる」とか歯軋りの音がする。
2人でベッドに倒れ込んで初夜を匂わせつつ一旦暗転し、数年後の子供と遊ぶ夫婦でエンディングだった筈だが、男優と倒れ込んで暗転する直前にリーシャ様の、
「んぎゃっ」
と言う小さな声が聴こえ、私と旦那様が同時に椅子から立ち上がった。
旦那様を制して、私が行くと身振りで合図した。私と旦那様がいきなり消えたら大旦那様たちが不安になってしまう。
幸いにも大旦那様たちには聴こえなかったようだ。
トイレに立つ振りをして急ぎ控え室へ向かう。
「リーシャ様!」
控え室へ入ると、リーシャ様のナイトドレスが血まみれだった。一瞬血の気が引いた。
「まさかどこかお怪我でもっ!」
慌てて駆け寄ったが、どうもリーシャ様はいつも通りピンピンしている。
「あらルーシー。舞台観てたんじゃないの?」
不思議そうな顔で笑いかけてきたリーシャ様は、間近で見るとやはり光輝いている。眩しい。
いやそうでなくて。
「観てたからリーシャ様の淑女にあるまじき奇声が聴こえたのでございますよ!
その血はどうされたのですか?」
「すみません!俺が鼻血出しました!」
タオルを顔に当てていたクレイトンだか言う相手役の役者が手を上げた。
「ベッドへ倒れ込む時に手の置き場所がずれてリーシャさんの胸に行っちゃって、慌てて別の位置に手をついたんですが、カーっと頭に血がのぼってしまって、こう、ボタボタっと」
「こっちもビックリしちゃったのよ。いきなり血が落ちてくるなんて思わないでしょう?心配かけてごめんなさいねルーシー」
私は安心したが、相手役の役者に念押しする事だけは忘れなかった。
「決して、リーシャ様の胸を揉んだとか人前で言わないで下さいね。
旦那様に知られたら、クレイトン様の役者生命に関わるような大ケガをなさる可能性がございます。
………ボーッとしてますが、リーシャ様もですよ?
あくまでも照明の熱さで逆上せて鼻血を出した、と言う事でお願いします」
顔を青ざめさせたクレイトンがコクコク頷いた。
「ルーシー、でも故意じゃないのだからーー」
「確信犯だろうと事故だろうと『妻の胸を揉んだ』という事実は旦那様には揺らがないのです」
「もっ、揉んでませんから!ちょっと手を置いただけです!」
「似たようなものでございます。旦那様は常軌を逸した愛妻家ですので、この件はくれぐれも箝口令でお願い致します」
私は深々と頭を下げた。
暴れる旦那様を止めるのは、なまじ腕が立つせいで少々面倒なので、無かったことにするのが一番良い。
「わかわかわか、分かりましたっ」
わかわか言っていた役者が力強く頷いたので一先ずは大丈夫だろう。
男というのは自慢が好きな生き物なので、飲み屋などでつい、
「俺、あの女神の胸を触っちゃってさぁ」
とか一言言えば、あっという間に話が広がり、旦那様のリーシャ様センサーにすぐ引っ掛かるのだ。
せいぜい殴られる位で済むだろうが、少し大袈裟に言っておく方が間違いないのである。
「もうルーシーったら。ウチのダークがまるで手負いの獣みたいじゃないのよ。役者さんを脅かさないでちょうだい」
フフフと呑気に笑っているが、リーシャ様の近くにいる時は穏やかな大人しい旦那様だが、リーシャ様が絡むと別人なのだ。
知らぬは本人ばかりである。
その後、無事にエンディングを終え、カーテンコールで拍手喝采を受けていたリーシャ様の照れ臭そうな表情は、本当に目眩がするほど可愛らしく、旦那様のご機嫌がぱーーっと目に見えて上昇したので、私も漸く胸を撫で下ろした。
舞台のリーシャ様を堪能できなかったのは腹立たしいが、夫婦円満でいて下さるとリーシャ様がずっと笑顔でいてくれるので、私の小さな不満などは二の次である。
さあ、後はお子様たちの舞台だ。
リーシャ様の舞台メイクを落として着替えをお手伝いしなくては。
応援ありがとうございます!
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