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ルキはまだ諦めない。
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ルキはその後、週に一度ほど定期的にやって来ては私の作ったご飯やお菓子を食べては、たわいもない話をして帰っていくようになった。
そして、それは友人も少なく(と言うかよく行く本屋の店員のマール以外はいない)、出掛ける事も口数もそれほど多くない私にとって、貴重な生活の彩りとなっていった。
学校でこんなことがあった、友達とこんな遊びをした、商店街であれが安く売っていたなど、ああ私に子供が居たら息子からこんな話をしてもらえたりする事もあったんじゃないかと思える穏やかな日々だった。
親が亡くなって親戚の叔父さんに引き取られてからもう結構経つ、と教えて貰ったのはいつだったか。
彼も複雑な家庭のようである。
まあ大概の人は私ほどではないだろうが。
「ところで、カスミさんは恋人とかは居ないんですか?結婚の予定とか」
ルキが13歳になり、私も26歳。結婚適齢期というのはこの国では20歳。
とっくのとうに過ぎている私だが、実は22の頃に店に来ていたお客さんと付き合った事がある。
年上で頼り甲斐がありそうな30過ぎの優しそうな男に、心の拠り所を求めていた私は、アプローチについよろめいてしまった。
何度かデートをして、そろそろキス以上の関係になるのかなと思っていた。
………食事をしていたレストランに彼の妻と言う女性が乱入するまでは。
恋とも言えないような私の身勝手な願望から始まったお付き合いは、知らなかったとはいえ、結構な修羅場となった。
奥さんが私にグラスの水を浴びせかけ、旦那を引きずり帰っていく中、私は一人呆然と髪の毛から水を滴らせていた。
周りにいた客の中に私を知っていた人間がいたのであろう。
ひそひそ話でそれは静かに広がり、私は街で『大人しそうな顔して人の旦那を誘惑するような悪女』と欲しくもないレッテルが付いた。
パン屋のおじさん夫婦は、付き合いも長くなってきた頃だったので単に騙されたのだと憤慨してくれたが、まあ自業自得である。
楽をしてこの世界での自分の居場所を早く見つけようとしたから、バチが当たったのだろう。
そして、そんな噂が立った女に近づこうと思う真っ当な男などいない。
誘ってくる男は明らかに火遊び目的か、童貞を捨てるのに都合がいい大人の女という存在になっていた私は、もう結婚などというご縁などないのだと自覚した。
少し寂しかったが、一人でこれから生きていくのだと決めたら気持ちは楽になった。
キスしか経験のない女が悪女だの大人の女だのとは笑わせるが、人の噂というものはそんなものだ。
それからずっと付き合った男もいなかったし、そんな予定の男もいない。
子供だからなのか、単にルキが聞き上手だったのか、私は自分の黒歴史を語っていた。
これからも仲良く付き合っていきたいと願う、弟のような息子のような存在だったが、そんな生活が続くほど、嫌われたり軽蔑されるのは辛くなる。
後から私の噂を聞き離れて行くぐらいなら、絆が深まる前にいっそ手放してしまえ、と投げやりな気分になったのもあった。
「そうなんですか。それは良かった!」
予想に反して何故かご機嫌になるルキに私は顔をしかめた。
「ちょっと何よ。私がモテなくなるのがそんなに嬉しいの?オムライス返せ」
オムライスを頬張りながら、首をブンブン振ったルキは、皿を自分の方に引き寄せた。
「違いますって!カスミさんへの競争相手が少なくて嬉しいってだけですよ。僕が20歳になったら是非とも結婚しましょう!それまで誰とも結婚しないで下さいね!!」
「………誰と誰が?」
「僕とカスミさんが!」
「子供に同情されるとは。少年、寝言は寝て言うものだぞ」
「ふふん、まぁ寝言だと思ってて下さいよ。子供はね、いつまでも子供じゃないんですよ。………あ、オムライスお代わり下さい」
「はいはい」
私は、寝言だろうがなんだろうが、サラリと流してくれたルキに感謝していた。
しかし少年よ、子供はいつまでも子供ではないが、お姉さんもいつまでもお姉さんではないのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ルキが15、16、17、18歳と成長していくに連れ、恋人でも出来て遊びに来なくなるだろうと私は思っていたが、彼は相変わらず週に一度はやって来た。
そして、ルキが19歳の時にはとうとう働いていた商店から独り立ちして、個人で卸売業を始めた。
店からの注文を取り、手数料を貰って仕入れと運搬までする。
人懐っこい性格と礼儀正しい言葉遣い、良心的な価格での取引と整った顔立ちで周りからはかなり可愛がられており、働いてる時間は長いようだが収入は小さなパン屋の私より、多分かなり上だろうと思う。
かなり背丈も伸びて、私より頭一つは高くなってしまったので、立って話していると首が痛くなってくる。
ここ一、二年はルキと会うのは週に一度というより、店での仕入れの商品の受け取りなどもあるので、ほぼ毎日顔を合わせていると言っていい。
「ルキはイケメンになると昔から思ってたけど、予想通りになって私は嬉しいわ。
先見の明があったって事だもんね。
そろそろ恋人の話でも聞けないのかしらね」
最近売り始めた、果物を載せたペストリーをもぎゅもぎゅと美味しそうに食べながら世間話をしていたルキは、不思議そうな顔をして、
「何でですか?僕はカスミさんと結婚したいのに他の女性なんて要りませんよ。
ちなみに浮気もしないし、一途に奥さんだけを大切にするタイプですので超オススメです!生活にも苦労はさせません!
ですからドーンと僕の胸に飛び込んで来て下さい!!」
と笑顔で両手を広げた。
「………あーそうなの。私32なのよ。
ルキは老け専かしら?それとも熟女専?」
照れ照れとしながらもルキは、
「えーと、専門とかよく分からないですけど、敢えて言うならカスミさん専ですかね。カスミさんには是非ルキ専になって頂きたいと思っています!!」
と、相変わらず私への過度な好意を隠さない。
彼がパンを食べ終え、仕事に行くと店から出ていった後、私は悶々としていた。
いや、私だって嫌いじゃない。
むしろ大好きだ。でも、子供の頃からの親しい交友関係を、ルキは男女の愛と勘違いしているのだと思う。
気心も知れて気も遣わずにいられるのは確かだが、これはいわゆる友愛、家族のような愛。
普通に考えて、13も年上の平凡なおばさんに、稼ぎが良くて優しくて浮気もしないから結婚しようなどと言うイケメンが何処にいる。
きっと、私が育て方を間違えてしまったのだろう。
………いや育てた覚えはなかった。友達との付き合い方を間違えたと言うべきだ。
少なくともこんな優良物件が、私のような婚期もとっくに過ぎたようなおばさんが近くにいたせいで、すっかり判断を見誤ってしまっている。これではいけない。
これは大人である私が何とかせねばなるまい。
少し離れてみれば、彼も冷静に考える時間が出来るだろう。
そう、余りに始終顔を合わせ過ぎていたせいで、ルキに親しい女性=私=好き、と刷り込みが起きているのだ。
このままでは、彼が送れるであろう幸せな結婚生活、そして生まれるであろう子供達を私のせいで台無しにしてしまう。
幸いにも私のろくでもない悪女説は、十年ひと昔で殆ど聞かれなくなった。
誰かマールにでも年相応の独身男性を紹介して貰い、デートをするような恋人が出来れば、彼も目が覚める。
そして自分も年相応の素敵な恋人が欲しいと思うはずだ。
その想像は少し胸が痛むものだったが、ずっと私の側で寂しさを癒してくれたルキを、自分のワガママで不幸にしてしまうのはもっと辛い。
私は、店を早じまいする事に決め、マールに会うべく身支度をするのだった。
そして、それは友人も少なく(と言うかよく行く本屋の店員のマール以外はいない)、出掛ける事も口数もそれほど多くない私にとって、貴重な生活の彩りとなっていった。
学校でこんなことがあった、友達とこんな遊びをした、商店街であれが安く売っていたなど、ああ私に子供が居たら息子からこんな話をしてもらえたりする事もあったんじゃないかと思える穏やかな日々だった。
親が亡くなって親戚の叔父さんに引き取られてからもう結構経つ、と教えて貰ったのはいつだったか。
彼も複雑な家庭のようである。
まあ大概の人は私ほどではないだろうが。
「ところで、カスミさんは恋人とかは居ないんですか?結婚の予定とか」
ルキが13歳になり、私も26歳。結婚適齢期というのはこの国では20歳。
とっくのとうに過ぎている私だが、実は22の頃に店に来ていたお客さんと付き合った事がある。
年上で頼り甲斐がありそうな30過ぎの優しそうな男に、心の拠り所を求めていた私は、アプローチについよろめいてしまった。
何度かデートをして、そろそろキス以上の関係になるのかなと思っていた。
………食事をしていたレストランに彼の妻と言う女性が乱入するまでは。
恋とも言えないような私の身勝手な願望から始まったお付き合いは、知らなかったとはいえ、結構な修羅場となった。
奥さんが私にグラスの水を浴びせかけ、旦那を引きずり帰っていく中、私は一人呆然と髪の毛から水を滴らせていた。
周りにいた客の中に私を知っていた人間がいたのであろう。
ひそひそ話でそれは静かに広がり、私は街で『大人しそうな顔して人の旦那を誘惑するような悪女』と欲しくもないレッテルが付いた。
パン屋のおじさん夫婦は、付き合いも長くなってきた頃だったので単に騙されたのだと憤慨してくれたが、まあ自業自得である。
楽をしてこの世界での自分の居場所を早く見つけようとしたから、バチが当たったのだろう。
そして、そんな噂が立った女に近づこうと思う真っ当な男などいない。
誘ってくる男は明らかに火遊び目的か、童貞を捨てるのに都合がいい大人の女という存在になっていた私は、もう結婚などというご縁などないのだと自覚した。
少し寂しかったが、一人でこれから生きていくのだと決めたら気持ちは楽になった。
キスしか経験のない女が悪女だの大人の女だのとは笑わせるが、人の噂というものはそんなものだ。
それからずっと付き合った男もいなかったし、そんな予定の男もいない。
子供だからなのか、単にルキが聞き上手だったのか、私は自分の黒歴史を語っていた。
これからも仲良く付き合っていきたいと願う、弟のような息子のような存在だったが、そんな生活が続くほど、嫌われたり軽蔑されるのは辛くなる。
後から私の噂を聞き離れて行くぐらいなら、絆が深まる前にいっそ手放してしまえ、と投げやりな気分になったのもあった。
「そうなんですか。それは良かった!」
予想に反して何故かご機嫌になるルキに私は顔をしかめた。
「ちょっと何よ。私がモテなくなるのがそんなに嬉しいの?オムライス返せ」
オムライスを頬張りながら、首をブンブン振ったルキは、皿を自分の方に引き寄せた。
「違いますって!カスミさんへの競争相手が少なくて嬉しいってだけですよ。僕が20歳になったら是非とも結婚しましょう!それまで誰とも結婚しないで下さいね!!」
「………誰と誰が?」
「僕とカスミさんが!」
「子供に同情されるとは。少年、寝言は寝て言うものだぞ」
「ふふん、まぁ寝言だと思ってて下さいよ。子供はね、いつまでも子供じゃないんですよ。………あ、オムライスお代わり下さい」
「はいはい」
私は、寝言だろうがなんだろうが、サラリと流してくれたルキに感謝していた。
しかし少年よ、子供はいつまでも子供ではないが、お姉さんもいつまでもお姉さんではないのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ルキが15、16、17、18歳と成長していくに連れ、恋人でも出来て遊びに来なくなるだろうと私は思っていたが、彼は相変わらず週に一度はやって来た。
そして、ルキが19歳の時にはとうとう働いていた商店から独り立ちして、個人で卸売業を始めた。
店からの注文を取り、手数料を貰って仕入れと運搬までする。
人懐っこい性格と礼儀正しい言葉遣い、良心的な価格での取引と整った顔立ちで周りからはかなり可愛がられており、働いてる時間は長いようだが収入は小さなパン屋の私より、多分かなり上だろうと思う。
かなり背丈も伸びて、私より頭一つは高くなってしまったので、立って話していると首が痛くなってくる。
ここ一、二年はルキと会うのは週に一度というより、店での仕入れの商品の受け取りなどもあるので、ほぼ毎日顔を合わせていると言っていい。
「ルキはイケメンになると昔から思ってたけど、予想通りになって私は嬉しいわ。
先見の明があったって事だもんね。
そろそろ恋人の話でも聞けないのかしらね」
最近売り始めた、果物を載せたペストリーをもぎゅもぎゅと美味しそうに食べながら世間話をしていたルキは、不思議そうな顔をして、
「何でですか?僕はカスミさんと結婚したいのに他の女性なんて要りませんよ。
ちなみに浮気もしないし、一途に奥さんだけを大切にするタイプですので超オススメです!生活にも苦労はさせません!
ですからドーンと僕の胸に飛び込んで来て下さい!!」
と笑顔で両手を広げた。
「………あーそうなの。私32なのよ。
ルキは老け専かしら?それとも熟女専?」
照れ照れとしながらもルキは、
「えーと、専門とかよく分からないですけど、敢えて言うならカスミさん専ですかね。カスミさんには是非ルキ専になって頂きたいと思っています!!」
と、相変わらず私への過度な好意を隠さない。
彼がパンを食べ終え、仕事に行くと店から出ていった後、私は悶々としていた。
いや、私だって嫌いじゃない。
むしろ大好きだ。でも、子供の頃からの親しい交友関係を、ルキは男女の愛と勘違いしているのだと思う。
気心も知れて気も遣わずにいられるのは確かだが、これはいわゆる友愛、家族のような愛。
普通に考えて、13も年上の平凡なおばさんに、稼ぎが良くて優しくて浮気もしないから結婚しようなどと言うイケメンが何処にいる。
きっと、私が育て方を間違えてしまったのだろう。
………いや育てた覚えはなかった。友達との付き合い方を間違えたと言うべきだ。
少なくともこんな優良物件が、私のような婚期もとっくに過ぎたようなおばさんが近くにいたせいで、すっかり判断を見誤ってしまっている。これではいけない。
これは大人である私が何とかせねばなるまい。
少し離れてみれば、彼も冷静に考える時間が出来るだろう。
そう、余りに始終顔を合わせ過ぎていたせいで、ルキに親しい女性=私=好き、と刷り込みが起きているのだ。
このままでは、彼が送れるであろう幸せな結婚生活、そして生まれるであろう子供達を私のせいで台無しにしてしまう。
幸いにも私のろくでもない悪女説は、十年ひと昔で殆ど聞かれなくなった。
誰かマールにでも年相応の独身男性を紹介して貰い、デートをするような恋人が出来れば、彼も目が覚める。
そして自分も年相応の素敵な恋人が欲しいと思うはずだ。
その想像は少し胸が痛むものだったが、ずっと私の側で寂しさを癒してくれたルキを、自分のワガママで不幸にしてしまうのはもっと辛い。
私は、店を早じまいする事に決め、マールに会うべく身支度をするのだった。
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