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「そういやびびあんママさ、あのエブリディマッパの美青年マネージャー、びびあんの所に引っ越して来たんだって? あ、肉じゃがもう少しくれる? ママの肉じゃがいつも最高だよね」
「やだ黒川さんどっから聞いたのそれ? それにマネージャーじゃなくて付き人だってば。マッパもエブリディじゃないし。概ね間違いじゃないけれど」
びびあんはお通しのお代わりを出しながら目を見開いた。
今日は週の真ん中、水曜日ということもあって、メビウスの客は少ない。最近はいつも金曜日に現れて打ち合せ名目で飲んでから一緒にラジオ収録に向かう黒川が、珍しく顔を見せたのでびびあんは少し不思議に思っていた。
「ついでに可愛い女子高生も一緒なのよねーママ?」
今夜のお客さんはグループで来ている人なので、特に話し相手をする必要もないのか、バイトの椿がカウンターに戻って来て会話に加わった。
「ちょ、ちょっとママ、いくらママとはいえJKは反則じゃないの? いや、反則っていうか犯罪だよね? 何てうらや、いや冒涜行為を──」
「オネエが女子高生に何するって言うのよ? まあ茉莉(じゃすみん)ちゃんの場合はちょっとご家庭の事情があってね……」
びびあんは一緒に住むようになった経緯を簡単に説明した。
「……なるほどね、母親が恋人をよく連れ込むから居場所がないと」
「まあお母さんもお母さんで、娘に新しく頼れる父親をという気持ちと、今後娘が独立してからの自分の寂しい気持ちなんかもあって、結果娘に居たたまれない思いをさせてしまっているという感じなのよね。悪い人じゃないのよ、一応挨拶には行ったんだけどね、引っ越してくる前に」
流石にオネエの所に茉莉を同居させるのはまずかろう、と真意を探るつもりもあったのだが、何故か訪問したびびあんを歓待してくれた。
「私のせいでもありますが、殆ど会話もしなくなっていた茉莉が貴方のことを話す時はすごく楽しそうに私と喋ってくれるんです。もしご迷惑でなければ、少ないですが生活費もお渡ししますので、娘をどうぞよろしくお願い致します」
茉莉と同様に一五〇センチあるかないかの小柄で細身な可愛らしい母親はそう言うと、びびあんに頭を下げた。
今お付き合いをしている人にも相談したところ、急に無関係な人間が家族に割り込もうとしたところで上手く行く訳がないんだし、適度に顔合わせしつつ食事をしたり、話をしたりで徐々に仲良くなって行けばいいんじゃないかな、と言われたそうだ。穏やかな人で先々再婚も考えているようなので、微妙な年齢だし距離を置くのも悪くないと賛成されたそうだ。まあ彼も悪い人ではなさそうである。
「仙波ちゃんの方は?」
「あの子の家はオープンでねえ、仙波ちゃんが電話してオネエの人と仲良くなったから一緒に住む事になった、って早速報告して許可得て来ちゃって……」
「襲われるかもとか考えないのかしらね仙波ちゃん! ねえママ」
コロコロと椿が笑いながらびびあんの肩をぺしぺし叩いた。
「イケメンとはいえ私がノンケの人を襲う訳ないでしょ。やっぱり愛がなくっちゃ。美味しいご飯も食べられなくなるし」
「でも引っ越して来てからもう一カ月ぐらい経つんだろう? どうなんだ同居生活は。いきなり人が二人も増えたら大変じゃないか?」
「んー、私もそう思ったんだけどね、お互いに個室にいる時にはプライバシーは侵害しないルールだし、かなり楽よ。普段の掃除は仙波ちゃんがやってくれるけどお風呂掃除は交代制とか、足りない生活用品があれば、平日なら夕方の五時ぐらいまでに仙波ちゃんか茉莉ちゃんに伝えておけば買っておいてくれるし、チコの水やエサ交換もしてくれるし、むしろ私はすっごい助かってるのよねえ」
「いやでもほら、家とスタジオでは基本マッパだろ仙波ちゃん? うら若き乙女にその環境はどうなんだい?」
「それが全然よ。茉莉ちゃん絵が上手くてね、最近ではマンガを描いてるんだけど、男性の骨格や筋肉の付き方がタダで見られるってスケッチしたりしてるぐらいなのよ。何度か遊びに来ている間にもう見慣れたらしくて『変態のいる日常的な風景』らしいわ」
「仙波ちゃんイケメンだし、体も鍛えてるから見栄えいいもんね。目の保養よ目の保養」
「あら椿ちゃん、あなた渋いマッチョな中年が好きなんじゃないの?」
「そこなんですよねえ、仙波ちゃんじゃ若過ぎて。でも日本じゃなかなか居ないんですよねー。ああ、ダウェインジェンソーやヴァンダゼールみたいな人いませんかねー? 私なんか片手で持ち上げてくれそうな逞しい独り身の男性は!」
「マッチョで中年でイケてる独身なんて概ねゲイ説もあるけどさ、椿ちゃん美女だから、そういう男性の好みから外れてそうだね。男の恰好で探せば見つかるかもよ?」
「イヤですよー、メイクしていつも綺麗にしていたいですもん」
「そういって選り好みしていると、ずうっと独身生活になるのよ、適度に妥協しなさい妥協を」
「妥協した男と付き合って、散々貢いだのに二股かけられた挙句に捨てられたママがそれを言う?」
「あらやだ、エアボウガンが胸に刺さったわ」
びびあんはキュッキュッと胸から矢を抜く仕草をして笑った。
「さて、それはそうと黒川さん、何でこんな週のど真ん中に? 何か相談事でもあるのかしら?」
「あ、そうだ忘れてた。ねえびびあんママ、猫とか好きかな?」
「まあ動物全般好きだけど、それが?」
黒川は少し間を空けて語り出した。
高校の時からの同級生で、ずっと付き合いがあった友人が先日ガンで亡くなったのだが、ずっと独身で親類とも付き合いなくて、親もとうに亡くなっているので、彼が飼っていた猫の引き取り手がいなくて困っているらしい。
「今俺の家にいるんだけどさ、家内が猫アレルギーでもうくしゃみと鼻水が止まらなくて。猫は嫌いじゃないらしいんだけど、目の周りとか真っ赤に腫れちゃってるし、可哀想で流石に家じゃ無理かと。娘の住んでる所はペット禁止らしいし、猫の毛とかつくのも嫌だからと断られた。だけど、奴の家族同然の猫を保健所に連れて行くのもさあ……」
「そうよねえ。奥様も辛いわよねアレルギーあると……」
「私んとこのアパートもペット禁止だから無理ですー」
椿が挙手をして答える。びびあんは考え込んだ。確かにペット禁止ではない持ち家だが、家には既にチコがいる。更には仙波と茉莉まで増えたのだ。彼らの負担にもなるだろうし、簡単に返事は出来ない。
「……だけど同居人にも話を聞かないと、私だって返事は無理よ」
「うん、それでもいいよ可能性があるだけ! ありがとうママ、助かるよ!」
スツールから降りて土下座をしそうな黒川を止めつつ、最近やたらと家の人口密度が上がり気味よねえと心の中でため息をついた。
「……猫、ですか?」
暇だった店を少し早めに閉めて、四谷三丁目の自宅マンションに戻って来たびびあんは、仙波の夜食に舌鼓を打っていた。今夜はキノコの土瓶蒸しとカレイの煮つけ、タケノコご飯である。趣味とはいえ毎日手の込んだ食事を作ってくれて、びびあんはいつも感謝しきりである。若干体重が増え気味なのが最近の悩みでもある。
「え、猫? いいじゃないですか! 私大好きですよ猫ちゃん!」
風呂上がりの茉莉も、びびあんの隣で麦茶を飲みながら話を聞いていたが、猫の話を聞いて目を輝かせた。
「でもね、家に猫がいると服とかに毛もつくし、もしかしたら爪とぎされて持ち物に傷がついたりするかも知れないじゃない? 嫌じゃないかしら?」
「生き物を飼うってのはそういうものですよ。チコちゃんだってエサの殻を籠の外に結構ばらまいてるじゃないですか。それに爪とぎを別に用意してあげればそんなに被害はない筈ですよ? 毛もブラッシングとコロコロをマメにすれば……ところでどんな子なんですか? ブチですか? 三毛ですか?」
「黒川さんが言うには雑種のオスのサバトラで、亡くなった友人が飼い出した頃から計算すると、大体七歳ぐらいだそうよ。大人しくて余り鳴かないらしいわ。まあ環境が変わったせいかも知れないけれど」
「私、面倒みますよ! 学生なんで家にいる時間が一番長いですし。私はアレルギーもないけど……仙波さんはどうですか?」
「俺もアレルギーとかはないけどさ……猫って噛んだり結構爪を立てて服を登ったりすることあるだろ? ほら、俺は家では基本マッパだから痛いかなあって」
「ああそうねえ。仙波ちゃんは爪痕つくかもねえ。元から猫の爪の傷って結構残るみたいだし」
「爪立てられるのが怖いってどんなビビりですか仙波さん。そもそも服を着れば済む話でしょ。──いや、罪を憎んで性癖憎まずだわ。それが出来たら最初から着てますもんね。快適に暮らす生活を奪われたくない気持ちも分かるし……でも大人しいんでしょびびあんさん?」
「らしいわよ。断られても仕方ないけど、可愛いし、せめて一回だけでもいいから見に来て欲しいと言われたわ」
「じゃあ皆で行きましょうよ週末に! それで仙波さんの美肌を傷つけるようなタイプでなかったらびびあんファミリーに加えてあげましょうよ! だって、引き取る人がいなかったら保健所に連れて行かれちゃうんでしょう?」
「それは最後の手段で、保護施設とかも考えてるらしいけど、もう子猫でもないし、そこで誰も引き取ってくれなかったらどうしようとか悶々としてるらしいの。知り合いでないと、様子を聞けたりしないから虐待されてるか不安になるって」
「……しゃあない、びびあんさん、取りあえず見に行きましょうか」
食器を洗い終えた仙波がコーヒーを淹れて食卓に並べた。
「ありがとう。ああいい香りねえ……いいの? 仙波ちゃん」
「暴れん坊だったら勿論反対しますけど、別に猫嫌いじゃないですから。むしろびびあんさんの家なのに、俺たちに相談してくれた事の方が嬉しいですから」
「そうよね、問答無用で連れて来られても文句言えないもの私たち」
「え? でも一緒に住んでる人がいる以上はやっぱりね、アレルギーあったら大変だし」
「えへへー、そういうびびあんさんが好きー♪」
「あらー、私も茉莉ちゃん大好きよー」
ぎゅうっと抱きついて来た茉莉の頭を撫でると、頭の中で週末の予定を組むのだった。
「やあママ、すまないね! ま、入って入って!」
ラジオ収録の翌日。土曜日の昼間、びびあん達は黒川の自宅へお邪魔していた。奥様は友人と舞台を観に行ったらしく不在だった。
「それで、猫ちゃんは?」
「今連れて来るよ。妻のアレルギーが出にくいように、今は前の娘の部屋に隔離してるんだ」
居間でお茶を淹れてびびあん達の前に置くと、いそいそと出て行って、少しすると移動用の籠に入れた猫を連れて来た。
「マリーって呼んでた。マリーって顔じゃないけどな、ははっ」
「オスなのにマリーちゃんね……あら、何というか……福々しいわね」
びびあんが籠の中を見ると、むちむちした灰色と黒のトラジマの猫が、こちらを不思議そうに見返して来た。確かに大人しい。籠から出して太股の上に乗せて頭を撫でてみると、逃げるでもなくゴロゴロと喉を鳴らすだけで爪を立てることもない。ただ見た目で分かっていたのだが少々重い。五キロは超えているように思う。スーパーでお米を買った時を想像したが、あれより重たい気もする。
「わあ! ちょっとおデブですけどそこがまた可愛いですね! きっとかなり可愛がられていたんでしょうねえ、この子」
隣の茉莉が一緒に撫でながら黒川に尋ねた。
「うん、チャオルとかいうおやつもあげてたし、ご飯も結構高い缶詰を良くあげてたよ。少し贅沢しても人より経費はかからないからって。去勢手術も済んでいるし、定期的にワクチン接種もさせていたから健康面では問題ないと思う」
「そうなのね。……ねえ、仙波ちゃんはどう、この子?」
恐る恐るといった感じでマリーの背中を撫でていた仙波は、頷いた。
「ええ。この子なら……まあ敏捷さも余りなさそうだし、大人しいですね。何だかびびあんさんみたいだし親近感が沸きます」
「あら酷い。こんなおデブじゃないわよ私。大柄なのよ大柄」
「いえほら、名前もですけど、男なのに男じゃない、みたいな」
びびあんはあーなるほど、と頷き、マリーを撫でながら話しかけた。
「……マリーちゃん、あなたは体がオネエ、私は心がオネエ。前のご主人様には敵わないだろうけど、お互いにまあまあいいコンビじゃないかしら? どう? 私の家で暮らす? ご飯はそんなに毎回贅沢は出来ないかも知れないけど」
びびあんを見上げたマリーは、果たしてびびあんの話が分かったのかは不明だが、みゃ、と一声上げると、お腹にすり、と顔を押し付けて来た。
(……まあ、なんて可愛いの……!)
うっかりそう思ってしまったらもう駄目だ。
びびあんは黒川に家で面倒を見ると宣言してしまった。
「本当かい? いやあ助かるよ! これで彼にも顔向けが出来る!」
目を潤ませてしきりに感謝を述べる黒川が、エサも籠もトイレも全部上げるから、と結構な量の荷物を居間にどんどん運んで来た。
「ちょちょ、やだわこれじゃ電車に乗れないじゃないのよ黒川さん」
「勿論タクシー代も出すに決まってるじゃないか! 僕がそんなにケチな男と思われていたのは心外だなあ」
「やったねマリーちゃん、びびあんファミリーにようこそ。これからよろしくね!」
籠にマリーをしまい、扉の前から茉莉が話しかけたが、疲れてしまったのかマリーは丸まって返事をすることはなかった。
「はあいびびあんよー♪ 今夜も始まりました人生相談れいでぃおのお時間でえーす。今日はまずリスナーさんにご報告なの。最近なんだけど、うちにマリーちゃんって言うサバトラの猫が仲間入りしたのよ。前の飼い主さんが亡くなってしまってね、まあ色々あって家族になったんだけど……あ、マリーって言ってもメスじゃなくてオスなのよ。飼い主さんのネーミングセンスが不思議よね。まるで私のとこに来る為につけたみたいで。そうそう、それでね、かなりおデブな子なんだけど、人のそばで寝るのが大好きみたいで、夜中寝苦しくて目を覚ますと、布団のお腹の上辺りに乗って眠ってたりするのよ。もー重たいじゃない、って思うけど、気持ちよさそうに寝てるもんだから、こっちも身動きがしにくいでしょ? うちのチコも部屋に放してると私のヅラに時々突撃してそのまま寝たりする事もあるけど、小鳥は重くないしねえ。お陰で毎日起きると筋肉痛でどっと疲れたりするんだけど、犬や猫とかって永遠のロリ顔っていうか、ジジババになっても見た目可愛いまんまじゃない? 卑怯よねアレ。んで、にゃごにゃご言って足にすり寄って来られると、何か許しちゃうのよねえ、……でも駄目なリスナーさんは許さないわよー。じゃあ最初のご相談はどなたかしらねー? はーいもしもーし」
次の週からオープニングトークでマリーの話をしたびびあんは、文句を言いながらも顔がにやついてしまっており、既にスマホの待ち受け画面はマリーに、ロック解除画面はチコに変化していた。当然ながら、画像フォルダは数百枚のマリーコレクションが日々増加している。猫は魔性の生き物なのである。
「やだ黒川さんどっから聞いたのそれ? それにマネージャーじゃなくて付き人だってば。マッパもエブリディじゃないし。概ね間違いじゃないけれど」
びびあんはお通しのお代わりを出しながら目を見開いた。
今日は週の真ん中、水曜日ということもあって、メビウスの客は少ない。最近はいつも金曜日に現れて打ち合せ名目で飲んでから一緒にラジオ収録に向かう黒川が、珍しく顔を見せたのでびびあんは少し不思議に思っていた。
「ついでに可愛い女子高生も一緒なのよねーママ?」
今夜のお客さんはグループで来ている人なので、特に話し相手をする必要もないのか、バイトの椿がカウンターに戻って来て会話に加わった。
「ちょ、ちょっとママ、いくらママとはいえJKは反則じゃないの? いや、反則っていうか犯罪だよね? 何てうらや、いや冒涜行為を──」
「オネエが女子高生に何するって言うのよ? まあ茉莉(じゃすみん)ちゃんの場合はちょっとご家庭の事情があってね……」
びびあんは一緒に住むようになった経緯を簡単に説明した。
「……なるほどね、母親が恋人をよく連れ込むから居場所がないと」
「まあお母さんもお母さんで、娘に新しく頼れる父親をという気持ちと、今後娘が独立してからの自分の寂しい気持ちなんかもあって、結果娘に居たたまれない思いをさせてしまっているという感じなのよね。悪い人じゃないのよ、一応挨拶には行ったんだけどね、引っ越してくる前に」
流石にオネエの所に茉莉を同居させるのはまずかろう、と真意を探るつもりもあったのだが、何故か訪問したびびあんを歓待してくれた。
「私のせいでもありますが、殆ど会話もしなくなっていた茉莉が貴方のことを話す時はすごく楽しそうに私と喋ってくれるんです。もしご迷惑でなければ、少ないですが生活費もお渡ししますので、娘をどうぞよろしくお願い致します」
茉莉と同様に一五〇センチあるかないかの小柄で細身な可愛らしい母親はそう言うと、びびあんに頭を下げた。
今お付き合いをしている人にも相談したところ、急に無関係な人間が家族に割り込もうとしたところで上手く行く訳がないんだし、適度に顔合わせしつつ食事をしたり、話をしたりで徐々に仲良くなって行けばいいんじゃないかな、と言われたそうだ。穏やかな人で先々再婚も考えているようなので、微妙な年齢だし距離を置くのも悪くないと賛成されたそうだ。まあ彼も悪い人ではなさそうである。
「仙波ちゃんの方は?」
「あの子の家はオープンでねえ、仙波ちゃんが電話してオネエの人と仲良くなったから一緒に住む事になった、って早速報告して許可得て来ちゃって……」
「襲われるかもとか考えないのかしらね仙波ちゃん! ねえママ」
コロコロと椿が笑いながらびびあんの肩をぺしぺし叩いた。
「イケメンとはいえ私がノンケの人を襲う訳ないでしょ。やっぱり愛がなくっちゃ。美味しいご飯も食べられなくなるし」
「でも引っ越して来てからもう一カ月ぐらい経つんだろう? どうなんだ同居生活は。いきなり人が二人も増えたら大変じゃないか?」
「んー、私もそう思ったんだけどね、お互いに個室にいる時にはプライバシーは侵害しないルールだし、かなり楽よ。普段の掃除は仙波ちゃんがやってくれるけどお風呂掃除は交代制とか、足りない生活用品があれば、平日なら夕方の五時ぐらいまでに仙波ちゃんか茉莉ちゃんに伝えておけば買っておいてくれるし、チコの水やエサ交換もしてくれるし、むしろ私はすっごい助かってるのよねえ」
「いやでもほら、家とスタジオでは基本マッパだろ仙波ちゃん? うら若き乙女にその環境はどうなんだい?」
「それが全然よ。茉莉ちゃん絵が上手くてね、最近ではマンガを描いてるんだけど、男性の骨格や筋肉の付き方がタダで見られるってスケッチしたりしてるぐらいなのよ。何度か遊びに来ている間にもう見慣れたらしくて『変態のいる日常的な風景』らしいわ」
「仙波ちゃんイケメンだし、体も鍛えてるから見栄えいいもんね。目の保養よ目の保養」
「あら椿ちゃん、あなた渋いマッチョな中年が好きなんじゃないの?」
「そこなんですよねえ、仙波ちゃんじゃ若過ぎて。でも日本じゃなかなか居ないんですよねー。ああ、ダウェインジェンソーやヴァンダゼールみたいな人いませんかねー? 私なんか片手で持ち上げてくれそうな逞しい独り身の男性は!」
「マッチョで中年でイケてる独身なんて概ねゲイ説もあるけどさ、椿ちゃん美女だから、そういう男性の好みから外れてそうだね。男の恰好で探せば見つかるかもよ?」
「イヤですよー、メイクしていつも綺麗にしていたいですもん」
「そういって選り好みしていると、ずうっと独身生活になるのよ、適度に妥協しなさい妥協を」
「妥協した男と付き合って、散々貢いだのに二股かけられた挙句に捨てられたママがそれを言う?」
「あらやだ、エアボウガンが胸に刺さったわ」
びびあんはキュッキュッと胸から矢を抜く仕草をして笑った。
「さて、それはそうと黒川さん、何でこんな週のど真ん中に? 何か相談事でもあるのかしら?」
「あ、そうだ忘れてた。ねえびびあんママ、猫とか好きかな?」
「まあ動物全般好きだけど、それが?」
黒川は少し間を空けて語り出した。
高校の時からの同級生で、ずっと付き合いがあった友人が先日ガンで亡くなったのだが、ずっと独身で親類とも付き合いなくて、親もとうに亡くなっているので、彼が飼っていた猫の引き取り手がいなくて困っているらしい。
「今俺の家にいるんだけどさ、家内が猫アレルギーでもうくしゃみと鼻水が止まらなくて。猫は嫌いじゃないらしいんだけど、目の周りとか真っ赤に腫れちゃってるし、可哀想で流石に家じゃ無理かと。娘の住んでる所はペット禁止らしいし、猫の毛とかつくのも嫌だからと断られた。だけど、奴の家族同然の猫を保健所に連れて行くのもさあ……」
「そうよねえ。奥様も辛いわよねアレルギーあると……」
「私んとこのアパートもペット禁止だから無理ですー」
椿が挙手をして答える。びびあんは考え込んだ。確かにペット禁止ではない持ち家だが、家には既にチコがいる。更には仙波と茉莉まで増えたのだ。彼らの負担にもなるだろうし、簡単に返事は出来ない。
「……だけど同居人にも話を聞かないと、私だって返事は無理よ」
「うん、それでもいいよ可能性があるだけ! ありがとうママ、助かるよ!」
スツールから降りて土下座をしそうな黒川を止めつつ、最近やたらと家の人口密度が上がり気味よねえと心の中でため息をついた。
「……猫、ですか?」
暇だった店を少し早めに閉めて、四谷三丁目の自宅マンションに戻って来たびびあんは、仙波の夜食に舌鼓を打っていた。今夜はキノコの土瓶蒸しとカレイの煮つけ、タケノコご飯である。趣味とはいえ毎日手の込んだ食事を作ってくれて、びびあんはいつも感謝しきりである。若干体重が増え気味なのが最近の悩みでもある。
「え、猫? いいじゃないですか! 私大好きですよ猫ちゃん!」
風呂上がりの茉莉も、びびあんの隣で麦茶を飲みながら話を聞いていたが、猫の話を聞いて目を輝かせた。
「でもね、家に猫がいると服とかに毛もつくし、もしかしたら爪とぎされて持ち物に傷がついたりするかも知れないじゃない? 嫌じゃないかしら?」
「生き物を飼うってのはそういうものですよ。チコちゃんだってエサの殻を籠の外に結構ばらまいてるじゃないですか。それに爪とぎを別に用意してあげればそんなに被害はない筈ですよ? 毛もブラッシングとコロコロをマメにすれば……ところでどんな子なんですか? ブチですか? 三毛ですか?」
「黒川さんが言うには雑種のオスのサバトラで、亡くなった友人が飼い出した頃から計算すると、大体七歳ぐらいだそうよ。大人しくて余り鳴かないらしいわ。まあ環境が変わったせいかも知れないけれど」
「私、面倒みますよ! 学生なんで家にいる時間が一番長いですし。私はアレルギーもないけど……仙波さんはどうですか?」
「俺もアレルギーとかはないけどさ……猫って噛んだり結構爪を立てて服を登ったりすることあるだろ? ほら、俺は家では基本マッパだから痛いかなあって」
「ああそうねえ。仙波ちゃんは爪痕つくかもねえ。元から猫の爪の傷って結構残るみたいだし」
「爪立てられるのが怖いってどんなビビりですか仙波さん。そもそも服を着れば済む話でしょ。──いや、罪を憎んで性癖憎まずだわ。それが出来たら最初から着てますもんね。快適に暮らす生活を奪われたくない気持ちも分かるし……でも大人しいんでしょびびあんさん?」
「らしいわよ。断られても仕方ないけど、可愛いし、せめて一回だけでもいいから見に来て欲しいと言われたわ」
「じゃあ皆で行きましょうよ週末に! それで仙波さんの美肌を傷つけるようなタイプでなかったらびびあんファミリーに加えてあげましょうよ! だって、引き取る人がいなかったら保健所に連れて行かれちゃうんでしょう?」
「それは最後の手段で、保護施設とかも考えてるらしいけど、もう子猫でもないし、そこで誰も引き取ってくれなかったらどうしようとか悶々としてるらしいの。知り合いでないと、様子を聞けたりしないから虐待されてるか不安になるって」
「……しゃあない、びびあんさん、取りあえず見に行きましょうか」
食器を洗い終えた仙波がコーヒーを淹れて食卓に並べた。
「ありがとう。ああいい香りねえ……いいの? 仙波ちゃん」
「暴れん坊だったら勿論反対しますけど、別に猫嫌いじゃないですから。むしろびびあんさんの家なのに、俺たちに相談してくれた事の方が嬉しいですから」
「そうよね、問答無用で連れて来られても文句言えないもの私たち」
「え? でも一緒に住んでる人がいる以上はやっぱりね、アレルギーあったら大変だし」
「えへへー、そういうびびあんさんが好きー♪」
「あらー、私も茉莉ちゃん大好きよー」
ぎゅうっと抱きついて来た茉莉の頭を撫でると、頭の中で週末の予定を組むのだった。
「やあママ、すまないね! ま、入って入って!」
ラジオ収録の翌日。土曜日の昼間、びびあん達は黒川の自宅へお邪魔していた。奥様は友人と舞台を観に行ったらしく不在だった。
「それで、猫ちゃんは?」
「今連れて来るよ。妻のアレルギーが出にくいように、今は前の娘の部屋に隔離してるんだ」
居間でお茶を淹れてびびあん達の前に置くと、いそいそと出て行って、少しすると移動用の籠に入れた猫を連れて来た。
「マリーって呼んでた。マリーって顔じゃないけどな、ははっ」
「オスなのにマリーちゃんね……あら、何というか……福々しいわね」
びびあんが籠の中を見ると、むちむちした灰色と黒のトラジマの猫が、こちらを不思議そうに見返して来た。確かに大人しい。籠から出して太股の上に乗せて頭を撫でてみると、逃げるでもなくゴロゴロと喉を鳴らすだけで爪を立てることもない。ただ見た目で分かっていたのだが少々重い。五キロは超えているように思う。スーパーでお米を買った時を想像したが、あれより重たい気もする。
「わあ! ちょっとおデブですけどそこがまた可愛いですね! きっとかなり可愛がられていたんでしょうねえ、この子」
隣の茉莉が一緒に撫でながら黒川に尋ねた。
「うん、チャオルとかいうおやつもあげてたし、ご飯も結構高い缶詰を良くあげてたよ。少し贅沢しても人より経費はかからないからって。去勢手術も済んでいるし、定期的にワクチン接種もさせていたから健康面では問題ないと思う」
「そうなのね。……ねえ、仙波ちゃんはどう、この子?」
恐る恐るといった感じでマリーの背中を撫でていた仙波は、頷いた。
「ええ。この子なら……まあ敏捷さも余りなさそうだし、大人しいですね。何だかびびあんさんみたいだし親近感が沸きます」
「あら酷い。こんなおデブじゃないわよ私。大柄なのよ大柄」
「いえほら、名前もですけど、男なのに男じゃない、みたいな」
びびあんはあーなるほど、と頷き、マリーを撫でながら話しかけた。
「……マリーちゃん、あなたは体がオネエ、私は心がオネエ。前のご主人様には敵わないだろうけど、お互いにまあまあいいコンビじゃないかしら? どう? 私の家で暮らす? ご飯はそんなに毎回贅沢は出来ないかも知れないけど」
びびあんを見上げたマリーは、果たしてびびあんの話が分かったのかは不明だが、みゃ、と一声上げると、お腹にすり、と顔を押し付けて来た。
(……まあ、なんて可愛いの……!)
うっかりそう思ってしまったらもう駄目だ。
びびあんは黒川に家で面倒を見ると宣言してしまった。
「本当かい? いやあ助かるよ! これで彼にも顔向けが出来る!」
目を潤ませてしきりに感謝を述べる黒川が、エサも籠もトイレも全部上げるから、と結構な量の荷物を居間にどんどん運んで来た。
「ちょちょ、やだわこれじゃ電車に乗れないじゃないのよ黒川さん」
「勿論タクシー代も出すに決まってるじゃないか! 僕がそんなにケチな男と思われていたのは心外だなあ」
「やったねマリーちゃん、びびあんファミリーにようこそ。これからよろしくね!」
籠にマリーをしまい、扉の前から茉莉が話しかけたが、疲れてしまったのかマリーは丸まって返事をすることはなかった。
「はあいびびあんよー♪ 今夜も始まりました人生相談れいでぃおのお時間でえーす。今日はまずリスナーさんにご報告なの。最近なんだけど、うちにマリーちゃんって言うサバトラの猫が仲間入りしたのよ。前の飼い主さんが亡くなってしまってね、まあ色々あって家族になったんだけど……あ、マリーって言ってもメスじゃなくてオスなのよ。飼い主さんのネーミングセンスが不思議よね。まるで私のとこに来る為につけたみたいで。そうそう、それでね、かなりおデブな子なんだけど、人のそばで寝るのが大好きみたいで、夜中寝苦しくて目を覚ますと、布団のお腹の上辺りに乗って眠ってたりするのよ。もー重たいじゃない、って思うけど、気持ちよさそうに寝てるもんだから、こっちも身動きがしにくいでしょ? うちのチコも部屋に放してると私のヅラに時々突撃してそのまま寝たりする事もあるけど、小鳥は重くないしねえ。お陰で毎日起きると筋肉痛でどっと疲れたりするんだけど、犬や猫とかって永遠のロリ顔っていうか、ジジババになっても見た目可愛いまんまじゃない? 卑怯よねアレ。んで、にゃごにゃご言って足にすり寄って来られると、何か許しちゃうのよねえ、……でも駄目なリスナーさんは許さないわよー。じゃあ最初のご相談はどなたかしらねー? はーいもしもーし」
次の週からオープニングトークでマリーの話をしたびびあんは、文句を言いながらも顔がにやついてしまっており、既にスマホの待ち受け画面はマリーに、ロック解除画面はチコに変化していた。当然ながら、画像フォルダは数百枚のマリーコレクションが日々増加している。猫は魔性の生き物なのである。
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真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
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支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
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