偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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37 天使の靴下

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 午前の執務に一旦区切りをつけたエリオスは、決裁書類をまとめて手に取り席を立つ。執務机の横向かいでは、オクターブが帳簿に目を通していた。

 エリオスは手にした書類をオクターブの机の隅へ置き、一言

「頼んだ」

 と、彼に声を掛ける。

「御意に」

 小さく頷いたオクターブを目の端に入れながら、エリオスは部屋を出た。



 朝からの居館の動きがひと段落し、いったん静まる時間帯。廊下の窓からは、早冬にしては珍しく温かな光が差し込み、窓枠の影が床に長く伸びていた。

 廊下を歩くエリオスの足音は、静けさの中で心地の良いリズムを刻む。ここ最近、毎日同じようにこの廊下を歩くのが日課になっていた。
 目的の部屋の前まで来ると、扉がわずかに開いている。以前は滅多に使われなかった部屋だったが、今では中に人の気配がある。そのことが彼に、なぜだかわからないが安らぎを覚えさせた。扉の端を指で軽く二度叩くと、その小さな音に、手元で布を縫う針を止めたセレイナが顔を上げ、扉へ視線を向ける。エリオスと目があった彼女は、小さく微笑んだ。

 そのまま部屋に入ったエリオスは、セレイナが座る向かい側の椅子に腰を下ろした。
 
 部屋の中央にあるテーブルの上には、先日買い求めたキルト生地が広げられており、彼女の足元には二つの籠が置かれている。一つには、小さく切り取られた布片がいくつも重ねられていて、もう一つには裁断前の反物が巻かれたまま収められていた。
 
 作業を止めたままのセレイナの手元に視線を落としたエリオスが静かに聞いた。

「何を作っている?」

 セレイナは布の形を確かめるように持ち直し、伏し目がちに答える。

「靴下です」

 靴下と言ったそれは、大人が身につけるには余りにも小さい。

「……赤子用か?」

「いいえ。天使のためのものなんです」

「天使?」

「はい。『天使の靴下』という絵本……ご存じありませんか?」

「いや。聞いたことがないな」

 セレイナは布の端を整えながら、懐かしそうに微笑んだ。

「昔、母がよく読んでくれた絵本なんです。小さな天使の靴下を用意して年末に部屋に飾る。そしてその年の最後の夜、新年を跨ぐ夜に、枕元に置いて眠るんです。そうすると小さな天使が次の年に、良いことが舞い込む魔法を、その靴下の中に置いていってくれる……そんなお話でした」
 
 口元を緩めたセレイナは、楽しそうに続ける。

「それを母は毎年、私の為に作ってくれて。そのうち我が家の習慣になり、年末になると母と二人でこうして作ったんです。それを思い出して」

 エリオスは黙って、セレイナの話に耳を傾けている。

「……ここでは、お世話になるばかりですから。せめて何か……と思って。この館にいらっしゃる皆さまにも、靴下を贈れたらと。これなら沢山作れますし」
 
「館の皆に、か」

 エリオスは籠の中の小さな靴下を見た。
 ひとつひとつ形は揃っているのに、手作りの温もりがそこにはあるように思えた。

「幸せを運ぶ天使の靴下、か。悪くないな。もし、材料が足りない場合は、遠慮なく言ってくれ。糸でも針でも、好きに言ってくれて構わない」

「そんな、大したものでは……」

「大したものだ。皆も喜ぶだろう。……俺も、だ」

 その言葉に、セレイナが息を小さく飲む。照れたように視線を下げ、布を胸の前で軽く握った。

「ありがとうございます。……もう少し上手に出来たら……エリオス殿下も、受け取って頂けますか……?」

 その言い方は恥じらいつつも、控えめな申し出だった。

 エリオスは片眉を少し上げた。

「俺の枕元にも、天使が来るのか?」

「はい。……きっと、来てくれると思います」

「そうか。なら、ぜひ頂かなければな。楽しみにしてる」

 エリオスの返答を聞いたセレイナは、はにかむように微笑んだ。その笑顔を見て、エリオスも自然と口元に弧を描いた。

 セレイナの心と身体は、ここに来た当初よりも、ふっくらと回復しているように見える。

 (このまま、穏やかで静かな時間が続けばいい)

 エリオスは、再び作業に戻ったセレイナの手元を見つつ、自分自身もこんな時間が嫌いじゃないと、改めて感じていた。



 それから、いくばくかの日が経ち。

 天使の靴下は、セレイナとガレーニャとで、居館の仕え人達に配られた。皆が大変喜び、特に女性には『ロマンティックだ』と大好評で、その靴下を模倣して家族や友人に渡す者まで現れたりした。

 そして意外な事に、一番喜んだのはオクターブであった。

 普段、感情を表情にださない彼が、目を見開いた。そして瞳を潤ませ、震える声でその靴下を恭しく受け取ったのである。

「わ、私も頂けるのですか? ありがとうございます……生涯、肌身離さず……いや、これは家宝として取り扱うべきですね。いや、それだと……」

 見かねたガレーニャが

「年の最後の夜に、枕元へ飾ってください。そのための贈り物です」

 冷静に言い放つ。

「あ、御意……」

 そのやり取りをみたセレイナは、小さく声をあげて笑った。
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