偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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51 青春の影 ーChapter ヴァルター

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 宮廷から戻ってからの日々は、ヴァルターにとって、ただ時間が過ぎていくだけだった。

 もちろん我が子は可愛い。妻・ミレーユに対しても愛はある。だが、それとは別であの日からセレイナの影が付き纏っているのだ。彼女に対して行った仕打ち。決して直接何かをしたのではない。寧ろ、政略という荒波の中で、ヴァルター自身も抗いたくても抗えないまま、その身を委ねるしかなかった。そう、自身に言い聞かせても、どうしても割り切れないのだ。

 薬に関しても、高濃度の避妊薬を盛っていたと話されたとき、それを受け入れることが出来なかった。辛うじて、確定した事柄ではなく『疑惑』でしかないという事実が、ヴァルターのミレーユへの愛をまだ、繋ぎとめているといってもよかった。

 だが、その疑惑の糸は、全てを疑う種としては十分な威力があった。

 最初から仕組まれていた婚姻。もしかしたら、領地の改革やあのハープの演奏も全てミレーユの掌の上で行われたことなのではないのか? 彼女が身を粉にして、公爵家のために働いてくれてきたこと、自身との間に子を設けてくれたこと。感謝は尽きない。が、それさえも、偽りの上に成り立っているのではないだろうか。そう思うと、虚しさと恐怖が襲ってくる。

 あの日。帰り際に、エリオスに聞いたセレイナの行方。エリオスは、首を振り「教えられない」と頑なに口を閉ざした。公にはなっていないが、既に離縁の手続きが済み、セレイナは王都を離れているという。なんとかそこまでは聞けたが、今、どこで何をしているのか。それは決して、明かしてはくれなかった。

 だがどうしても、ヴァルターは一目でいいから、セレイナの元気な姿が見たかった。あの老婆のような姿。あれがセレイナだとは信じたくもない。そして、ああしてしまった責任の一端が自分にもあるのではないか? と思えば思うほど、息が出来なくなり、大声で叫びだしたくなるのだ。

 ミレーユの前では、なるべく普段と変わらないように接していたが、それも徐々に無理が生じてきていた。

 このままでは駄目だと思ったヴァルターは、秘密裡にセレイナの消息を調査するよう、公爵家の影に命じた。彼らは元は諜報に居た者たちであり、戦場経験も豊富な、優秀なヴァルターの部下でもあった。セレイナの消息は、直ぐにヴァルターの手元へと届けられた。

「思った通りか」

 報告書を見たヴァルターは、独り言ちる。なんの保護もせず、放り出すとは思えない。王都に居ないのであれば、エリオスの赴任先にいるのが妥当だろうと、直ぐに察しはついていた。問題は、赴任先とはいえ、東辺境要地は広い。そのどの地点にいるのか、それだけだった。

 翌日、ヴァルターはミレーユに、先日の和平条約の件で、公務のために辺境要地へ行かなければならないと虚偽の仕事を作り出し、セレイナの店があるという場所へと向かった。

 ヴァルターは共を連れず、馬を走らせるのみであったから、通常よりも相当早く辺境要地へとたどり着いた。

 そして報告書にあった場所近くに宿を借りた。

 そこから徒歩で数刻行った場所に、セレイナの『店』はあった。

 決して大きくはないが、白壁に窓辺には季節の花が品よく並べられている、上品な店構えをしていた。さすがに、足を踏み入れることはせず、道を挟んで向かい側にある茶屋に入ると、窓辺に座り、そこからセレイナの店を伺い見ることにした。


 それからどれくらいの時間がたっただろうか。もうそろそろ陽が暮れてくるだろう時刻。店の扉が開いた。

 中から銀の髪を一つに纏め、陽の光を反射しながらも、キラキラと輝かせた女性がでてきた。白い簡素なワンピースを着つつも、その姿は、優雅で品があり、あの老婆とは同じ姿にはみえなかった。

「……セレイナ……っ」

 思わず呟き、椅子から腰を上げたヴァルター。彼女の姿は、最後にあった市場の時よりも、断然美しくなっていた。いや、女性として艶やかさがまじりあい、そうであるのに、柔らかな微笑みは純粋さを纏っている。彼女自身の心根が表に出たかのような姿は、ヴァルターにとって奇跡のように思えた。

「セレイナ……」

 何度もその名を呼ぶ。決して届かない己の声。その目から涙が溢れていた。手放したはずの恋。走馬灯のようにあの頃の記憶が蘇る。あの時、彼女の手を離さなかったら、今、その隣にいるのは自分だったのだろうかと。愚かなことを思うが、でも今は、彼女の元気な姿を見れたこと、それだけで十分であった。

 自分には既に、妻も子もいるのだ。大事にすべきは家族。だから……セレイナにも幸せになってほしい。

 そう、願うしかなかった。



 公爵邸に戻ったヴァルターは、セレイナの姿を見て少しは落ち着くかと思っていたが、結果的には逆効果であった。あの老婆の姿は、高濃度の避妊薬を盛られていたという事実がどうしても心に引っかかって拭えない。そして、改めて見たセレイナが脳裏から離れてはくれない。

 その夜。ミレーユが寝室で、ヴァルターに寄り添うようにして耳元で囁いた。

「ねぇヴァルター。お医者様がね。そろそろ夫婦生活も大丈夫だと、太鼓判をくださったの」

 少し照れたように話すミレーユ。彼女から漂う甘い石鹸の香りや、寄り添ってきた柔らかな肌の感触。以前までのヴァルターなら、愛おしくて仕方のない仕草だっただろう。

「だから……駄目かしら……?」

 そう言ったミレーユは、ヴァルターの胸に、自身の顔をそっと埋めた。

「体は……大丈夫なのか?」

「ええ、だから、お医者様が……もうっ! ヴァルター? あなた最近、疲れてるのではなくて?」

 上目遣いに見るミレーユの視線に、ヴァルターは微笑みながら彼女の頭を優しく撫でた。

「いや、大丈夫だよ」

 そう言うと、ゆっくりと彼女をベッドに押し倒し、唇を重ねる。

 そして、肌を重ねていき、彼の熱がミレーユと溶け合おうとしたその時

「……セレイナ……っ」

 その名が口から出た瞬間、ヴァルターは自分自身に驚いた。妻の名ではなく、過去に置き去りにした女性の名が思わず、漏れ出たのだ。

 咄嗟にミレーユから身を離し、息を荒げながら言葉を繋ぐ。

「すまない……やはり疲れているのかもしれない。今日はもう……」

 ミレーユにはその声が届いていなかったのか、彼女は不思議そうに彼を見つめたが、やがて顔を胸に寄せて囁いた。

「愛しているわ。これからもずっと」

 その声に、ヴァルターの胸は締め付けられるように痛んだ。

 それからのヴァルターは、ミレーユへの後ろめたさを抱えながらも、葛藤する日々が続いた。そしてとうとう、彼に大きな転機となる出来事が起きた。

 その日は、月に数度の登城の日だった。事務的な手続きや税収のやり取り、認可などを終えた彼は、帰りの馬車の中でふと窓の外を見た。すると、そこに銀の髪をした女性が歩いているのが見えた。顔は見えないが、気になったヴァルターは、馬車の壁を叩き、その動きを止めさせた。

 馬車から出たヴァルターは、御者に先に帰ってくれと言い残し、その銀髪の女性の後を着けた。

 彼女は町はずれの、高級そうな建物の中へ入っていく。その建物にはヴァルターも覚えがある。高位貴族がお忍びで使う『娼館』だ。

 あぁそうか。あの銀髪の女性は……。
 セレイナではないとわかっているのに、どうしても心が惹かれてゆく。
 このまま、何も見なかったことにした方がいい。そうわかっているのに、どうしても止められなかった。

 もう、自分でもどうすることもできない所まで、心は軋み、潰れかけていた。

 そう悟ったヴァルターは、建物の中へ足を踏み入れた。そして、ただ確認するだけだと自身に言い訳をし、銀髪の女性を呼んでほしいと頼んだ。料金は通常の倍を出した。

 店主らしき女性は優雅に微笑むと、最上級の部屋へとヴァルターを案内した。

 それからすぐに現れた女性は間違いなく、馬車から見かけた女性。その目の前の女性と間近で向き合った。その瞬間、彼の胸に湧き上がったのは、羞恥心と、もう後戻りはできないという決意だった。

 そして、彼は彼女に切り出した。

「一つだけ、頼みがある。この部屋にいる間、君の名は……セレイナとしてほしい」

 その日からヴァルターは月に数度、彼女を指名し共に過ごすようになった。ある時は肌を重ね、何度もその名を呼んだ。ある日はただ、寄り添うだけの日もあった。時には、他愛もない話をしたり、共にその部屋で食事をとったり。ヴァルターにとってその時間は、麻薬よりも甘く、なにもかもを忘れられるかけがえのないものとなっていった。セレイナと共通なのは髪色だけで、雰囲気も気品もまるで違う。なのに、セレイナと口にするだけで、その髪に触れるだけで、気持ちが高揚していくのを止められなかった。

 不思議なことに、その時間を持つようになってから、ヴァルターの心は落ち着いていった。父としても夫としても、申し分のない振る舞いをし、家族を大事にした。

 だが、ミレーユにはもう『女』を感じることは、できなくなっていた。
 義務的に肌を重ねても、口づけを交わしても、心は動かなかった。
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