偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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64 再会 ーChapter エリオス

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 数日後、一行は王都に到着した。

 王都の中央から少し離れた場所に、王家所有の別荘がある。母エリザベルナの手配で、既に一行を迎える準備が整えられていた。

 セレイナにとって、王城は辛い記憶の残る場所だ。できるだけ近づけたくなかった。別荘を拠点にできるのは、ありがたい配慮だった。

 別荘に荷物を降ろし、旅の疲れを癒やす。翌日、エリオスはセレイナとガレーニャを呼んだ。

「明後日、エルグレン伯爵家を訪ねる。君のご家族との面会だ」

 セレイナは微笑んだが、指先がわずかに強ばっているのが目に入る。

「……はい」

「俺も同行させてもらう。ご両親への説明と、詫びを直接させてほしい」

「詫びなんて……必要ありません。殿下には、感謝しきれないほどの恩がありますから」

「それとこれとは、しっかり線引きしなければならない。王族として、伝えなければいけない責はあるからな」

 セレイナは何か言いかけたが、エリオスの表情を見て口を噤み、小さく頷く。

「……わかりました」

 ガレーニャがセレイナの肩にそっと手を置いた。

「私もいますから。大丈夫ですよ」

 セレイナは再び、小さく微笑んだ。だがやはり、その目には不安の色が残っているように見えた。

 一年以上、家族と会えていない。側妃として王城にいた頃も、自由に会うことはできなかっただろう。そして今、側妃を辞したことを伝えなければならない。

 家族はどんな顔をするだろうか。喜んでくれるだろうか。それとも、王家に娘を差し出したのに何も得られなかったと、落胆するだろうか。

 エリオスにもわからないが、どんな結果になろうと、セレイナの傍にいるつもりだった。




 
 薄曇りの朝、馬車はエルグレン伯爵邸の門前に止まった。

 華美な装飾はないが、質の良い一流の木・石材を使った趣のある造りの邸だった。落ち着いた佇まいが、商家としての矜持と受け継がれてきた歴史を物語っている。

 門番が馬車に気づき、すぐさま門を開けた。王家の紋章を掲げた馬車が通り過ぎる際、深く頭を下げる。

「お待ち申し上げておりました」

 馬車は邸内へと進んでゆく。

 玄関前には、既にエルグレン伯爵夫妻が待っていた。二人とも正装に身を包み、馬車が止まると同時に深く頭を下げた。

 エリオスが先に降りる。伯爵が跪こうとするのを、手で制した。

「堅苦しい挨拶は不要だ。今日は、ご息女をお連れした」

 その言葉に、伯爵夫人の肩が震えた。

 オクターブがセレイナに手を貸し、馬車から降ろす。続いてガレーニャも降りた。

 セレイナが地に足をつけた瞬間、伯爵夫人が僅かに息を呑む音が漏れる。

「セレイナ……」

 その声は、掠れていた。セレイナも母親を見つめている。唇が震え、目には涙が滲んでいく。

「お母……様……」

 伯爵夫人は王子の前であることを忘れたかのように、娘のもとへ駆け寄りセレイナを抱きしめた。

「セレイナ、セレイナ……!」

 途端、嗚咽が漏れ聞こえてきた。伯爵夫人の背中が、抑えきれない感情を発露するように激しく震えている。

「ああ、よかった……! 会いたかった、ずっと、ずっと会いたかった……!」

 セレイナも母親にしがみつき、声を殺して泣いていた。

「お母様……私も、私も会いたかった……!」

 エリオスたちは静かに黙しながら、その光景を見守っていた。

 エルグレン伯爵は、数歩離れた場所に立ち尽くしていた。王子の前で取り乱すわけにはいかない。そう自分に言い聞かせているのだろう。だが、その目は赤く、唇は固く結ばれていた。拳を握りしめ、全身で感情を堪えているのがわかる。

 どれほどの時間が経っただろうか。

 伯爵夫人がようやく顔を上げ、ハッとしたように振り返った。

「殿下、申し訳ございません。取り乱してしまいまして……」

「気にすることはない。当然のことだ」

 エリオスは穏やかに答えた。

「ご息女との再会だ。遠慮はいらない」

 伯爵が進み出て、改めて深く頭を下げた。

「エリオス殿下。このような場所で立ち話もなんでございます。どうか、中へ」

「ああ」

 一行は邸内へと案内された。



 応接間に通され、エリオスはエルグレン伯爵夫妻と向き合った。セレイナは母親の隣に座り、まだ涙の跡が頬に残っている。ガレーニャはその傍らに控えていた。

 伯爵夫妻は緊張した面持ちでエリオスを見ている。娘が戻ってきた喜びと、王子を前にした畏れと、これから何を告げられるのかという不安。様々な感情が入り混じっているのが見て取れる。

 エリオスは、運ばれてきた茶には手を付けず、ゆっくり静かに口を開いた。

「まず、お伝えしなければならないことがある」

 伯爵夫妻の背筋が伸びる。

「セレイナは、兄セラフィムの側妃を辞した。今は、俺が赴任している東辺境要地で暮らしている」

 伯爵の目が見開かれた。伯爵夫人は娘の手を握りしめている。

「側妃を……辞した、と……。何か……ご不興を買うような、ご無礼があったのでしょうか……」

 エルグレン伯爵の顔が、みるみる間に悲痛に歪んでいった。

「いいや、そうではない。彼女は立派に勤めを果たしてくれていた。そのあたりの詳しい事情は、後でセレイナ本人から聞いてやってくれ。ただ、一つだけ先に言っておきたいことがある」

 エリオスは伯爵の目を真っ直ぐに見た。

「我々の無為が原因で、ご息女は著しく、健康を損なう結果を招いた。セレイナ嬢を含め、ご家族にも辛い思いをさせたこと、そしてご報告が遅れたこと。詫びを重ねても、言い訳もたたない。王家の一員として、心から謝罪する」

 そう伝えたエリオスは、深く頭を下げた。

 伯爵夫妻は驚きに言葉を失っていた。国の頂点に坐する王族である王子が、自分たちに頭を下げている。その現実を理解するまで、夫婦は数秒の沈黙を要した。それがどれほど異例のことか、伯爵夫妻の表情の変化が、言葉よりも雄弁に物語っていた。

「殿下、どうかお顔をお上げください」

 伯爵の声が震えていた。

「娘は……セレイナは、こうして戻ってまいりました。それだけで、十分でございます」

「しかし……」

「殿下がセレイナを守ってくださったのでしょう。でなければ、今のお話をお伺いする限り、娘がこうして元気な姿で戻ってくることなど、ありえなかったはずです」

 伯爵の目から、一筋の涙が零れた。

「感謝しております。心より、感謝しております」

 伯爵夫人も涙を流しながら、深く頭を下げた。

 エリオスは顔を上げてセレイナを見ると、彼女も涙で頬を濡らしていた。だがそれは、悲しみのせいではないことがその表情でわかる。

 ふっと一息つくと、エリオスは話を続けた。

「今は東辺境要地で、自分の店を持って暮らしている。侍医のガレーニャが傍にいて、体調も回復した。自立した生活を送っている」

 伯爵夫人がセレイナの方を、愛おしそうに目を細めながら見つめる。

「お店を……?」

「はい、お母様。小さな店ですけれど、自分で切り盛りしています。『星の森』と言う名の裁縫店よ」

 セレイナが応えながら浮かべたその笑顔に、伯爵夫人はまた涙を流した。

「そう……そうなの……。よかった、本当に、よかった……。あなたもお父様の娘だものね」

 目元をハンカチで抑えながらも、そう言い終えると、夫人は短く息を漏らした。泣いているのに、どこか笑っているような声音だった。

 そんな母娘の様子を見届けながら、エリオスは静かに立ち上がる。

「今日のところは、ご家族でゆっくりお過ごしください。久しぶりの再会だ。話したいことも、聞きたいこともたくさんあるだろう」

 セレイナが驚いたように顔を上げた。

「殿下……」

「ガレーニャも、ここに残ってくれ。二日後に、迎えに来る」

「畏まりました」

 ガレーニャが頷く。

「俺は一度、王宮へ向かう。両親への報告もあるからな」

 伯爵が立ち上がり、再び深く頭を下げた。

「エリオス殿下。重ねて御礼申し上げます」

「礼には及ばない。では、二日後に」

 エリオスはセレイナに視線を向けた。

「ゆっくり休め」

「はい。……ありがとうございます」

 セレイナは笑みを零す。その目はまだ潤んでいたが、表情は柔らかい。両親にこれまでの事情を伝えられた安堵と、再会できた喜びが溢れているかのようだった。

 

 エリオスはオクターブを伴い、エルグレン伯爵邸を後にした。

 馬車が動き出す。王宮へ向かう道中、エリオスが振り返ると、邸の窓からセレイナが手を振っているのが見えた。

 その笑顔を見られただけで、王都まで来てよかったと、心の底からそう思えた。
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