偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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79 伯爵邸へ ーChapter エリオス

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 翌日の朝、エリオスはセレイナを伯爵邸へ送り届けるため、馬車を出した。

 馬車の中には、エリオスとセレイナ、そしてオクターブとガレーニャが同乗している。ガレーニャは膝の上に小さな鞄を抱えていた。中には、あの瓶が入っている。

 窓の外を流れる王都の街並みを、セレイナは静かに眺めていた。時折、エリオスの方をちらりと見るが、何も問わない。

 蹄の音が石畳を叩く規則的なリズムが止まり、馬車はエルグレン伯爵邸の門前へと滑り込んだ。左右に開かれた門を通り、敷地内へと進む。車窓の向こう、玄関前にはすでに伯爵夫妻の姿があった。

 馬車を下りたエリオスは開口一番、まずは伯爵へ気を遣わせてしまったことを詫びた。

「日を置かずに何度もすまない。エルグレン伯爵、少し時間をいただけないだろうか。先日話しそびれていたセレイナ嬢への補償など、伝えておくべきことがある」

 方便だった。事務処理などは、わざわざ王子たるエリオスが伝えずとも書簡で事足りる。だが、今はそれを通すしかなかった。

「畏まりました。どうぞ、こちらに」

 伯爵は深く頭を下げたあと、邸の奥へといざなうように手で方向を示した。
 その横で、エリオスとセレイナの目が合う。彼女は何も言わなかったが、その目には僅かな不安を宿しているように見えた。

「セレイナ、堅苦しい話になる。夫人とゆっくり過ごしていてくれ」

 エリオスが促すと、セレイナは柔らかく口元を緩めた。

「はい。お気遣いありがとうございます。……お母様、参りましょうか」

 セレイナは夫人の腕に自分の手をそっと絡ませた。数日前に会ったばかりとは思えないほど、二人は顔を見合わせて慈しむように微笑み合う。その睦まじい様子は、その場に流れていた緊張感を和ませた。

 二人が屋敷の奥へと歩き出すのを見送りながら、エリオスは傍らに控えていたガレーニャに声を落とした。

「ガレーニャ」

「はい、殿下」

「話が終わるまで、セレイナの傍にいてやってくれ。終わったら、またこちらから声をかける」

「承知いたしました」

 一礼したガレーニャが、母娘のあとを追って廊下へ消えていく。

 その背中を最後まで見届けてから、エリオスはひとつ、自分に言い聞かせるように息を吐いた。

「では、伯爵。行こうか」

 エリオスは踵を返すと、伯爵のあとに続いて歩き出した。



 書斎の扉が静かに閉まると、邸を包んでいた穏やかな空気は遮断され、室内には重い沈黙が流れた。
 エリオスは伯爵に勧められるまま椅子に腰を下ろす。伯爵もまたその対面に座り、静かにエリオスの言葉を待った。

 暫しの沈黙の後、エリオスは本題を切り出した。

「単刀直入に言う。セレイナ嬢の身に、予断を許さない状況が迫っている可能性がある」

 その一言に、伯爵の眉が微かに動いた。だが、彼は言葉を挟むことなく、真っ直ぐにエリオスを見つめる。

「まだ確証があるわけではない。だが、彼女を狙う影があることは否定できないのだ。数日の間、セレイナ嬢はこちらで過ごしてもらい、改めて私がこちらへ伺うまで彼女の安全を頼みたい」

 王子が自ら足を運び、これほどまでに釘を刺す。それがどれほどの事態であるか、賢明な伯爵ならば理解できぬはずもなかった。
 伯爵は一度深く目を閉じ、短く呼吸を整えると、決然と応じた。

「承知いたしました。殿下が再びお見えになるまで、責任を持って娘の安全を最優先いたします」

「感謝する、エルグレン伯爵。詳しい事情を話せぬままで、すまないな」

 エリオスはそう伯爵へ言うと、目の前の伯爵に片手を差し出した。

「とんでもないことでございます。わたくし共のほうが、殿下へ感謝が尽きません。娘のことをこれほどまでに考えてくださり、ありがとうございます」

 伯爵が差し出されたエリオスのその手を恭しく、だが力強く両手で包み込んだ。

 エリオスは、重ねられた伯爵の手を、空いているもう片方の手でひとつ叩いた後、席を立った。伯爵もそれに続き、エリオスの歩調に合わせて数歩後ろを付き従う。
 
 書斎を出て、廊下の吹き抜けから階下のホールを見下ろすと、伯爵夫人と楽しげに微笑み合うセレイナの姿が目に飛び込んできた。
 
 その眩しいほどの無垢な笑顔は、今から自分が立ち向かう泥沼のような陰謀とは、あまりにかけ離れている。

(あの笑顔を、今度こそ守り抜く)

 エリオスは一度だけ強く目を閉じ、その姿を瞳の奥に焼き付ける。
 そして階下に降りたエリオスは、ガレーニャに声を掛け、セレイナと夫人への挨拶を済ませてから、玄関へと歩み出した。
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