偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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81 三人のキッチン ーChapter セレイナ

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 伯爵邸の午後すぎ。その日の厨房は、普段の何倍もの活気に満ちていた。

 大きな石造りの作業台を囲んでいるのは、セレイナ、侍医のガレーニャ、そしてセレイナの母である伯爵夫人の三人だ。本来ならば料理人たちが差配する場所だが、今日はこの三人が主役だった。エリオスやオクターブが戻ってきたとき、最も活力を与えられる食事を自分たちの手で用意するために、手分けをして作業に当たっていた。

 一番奥では、伯爵夫人が慣れた手つきで数種類の肉を細かく刻み、パテのベースとなるファルスを作っている。その隣ではガレーニャが、肉の臭みを消し香りを引き立てるためのセージやタイム、パセリといった数種類のハーブを細かく刻み、肉に混ぜ合わせる作業を受け持っていた。

 それを横目で見たセレイナが、少し言いにくそうに

「ガレーニャ。私ね……パセリが、苦手なの……。他のものに、」

 そのお願いに、ガレーニャは大きく頷き

「では、チャービルはどうですか?」

「それなら大丈夫よ! ありがとう」

 そんなやり取りを聞きながら、セレイナの母は声を殺すようにして小さく笑っていた。

 パセリが苦手と言った当人のセレイナは、中央で冷えたバターを練り込んだパイ生地を、麺棒で均一な厚さに伸ばしている。

 包丁がまな板を叩くリズムと、生地を叩く音が厨房の広い空間に響き渡る。その共同作業の最中、ガレーニャがセレイナの手元をまじまじと見つめながら口を開いた。

「これって、パテ・アンクルートですよね? お肉を包んだパイの料理。私、こういうのってあまり食べたことがなくて。セレイナ様は本当に、お料理がお上手ですよね。辺境要地の店でも食事の用意なさるときは、パパッとされますし」

 手伝うばかりで、何を作っているのかさっぱりわからなかったガレーニャの感心したような言葉に、肉を刻んでいた伯爵夫人が、手を休めることなく楽しそうに答えた。

「この子はね。昔から何かを作ることが好きで、お料理もそのひとつだったの。それで一緒に料理長から教えを乞うてするものだから、いつの間にか私までお料理が出来るようになったのよ」

「なるほど、それで謎が解けました」

 ガレーニャは銀縁眼鏡を指先でくいっと上げ、深く、深く頷いた。辺境でのあの迷いのない手際は、母娘でこうして並んで手を動かしてきた時間の積み重ねがあったからなのだと、納得した様子だった。そんなガレーニャに、セレイナは生地を整えながら微笑みかけた。

「でも、ガレーニャだって、いつも凄く手際よくお料理するでしょう?」

 セレイナの言葉に、ガレーニャは意外そうに瞬きをし、それから少しだけ困ったように視線を落とした。

「私のは……セレイナ様のようなものとは違います。どうしても、見た目や味より栄養とかばかりを考えてしまうんです。結果、無骨というか、色気のない料理になってしまいまして」

「そんなことないわ。栄養を考えることは、相手の体を労る、何よりの愛情でしょう?」

 セレイナが穏やかに言うと、ガレーニャは眼鏡の奥の瞳を少し揺らし、言葉を詰まらせた。理屈ではない愛情という言葉が、効率を重視してきた彼女の胸にじわっと染み込んでゆく。その様子を慈しむように見守りながら、セレイナは再び作業へと戻った。

「でもね、ガレーニャ。お母様の得意料理、鶏のガランティーヌは本当に相当な腕前なのよ。私なんかよりもずっと。まだまだ私では追いつけないの」

 セレイナはそんなことを語らいつつ、三人がかりで仕上げたパテ・アンクルートを、扉を開いた途端に熱気が襲って来るオーブンの奥へと慎重に運び入れた。鉄の扉が閉まる低い音が響き、焼き上がりを待つ時間が始まる。

「そうだお母様、ガレーニャにもいつか鶏のガランティーヌを食べて貰いたいわ」

「そうね。あれは日数がかかっちゃうから、そうだわ! いつか東辺境要地へお邪魔しようかしら」

「お母様、きっとよ? きっと私のお店へ来てね? また楽しみが増えたわ」

「私も鶏の、ガラ、ガラ、ガラガラ……食べてみたいです」

「ガレーニャ、ガランティーヌね」

 三人の絶え間ない笑い声が、厨房に溢れる。彼女たちとは別で晩餐の用意をしている料理人たちも、そんなやり取りを微笑ましそうに見つめては、口元を緩めていた。

 一通りの料理工程を終え、後は焼き終わりと、エリオス達が戻ってくるのを待つだけだ。エプロンで指先を拭いながら、セレイナが二人を振り返る。

「エリオス殿下、食べてくださるかしら。喜んでくださると嬉しいのだけれども。それと、ガレーニャとお母様と一緒に作ったのですもの。オクターブ様にも食べていただかなければね」

 その名前が出た瞬間、ガレーニャの肩が目に見えてわかるくらいに、大きく跳ねた。

「オ、オクターブ様に、ですか?」

 それまで冷静だったガレーニャが、急に俯いた。眼鏡の縁に隠れたその頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。普段は感情を揺らさないはずの侍医のその動揺に、伯爵夫人が驚いて身を乗り出した。

「あら……? もしかして、ガレーニャ様?」

 夫人が弾んだ声でその先を問いかけようとした、その時だった。

「お母様」

 セレイナが、そっと母の袖を引いた。母が振り返ると、セレイナは静かに、人差し指を一本、自分の唇に当てた。

「お母様、それ以上は。パイが、恥ずかしがって焦げちゃうかも」

 セレイナの仕草を見て、母もその意図を察し「そうね。楽しみにしておきましょう」と楽しそうに頷いた。

 オーブンの熱気が厨房の空気を少しずつ変えていき、パテ・アンクルートが香ばしく色づいていく。
 
 三人の女性たちの、この温かな場所で作られているそれぞれの想いを乗せたパイが、じんわりと焼き上がろうとしていた。
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