偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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92 晩夏の午後 ーChapter セレイナ

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 セレイナが過ごす伯爵邸での日々は、穏やかだった。

 朝はセレイナと伯爵夫妻、そしてガレーニャと一緒に朝食を取る。食後は、ゆっくり庭の散歩を楽しんだ。
 そのあと昼間の大半は、星の森で出す商品のことに時間を割いた。秋冬に向けて、マフラーやショールの意匠を下書きしたり、刺繍の図案を描いたり。日常で使えるもの、手に取りやすいもの。辺境に戻ったら、そういった商品も増やしていこうと考えていた。

 ただ、そんな中でも、以前との違いがあった。

 邸全体の警戒度が、明らかに上がっている。

 王后陛下付の女性騎士が二名、護衛としてセレイナ個人につけられている。門の前には常に人が立ち、使用人たちの目も、どこか注意深い。来客があれば、直ぐに門戸は開けずに、必ず先に身分証などの提示を求める。

 きっとエリオス殿下のご采配なのだろうと、セレイナは察することは出来た。ありがたいことだし、自分のことを、こんなにも心配してくれているのだと、心から思えた。それと同時に申し訳なさもある。

 皆に気を遣わせてしまい、幾人もの人が動いている。

 そして、少しだけ、本当に少しだけ。
 
 息苦しさも、覚えていた。



 昼間の作業時間では、セレイナの母も興味津々の様子で、一緒に手を動かすことが増えていた。

「このステッチ、こうした方が丈夫になるわよ」

「本当だわ。お母様、さすがね」

 天使の靴下の試作を、二人で並んで作る。母の手つきは慣れたもので、セレイナよりずっと早い。

 ガレーニャも時折、意見をくれる。

「このショール、もう少し幅があった方が、肩からずり落ちにくいかもしれません」

「そうね、確かに。実際に羽織ってみましょうか」

 三人で頭を寄せ合い、あれこれと案を出し合う。誰かの案に新しいアイデアが加わり、それがまた次の形へ広がっていく。そうして出来上がったものを眺めて、また次の案が浮かぶ。

 王宮にいた頃は、誰かと話し合ったり、交流したりということもなく、執務室と自室の往復のみで、人との関わりをほぼ絶たれていた。

 でも今は、こうして誰かと言葉を交わし、一緒に何かを作ることができる。

 セレイナの頬は、自然と柔らかくなり、口元も綻びていった。



 その日も、三人で刺繍の図案について話していた。

 母がふと顔を上げ、何かを思い出したのか、パチンと手をひとつ叩く。

「そういえば、大聖堂のバザーがあるのよ」

 その言葉に、セレイナの手が止まった。

 大聖堂のバザー。建国祭の前に行われる、貴族婦人たちのチャリティ行事。

「……ああ」

 セレイナは小さく息をついた。

 窓の外を見れば、斜め加減に照り付ける日差しに、銀色の羽根をキラキラさせた蜻蛉が二匹、ふわりふわりと宙を舞っている。
 気付くと季節は、移ろい始めていた。

「そうだったわ。……すっかり忘れてた」

 王宮に上がる前は、母と一緒に品物を並べて売り子をしたりと、建国祭前の楽しみな行事のひとつだった。なのに、王宮での日々が、そういった記憶を遠くに押しやっていた。

「お母様、今年も出品なさるの?」

「ええ。慈善活動も大事なお役目ですもの」

 母は微笑みながら、手元の天使の靴下を手に取った。小さな靴下だ。赤ん坊の足にちょうど良い大きさで、縁には細やかな星と翼の刺繍が施してある。

「ねぇ、セレイナ」

 母が、靴下を大事そうに撫でる。

「これもバザーに、出しては駄目かしら?」

「天使の靴下を?」

「ええ。こんなに可愛らしいんだもの、きっと喜ばれるわ。それに、星の森を王都の人たちにも、知って頂くいい機会にもなるでしょう?」

 微笑む母に、セレイナは目を瞬かせた。

 自分が作ったもの。それを誰かが手に取って、喜んでくれる。辺境にある星の森での物だけではなく、王都の誰かも手にとってくれるかもしれない。

「いいの? もし構わないのなら、とても嬉しい、お母様」

 それを見ていたガレーニャも、うんうんと数度頷く。
 セレイナは、嬉しそうにしながらも、首を傾げながら商品について話し出した。

「じゃあ、由来と使い方を書いた栞を、作らないといけないわね」

「由来の栞?」

「ええ。天使の靴下には、元になった童話のお話と、使い方を書いた栞を一緒に入れているの。それがないと、ただの小さな靴下にしか見えないでしょ?」

 母は「ああ」と、納得のいった様子で、

「それは大事だわ。あの絵本、セレイナのお気に入りだったから」

「ええ、それでバザーまで、あとどのくらい?」

「一週間ほどかしら」

「それなら、間に合うわ」

 セレイナは手元の靴下を見た。由来となった童話の栞を書いて、靴下と一緒に包んで。やることはある。でも、一週間あれば大丈夫だ。

「……私も、バザーに直接参加できないかしら」
 
 なるべく外出は控えていた。周りの人に余計な手間をかけると、わかっていたから。
 だが、思わずそんな言葉が口をついて出た。

 その瞬間、ガレーニャが口を開いた。

「いけません」

 きっぱりとした声だった。

 セレイナと母が、驚いてガレーニャを見た。ガレーニャは眼鏡の位置を正しながら、真っ直ぐにセレイナを見つめている。

「エリオス殿下が戻られるまで、安全に過ごすようお見守りしてくれと頼まれております。緊急の所要や急用がない限り、外出は控えられたほうが賢明です」

 セレイナは苦笑いを浮かべた。

「……ガレーニャ」

「お気持ちはわかります。ですが、殿下からのお言葉です」

 エリオスの名前を出されると、セレイナも強くは言えない。彼が自分のことを心配してくれている。それは、わかっている。

 母が小さく嘆息する。

「そうよね……。お父様にも相談しないといけないわね」

「そうですね」

 ガレーニャは頷いた。
 その口調は真剣で真面目なものだったが、その表情は、眉尻を下げて申し訳なさそうでもあった。




 その夜の晩餐で、母が父に話を切り出した。

「あなた、大聖堂のチャリティバザーのことなのだけれど」

 父はカトラリーを置いた。

「ああ、そうか、そうだな。もうそんな時期だったか」

「ええ。それで、セレイナの作品も出したいと思っているの。それからね? セレイナ本人も参加したいと」

 父の眉がわずかに寄り、顔をセレイナの方へと向ける。

「セレイナが、か」

「はい、お父様」

 セレイナは背筋を伸ばした。

「王宮に上がる前は、毎年参加していましたし、久しぶりに、お手伝いができたらと思って」

「……お前の気持ちはわかる。だが、今は」

「大丈夫よ、お父様。お母様もいますし、それに、王后陛下の騎士様方もおられますもの。ガレーニャもいてくれるわ。大聖堂は人も多いし、何より聖なる場所ですし」

 父は腕を組み、しばし口を閉ざし、考え込んでいる様子を見せた。

「……ガレーニャ先生。貴方はどう思われる?」

 次に父が、ガレーニャの方を見て問いかける。
 ガレーニャは少し間を置いてから、それに応じた。

「……正直に申し上げれば、できれば控えていただきたいところです。ですが」

 ガレーニャは言葉を選ぶように続けた。

「大聖堂は確かに人目が多うございます。奥様は勿論ですが、私も常にお傍におります。それに、エリオス殿下が遣わしてくださった騎士様もおられます。その方々と伯爵邸の護衛の方もご一緒された上で、万全の注意を払えば、不可能ではないかと存じます」

 父は深くため息をついた。

「……わかった」

 セレイナは顔を上げた。

「ただし、条件がある」

 父の声は厳しかった。

「絶対にガレーニャから離れないこと。少しでも異変を感じたら、すぐに戻ること。そして、バザーが終わったら真っ直ぐ帰ってくること。いいね?」

「はい、お父様。ありがとうございます」

 セレイナと母は顔を見合わせ微笑み合う。ガレーニャも一緒に眉尻を下げた。

 久しぶりに、外へ出られる。
 自分の作ったものを、誰かに届けられる。

 そう思うとその日の晩餐は、いつもよりも軽やかに口に運べた。
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