終着駅のパッセージ

苺迷音

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1 北への発車ベル

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 駅前には数多くの馬車が、所狭しと並び行き交っている。
 本格的に鉄道が運行されるようになったのは、まだ数年前。未だ一般庶民が乗るには、高価な乗り物である。
 それでもそこには、平民は勿論、着飾った貴族や軍人、商人など、様々な階級の人々がそれぞれの目的のために歩を進めていた。

 一歩構内に入ると、真っ先に目に飛び込んでくるのは大きな鉄製のトレインシェッド。天井は高く、大きなアーチ状になっている。
 幾本もの巨大な石柱は、行き先の違う列車のプラットホームを区切っている。

 石炭の焼ける匂いと蒸気機関車が吐き出す煙の中、大きく分厚い眼鏡をかけ、毛糸編の帽子で頭を覆った女性・カレンは北行きの列車のホームへ立っていた。

 彼女は片手に革の旅行鞄を抱え、車両のステップを踏んだ。

 中に入ると、深い赤茶の壁が迎え入れてくれる。
 カレンは一般車両の三等ではなく、手元の切符にある番号通り、二等のコンパートメントの座席へ腰を下ろした。

 足元に旅行鞄を置き、ふっとひとつ息を吐く。
 身に着けていたコートを脱ぎ、手袋を外す。そこでやっと、落ち着けた。

 これから北へ向かう旅。

 コートを器用に畳みながら、車窓の外に視線を向ける。

 反対側のプラットホームには、先ほど到着したばかりなのだろう。車両から流れ降りてくる乗客たちが目に入る。彼らは一様に、分厚いコートとブーツを身に纏っており、北の寒さを言葉なく伝えてくる。

 ぼんやりと眺めていると、高らかに発車のベルが鳴り響く。直後、汽笛が耳に痛いほどに、入って来た。

 ほどなくして、ガタンッと大きく車体を揺らし列車が動き出す。

 最初はゆっくりと。徐々にその動きは早まってゆき、駅の石柱がすべて見えなくなるころには、一定の速さで王都の景色の中を走りだしていた。



(あなたへの想いを、少しでも伝えたい……そして、届けたい)

 心の中でそう、カレンは呟く。
 声にしないのは、言葉にした途端に現実味が増すからだ。

 列車は街を抜け、平原へ入った。冬の息吹が土の色を暗くし、ところどころに雪が薄く残り始めた。風景は簡素になるにつれて、空が広くなる。北へ向かうほど、色が削られてゆく。

 その削ぎ落とされた景色を車窓から見つめながら、カレンは過去の記憶を辿ってゆく。



 この国において、騎士という職にある者が遠方の地へ赴任する際、出発を前に婚姻を急ぐのはある種、餞のようなものであった。命の保証がない戦地へ向かう前に家名を繋ぎ、身を固める。そんな風習めいたことが、定着している。
 カレンはその決まり事を、どこか遠い国の出来事のように思っていた。だがそれも、現実として突きつけられることになった。王都にある貴族の子女たちが通う学園を卒業するころ、彼女自身がその習わしに従って、家を整えるための妻として選ばれたからだ。

 カレンの実家と、相手であるローランの家は同格である侯爵家。双方にとって利のある縁談だった。両親がこの話を進めたのは、カレンが常に分厚い眼鏡をかけ、髪をきつくひっつめ自ら編んだ不格好なかぎ針編みの帽子を深くかぶって過ごすような、そんな娘だったこともあったのだろう。

 カレンがそのような姿でいるのには、人には言えない理由があった。
 
 幼い頃、邸の使用人が彼女に歪んだ欲望を向け、悪戯をしようとしたことがあった。その日を境に、カレンは自らの美しさを呪うようになり、それを隠すことでしか自分を守れなくなった。両親はその事情を知っていたからこそ、娘の奇妙な格好を一度も咎めることなく、静かに見守り続けてきてくれていた。
 
 だが、そんな姿を見て心痛め、娘の将来に不安を覚えていたのだろう。年頃になった娘に舞い込んだ縁談を、進めたのだ。

 顔合わせの日、カレンはレンズの向こうから、婚約者となる青年を静かに見つめた。
 
 ローランは騎士学校を卒業したばかりの、若さゆえの野心に燃える騎士だった。彼はこれまで剣の修行に明け暮れ、色恋とは縁遠い生活を送ってきたと言う。故か、当初はこの縁談に前向きな様子を見せていると、カレンは聞いていた。

 しかし実際にカレンの姿を目の当たりにした瞬間、ローランの顔に隠しきれない動揺が走ったのを、カレンはその分厚い眼鏡の奥にある翡翠の瞳に映していた。彼はすぐにその表情を打ち消したが、そこにあった失望は消えなかった。彼にとって隣に立つべき妻は、もっと誇らしく華やかな存在であって欲しかったのだろうことは、言葉なくともカレンにも汲み取れた。

「……宜しく」

 ローランが口にしたのは、事務的な挨拶だけ。
 カレンとローラン、当人同士の話もそこそこに縁談は纏まった。
 
 カレンは彼にとって、騎士としての体裁を整えるための妻だった。彼が自分に興味を示さないことに、カレンは当初、悲しみよりも小さな安堵を覚えていた。

 それでも儀礼的に数か月に一度、顔を合わせる茶の席で、ローランの何も問わない静かさにカレンは、少しばかりの安心感も覚え始めていた。

 そして。婚約が整ったそれから一年を待たずに、二人は形式的な結婚式を挙げた。
 それはローランの赴任に合わせたものであった。冬の寒い日のことだった。

 だが、ローランはカレンに指一本触れようとはせず、初夜さえも赴任の準備という名目で事務仕事に没頭していた。カレンもまた、それを当然のこととして受け入れ、静かに夜を明かした。

 婚姻してからわずか三日目の朝だった。赴任先へ旅立つ、夫となったばかりのローランを見送るために、カレンは視線を下げつつ、門前に立っていた。

 馬に跨ったローランは、一度もカレンに視線を向けず、冷ややかな声を投げた。

「家のことは君に任せる。帰還は早々出来ないと、心得て欲しい」

 カレンはローランのその言葉に、ただひとつだけ、静かに頭を下げた。

「お気をつけて。いってらっしゃいませ。旦那様」

 カレンの言葉を聞くか否や、馬を走らせたローラン。蹄の音が遠ざかり砂埃が収まった後、そこには静寂だけが残った。
 カレンは眼鏡の奥の瞼を閉じ、今日初めて深く長い息を吐き出した。その時はまだ、寂しさなどは感じていなかった。

 これからの人生は長い。
 お互いに思いあい、支え合えるそんな夫婦関係を、長い時間かけて築けたらいい。
 どこかでそんな希望もあったのかもしれない。
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