〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音

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2 甘い景色

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 陽は既に沈みきり、車窓を眺めていても景色に変化はなく、延々と闇が続いている。ただ、林の中を縫うように汽車が進んでいることは、月灯を受けてぼやりと浮かぶ木の輪郭でわかった。
 
 流れる景色に乗せるように、過去のことを思い出す。そんな時間を過ごしていたが、ふと、視線を壁に掛けてある小さな時計に向ける。針は、夕食を取る時刻をとうに過ぎていた。

 時計を見て漸く、カレンは朝から食事らしい食事をしていないことに気付いた。それに思い至ると急に空腹感に襲われる。食堂車がまだ開いているかと不安になりつつも、カレンは急くようにショールを肩に掛け、コンパートメントを出た。偶然にも、扉を閉めて直ぐに出くわした車掌に食堂車の位置を聞くと、彼はカレンの問いに笑顔を浮かべ「それでしたら」と、親切に案内してくれた。

 示された扉を開けると、そこはマホガニーを基調とした、気品に満ちた空間が広がっていた。
 壁には真鍮の美しい細工で作られたランプが整然と掛けられており、白クロスが掛けられたテーブルさえも、清潔さを際立たせている。その上には、これも銀細工が美しい燭台が置かれてあり、辺りを仄かに照らす灯が、旅特有の特別な夜に寄り添うような心地よさがあった。

 既に食事のピークも終わっている時刻。滑り込むように来たカレンの他には、テーブルについている紳士・淑女がまばらにしか居ない。そのお陰か空きテーブルを探す手間もなく、真ん中あたりのテーブルの椅子にカレンは腰を下ろした。

 それを見届けた給仕が静かにカレンの座る席へ歩み寄り、「お食事ですか?」と声を掛けてくれる。「お願いします」と一言返すと「コースになりますが、それで構いませんか?」と再び質問を投げかけられる。「ええ、勿論」カレンのその返答を聞いてから給仕は頭を下げると、食堂車の奥の扉へと消えていった。

 それからいくばくも立たないうちに、最初の料理が運ばれてくる。

 コースの最初に運ばれてきたのは、ポタージュ・サン・ジェルマンだった。
 白みどり色が目に鮮やかな、生クリームとえんどう豆のスープ。匙で掬うと、わずかに甘い薫りが立ちあがる。口に入れると、滑らかな舌触りに深いコクとまろやかさが広がり、どこか幼い日の記憶を撫でるような懐かしい味がした。

 メインは、薄く切られたローストビーフに、琥珀色のマスタードが乗せられている。
 寒さが深まる季節には、この少しだけ鼻の奥と舌を刺す辛味が、身体の芯を温めてくれる。だが、マスタードは希少であり、高価な代物。庶民はもちろんだが、貴族であっても食卓には滅多に上らない。なのにこうして、旅の途中に口にできたことが、カレンにとって小さな贅沢も味わわせてくれた。

 付け合わせには、酸味のきいたピクルスと、溶かしたバターを添えた焼きたての白パン。飲み物は、シナモンとオレンジピールの香りがふっと漂う、温かなグリューワイン。

 どの皿も洗練されていて、ひと口運ぶたびに、その美味しさと特別感に小さな幸福感で満たされていく。

 最後のデザートは、金の縁で彩られた皿にチェリーとベリーを焼き込んだ、クラフティの一片が置かれた。
 表面はこんがりと色づき、沈んだ果実の赤がところどころに透けて見えている。匙を入れると生地にゆっくりと吸い込まれ、甘い香りがふわりと揺蕩う。

 口に一欠けらを入れると思わず「美味しい……」と、小さな声が漏れる。同時に口角まで上がってくる。
 二口目を口に入れたとき、何気に車窓の向こうに目をやると、暗闇が続いていたはずなのに、そこには月光に照らされた銀の世界が広がっていた。

 比喩などではなく本当に、圧倒的な銀だった。

 月光に照らされた一面の雪。その向こうには、白樺の林なのだろう、木々がまるで図られたように覆い立っているのが遠目に見える。
 そのまた向こう側まで見渡せそうほどの、初めて目にした世界。

 あの林を抜けた向こうには、何があるのだろうか。
 ふとそんなことを考える。

 三年前の自分では、こんな風に一人で汽車に乗り、旅をするなど考えたこともなかった。カレンの世界は、生家と学園の通学路と教室、そして嫁いでからも、自分のテリトリーとなった邸の中。それだけだった。

 こうして一歩踏み出せたのはある意味、あの人のお陰なのかもしれない。

 蕩けるクラフティ―の三口目を頬張ると、車窓の向こうの銀世界までもが、甘い景色に見えた。



 食事を終え、コンパートメントに戻ったカレンは、その身を寝台へと横たえた。
 充足感もあるのだろう。瞼は既に、ほんのりと重くなっていた。

 それでもなんだか、車窓の向こう側の景色を見たくて、分厚いカーテンを閉めずにそのままにしておいた。

 本来ならば、この銀溢れる世界も車内から一歩外に出れば、凍える夜なのだろう。
 
 北の地に到着しても、誰かと待ち合わせをしているわけじゃない。そんなことなど出来ないままで汽車に乗った。
 それでも少しずつ、届けたい想いと共に彼の傍へ近づいている。
 

 カレンは、枕元に置いた小さな布袋を手元に取ると、中から随分と草臥れた雪白色の封書を取り出した。それを丁寧に一つ撫でる。

 明日になればきっと、会える。

 そう思いながら、カレンはゆっくりと瞼を閉じた。
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