終着駅のパッセージ

苺迷音

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3 北の街

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 白い結婚。

 その言葉は、外から見ると想像以上に、好奇にも下品にも響く。
 愛されない妻、役目を果たせない可哀想な妻。

 そして、妻に問題があるのだろう。と、陰湿な憶測まで飛び交ってしまう。

 カレンの両親は気丈に振る舞った。娘の事情も理解し、同時に相手の若さも。婚姻とは、愛ではなく制度でもある。だから「うまくやりなさい」と言い、言葉の裏にある娘を想う不安を飲み込んだ。

 カレン若夫妻が住まう、古い邸を買い取ったこじんまりとした住まいの食卓には、いつも二人分が整えられた。夫は北の赴任先なのに、だ。だがそれも慣習でもあり、使用人の手前でもあり、カレンはそれを受け入れていた。
 当たり前ではあるが、椅子に座るのはいつもカレン一人。対面に置かれてあるスープの湯気が消え、パンが冷えてゆく。

 これが労りあえる夫婦であるならば。また違うのだろうか。と思う。

 居ない人の分まで必要なのだろうか。と思う。

 でもそうすることは、無事に邸に戻ってきてほしいという祈りなのだという。
 その風景がさらに、カレンの心を痛めつけると知ってか知らずか。

 それでもカレンは、留守を預かる妻として家を整えた。
 やるべきことは、日々いくつもある。誰かに頼めばそれで済んだかもしれないが、カレンはそうはしなかった。

 邸の中だけであっても、自分がここに居てもいいという存在理由、そして妻であるという実感が欲しかった。
 
 ローランが北の地に赴任したその日から三年。彼が王都に戻って来たのは、片手で数えるほど。
 それが寂しいか? と問われたら、頷いたであろう。
 夫が恋しいか? と問われたら。頷いたであろう。

 その恋しいが、どんな意味を持つのかは、三年の間に変化を遂げていた。





 汽車は北の地へと、その黒の塊から煙を吐きながら走っていた。
 
 カレンは車窓から差し込む光で目を覚ました。やけに眩しい。カーテンを閉めずに眠ったせいなのか、白に近い灰色の雲から光の元は見えてないのに、明るさが車内を照らす。

 薄っすら開いた瞼を、車窓の向こうにやってみると、風景はまた一変していた。
 そこには北国独特の、雰囲気と景色があった。

 汽車に沿って並んで見える建物の屋根はどれも急勾配で、壁は丸太造りのもの石造りのもの様々見える。だが共通しているのは、どの屋根にも煙突がついてあった。
 立ち並ぶ家屋の前には、積もる雪を両脇にかき分けて作ったのだろう、車輪の跡がついた細い道が、いくつも見えた。

 少し大きな通りには、木の葉を落とした木と、針葉樹の上に雪を積もらせた木が点在している。
 汽車は今、橋の上を渡っているようで、その下を流れているのだろう川は一目でわかるほど、白く凍り付いていた。

 一晩走っただけなのに、こんなにも風景が変わるのか。などと、思っているとコンパートメントの扉が叩かれた。

「はい」

 カレンが返事をすると、外から昨日食堂を案内してくれた車掌の声がした。

「あと四刻半ほどで、最終駅に到着いたします。お降りのご準備をお願い致します」

「わざわざありがとうございます」

「いいえ、お忘れ物のありませんよう、お気を付けください」

 彼は最後にそう言うと靴音を鳴らし、同じように別の乗客への声かけへと戻っていった。



 車掌の言った通り、声掛けからおよそ四刻半ほどで、汽車は大きなブレーキ音と共にプラットホームに滑り込んだ。

 列車の重い扉が開き、ステップを下りた瞬間に、北国特有の鋭い冷気がカレンの全身を刺す。王都の冬とは比べものにならない。息を吸うたびに、肺の奥まで冷たさが入り込むのがわかる。
 カレンは思わず身を竦め、旅行鞄を持たない反対の手で外套の前をきつく閉じ直した。

 ホームには、ここでもやはり様々な職種の人々が往来していた。そこに居る人々の口元からは、白く大きな吐息がそこかしこで上がり、中には大きなマフラーのようなもので、口元を隠す人もいる。そして、人々の顔は寒さのせいで赤らんでいた。

 カレンは寒さに身を固めながら、駅舎の改札窓口の駅員に声を掛けた。

「恐れ入ります。北の騎士団の詰所へ伺いたいのですが、道を教えていただけないでしょうか」

 分厚い眼鏡越しに尋ねるカレンを、駅員は訝し気に見下ろした。地味な風体で、毛糸の帽子を目深にかぶった女性が、なぜ荒くれ者の多い詰所などに行くのか不思議に思ったのだろう。

「詰所かい? ここからだと、駅前の広場から出ている乗り合い馬車に乗るといい。三つ目の停留所で下りれば、目の前が大きな石造りの建物だ。迷うことはないよ」

 カレンは丁寧に礼を言うと、その足で教えられた通りに駅の外へと向かった。
 
 駅の外にでると、広がる空は白灰色。そこからは水を多く含んでいるのか、重く冷たい雪が、どんどん落ちてきていた。

 その場にいると、埋もれてしまいそうな感覚に襲われたカレンは、無意識に歩を速める。

 駅員が教えてくれた広場には、数台の馬車が停まっていた。カレンはその中の一台、既に数人の平民が乗り込んでいる馬車に、料金を払い乗り込んだ。

 馬車の中は家畜の匂いと、濡れたウールが湿ったような独特の匂いが混じり合っている。ガタガタと大きく揺れながら進む馬車の窓から、カレンは雪に埋もれた北の街並みを眺めていた。

「詰所前だ。下りる人はいないか」

「あ、はい。降ります」

 御者の声に促され、カレンは足元に置いてあった旅行鞄を持ち直し、馬車を下りた。目の前には、要塞のような無骨な石造りの建物がそびえ立っている。ここが、ローランが三年間過ごした場所なのだ。

 カレンは重い扉を押し開け、中へと足を踏み入れた。
広々とした土間のような空間には、石炭ストーブの熱気と、男たちの汗や革の匂いが充満している。奥の机には、一人の騎士が面倒そうに書類を眺めていた。

 カレンは受付の机まで歩み寄り、小さな声でその男性に声を掛けた。

「失礼いたします。ローラン・ブレンダルを呼んでいただけませんでしょうか?」

 ローランの名を出した途端、騎士の手が止まった。彼は眼鏡をかけた地味な女性を一瞥すると、隣にいた別の騎士と顔を見合わせ、含みのある笑みを浮かべた。

「ああ、ローランか。あいつなら今、詰め所裏の大訓練場にいるはずだぜ」

「訓練場、ですか?」

「ああ。たぶん、ここを真っ直ぐ言った先にあるよ。……同じ女騎士のブリジットと一緒なんじゃないかな。赤茶髪の背の高い女だ。探してみな」

 男たちの嘲笑を含んだ視線を背中に感じながら、カレンは静かに一礼した。
 彼らが何を笑っているのか、その理由はわからなかった。
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