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28 女王のスープ
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「女王のスープをお持ちしました」
扉を叩く音と同時に、心地の良いバリトンの穏やかな声が聞こえて、カレンは目を瞬かせた。
「え?」
開かれた扉の向こうから入ってきたのは、ハルシオンだった。その手には銀の盆があり、その上には湯気を立てる白い皿が載っている。扉を開いた侍女と、後ろには侍女がもう一人、控えめに続いていた。
窓から差し込む陽射しが眩しいほどの、快晴な朝だった。
あの日、哨戒小屋からハルシオンに抱えられて戻ったカレンは、すぐに城の侍医の診察を受けた。青黒く腫れあがった足首は、骨が負傷している可能性があると告げられ、絶対安静を言い渡された。そして痛みと腫れを抑えるためにと、赤褐色の液体を甘いブランデーに混ぜて飲まされた。ラウダナムという、ケシから作られた鎮痛薬だった。
そこから二日、ほとんど眠り続けていた。時折目を開けてその都度、薬を飲んだ記憶はある。が、夢と現の境が曖昧で朦朧とする意識の中、誰かが傍にいた気配だけがぼんやりと残っている。
今朝、ようやく意識がスッキリと戻った。足首にはまだ微かに青さが残ってはいるが、あの焼けるような激痛も腫れも嘘のように引いている。気持ちよく目覚めたことを侍女に伝えると、すぐに誰かが部屋を出ていった。きっと、ハルシオンに知らせに行ったのだろう。
そして今、盆を手にしたハルシオンが目の前にいる。
ハルシオンはベッドの脇まで歩み寄り、傍らの椅子に腰を下ろした。侍女がすかさずベッド用の食事台を設え、ハルシオンはその上にスープの皿をそっと置く。
僅かに黄みを帯びた雪色のスープから、ミルクとブイヨンの柔らかな香りがほんのりと漂ってきた。優しい湯気からも、鶏と穀物の甘さが混ざっているような香りがふわっと立つ。それほど空腹ではなかったはずなのに、胃の奥が微かに動いた。
「スープ・ア・ラ・レーヌです」
ハルシオンが微笑みながら言う。
「え……?」
カレンはもう一度、同じ返事を繰り返していた。
その困惑した顔を見て、ハルシオンが楽しそうに笑った。
「女王のスープという意味で、この料理の名前です」
「ああ……びっくりしました」
カレンは胸に手を当てて、小さく息を吐いた。
「ずっと寝たきりでしたので、ご迷惑をおかけしたのかと……」
「いやいや、とんでもない」
ハルシオンは首を振り、スプーンを手に取った。
「なんなら、ずっと私がこうして看病します。それに、カレンは女王ではなく、」
少し言葉を切って、灰色の瞳がカレンを見つめる。
「私の姫ですから」
見つめられ、そう言われたカレンの頬に、熱が上がってゆく。
「いや、違うな」
ハルシオンはわざとらしく首を傾げ、それから口元を緩めた。
「妻、ですね」
にっこりと微笑んで言うハルシオンのその言葉に、カレンは何も言い返せなくなり、ただただ顔がさらに熱くなる。視線を逸らそうとしても、ハルシオンの目が真っ直ぐにこちらを見ている。
「さあ、少しでも構いません。召し上がれ」
ハルシオンがスープをスプーンで掬い、カレンの口元へ差し出した。
「あ、ハルシオン様……っ。足首の怪我ですから、自分で食べれます」
「いいえ。これは私の特権です」
スプーンを引く気配はない。
「看病が出来るという権利を、行使させてください」
「は、恥ずかしいんですが……」
「恥ずかしがる必要は……」
ハルシオンの目が、カレンの赤くなった頬を捉え、彼のその表情がさらに柔らかくなる。
「んん、その恥ずかしがる顔も素敵なのですが」
「じ、自分で!」
「駄目です」
穏やかだが、有無を言わせない頑固さを持つ声色だった。
カレンは顔が熱くなるのを感じつつも、観念して口を開いた。スプーンが唇に触れ、滑らかなのにさらりとしたスープが舌の上に広がる。喉をすっと通り抜けていく感触が心地よく、臓腑に染み込んでいくようだった。
「……喉越しがよくて、とても美味しいです」
「それはよかった」
ハルシオンが嬉しそうに目を細めた。
もう一口、差し出されるままに飲み込む。柔らかな鶏の旨味と、バターと生クリームの仄かな甘み。その中に、普段は余り口にしない穀物の風味があることに気付いた。
「この味は……コメ、ですか?」
「ええ。普通はパンを使うのですが、うちのア・ラ・レーヌは、パンではなくてコメを使うんです」
ハルシオンが、スプーンで掬う手を休めずに説明をしてくれる。
「その方が喉越しがよくて、腹にたまる。食欲がないときでも、食べやすくて力になるんです。今のカレンには、こちらの方が合うと思いまして」
ハルシオンを始め、城の皆がカレンのことを考えてくれていたのだろう。寝込んでいる間も、目覚めた時に食べやすいものをと。それが嬉しくて、じわじわと目が潤み、口元が綻ぶ。
「……ありがとうございます」
「礼には及びません」
ハルシオンがまたスプーンを差し出す。その手つきは丁寧で、こぼれないよう、カレンのペースに合わせてゆっくりと動かされている。
「私がしたくてしていることですから」
スープのほどよい温かさが、胃の奥からゆっくりと身体を満たしていく。
ハルシオンが傍に居てくれて、彼の手からスープを受け取り、食べさせて貰う。
そのことがカレンにとって、どうしようもないほどに幸福だった。
扉を叩く音と同時に、心地の良いバリトンの穏やかな声が聞こえて、カレンは目を瞬かせた。
「え?」
開かれた扉の向こうから入ってきたのは、ハルシオンだった。その手には銀の盆があり、その上には湯気を立てる白い皿が載っている。扉を開いた侍女と、後ろには侍女がもう一人、控えめに続いていた。
窓から差し込む陽射しが眩しいほどの、快晴な朝だった。
あの日、哨戒小屋からハルシオンに抱えられて戻ったカレンは、すぐに城の侍医の診察を受けた。青黒く腫れあがった足首は、骨が負傷している可能性があると告げられ、絶対安静を言い渡された。そして痛みと腫れを抑えるためにと、赤褐色の液体を甘いブランデーに混ぜて飲まされた。ラウダナムという、ケシから作られた鎮痛薬だった。
そこから二日、ほとんど眠り続けていた。時折目を開けてその都度、薬を飲んだ記憶はある。が、夢と現の境が曖昧で朦朧とする意識の中、誰かが傍にいた気配だけがぼんやりと残っている。
今朝、ようやく意識がスッキリと戻った。足首にはまだ微かに青さが残ってはいるが、あの焼けるような激痛も腫れも嘘のように引いている。気持ちよく目覚めたことを侍女に伝えると、すぐに誰かが部屋を出ていった。きっと、ハルシオンに知らせに行ったのだろう。
そして今、盆を手にしたハルシオンが目の前にいる。
ハルシオンはベッドの脇まで歩み寄り、傍らの椅子に腰を下ろした。侍女がすかさずベッド用の食事台を設え、ハルシオンはその上にスープの皿をそっと置く。
僅かに黄みを帯びた雪色のスープから、ミルクとブイヨンの柔らかな香りがほんのりと漂ってきた。優しい湯気からも、鶏と穀物の甘さが混ざっているような香りがふわっと立つ。それほど空腹ではなかったはずなのに、胃の奥が微かに動いた。
「スープ・ア・ラ・レーヌです」
ハルシオンが微笑みながら言う。
「え……?」
カレンはもう一度、同じ返事を繰り返していた。
その困惑した顔を見て、ハルシオンが楽しそうに笑った。
「女王のスープという意味で、この料理の名前です」
「ああ……びっくりしました」
カレンは胸に手を当てて、小さく息を吐いた。
「ずっと寝たきりでしたので、ご迷惑をおかけしたのかと……」
「いやいや、とんでもない」
ハルシオンは首を振り、スプーンを手に取った。
「なんなら、ずっと私がこうして看病します。それに、カレンは女王ではなく、」
少し言葉を切って、灰色の瞳がカレンを見つめる。
「私の姫ですから」
見つめられ、そう言われたカレンの頬に、熱が上がってゆく。
「いや、違うな」
ハルシオンはわざとらしく首を傾げ、それから口元を緩めた。
「妻、ですね」
にっこりと微笑んで言うハルシオンのその言葉に、カレンは何も言い返せなくなり、ただただ顔がさらに熱くなる。視線を逸らそうとしても、ハルシオンの目が真っ直ぐにこちらを見ている。
「さあ、少しでも構いません。召し上がれ」
ハルシオンがスープをスプーンで掬い、カレンの口元へ差し出した。
「あ、ハルシオン様……っ。足首の怪我ですから、自分で食べれます」
「いいえ。これは私の特権です」
スプーンを引く気配はない。
「看病が出来るという権利を、行使させてください」
「は、恥ずかしいんですが……」
「恥ずかしがる必要は……」
ハルシオンの目が、カレンの赤くなった頬を捉え、彼のその表情がさらに柔らかくなる。
「んん、その恥ずかしがる顔も素敵なのですが」
「じ、自分で!」
「駄目です」
穏やかだが、有無を言わせない頑固さを持つ声色だった。
カレンは顔が熱くなるのを感じつつも、観念して口を開いた。スプーンが唇に触れ、滑らかなのにさらりとしたスープが舌の上に広がる。喉をすっと通り抜けていく感触が心地よく、臓腑に染み込んでいくようだった。
「……喉越しがよくて、とても美味しいです」
「それはよかった」
ハルシオンが嬉しそうに目を細めた。
もう一口、差し出されるままに飲み込む。柔らかな鶏の旨味と、バターと生クリームの仄かな甘み。その中に、普段は余り口にしない穀物の風味があることに気付いた。
「この味は……コメ、ですか?」
「ええ。普通はパンを使うのですが、うちのア・ラ・レーヌは、パンではなくてコメを使うんです」
ハルシオンが、スプーンで掬う手を休めずに説明をしてくれる。
「その方が喉越しがよくて、腹にたまる。食欲がないときでも、食べやすくて力になるんです。今のカレンには、こちらの方が合うと思いまして」
ハルシオンを始め、城の皆がカレンのことを考えてくれていたのだろう。寝込んでいる間も、目覚めた時に食べやすいものをと。それが嬉しくて、じわじわと目が潤み、口元が綻ぶ。
「……ありがとうございます」
「礼には及びません」
ハルシオンがまたスプーンを差し出す。その手つきは丁寧で、こぼれないよう、カレンのペースに合わせてゆっくりと動かされている。
「私がしたくてしていることですから」
スープのほどよい温かさが、胃の奥からゆっくりと身体を満たしていく。
ハルシオンが傍に居てくれて、彼の手からスープを受け取り、食べさせて貰う。
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