〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音

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29 手袋と手紙

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 カレンが侍医に言い渡された絶対安静は、思ったより長く続きそうだった。幸いにも、腫れの引いた患部を診て、骨には異常がないだろうという診断を受けた。が、日中は自室から出ることを禁じられ、松葉杖を使うのも部屋の中のみとされた。

 意識がはっきりしてくると、ただベッドの住人になっているだけの時間が長く感じられた。何か手を動かしていたい。そう思った時、ふと視界の隅に籠が目に留まった。

 事故の日、街で買った毛糸。カレン自らが大事に抱え、持ち帰って来たもの。
 元々、夜の手空き時間に手袋を編もうと思っていた。現状、暇を持て余すほどに時間はある。丁度いいかとカレンは寝椅子の方へ杖を使って移動をし、膝の上に厚手のキルトを掛けて、その上で編み針を動かし始めた。
 ハルシオンの大きな手を思い浮かべながら、目を数え、糸を絡めていく。

 だが問題があった。ハルシオンが頻繁に、カレンの元へ顔を出すのだ。
 彼には内緒で編みたいのに、見つかってしまっては意味がなくなってしまう。

 怪我をしてから、彼は食事を必ずカレンの部屋で共に取るようになっていた。朝も、昼も、夜も。侍女が食事台を設え、二人分の皿が並ぶ。そしてハルシオンは、カレンを横抱きにして椅子まで運ぶのだ。毎回それを、「特権ですから」と言って行使する。
 お陰でカレンは、その度に編みかけの毛糸を隠さなければならなかった。

「もうすぐハルシオン様がいらっしゃいます」

 侍女の声が聞こえると、カレンは慌てて編み針を止める。

「籠を、あのチェストの中に」

「畏まりました」

 侍女が編みかけの手袋と毛糸玉の入った籠を抱え、私室の隅にあるチェストへと走る。引き出しを閉め、何食わぬ顔で戻ってくる。カレンはその間に、横に置いていた文芸雑誌を手に取り、パラパラとページを捲る。その直後に、ハルシオンが部屋に入ってくる。

「カレン、具合はいかがですか」

「はい、おかげさまで」

 手には雑誌。膝の上には何もない。ニコリと微笑んで、ハルシオンを迎える。

 そんなやり取りが、何度か繰り返された。ハルシオンが去った後、侍女がチェストから籠を取り出してくる。カレンは編み針を手に取り、続きに戻る。

「間に合いましたね」

「ええ、ありがとう。助かりました」

 カレンと侍女は目を合わせて笑い、そのあと視線を落としてまた目を数え始める。

 作業に没頭できる時間がたっぷりあったおかげで、手袋は二日と少しで仕上がった。目のほつれ、編み飛ばしが無いかを確認し、左右を揃えて膝の上に置く。包装する紙もリボンもないが、仕上がったものを直ぐに、今夜にでも渡したかった。その時のことを想像すると、カレンの気持ちも僅かに高揚し頬が緩んだ。



 夕食を終え、侍女たちが下がった後。
 ハルシオンはカレンを抱きかかえようと、彼女の傍まで近づいてきた。

「あの、ハルシオン様」

「はい」

 目線を彼女に合わせるように、屈んだハルシオンの灰色の瞳が、カレンを見つめる。

「包装もせず、素のままで申し訳ないのですが……」

 カレンは膝上のキルトの中に隠して持っていた手袋を差し出した。

「これを。ハルシオン様にお渡しするには、お恥ずかしい出来ですが……よろしければ、お使いくださると嬉しいです」

 ハルシオンの目が、わずかに見開かれた。差し出された手袋を受け取り、その手の中でじっと見つめている。

「これは……これはカレンが、編んでくださったのですか?」

「はい。うまく編めているかはわかりませんが」

 ハルシオンは手袋を両手で包むように持ち、指先の模様に目を凝らした。両手袋の親指と人差し指の先に、銀灰色の細い糸で、編みこまれた模様があった。

「これは、スノードロップですね。でも、なぜ内側に? こんなに美しく編み込まれているのに。これでは目立たない」

「何か物を持つ際に、滑り止めとして……毛糸は案外滑りますから、細めの糸で凹凸をつけると、手袋を嵌めたままでも物が滑りにくくなるんです。手綱を握る時などに」

 ハルシオンの表情が、じわりと変わった。驚きから、感嘆へ。そして、彼の顔から笑みが弾けた。

「そこまで考えてくださったのですね」

「あ、いえ、大したことでは……」

「いいえ、私にとっては、大したことです」

 ハルシオンの声は、喜びの中に熱を帯びていた。手袋を持ったまま、手首の辺りの模様に目を落とす。

「この雪の結晶も、美しい」

 灰色の瞳が、カレンの胸元へと移った。そこには、ダイヤの雪の結晶と白翡翠で作られたスノードロップの雫のネックレスが光っている。

「カレンのネックレスと、お揃いですね」

 ハルシオンの手が伸び、ネックレスにそっと触れた。指先が鎖骨を掠め、カレンの鼓動が大きく脈打つ。

「はい。いつも贈り物をいただくばかりですので……それとは比べ物にならないものですが」

「とんでもありません。私には、最高の贈り物です。これ以上の物はありません」

 ハルシオンは手袋を胸の前で握りしめた。

「カレンが私を想い編んでくれた時間と、あなたの心が籠もっている。大切に使わせていただきます」

 ハルシオンが手袋を片方、その感触を確かめるように嵌めた。カレンの予想通り、ぴったりと手に馴染んでいる。

「暖かい。あなたと手を繋いでいるようです」

 呟くような声だった。ハルシオンは手袋を嵌めた手を開いたり閉じたりし、嬉しそうに口元を綻ばせて、カレンの足元へと跪いた。

 そしてカレンを見上げて、手袋を嵌めた手を自身の顔の前まで持ち上げた。

「ありがとうございます、カレン」
 
 そんなハルシオンを見てカレンは、ホッとすると同時に、初めて誰かのために編んでよかったと嬉しさが溢れ、思わず破顔した。





 その数日後、カレンのもとに一通の封書が届いた。

 差出人はハルシオンの実姉であり、現王太子妃であるリュシアナからだった。
 侍女から受け取とった封書には、リュシアナのお印なのだろう、カメリアの花の浮かし模様が入れられてあった。封を開けると、便箋にも同じカメリアの透かしが入っていて、流れるような美しい筆跡が並んでいた。


『カレン嬢

 お元気にしていらっしゃるかしら。

 北での貴方たちの挙式を、わたくしたち家族も心待ちにしております。
 息子と娘は初めて汽車に乗れると今から大はしゃぎで、正直なところ、わたくし自身も楽しみにしているのよ。久しぶりの里帰りですもの。そちらでは貴方と一緒に、色々楽しみたいと思っているの。
 その時は宜しくお願いします。

 さて、本題に入るわね。
 お伝えするか迷ったのだけれど、知らないままでいるよりは、先にお耳に入れておいた方がよいと思い、筆を執りました。

 ハルには、幼馴染の女性がいるの。
 ヴェルデン侯爵家の令嬢で、名をマグリット。
 北の領地から少し南に下った場所を治める家門で、幼い頃にはハルに懐いてた娘よ。

 数年前に国境の向こうに嫁いだのだけれど、どうやら離縁して戻ってきていると、小耳に挟んだの。
 
 悪い子ではないのだけれども、少々、気性の激しい娘で、思い込んだら止まらないところがあるのよ。

 もしかすると、挙式の噂を聞きつけて、ハルのもとへ会いに来るのではないかと懸念しているの。
 一度は嫁いだ身で、もういい大人なのだから落ち着いてくれていればよいのだけれど、昔のままの調子で来られると、貴方はきっと驚くと思って。

 ハルにも、貴方を不安がらせないようにとは言い含めてあります。
 それでも、もし対応に困ることがあれば、遠慮なくわたくしに相談してちょうだいね。

 リュシアナ』

 読み終えて、カレンは便箋を膝の上に下ろした。

 幼い頃からハルシオンに恋慕を寄せていた女性がいて、その人は気性が激しく、もしかすると会いに来るかもしれない。リュシアナはそれを、わざわざ手紙で知らせてくれたのだ。

 文面からは、義姉となる人の気遣いが伝わってくる。知らせるべきか迷った末に、それでも伝えることを選んでくれたのだろう。

 マグリット。その名を、心の中で静かに繰り返した。

 春が訪れる前には、嵐が来る。
 季節が移り行く、その変わり目の合図として。

 もうすぐ、雪解けの季節になる。その前の嵐は、どんな風になるのか。

 カレンは便箋を丁寧に畳み封筒に直すと、小さくため息を吐いた。
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