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30 来訪
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リュシアナからの手紙を受け取ってから、一週間ほどが過ぎていた。
カレンの足首の具合は少しずつ良くなり、自室から出られるようにはなっていたが、まだ松葉杖なしでは歩けない。侍医からは無理をしないようにと言われており、長い距離を歩くのは控えていた。だが、そろそろ挙式に向けての最終確認や準備に、手を動かしていた。
そんな風に過ごしていたその日の午後、侍女が部屋を訪ねてきた。
「カレン様、ハルシオン閣下がお呼びでございます。サロンにてお客様をお迎えしているとのことで、カレン様にもご同席いただきたいと」
「お客様?」
「はい。ヴェルデン侯爵家のマグリット様が、お見えでございます」
カレンの胸がトクッと脈打つ。先日読んだ手紙に書かれていた名前。北へ顔を出すかもしれないとリュシアナが懸念していた、あの女性が本当に来た。
松葉杖を手に取り、侍女に支えられながら部屋を出る。廊下を進むにつれて、サロンの方から声が聞こえてきた。女性の声だった。高く、華やかで、遠慮のない笑い声が廊下にまで響いている。
「ハル、本当に久しぶりね。何年ぶりかしら? あの頃より顔つきも大人になったわ」
ハル、と、女性がそう呼ぶ名前が、カレンの耳を突いた。カレンには未だ使えていない呼び方を、当たり前のように口にしている。
サロンの扉は開け放たれていた。中を覗くと、ハルシオンがソファに座り、その向かいに一人の女性がいる。
深い栗色の髪がゆるやかに巻いて、肩より少し下まで流れていた。青い瞳は猫のようにくりっと吊り上がり、肌はカレンより健康的な色味をしている。北の地の人間ほど白くはない。体つきはカレンより、胸元や腰回りがしっかりとしていて、華やかな存在感があった。
纏っているドレスは鮮やかな赤。南方の流行を取り入れたものだろう。北の地の落ち着いた色調の中では、ひときわ目を引く華やかさがある。自信に満ちた笑みを浮かべ、まるで自分がこの場の主であるかのように振る舞っていた。
ハルシオンがカレンの気配に気づき、立ち上がる。
「カレン、来てくれましたか」
その声を聞いて、マグリットも振り返った。青い瞳がカレンを捉え、上から下までゆっくりと眺める。
「あら、この方がカレン嬢?」
口元には笑みを浮かべているが、目は値踏みをするように光っている。
ハルシオンがカレンの方へ歩み寄り、手を差し伸べた。松葉杖をつきながら進むカレンの手を取り、ソファの方へと導いていく。
「マグリット、紹介します。私の婚約者、カレン・ヴァンシェルです」
「初めまして、カレン・ヴァンシェルと申します」
カレンは軽く頭を下げた。
「お姉様……いえ、ごめんなさい。リュシアナ妃殿下が手紙で褒めておられたから、どんな方かと思っていたの」
マグリットは立ち上がり、カレンに近づいてきた。香水の甘い匂いが漂ってくる。南方のものだろうか、北の地ではあまり嗅いだことのない香りだった。
「私はマグリット・ヴェルデン。よろしくね。ハルとは幼馴染なの。幼い頃から一緒に遊んでいたのよ」
当たり前のように何の躊躇いもなく、ハルとまた呼んだ。ハルシオンもそれを咎める様子はない。
「ところで、足をお怪我されてるのね?」
マグリットの視線がカレンの松葉杖に落ちた。
「そんな時にごめんなさいね。無理をして出てきて頂いてしまって。でもこちらのことは、お気遣いなく療養してね? ハルと私、積もる話もあるし」
その言葉に、胸の奥がちくりとした。つまりマグリットは、あなたがいなくても構わない、ハルシオンが居れば十分と言っているようだった。
「さあ、座りましょう」
ハルシオンがカレンを支え、ソファに座らせた。松葉杖を脇に立てかけ、カレンはハルシオンの隣に腰を下ろす。マグリットは向かいの椅子に戻り、足を組んだ。
侍女がお茶を運んできて、カレンの前に置き、二人のティーカップも新しいものと入れ替えていく。マグリットは自分のカップを手に取りながら、ハルシオンに視線を向けた。
「それで、ハル。あの後どうなったの? オーベリック卿との狩りの話」
「ああ、あれか。結局、鹿は逃げた」
「やっぱり。あなた昔から、周りに気を遣いすぎなのよ」
マグリットが笑い、ハルシオンも口元を微かに緩めた。二人の間に流れる空気は、長い年月をかけて築かれたものなのだろう。共有する記憶や笑いがあり、カレンの知らない言葉が当たり前のように交わされている。
当然と言えば当然だ。過去は消せないし、それがあるから今がある。
そう、わかっているのに、心の中に靄が掛かる。
そしてもうひとつ。カレンの心がじくりとする。
ハルシオンはマグリットに敬語を使っていない。幼馴染だからなのかもしれないが、カレンとの会話とは明らかに違う距離感がそこにあった。
「ねえハル、覚えてる?」
マグリットがカップを置き、悪戯っ子ぽい笑みを浮かべた。
「私たち、子供の頃に結婚の約束をしたのよ。大人になったら私をお嫁さんにしてって言ったら、あなたは、いいよって言ったの」
「子供の戯言だ」
ハルシオンは軽く嘆息を吐きながらあしらったが、否定はしなかった。マグリットが声を上げて笑う。
「酷いわね。約束したのに」
冗談めかした口調だったが、カレンにはそれだけじゃないように思えた。
目の前に置かれているカップを手に取り、茶を少し口にする。飲み込むと喉がひり付き、茶の温かさが胸の痛みを浮き立たせた。
自分の知らない、子供の頃の約束や二人の思い出。そこにカレンは入り込むことは出来ない。
だからといって、ハルシオンの愛を疑っているわけではない。
なのに、心がざわつく。
そう、これは嫉妬だ。
自分の知らない距離感を持つマグリットに、嫉妬しているのだ。
そう理解はしたものの、その想いを止めることもできず、挙句には、自分はこの場にいていいのだろうか、二人の間に割って入っているのは、自分の方ではないか。そんな考えまでもが、頭の隅をよぎった。
そんなカレンの思考を読んだのか。
ハルシオンの手が、膝の上に置かれたカレンの左手をそっと包んだ。
驚いて思わずハルシオンの方を見ると、彼は視線を前に向けたまま、マグリットの話を聞いていた。カレンにハルシオンの手の温もりが伝わり、思わず泣きだしそうなほど、喉が熱くなった。
カレンの足首の具合は少しずつ良くなり、自室から出られるようにはなっていたが、まだ松葉杖なしでは歩けない。侍医からは無理をしないようにと言われており、長い距離を歩くのは控えていた。だが、そろそろ挙式に向けての最終確認や準備に、手を動かしていた。
そんな風に過ごしていたその日の午後、侍女が部屋を訪ねてきた。
「カレン様、ハルシオン閣下がお呼びでございます。サロンにてお客様をお迎えしているとのことで、カレン様にもご同席いただきたいと」
「お客様?」
「はい。ヴェルデン侯爵家のマグリット様が、お見えでございます」
カレンの胸がトクッと脈打つ。先日読んだ手紙に書かれていた名前。北へ顔を出すかもしれないとリュシアナが懸念していた、あの女性が本当に来た。
松葉杖を手に取り、侍女に支えられながら部屋を出る。廊下を進むにつれて、サロンの方から声が聞こえてきた。女性の声だった。高く、華やかで、遠慮のない笑い声が廊下にまで響いている。
「ハル、本当に久しぶりね。何年ぶりかしら? あの頃より顔つきも大人になったわ」
ハル、と、女性がそう呼ぶ名前が、カレンの耳を突いた。カレンには未だ使えていない呼び方を、当たり前のように口にしている。
サロンの扉は開け放たれていた。中を覗くと、ハルシオンがソファに座り、その向かいに一人の女性がいる。
深い栗色の髪がゆるやかに巻いて、肩より少し下まで流れていた。青い瞳は猫のようにくりっと吊り上がり、肌はカレンより健康的な色味をしている。北の地の人間ほど白くはない。体つきはカレンより、胸元や腰回りがしっかりとしていて、華やかな存在感があった。
纏っているドレスは鮮やかな赤。南方の流行を取り入れたものだろう。北の地の落ち着いた色調の中では、ひときわ目を引く華やかさがある。自信に満ちた笑みを浮かべ、まるで自分がこの場の主であるかのように振る舞っていた。
ハルシオンがカレンの気配に気づき、立ち上がる。
「カレン、来てくれましたか」
その声を聞いて、マグリットも振り返った。青い瞳がカレンを捉え、上から下までゆっくりと眺める。
「あら、この方がカレン嬢?」
口元には笑みを浮かべているが、目は値踏みをするように光っている。
ハルシオンがカレンの方へ歩み寄り、手を差し伸べた。松葉杖をつきながら進むカレンの手を取り、ソファの方へと導いていく。
「マグリット、紹介します。私の婚約者、カレン・ヴァンシェルです」
「初めまして、カレン・ヴァンシェルと申します」
カレンは軽く頭を下げた。
「お姉様……いえ、ごめんなさい。リュシアナ妃殿下が手紙で褒めておられたから、どんな方かと思っていたの」
マグリットは立ち上がり、カレンに近づいてきた。香水の甘い匂いが漂ってくる。南方のものだろうか、北の地ではあまり嗅いだことのない香りだった。
「私はマグリット・ヴェルデン。よろしくね。ハルとは幼馴染なの。幼い頃から一緒に遊んでいたのよ」
当たり前のように何の躊躇いもなく、ハルとまた呼んだ。ハルシオンもそれを咎める様子はない。
「ところで、足をお怪我されてるのね?」
マグリットの視線がカレンの松葉杖に落ちた。
「そんな時にごめんなさいね。無理をして出てきて頂いてしまって。でもこちらのことは、お気遣いなく療養してね? ハルと私、積もる話もあるし」
その言葉に、胸の奥がちくりとした。つまりマグリットは、あなたがいなくても構わない、ハルシオンが居れば十分と言っているようだった。
「さあ、座りましょう」
ハルシオンがカレンを支え、ソファに座らせた。松葉杖を脇に立てかけ、カレンはハルシオンの隣に腰を下ろす。マグリットは向かいの椅子に戻り、足を組んだ。
侍女がお茶を運んできて、カレンの前に置き、二人のティーカップも新しいものと入れ替えていく。マグリットは自分のカップを手に取りながら、ハルシオンに視線を向けた。
「それで、ハル。あの後どうなったの? オーベリック卿との狩りの話」
「ああ、あれか。結局、鹿は逃げた」
「やっぱり。あなた昔から、周りに気を遣いすぎなのよ」
マグリットが笑い、ハルシオンも口元を微かに緩めた。二人の間に流れる空気は、長い年月をかけて築かれたものなのだろう。共有する記憶や笑いがあり、カレンの知らない言葉が当たり前のように交わされている。
当然と言えば当然だ。過去は消せないし、それがあるから今がある。
そう、わかっているのに、心の中に靄が掛かる。
そしてもうひとつ。カレンの心がじくりとする。
ハルシオンはマグリットに敬語を使っていない。幼馴染だからなのかもしれないが、カレンとの会話とは明らかに違う距離感がそこにあった。
「ねえハル、覚えてる?」
マグリットがカップを置き、悪戯っ子ぽい笑みを浮かべた。
「私たち、子供の頃に結婚の約束をしたのよ。大人になったら私をお嫁さんにしてって言ったら、あなたは、いいよって言ったの」
「子供の戯言だ」
ハルシオンは軽く嘆息を吐きながらあしらったが、否定はしなかった。マグリットが声を上げて笑う。
「酷いわね。約束したのに」
冗談めかした口調だったが、カレンにはそれだけじゃないように思えた。
目の前に置かれているカップを手に取り、茶を少し口にする。飲み込むと喉がひり付き、茶の温かさが胸の痛みを浮き立たせた。
自分の知らない、子供の頃の約束や二人の思い出。そこにカレンは入り込むことは出来ない。
だからといって、ハルシオンの愛を疑っているわけではない。
なのに、心がざわつく。
そう、これは嫉妬だ。
自分の知らない距離感を持つマグリットに、嫉妬しているのだ。
そう理解はしたものの、その想いを止めることもできず、挙句には、自分はこの場にいていいのだろうか、二人の間に割って入っているのは、自分の方ではないか。そんな考えまでもが、頭の隅をよぎった。
そんなカレンの思考を読んだのか。
ハルシオンの手が、膝の上に置かれたカレンの左手をそっと包んだ。
驚いて思わずハルシオンの方を見ると、彼は視線を前に向けたまま、マグリットの話を聞いていた。カレンにハルシオンの手の温もりが伝わり、思わず泣きだしそうなほど、喉が熱くなった。
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