〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音

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31 素直じゃない女

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 マグリットは三日ほど滞在すると言い、城の客室に落ち着いた。

 それからの日々、カレンの心は落ち着かなかった。

 これまでの食事はカレンの怪我もあって自室でハルシオンと取っていたが、マグリットの滞在に合わせて、客人用の膳の間へと場所を移すことになった。カレンもまた次期女主人として、礼節のためにその席に連ならねばならない。
 良きタイミングで運ばれてくる料理の皿が並ぶ前で、マグリットとハルシオンの会話が弾んでいる。カレンの知らない人物の名前、カレンの知らない出来事、カレンの入り込めない思い出話が次々と飛び交った。

 マグリットは悪意を持っているわけではないのだろう。カレンに対して露骨に冷たくすることもなければ、意地悪を言うこともない。ただ、ハルシオンとの距離が近いのだ。「ハル」と呼び、敬語を使わず、時折ハルシオンの腕に触れながら笑う。

 ハルシオンもまた、マグリットに対しては敬語を使わない。
 そのことが一番、カレンの心をじわりじわりと蝕んでいく。

「ねえハル、明日は天気がいいらしいわよ。馬で少し遠出しない? 昔みたいに」

 その席でマグリットがそう言った時、カレンの手が止まった。

「雪が残ってるだろ。カレンはまだ足が完治していないから、無理はさせられない。それに、私も仕事があるしな」

「いいじゃない、午前の少しの時間だけよ。それに、カレンさんが無理なら、私とハルだけで行きましょうよ。その間、カレンさんはゆっくり休んでいて、ね?」

 マグリットはあっさりとそう言い、カレンに微笑みかけた。その笑顔には邪気は無く見え、本当にカレンのことを気遣っての提案なのだろう。

 マグリットの純粋な優しさが、さらにカレンの心を追い詰めた。
 自分の醜い嫉妬心、狭量さ、そういったものが胃の中でぐるぐると渦巻く。

 カレンはカトラリーを横へ置いた。食欲が、急に失せていた。
 顔には笑顔を貼り付けながらも、言いようのない靄が拭えない。それどころか濃くなる一方で、このままではもう出口を見失いそうなほど、気持ちのやり場に迷い果てていた。
 
 自分がいなくても、二人は楽しめる。
 自分がいない方が、二人は自由に過ごせるのではないだろうか。

 どんどん卑屈な考えに支配されてゆく自分に、嫌気が射した。

「いや、カレンを置いて出かけるわけにはいかない」

 カレンのそんな思考を破るように、ハルシオンが首を横に振った。
 思わず、カレンの口元から喜びが溢れそうになる。

 だが、口をついて出た言葉は、

「大丈夫ですわ、ハルシオン様」

 あろうことか、気づけばカレンは自らそう言っていた。

「私のことはお気になさらず、マグリット様と楽しんでいらしてください」

 ハルシオンが眉を寄せ、カレンを見た。何か言いたげで探るような目。だが、ハルシオンが口を開く前に、マグリットが先に声を上げた。

「ほら、カレンさんもそう言ってるじゃない! 決まりね」

 マグリットの言葉を聞いて、微笑み返したカレンだった。が、そのあと再びカトラリーを手にする気にはなれなかった。その先にある白ワインのグラスに手を伸ばし、一口含み飲み込む。ひんやりとしたワインは、小さな熱さを帯びた喉に心地よく流れていった。



 その夜、カレンは自室で一人、窓の外を眺めていた。
 月が金色の滲む輪を幾重にも作り、星の瞬きが鋭利な光の先を尖らせ、夜空を彩っている。
 
 明日の天気が荒れればいい。
 そしたら、彼らは馬乗りには行けなくなるのに。
 
 思わず、そんな風に願う自分が、酷く醜いとカレンは思う。
 そしてすぐに、その思いを打ち消す。

 もしも馬乗りの最中にそんなことになれば、命に関わるかもしれない。
 自分はなんてことを思ったのかと、己の醜悪さに身震いをした。

 ハルシオンは何も悪いことをしていない。幼馴染と再会して、昔話に花を咲かせているだけだ。

 なのに、苦しくて仕方がない。
 こんな感情、いままでにあっただろうか。

 経験したことのない吐き気を催す感情を持て余し、意図せず嗚咽が出そうになった時、扉を叩く音がした。

「カレン」

 ハルシオンの声だった。

「入ってもいいですか」

「……はい」

 扉が開き、ハルシオンが入ってくる。カレンは窓辺に座ったまま、それを見ていた。

「こんな時間に、どうなさったのです?」

「あなたの様子を見に来ました。今日の夕食、あまり召し上がっていなかったので」

 気づいていたのかと、カレンは力なく微笑んだ。

「昼間、少し根を詰めて作業をしすぎまして。少し疲れていただけです……お気遣いなく」

 ハルシオンがカレンの傍に歩み寄り、いつものように「失礼します」と声を掛け、ゆっくりと優しく横抱きにする。カレンが小さな声を零すのも構わず、寝椅子にカレンを座らせると、ハルシオン自身も腰を下ろした。灰色の瞳がカレンをじっと見つめている。

「何かありましたか?」

「いいえ、何も」

「本当に?」

 その声は優しかったが、カレンの心を読み取ろうとしているようでもあった。

 本当のことを言えるわけがない。マグリットに嫉妬していますなどと、口にできるはずがない。そんな醜い感情を、ハルシオンに知られたくなかったし、言った所で彼も困るだけだろう。

「本当に、何もないのです」

 カレンの返事に、ハルシオンは目を合わせたままで、少し黙っていた。それから、カレンの頭にそっと手を置いた。

「そうですか」

 大きな手が、カレンの髪を撫でる。
 いつもと変わらない優しさ。彼の想いが痛いほどに伝わり、カレンの澱む心を溶かし蕩かしてくれる。

「明日のマグリットとの馬乗りの件ですが、やはり私は行きません。カレンの傍にいます」

「いいえ、ハルシオン様」

 カレンは首を横に振った。

「マグリット様は遠方から、折角いらしてくださったのです。客人をおもてなしするのは、本来ならば私の仕事です。でも情けないことに、この足では何もできません。それに、久しぶりのご再会なのでしょう? 私の顔を立てると思って、楽しんでいらしてください。私は大丈夫です」

 色々と理由を重ねた揚げ句、大丈夫ではないのにそう言ってしまった。ローランとの結婚生活で身についた癖が、まだ抜けていないのか。相手の邪魔にならないように、自分を抑え込んで物分かりの良い妻で居る。凪でいること、それが一番平和なのだ。

 その癖が出ていることに、カレンは気づいていた。
 気づいていて、止められなかった。

「……分かりました」

 ハルシオンは少し寂しそうな顔をしたが、それ以上は言わなかった。

「では、おやすみなさい。ゆっくり休んでください」

 カレンの頬に軽く口づけを落とすと、ハルシオンは立ち上がり、扉に向かう。
 その背中を見ながら、

 行かないで。
 行かないで、ここにいて。

 声にならない叫びが溢れてくる。唇を噛み締め、拳を握りしめ、カレンはただハルシオンの背中を見つめていた。

 扉が静かに閉まり、足音が遠ざかっていく。

 一人になった部屋で、カレンは膝を抱えた。
 素直になれない馬鹿な女だと、初めて抱く様々な感情のやり場を探し続けた。
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