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41 優雅な罠
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狩猟大会を控えた前々夜、宮廷では狩猟大会の来賓を迎えた、大規模な晩餐会が開かれていた。
シャンデリアの光が広間を照らし、音楽が流れ、貴族たちの笑い声が響く。各国の代表、名だたる諸侯が集う華やかな夜。その優雅な光景の中で、レオは息苦しさを感じていた。
隣に座るセリアの銀髪が、燭台の光を受けて美しく輝いている。完璧な淑女の微笑。周囲からは理想的な婚約者に映るだろう。
だが、レオにとっては檻だった。
遠く、上座に座るジュノの姿が見える。その姿は、輝いて見えた。まるで月光のように。紫水晶の瞳は、静かに広間を見渡している。
レオの胸が、ギリっと痛む。
ジュノは皇帝陛下の隣に座り、その横には、リュシアン。またその隣にはゼノア。
本来ならば、自分があの席にいたはずなのに。
未練たらしいと言われても構わない。何を言われても。
ジュノの隣に居るのは自分でなければならない。そうでなければ愛しているなんて言える筈もない。
愛するからこそ、違う男と一緒になったとしても、相手の幸せを願う。そんな風に、ジュノに関してだけはどうしても思えなかった。この手で幸せにする。そのはずだった。なのに、それを手放した愚か者。
――いつかはそう……思える日が来るのだろうか。
醜い独占欲に、口元から自分に対する嘲笑いが小さく零れた。
☆
祝宴が佳境に入る頃、セリアの手が、レオの腕に絡みついた。柔らかな感触と甘い香り。
「レオ様」
鈴のような声が、耳元で響く。
「そろそろ……抜け出しませんか?」
指が、袖を撫でる。レオの身体が、硬直した。だが、ここで拒絶すれば不自然だ。セリアが何かを勘繰るかもしれない。
貴公子の貴公子の仮面を被る。笑顔を作る。
「……ええ」
平静を装った声。だが、心の中では叫んでいた。この場から消えてしまいたい。声も出せず、ただ心が軋む。
「皆様」
セリアが、周囲に聞こえるように声をかける。天使のような清らかさを纏った声。
「レオ様と私は、お先に失礼致します」
貴族たちが微笑み、頷く。祝福の視線。
レオは、立ち上がった。足が重い。まるで、処刑台へ向かうように。
☆
廊下は静まり返っていた。燭台の炎だけが、壁に影を落としている。
セリアが、突然レオに抱きついた。柔らかな身体とそこから匂い立つ芳香。
「レオ様……」
少し震える声。甘美に誘うような。
「やっと二人きりになれましたね」
セリアの唇が、レオの耳元に触れる。が、全身が、拒絶を叫んでいた。吐き気。嫌悪。だが、ここで無碍には出来ない。そうすれば、セリアが疑い、何かを勘繰るだろう。それは危険だ。
ある程度の接触は、仕方がないかもしれない……が、抱くつもりは微塵もない。
絶対に。
「セリア嬢」
冷たい声が、自分の喉から出た。表情には笑顔を張り付けたまま。
「私たちは、まだ正式な夫婦ではありません。そういうことは、控えましょう」
一瞬、セリアの表情に不満の色が浮かぶ。だが、すぐに消える。上品な笑み。
「ご安心ください」
セリアの柔らかな声と、貞淑さに潜ませた優しさ。
「ただ……私のお部屋で、お茶でも飲みませんか?」
指が、襟元を撫でる。熟練した仕草。経験豊富な女性の、それ。
レオは、息を吸い込んだ。深く、深く。
どうすれば、この状況から逃げられる? だが、逃げられない。ならば――うまく言いくるめるしかない。
「……わかりました」
その声は、まるで他人のもののように聞こえた。
☆
セリアの部屋に招き入れられる。扉が閉まる音が、牢獄の扉のように響いた。
レオは、椅子に腰を下ろした。溜息が、深く漏れる。
セリアがいつの間に用意していたのだろうか。お茶をテーブルに置く。銀髪が灯りに照らされ、淑女の姿が美しく映える。
「レオ様」
心配そうに問いかけるセリア。
「なんだか今日は難しいお顔をされておられます。何かお悩みなことでも?」
レオは、無言で頷いた。疲労が、全身を覆っている。
ジュノ。
心の中で、彼女の名を呼ぶ。深夜の語らい。二十五時の秘密の逢瀬。二人だけの時間――すべてが夢想に思える。
「いえ……」
お茶を口にする。だが、味などしない。
「少し、考え事をしていただけです」
セリアがその言葉に、ゆらりと微笑む。
「そうですか」
彼女はゆっくりと、レオの隣に座り直した。距離が近い。近すぎる。
「でも……今夜は、私たち二人だけの時間ですもの」
指が、レオの手に触れた。これがジュノであれば。それだけで全身が痺れるのに。
レオは咄嗟に身を引いたが、すぐに笑顔を作る。貴公子の仮面。
「そうですね」
平静を装うが、心の中では叫んでいた。
触れないでくれ。近づかないでくれ。
だが、それは言えない。
「レオ様」
セリアが、耳元で囁く。蜜のような蕩ける甘い声で。
「私……あなたを愛しています」
身体が、ぞくりと震える。
「だから……怖いのです……。元婚約者であらせられるジュノ殿下。彼女はとても美しく聡明で……レオ様をまた、ジュノ様に取られるんじゃないかと」
セリアが紡ぎ出す言葉に、激しい嫌悪が湧き立つ。そして葛藤が、胸を引き裂く。
「本当に私のことを見て下さっているという……確証が欲しいのです」
何を言っているのだ? この女は。既成事実を作らせろってことなのか。
そう思うが、やはり言えるわけもない。
ジュノ――
レオは目を瞑り、拳を強く握った。
「わかりました」
低い声。冷たい声。
「今夜だけです。ですが、私もあなたを傷つけるのは本意ではない。そういうことはちゃんとした儀式を終えてからにしましょう。それでいいですか?」
「はい、レオ様。もちろんです。貴方を感じられるのであれば。婚姻式が終わるまで純潔を守ります……でも……触れ合うことは、許されますわよね……ぬくもりを分け合うことは、はしたないでしょうか……?」
上目遣いで、恥じらうようにセリアは言った。
レオは、セリアを抱き寄せる。だが、心は全く別の場所にあった。
そして再び思う。純潔とはよく言ったものだと。先ほどの手練れを見ていれば、馬鹿でもわかる。それ以前に、セリアが純潔だろうがそうでなかろうが、レオにとってどうでもよかった。興味などないのだから。
☆
ベッドに横たわるセリア。銀髪が枕に広がり、淑女の姿から妖艶な女性へと変わっていく。
レオは、同じくベッドの端に腰を掛け、その後ろからセリアの腕が延びて来る。
だが――
身体が、動かない。ジュノ以外では、反応しない。皮膚の内側が軋むような不快感が走る。
「レオ様?」
不思議そうな声。
レオは、慌てて身を引いた。
「すまない……」
掠れた声。
「やはり今日は……具合が悪いみたいだ」
セリアの顔に、一瞬だけ失望の色が浮かんだ。
「そうですか」
それを隠した柔らかい声。
「では……今度にしましょう」
レオは、ひとつ頷いた。この場に居る事で、ジュノへの後悔と、抱かないで済んだ安堵が入り混じる。そのままベッドから立ち上がり、ソファの前に立つ。
セリアが再び、背後から抱きつく。
「一緒に、眠らないのですか?」
レオは、首を横に振った。
「私は部屋へ戻り――」
「せめて今夜は……同じ部屋で過ごしてくださいませんか? 私たち……これから誰にも邪魔されずに、幸せになれますわよね?」
甘い声。だが、レオの心は――問い続けていた。これが、幸せなのか。
「わかりました……。だが本当に今夜だけです。変な噂であなたを傷つけたくもない。婚約者だからと言っても節度は……」
そこまで言ったレオは言葉に詰まる。何を言っても浮かぶのはジュノだ。
婚約者同士の節度。ジュノの時は、そんなものなど吹き飛ぶほどに、彼女を求めた。それに応えてくれた美しい人。あの甘い罪の喜びは、今でも身体が覚えている。脳が溶けそうな程に幸せに包まれていた。
その思いをこの女に使う言葉で、浮かべたくはなかった。
「私はこちらのソファーをお借りします。それでご容赦ください」
「そんな狭い場所で? こちらで、ご一緒に――」
「いいえ。私を不埒な男にしないでください。あなたが大切だから」
レオはそう言うと、セリアの手を取り、その甲にひとつ口づけを落とす。その仕草に思わずセリアは、顔に愉悦の笑みが浮かべた。
「そこまでおっしゃられるのでしたら。私、大事にされてるのだと、思っていいのですね?」
「もちろんです」
レオが優雅に微笑む。それに満足したのかセリアはにっこり笑い、上品な仮面を再び付け直した。
シャンデリアの光が広間を照らし、音楽が流れ、貴族たちの笑い声が響く。各国の代表、名だたる諸侯が集う華やかな夜。その優雅な光景の中で、レオは息苦しさを感じていた。
隣に座るセリアの銀髪が、燭台の光を受けて美しく輝いている。完璧な淑女の微笑。周囲からは理想的な婚約者に映るだろう。
だが、レオにとっては檻だった。
遠く、上座に座るジュノの姿が見える。その姿は、輝いて見えた。まるで月光のように。紫水晶の瞳は、静かに広間を見渡している。
レオの胸が、ギリっと痛む。
ジュノは皇帝陛下の隣に座り、その横には、リュシアン。またその隣にはゼノア。
本来ならば、自分があの席にいたはずなのに。
未練たらしいと言われても構わない。何を言われても。
ジュノの隣に居るのは自分でなければならない。そうでなければ愛しているなんて言える筈もない。
愛するからこそ、違う男と一緒になったとしても、相手の幸せを願う。そんな風に、ジュノに関してだけはどうしても思えなかった。この手で幸せにする。そのはずだった。なのに、それを手放した愚か者。
――いつかはそう……思える日が来るのだろうか。
醜い独占欲に、口元から自分に対する嘲笑いが小さく零れた。
☆
祝宴が佳境に入る頃、セリアの手が、レオの腕に絡みついた。柔らかな感触と甘い香り。
「レオ様」
鈴のような声が、耳元で響く。
「そろそろ……抜け出しませんか?」
指が、袖を撫でる。レオの身体が、硬直した。だが、ここで拒絶すれば不自然だ。セリアが何かを勘繰るかもしれない。
貴公子の貴公子の仮面を被る。笑顔を作る。
「……ええ」
平静を装った声。だが、心の中では叫んでいた。この場から消えてしまいたい。声も出せず、ただ心が軋む。
「皆様」
セリアが、周囲に聞こえるように声をかける。天使のような清らかさを纏った声。
「レオ様と私は、お先に失礼致します」
貴族たちが微笑み、頷く。祝福の視線。
レオは、立ち上がった。足が重い。まるで、処刑台へ向かうように。
☆
廊下は静まり返っていた。燭台の炎だけが、壁に影を落としている。
セリアが、突然レオに抱きついた。柔らかな身体とそこから匂い立つ芳香。
「レオ様……」
少し震える声。甘美に誘うような。
「やっと二人きりになれましたね」
セリアの唇が、レオの耳元に触れる。が、全身が、拒絶を叫んでいた。吐き気。嫌悪。だが、ここで無碍には出来ない。そうすれば、セリアが疑い、何かを勘繰るだろう。それは危険だ。
ある程度の接触は、仕方がないかもしれない……が、抱くつもりは微塵もない。
絶対に。
「セリア嬢」
冷たい声が、自分の喉から出た。表情には笑顔を張り付けたまま。
「私たちは、まだ正式な夫婦ではありません。そういうことは、控えましょう」
一瞬、セリアの表情に不満の色が浮かぶ。だが、すぐに消える。上品な笑み。
「ご安心ください」
セリアの柔らかな声と、貞淑さに潜ませた優しさ。
「ただ……私のお部屋で、お茶でも飲みませんか?」
指が、襟元を撫でる。熟練した仕草。経験豊富な女性の、それ。
レオは、息を吸い込んだ。深く、深く。
どうすれば、この状況から逃げられる? だが、逃げられない。ならば――うまく言いくるめるしかない。
「……わかりました」
その声は、まるで他人のもののように聞こえた。
☆
セリアの部屋に招き入れられる。扉が閉まる音が、牢獄の扉のように響いた。
レオは、椅子に腰を下ろした。溜息が、深く漏れる。
セリアがいつの間に用意していたのだろうか。お茶をテーブルに置く。銀髪が灯りに照らされ、淑女の姿が美しく映える。
「レオ様」
心配そうに問いかけるセリア。
「なんだか今日は難しいお顔をされておられます。何かお悩みなことでも?」
レオは、無言で頷いた。疲労が、全身を覆っている。
ジュノ。
心の中で、彼女の名を呼ぶ。深夜の語らい。二十五時の秘密の逢瀬。二人だけの時間――すべてが夢想に思える。
「いえ……」
お茶を口にする。だが、味などしない。
「少し、考え事をしていただけです」
セリアがその言葉に、ゆらりと微笑む。
「そうですか」
彼女はゆっくりと、レオの隣に座り直した。距離が近い。近すぎる。
「でも……今夜は、私たち二人だけの時間ですもの」
指が、レオの手に触れた。これがジュノであれば。それだけで全身が痺れるのに。
レオは咄嗟に身を引いたが、すぐに笑顔を作る。貴公子の仮面。
「そうですね」
平静を装うが、心の中では叫んでいた。
触れないでくれ。近づかないでくれ。
だが、それは言えない。
「レオ様」
セリアが、耳元で囁く。蜜のような蕩ける甘い声で。
「私……あなたを愛しています」
身体が、ぞくりと震える。
「だから……怖いのです……。元婚約者であらせられるジュノ殿下。彼女はとても美しく聡明で……レオ様をまた、ジュノ様に取られるんじゃないかと」
セリアが紡ぎ出す言葉に、激しい嫌悪が湧き立つ。そして葛藤が、胸を引き裂く。
「本当に私のことを見て下さっているという……確証が欲しいのです」
何を言っているのだ? この女は。既成事実を作らせろってことなのか。
そう思うが、やはり言えるわけもない。
ジュノ――
レオは目を瞑り、拳を強く握った。
「わかりました」
低い声。冷たい声。
「今夜だけです。ですが、私もあなたを傷つけるのは本意ではない。そういうことはちゃんとした儀式を終えてからにしましょう。それでいいですか?」
「はい、レオ様。もちろんです。貴方を感じられるのであれば。婚姻式が終わるまで純潔を守ります……でも……触れ合うことは、許されますわよね……ぬくもりを分け合うことは、はしたないでしょうか……?」
上目遣いで、恥じらうようにセリアは言った。
レオは、セリアを抱き寄せる。だが、心は全く別の場所にあった。
そして再び思う。純潔とはよく言ったものだと。先ほどの手練れを見ていれば、馬鹿でもわかる。それ以前に、セリアが純潔だろうがそうでなかろうが、レオにとってどうでもよかった。興味などないのだから。
☆
ベッドに横たわるセリア。銀髪が枕に広がり、淑女の姿から妖艶な女性へと変わっていく。
レオは、同じくベッドの端に腰を掛け、その後ろからセリアの腕が延びて来る。
だが――
身体が、動かない。ジュノ以外では、反応しない。皮膚の内側が軋むような不快感が走る。
「レオ様?」
不思議そうな声。
レオは、慌てて身を引いた。
「すまない……」
掠れた声。
「やはり今日は……具合が悪いみたいだ」
セリアの顔に、一瞬だけ失望の色が浮かんだ。
「そうですか」
それを隠した柔らかい声。
「では……今度にしましょう」
レオは、ひとつ頷いた。この場に居る事で、ジュノへの後悔と、抱かないで済んだ安堵が入り混じる。そのままベッドから立ち上がり、ソファの前に立つ。
セリアが再び、背後から抱きつく。
「一緒に、眠らないのですか?」
レオは、首を横に振った。
「私は部屋へ戻り――」
「せめて今夜は……同じ部屋で過ごしてくださいませんか? 私たち……これから誰にも邪魔されずに、幸せになれますわよね?」
甘い声。だが、レオの心は――問い続けていた。これが、幸せなのか。
「わかりました……。だが本当に今夜だけです。変な噂であなたを傷つけたくもない。婚約者だからと言っても節度は……」
そこまで言ったレオは言葉に詰まる。何を言っても浮かぶのはジュノだ。
婚約者同士の節度。ジュノの時は、そんなものなど吹き飛ぶほどに、彼女を求めた。それに応えてくれた美しい人。あの甘い罪の喜びは、今でも身体が覚えている。脳が溶けそうな程に幸せに包まれていた。
その思いをこの女に使う言葉で、浮かべたくはなかった。
「私はこちらのソファーをお借りします。それでご容赦ください」
「そんな狭い場所で? こちらで、ご一緒に――」
「いいえ。私を不埒な男にしないでください。あなたが大切だから」
レオはそう言うと、セリアの手を取り、その甲にひとつ口づけを落とす。その仕草に思わずセリアは、顔に愉悦の笑みが浮かべた。
「そこまでおっしゃられるのでしたら。私、大事にされてるのだと、思っていいのですね?」
「もちろんです」
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