紫苑の誓約ー甘美な愛とすれ違いの愛の果てに、記憶を失くした皇太女を変わらず溺愛するー

苺迷音

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51 淑女と野獣の思惑

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 同じ頃、宮廷の礼拝堂で。

 月光が、ステンドグラスを通して差し込んでいた。色とりどりの光が、床に模様を描いている。静寂に包まれた、神聖な空間。

 ヴォルフが、祭壇の前に立っていた。灰色の瞳が、ステンドグラスを見つめている。その眼差しには、疑念と、目的達成への執念が宿る。

 暫くすると扉が静かに開き、セリアが入ってきた。薄赤のドレスが、月光を受けて淡く光っている。身体のラインを美しく際立たせる、計算され尽くした装い。

「ヴォルフ様」

 セリアの声が、礼拝堂に響く。その声にヴォルフは、振り返った。

「来たか」

 セリアは、ゆっくりと近づいてくる。その足取りは優雅であり、どこか艶めかしかった。靴音が、石床に小さく、しかし明確に響く。

「お呼びになられたので」

 セリアは、ヴォルフの前に立つ。二人の距離は、わずか数歩。

 ヴォルフは、セリアを見つめ、低い声で話し出した。

「話は、暗殺未遂の件だ。お前の侍女が、北方商人の雇われ者と接触していたと報告があった」

 セリアの表情が、わずかに変わる。

「それは……」

「証拠がある」

 ヴォルフは、一歩近づいた。その圧力に、セリアは後ずさることを許されない。

「お前、何を隠している?」

 セリアは、困惑したような表情を浮かべた。

「隠してなど……いませんわ」

「嘘をつくな」

 ヴォルフの声が、さらに低くなり、鋭くなる。セリアは黙って俯いたが、その後ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、薄っすらと涙が滲んでいる。

「ヴォルフ様……私を、信じてくださらないのですか」

 ヴォルフは、何も答えなかった。今度はセリアが一歩近づき、さらに二人の距離を詰めた。

「私は、何も知りません」

 セリアの手が、ヴォルフの胸に触れる。その指先は、わずかに震えているように見えた。恐怖か、それとも計算か。

「ですが……もし、侍女が勝手に動いていたとしたら――」

 セリアの声が、か細くなる。

「私の責任です」

 ヴォルフは、セリアの手を見つめた。白く、細い指。その指が、ゆっくりとヴォルフの胸を撫でる。

「ヴォルフ様……」

 セリアは、ヴォルフの顔を見上げた。

 涙に濡れた瞳に、震える唇。わずかに開いた胸元から見える肌が、月光を受けて青白く輝いている。

「お怒りは、ごもっともです。ですが……どうか、私を信じてください」

 セリアの身体が、ヴォルフに寄り添うように触れた。柔らかな感触、甘い香り。香水の匂いが、ヴォルフの鼻腔を擽った。

 ヴォルフの呼吸が、わずかに乱れる。

「セリア……お前は、俺を誑かそうとしているのか」

 セリアは、微笑んだ。涙の跡が残る顔で、妖艶に。

「誑かすだなんて……私は、ただ」

 ヒールの踵をクイっと上げ、爪先で立ったセリアの唇が、ヴォルフの耳元に近づく。

「ヴォルフ様に、愛されたいだけです」

 その囁きが、ヴォルフの耳に染み込む。吐息が、熱い。ヴォルフの手が、セリアの腰を乱暴に掴んだ。

「……お前は、愚かで……危険な女だ」

「危険……ですか?」

 セリアは、上目遣いでヴォルフを見つめた。長い睫毛が、月光を受けて影を落とす。

「お嫌いですか?」

 ヴォルフは、答えなかった。ただ、セリアを強く抱き寄せた。セリアの身体が、ヴォルフの胸に押し付けられる。

「お前の本性を、俺は知っている」

 ヴォルフが、セリアの耳元で囁いた。

「だが、それでも」

 ヴォルフの手が、セリアの背中を撫でる。

「お前から離れられない」

 セリアは、微笑んだ。その笑みは、勝利を確信したものだった。

「ヴォルフ様……」

 セリアの唇が、ヴォルフの首筋に触れる。

「私も、貴方から離れたくありません」

 二人は、祭壇の前で抱き合った。月光が、二人を照らし続けている。

 だが――

 ヴォルフの灰色の瞳には、まだ疑念が残っていた。

 そしてセリアの唇には、ヴォルフには見えない角度で、満悦の笑みが浮かんでいた。



 しばらくして、二人は離れた。セリアが、ドレスを整える。衣擦れの音が、静寂の中で妙に大きく響いた。

「セリア」

 ヴォルフが、静かに言った。

「はい」

「お前の侍女たちのことは、調べさせてもらう」

 セリアの眉が少し動いたが、すぐに微笑みを取り戻した。

「どうぞ、調べてください」

 セリアの声は、穏やかだった。

「私は、何も隠していませんから」

 セリアを見つめるヴォルフのその瞳には、疑いの色が宿っている。

「……そうか」

 セリアは、ヴォルフに近づいた。そして、挑発するかのように軽く唇を重ねる。

「では、失礼いたします」

 セリアは、優雅に一礼すると、礼拝堂を出た。扉が音もたてずに、静かに閉まった。

 遺されたヴォルフは、一人、ステンドグラスを見上げた。

「セリア……嘘つき女。だが、まだ利用価値はある」

 その脳裏には、違う女性の姿を浮かべていた。高貴な紫水晶の瞳をもつ人を。

「彼女を手に入れるために」



 一方、礼拝堂を出たセリアは、廊下を歩きながら、冷たく笑みを浮かべていた。

 月光が、回廊の柱の影を、廊下に映し出している。

「ヴォルフ様……」

 セリアは、小さく呟いた。

「貴方も、所詮は男ね」

 彼女は、その細いしなやかな指で、自分の唇を撫でた。

「簡単なものだわ」

 セリアの瞳が、冷たく光る。

「疑っていても、結局は抱いてくる」

 彼女は、足早に自室へと向かいながら、笑みを深める。

「レオ様も」

 セリアは唇の端を、抑えきれないかのように大きく上げた。

「必ず、私のものになる」
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