神雧 - KAMIATSUME -

神代 一文

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第14章 風の残像

第429話 情報の墓所

停車場ていしゃじょうの空気が、凍こおっていた。

 列車れっしゃの扉が開いた瞬間、車内の温もりが吸い出されるように消えた。代わりに入ってきたのは、鉱石こうせきのように硬い冷気だった。肺に入ると重く沈み、吐く息が白く固まって足元に落ちた。白い息が地面に触れ、石畳いしだたみの霜しもと混ざって消えていく。

 石畳いしだたみの表面に霜しもが張っていた。だが、霜しもの下が光っている。銀色の微細な粒子りゅうしが、石の継ぎ目に沿って這はい回り、灯籠とうろうの残光ざんこうに触れると空中に舞い上がった。舞い上がった粒子りゅうしは、一つずつ灯籠とうろうの火に吸い寄せられるようにして消えていく。灯籠とうろうの火が、粒子りゅうしを飲み込むたびにわずかに明るくなり、すぐにまた暗く沈んだ。

 石の底から、名前の残骸ざんがいが這い上がってくる。

 こよいは足を止めた。この場所全体が、記録きろくの墓所ぼしょだった。柱の森にあった柱は、一本ずつが墓標ぼひょうだった。ここは違う。停車場ていしゃじょうそのものが、一つの巨大な墓になっている。

 柱に古い札ふだが何枚も重ねて貼られていた。測はかり手の札だと、久遠くおんが言った。風もないのに一枚が揺れ、死者の呼吸こきゅうのような気配を漂ただよわせた。札ふだの端が黄色く変色し、墨すみの字が薄くなっている。何度も貼り替えられた痕跡こんせきが、糊のりの跡として柱の表面に残っていた。

 久遠くおんが目録もくろくを開いた。義眼ぎがんの蒼光そうこうが頁ページを走る。文字が光に浮かび上がっては薄れ、浮かんでは消える。真実を暴かれることを拒むように、墨すみが頁ページの奥へ逃げ込んでいく。

 久遠くおんは歯を食いしばり、消えかける文字を追い続けた。義眼ぎがんの蒼光そうこうを限界まで上げ、逃げる文字を蒼い光で追い詰める。

 「ゼロ地点で見た再定義さいていぎが、ここまで進んでいる」

 低い声だった。怒りを押し殺している。

 「奴らは記録きろくを消すだけじゃ足りなくなって、記録きろくの定義そのものを書き換えている。ここにあった名前は、削除されたんじゃない。最初から存在しなかったことにされている」

 こよいは巾着きんちゃくを胸に引き寄せた。神々が布越しに震えている。冷気に怯おびえているのではない。この場所の底に沈んだ無数の名前の気配に、反応している。

 「あの子たちの名前も、白くなるの」

 声が震えた。ここにある銀色の粒子りゅうしが、かつて名前だったものだと分かった。石の底に押し込められ、形を失い、光の屑くずになって這い上がってくる。灯籠とうろうに吸われて消える。それが、この停車場ていしゃじょうで繰り返されている。

 久遠くおんは頁ページから目を離さなかった。

 「消える順序がある。まず意味。次に音。最後に形。この場所の粒子りゅうしは、形すら崩れかけている。だが——」

 義眼ぎがんの蒼光そうこうを石畳いしだたみの下に沈めた。光が霜しもを透過し、石を透過し、その下の暗い土の中を照らした。

 「根が来ている。薄いが、金色の脈が停車場ていしゃじょうの下を通っている。粒子りゅうしが全部灯籠とうろうに吸われる前に、一部が根に触れて地下に引き込まれている」

 全部は救えない。だが、全部が消えるわけでもない。根が地下から手を伸ばし、崩れかけた名前の欠片かけらを拾い上げている。

 あさひが三人の先頭に立った。剣の柄つかに手を添え、前方の闇を見据みすえている。吐く息が白い。

 「長く立つな。この場所は身体から熱を抜く。足が動かなくなる前に抜ける」

 低い鐘かねが鳴った。石畳いしだたみを伝って足裏に届く振動しんどうが、脊髄せきずいを這い上がった。銀色の粒子りゅうしが一斉に舞い上がり、三人の周囲を取り囲むように渦うずを巻いた。粒子りゅうしの渦うずが、微かに音おとを立てていた。砂時計すなどけいの砂が落ちるような、乾いた音おと。

 こよいは声を出しかけた。粒子りゅうしの一つ一つに、名前だったころの温もりが微かに残っている。呼んであげたい。けれど。

 あさひが振り返らずに言った。

 「呼ぶな。ここで名前を声にしたら、お前の名前も石に吸われる」

 こよいは唇くちびるを噛かんだ。巾着きんちゃくを握る手に力を込め、声にならない温もりだけを送った。神々が一度だけ強く脈打ち、布越しに淡い光を放った。その光が足元を照らし、石畳いしだたみの霜しもの下で銀の粒子りゅうしが一瞬だけ金色に揺れた。

 根に触れた粒子りゅうしだった。巾着きんちゃくの光に応えて、地下へ引き込まれていく。

 あさひが歩き出した。こよいは巾着きんちゃくを胸に抱え、あさひの背中が切り開く闇の隙間すきまに向かって足を運んだ。久遠くおんが目録もくろくを閉じ、最後尾で二人に続いた。

 鐘かねの音おとが遠ざかっていく。石の底で粒子りゅうしがまだ這い上がっている。冷気が背中にまとわりつき、一歩ごとに振り払うような重さがあった。けれど三人は止まらなかった。闇の先に、次の道がある。

 おたまが石畳の割れ目へ小鈴を近づけると、地下の金色の根が音を受け取り、銀の粒子を灯籠ではなく下へ導いた。三人は呼び声を使わず、猫の鈴と巾着の光で救える粒だけを根へ渡す。前の間引き場を沈黙で抜けた時とは違い、今回は小さくても回収の手を動かせた。

 久遠くおんは再定義の発見ではなく、拡大範囲と根による回避例を記した。既知の脅威がどこまで来たかを知ることが、次の防壁を作る材料になる。
 闇の先へも、金色の根はなお続いていた。
 闇の先へ、金色の根はなお続く。どれだけ深くても、根が伸びるかぎり、名前はまだ生きている。こよいはその一本を頼りに、光の絶えた道へ、迷わず踏み込んだ。
 根が伸びるかぎり、名前は生きている。その一本の光を頼りに、こよいは闇を恐れなかった。光の絶えた場所にこそ、拾うべきものがある。
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