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シーズン1 魔法使いの塔
第六章 12)平穏なる日々
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しかし、それからしばらくの間、何事も起こらず、塔での日常は平穏に過ぎたと言っていいと思う。
もちろん相変わらず蛮族は来襲し、バルザ殿と傭兵たちは戦場を駆けずり回っているのだから、平穏という表現は間違っているかもしれないが、少なくともプラーヌスが危惧していたその出来事は起きなかった。
その間、私の仕事はけっこう捗った。
まあ、まだあの女性の不気味な泣き声については何の前進も見せなかったが、この塔の全貌を把握し、どれだけの仕事にどれだけの人員が必要か調べる、例のライフワークについては目星がついてきたと言っていいと思う。
フローリアの体力も徐々に回復し、彼女は掃除婦として働いている。
言うまでもなく彼女の仕事ぶりは真面目そのもので、ただの掃除婦にしておくのは勿体ないくらいである。
実は老医師や、彼女自身も看護婦として働くことを希望していた。
確かに彼女の神経の細やかさと、人当たりの良さは、看護婦に打ってつけであると思う。
しかし私は熟慮の末、その希望を撥ねつけた。
その決断をアビュなどは誤解している。フローリアと傭兵たちが関わる機会を持たせないようにするため、掃除婦にさせられたと考えているようなのだ。
すなわちフローリアを看護婦として働かせないのは、私の嫉妬心が原因だと。
確かにフローリアは、あの少しばかりガラの悪い傭兵たちに人気があったと思う。
フローリアに花をプレゼントしたり、どこかに散歩に誘おうとする輩は後を絶たないようだった。
まあ、実際のところ、傭兵同士がお互いを牽制し合って、フローリアの心を射止めるところまでいった者はいないようだけど、正直なことを言うとそんな状況に冷や冷やしていたことは事実である。
しかし私がフローリアを看護婦にしなかったのは、そんな理由ではない。
そんなバカなことがあるわけないではないか。私がそういった私情を差し挟むわけがない。
実は昔からこの塔にいる召使いたちの多くがフローリアを嫌っていて、彼女を看護婦として働かせることに反対していたのだ。
いや、嫌っているというのは言い過ぎかもしれない。
フローリアを忌避していると言ったほうが正確かもしれない。
最初はなぜかわからなかった。あんなに優しくて美しいフローリアが、どうしてこのように思われるのか私には想像も出来なかった。
しかしよくよく聞いているうちにとその理由が何となくわかった。
召使いの多くが、あのグロテスクに改造されていた人たちと長く関わっていたフローリアに、触れられるのを嫌がっているようなのだ。
まして、そんな人間が医療に関わるのは問題外。召使いの多くがそのように考えているらしいのだ。
それを聞いて唖然とさせられたのは言うまでもない。
こんな狭い塔の中で、このような差別意識が蔓延しているなんて何と愚かしいことかと。
しかし大多数の召使いたちの考えを無視するわけにもいかない。そういうわけで看護婦のほうが適職かもしれないが、フローリアには掃除婦として働いてもらっている。
まあ、彼女のきめ細かい性格と、隅々まで神経の生き届いた丁寧さは、掃除婦にも必須な能力である。
彼女が働き出してから塔の中が以前よりも奇麗になったような気にさせられるので、それはそれで良かったことであろう。
さて、プラーヌスはあれから二度と、いつかバルザ殿がこの塔から出ていくのではないかという不安を口にすることはなかった。
そして実際、バルザ殿もそのような動きを一切見せていない。
むしろ兵たちの訓練や、砦の建設の準備を進めるなど、いっそう懸命に仕事に励んでおられるようである。
そういうわけで私は、プラーヌスがあのとき口にした不安は、ただの杞憂だったのかと思い始めている。何事も忘れやすい私は、すっかりその不安を忘れ去ろうとしていた。
それにこのような明るい出来事もあった。この塔に、街から旅の劇団がやってきたのである。
どうやらその劇団はこの塔を定期的に訪れているようであった。
あるとき、なぜだか召使いたちが浮かれているので不思議に思っていたら、その旅の劇団が来る日が近づいていたからであった。
普段、何の娯楽もないこの塔の住人たちにとって、それは日の出や春の訪れのように待ち遠しいことだったようで、その劇団が到着したとき召使いたちは狂わんばかりに喜んでいた。一瞬にして塔は、ロガシオンの祭りの夜のように盛り上がったのだ。
私もその祭りを楽しんだことは言うまでもない。
まあ、しかし唯一、残念だったことはこの劇団が、私とプラーヌスがついこの間、街で観た劇団とまるで同じだったということである。
しかも出し物までも同じ、あの「悲しきハイネの物語」であった。
この世界にはたくさんの劇があるのに、取り立ててそれが名作というわけでもないのに、また「ハイネの物語」を観ることになったのは何とも言えない不運だ。
とはいえ、そんなことは些細なことである。
旅芸人たちの奏でる音楽に合わせて踊ったり、酒を飲んで騒いだり、私はそのお祭りを存分に楽しんだ。
旅芸人の何人かは娼婦や男娼も兼ねているようで、劇の後にはそれぞれ、部屋や廊下の隅で嬌態が繰り広げられていたようだ。
私はすっかり酔い潰れ、気がつけば朝だったが、多くの住人が破目を外して楽しんだよう。
あの生真面目なバルザ殿も観劇を楽しんでおられたのだ。最初は渋々といった感じだったようだけど、部下たちに促され、お堅いバルザ殿にも笑顔が見られた。
そういうわけで塔は、平和そのものだと私の目には映っていたのである。
プラーヌスはそのような狂騒に興味がないようで、そこには現れなかった。彼は部屋に籠りきりで、魔族との交渉に全力を傾けていたらしい。
この作業は本当に大変らしく、心身ともに疲れ果てた様子で謁見の間に現れることが日毎に多くなっていた。
しかしその作業を終えない限り、この塔は自分の物に出来ないのだ。
彼はあらゆることを犠牲にして、その作業に全ての時間を傾注している。
そして遂に来るべき時が来たようだった。
プラーヌスがこの塔を魔界から支配しているという魔族と契約を済ませたようなのだ。
プラーヌスは深夜に私の部屋に現れた。
そして私を叩き起こして言ってきた。
「シャグラン、遂に僕たちの苦労は報われたぞ。契約が完了したんだ!」
「えっ?」
私は眠たい目をこすりながら、彼を呆然と見つめる。
「寝ている場合じゃない。君にも見せてやる。正式な契約を結ぶ儀式だ。顔を洗い、頭をすっきりさせて僕の部屋に来るんだ!」
もちろん相変わらず蛮族は来襲し、バルザ殿と傭兵たちは戦場を駆けずり回っているのだから、平穏という表現は間違っているかもしれないが、少なくともプラーヌスが危惧していたその出来事は起きなかった。
その間、私の仕事はけっこう捗った。
まあ、まだあの女性の不気味な泣き声については何の前進も見せなかったが、この塔の全貌を把握し、どれだけの仕事にどれだけの人員が必要か調べる、例のライフワークについては目星がついてきたと言っていいと思う。
フローリアの体力も徐々に回復し、彼女は掃除婦として働いている。
言うまでもなく彼女の仕事ぶりは真面目そのもので、ただの掃除婦にしておくのは勿体ないくらいである。
実は老医師や、彼女自身も看護婦として働くことを希望していた。
確かに彼女の神経の細やかさと、人当たりの良さは、看護婦に打ってつけであると思う。
しかし私は熟慮の末、その希望を撥ねつけた。
その決断をアビュなどは誤解している。フローリアと傭兵たちが関わる機会を持たせないようにするため、掃除婦にさせられたと考えているようなのだ。
すなわちフローリアを看護婦として働かせないのは、私の嫉妬心が原因だと。
確かにフローリアは、あの少しばかりガラの悪い傭兵たちに人気があったと思う。
フローリアに花をプレゼントしたり、どこかに散歩に誘おうとする輩は後を絶たないようだった。
まあ、実際のところ、傭兵同士がお互いを牽制し合って、フローリアの心を射止めるところまでいった者はいないようだけど、正直なことを言うとそんな状況に冷や冷やしていたことは事実である。
しかし私がフローリアを看護婦にしなかったのは、そんな理由ではない。
そんなバカなことがあるわけないではないか。私がそういった私情を差し挟むわけがない。
実は昔からこの塔にいる召使いたちの多くがフローリアを嫌っていて、彼女を看護婦として働かせることに反対していたのだ。
いや、嫌っているというのは言い過ぎかもしれない。
フローリアを忌避していると言ったほうが正確かもしれない。
最初はなぜかわからなかった。あんなに優しくて美しいフローリアが、どうしてこのように思われるのか私には想像も出来なかった。
しかしよくよく聞いているうちにとその理由が何となくわかった。
召使いの多くが、あのグロテスクに改造されていた人たちと長く関わっていたフローリアに、触れられるのを嫌がっているようなのだ。
まして、そんな人間が医療に関わるのは問題外。召使いの多くがそのように考えているらしいのだ。
それを聞いて唖然とさせられたのは言うまでもない。
こんな狭い塔の中で、このような差別意識が蔓延しているなんて何と愚かしいことかと。
しかし大多数の召使いたちの考えを無視するわけにもいかない。そういうわけで看護婦のほうが適職かもしれないが、フローリアには掃除婦として働いてもらっている。
まあ、彼女のきめ細かい性格と、隅々まで神経の生き届いた丁寧さは、掃除婦にも必須な能力である。
彼女が働き出してから塔の中が以前よりも奇麗になったような気にさせられるので、それはそれで良かったことであろう。
さて、プラーヌスはあれから二度と、いつかバルザ殿がこの塔から出ていくのではないかという不安を口にすることはなかった。
そして実際、バルザ殿もそのような動きを一切見せていない。
むしろ兵たちの訓練や、砦の建設の準備を進めるなど、いっそう懸命に仕事に励んでおられるようである。
そういうわけで私は、プラーヌスがあのとき口にした不安は、ただの杞憂だったのかと思い始めている。何事も忘れやすい私は、すっかりその不安を忘れ去ろうとしていた。
それにこのような明るい出来事もあった。この塔に、街から旅の劇団がやってきたのである。
どうやらその劇団はこの塔を定期的に訪れているようであった。
あるとき、なぜだか召使いたちが浮かれているので不思議に思っていたら、その旅の劇団が来る日が近づいていたからであった。
普段、何の娯楽もないこの塔の住人たちにとって、それは日の出や春の訪れのように待ち遠しいことだったようで、その劇団が到着したとき召使いたちは狂わんばかりに喜んでいた。一瞬にして塔は、ロガシオンの祭りの夜のように盛り上がったのだ。
私もその祭りを楽しんだことは言うまでもない。
まあ、しかし唯一、残念だったことはこの劇団が、私とプラーヌスがついこの間、街で観た劇団とまるで同じだったということである。
しかも出し物までも同じ、あの「悲しきハイネの物語」であった。
この世界にはたくさんの劇があるのに、取り立ててそれが名作というわけでもないのに、また「ハイネの物語」を観ることになったのは何とも言えない不運だ。
とはいえ、そんなことは些細なことである。
旅芸人たちの奏でる音楽に合わせて踊ったり、酒を飲んで騒いだり、私はそのお祭りを存分に楽しんだ。
旅芸人の何人かは娼婦や男娼も兼ねているようで、劇の後にはそれぞれ、部屋や廊下の隅で嬌態が繰り広げられていたようだ。
私はすっかり酔い潰れ、気がつけば朝だったが、多くの住人が破目を外して楽しんだよう。
あの生真面目なバルザ殿も観劇を楽しんでおられたのだ。最初は渋々といった感じだったようだけど、部下たちに促され、お堅いバルザ殿にも笑顔が見られた。
そういうわけで塔は、平和そのものだと私の目には映っていたのである。
プラーヌスはそのような狂騒に興味がないようで、そこには現れなかった。彼は部屋に籠りきりで、魔族との交渉に全力を傾けていたらしい。
この作業は本当に大変らしく、心身ともに疲れ果てた様子で謁見の間に現れることが日毎に多くなっていた。
しかしその作業を終えない限り、この塔は自分の物に出来ないのだ。
彼はあらゆることを犠牲にして、その作業に全ての時間を傾注している。
そして遂に来るべき時が来たようだった。
プラーヌスがこの塔を魔界から支配しているという魔族と契約を済ませたようなのだ。
プラーヌスは深夜に私の部屋に現れた。
そして私を叩き起こして言ってきた。
「シャグラン、遂に僕たちの苦労は報われたぞ。契約が完了したんだ!」
「えっ?」
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