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くまあらし
伍
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ー今日は8月31日、夏休みの最終日だよ。ー
***
「おじいちゃんっ!宅配弁当のたぬさんは4時に来るって言ったでしょ!!」
キヌコがが店の入り口に向かって怒鳴った。ちなみに『たぬきそば』ではない、『宅配弁当』である。間違えないでほしい。
「せやかてワシ、お腹ペコペコなんよぉ」長椅子の上に座り込んで爺さんが答えた。ヨボッとした白いひげの生えた顔がこちらに向けられる。
「もぅ……分かったよ。たぬさんに電話してみるね」
キヌコが店の黒電話のダイヤルをジーコジーコと回す。
しばらくして
「あっ、たぬさん?わたしだけど……」キヌコがたぬさんに話しかけ始めた。受話器の向こう側から微かに車の走る音が聞こえるので外にいるようだ。
「今日なんだけど、ちょっと早めに来ていただけないかしら?うん、そうなんだよね、そう……」
おじいちゃんは裏のおじいちゃんである。店の裏手に住んでいるご隠居で少しボケが来ている。最近読んだ小説のキャラクターとアタシを混同しているらしい。
お狐様と人間のオスが恋愛するやつだ。正直迷惑なんだけど……(『馬鹿げてる、あり得ない』と思いつつ、実は密かに主人公の神様と自分を重ねて内心ドキドキしていたりする、神様になって働かずにお供えのお揚げが毎日食べられる生活がしたい)
ーカランコロンー そんなことを考えていたら扉のベルが鳴った。「はいぃ~♪どちら様ですかぁ?」
さっきまでと違いキヌコが愛想良く返事をした。普段の気怠さを消せばコイツはかなりの出来る妹なのだ。
入り口から入ってきた人物を見てオソレはうんざりした。「少しは見直したと思いましたが……結局、庶民派のお店なんですわね……こんな老人ホームみたいな所に長居したわたくしがアホでしたわ!」オソレは腰に手を当て立ち上がる。
「あ……え?え?」
店の入り口では一匹のタヌキがしどろもどろになっている。
たぬさんだ。たぬさんはおっとりした性格の女の子だが、連日の猛暑のせいで制服が汗まみれになっており暑苦しい。お前アライグマみたいだな……。
「あら……あなたは……」たぬさんがオソレの方を向いて、不思議そうに頭をひねる。
「キツナさん、わたくし急用を思い出したので失礼させていただきます」
うわ……機嫌損ねちゃった……まぁ無理もないけど……。
キツナは苦笑いを浮かべながらオソレを見送るしかなかった。
キツナの横をオソレが通る際にフワリといい匂いが漂ってきた。ハニーウードだ。……あ、これいいかも……キツナが思いついたようにオソレに声をかける
「ねぇ、良かったらまた明日遊びにおいでよ。お茶くらいなら出すしさ」
「……」
オソレは何も言わず振り返り店を出て行った。
オソレが出ていったあと、店内はシンと静まり返っていた。怒らせてしまったかな……キツナが不安になったとき、たぬさんが思い出したように口をひらいた。
「こんにちわー、ポンポコ亭です。宅配弁当を届けにまいりまし……ん?」語尾が消えた。
「どうしたの?」
「あの子ってもしかして……」
「オソレのこと?」
「はい」
「あの子もうすぐ引退するってネットで話題になってませんでした?」
***
音楽家の恥として一番最初に禁止されたのが露骨な感情表現だった事をオソレは忘れていなかった。
音楽というものは本来無音から創られるものであり、心を表現するために音を奏でることはあってはならない事なのだ。だから恋をした獣は例外なく失恋する、この世界では常識だ。
でもこれはあくまで一般論であり全ての獣にあてはまるわけではない。
たとえば鳥は翼で風を感じ空を飛ぶ事で空っぽの心を満たすことができるだろう。もちろん魚も水の中で泡の弾ける音や波の音を聴くことで満ち足りた気持ちになる事ができるはずだ。自分のなくしたくないものは……
***
この街を発つ前の日、文月堂にご挨拶に伺いました。昨夜キツナさんからもう一回だけジャムセッションをしないかと誘われていましたので、お邪魔することにしました。
夕方お店に着き裏口から入ろうとしたのですが鍵がかけられていて中に入ることができません……。
おかしいですね、約束の時間よりだいぶん早いはずなのですが……
とりあえずインターホンを押してみると、しばらくして返事がありました。
「あっ、オソレさん!今開けるね」
キヌコさんの声のようです しばらくすると扉が開き奥の部屋へ通されました。そこには……
ピアノの前に座っているのはきヌコさんではなく一匹の立派な狐でした。彼は椅子の高さを調節しながら言います
「お待たせして申し訳ありません。僕がきぬちゃんの代わりに演奏をさせてもらいます。よろしいでしょうか?」
「はい。お願いします……」
忘れるハズがございません。あれはわたくしの初恋の相手、そして今も変わらず好きな方……
「それじゃぁ始めましょう」彼が鍵盤の上に指を置くと部屋の空気が一瞬にして変わった気が致しました。
~~♪ 最初の一音が鳴り響くと同時に全身の血が沸騰するのを感じます。彼の紡ぐ旋律に合わせて身体が自然と動き出してしまう自分がおりました。どのぐらい経ったのでしょう。よく覚えていません。おそらく1時間ぐらいでしょうか?。最後の和音が部屋に響き渡り、ゆっくりと余韻を残して消えていきました。
***
「いいと思うよ」
キヌコは柔らかい笑顔を浮かべた。
そして、ゆっくりと頷いた。
3日前、閉店後の文月堂。3匹の獣が密談していた。内容はオソレの引退についてだ。たぬさんによると、オソレはここ一年スランプに苦悶しており、このまま続けても成長が見込めないと判断し、自ら引退を決意したのだという。
「そんなことがあったのか……」
キツナは複雑な表情を浮かべた。オソレの才能については素直に関心していたし、クソッタレグマがいなくなること自体は喜ばしかったのだが……なんだろコレ、モヤっとする……
「私も……ファンの一匹としてオソレさんに辞めてほしくありません」
たぬきさんは目を閉じて言った
「そこでキツナさ~ん、私にいい考えがあるんですけどぉ」なんだよその顔。一体何を思い付いたんだ……キツナが眉間にシワを寄せタヌキを睨む。
「ほら私って弁当屋やってますから~たまにお店に人間が来るんで。『人を化かす』のは得意なんですけど~熊を化かしたことはまだなくて……だからキツナさんが~♪」
イタズラっぽく微笑み、たぬさんがペロンと葉っぱを頭にのせた。一瞬でたぬさんが『アタシ』に変身した。葉っぱを使って化けたのだ。よくもまぁ……
「こんな風にね♪」たぬさんがアタシの声で話しかける。
「アタシってこんなに頭にデカかったっけ?足もなんだか短いような……」
うーん、なんか変な気分だな、自分を客観視するのは……でもこれ以上立ち入ると物語の本筋から外れそうな気がする……ですのでそーゆートコロは割愛させていただきたいと思います。
「キツナ。あなたがオソレさんを騙すコン♪」
そう言ってアタシ(たぬさん)がニヤリと口角をつり上げた。
「はぁ!?」
「大丈夫、バレないように私がフォローしてあげるから」
そう言ってもう一匹のアタシはお腹をポン!と叩いた。
***
「ふぅ」キヌツキさんとのセッションを終えたわたくしは壁掛け時計を眺めました。時刻はすでに夜の8時を回っています。少し長居しすぎたかもしれません。
「オソレは自分の気持ちに素直なんだね」
キヌツキさんがぽそりと言いました。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。音楽とは自分を表現するためにあるものだ、でも君の音楽は他人を傷つけてしまうかもしれない。なぜなら君自身が誰かを好きになった時に自分の感情をそのまま音に乗せてしまうからね」
「……」
確かにそうかもしれません。わたくしのモチベーションはキヌツキさんへの恋心で成り立っていますから……。「忖度なしにものをいう態度は、確かに素直だと思う。だけど、君は大切なことを一つ見落としている。それは、恋愛というものは、相手の同意がなければ成立しないという事。どんなに魅力的な異性だって、嫌がる事を強要したら、嫌われるだけだ」
キヌツキさんが立ち上がりわたくしを見下ろしました。
「僕は君が好きですよ。でもね、僕はこの店を先代から預かっている身でもある。僕個人の勝手だけで、九尾の狐並みに美人な僕の娘たちに迷惑をかけるわけにはいかない」
彼は一呼吸おいて続けます
「だからオソレ。今の僕では、あなたの想いを受け入れることはできない。ごめんなさい」
彼の声が静かに部屋の中に響いていきます。
わかっていたことですが、改めてフラれるというのは辛いものでございます。心の痛みに耐えかねて、思わず顔を伏せてしまいました。涙を見せたくないと思ったのです。
しかし次の瞬間、予想外なことが起こります。なんとキヌツキさんがわたくしのことを抱きしめたではありませんか!
突然の出来事に頭が真っ白になってしまいます。混乱している間にもどんどん強くなってゆく抱擁。あ、あわわ……これはまさか!?……その……アレでしょうか……つまりキッス……とかいうやつ……!!
顔を上げると彼と目が合いました。彼の瞳が真っ直ぐこちらに向けられております。恥ずかしくてまともに見る事ができず視線を落としました……すると唇に触れる柔らかなものを感じ取り、わたくしは反射的に目を閉じていました。キス……されたのですね……心臓が爆発しそうなほど高鳴っております……ああ……もう死んでもいいかも……
ゆっくりと身体を引き離されていきます。名残惜しく思いながらも目を開けると彼が優しく微笑んでおりました。
「オソレ……、君に『チュアー』を預ける。引退するは早計過ぎるよ」
彼が両手で楽器を差し出しております。
「いいのですか?」
差し出されたそれを受け取ると、今まで以上に愛着が湧き上がってくるの感じました……不思議です。
まるで以前から使っていたかのような馴染み具合に感動すら覚えたくらいなのです。
「ありがとうございます……」わたくしがそう言いかけたとき、ガタン!宝石棚の影から物音が聞こえてきました。
何事かと思ってそちらを窺うと、なんとそこにはキツナさんが……!(しかも先日より心なし顔がふっくらしている気がします)
……盗み見とは関心しませんわね。いい根性してらっしゃる……ぶっ飛ばしますわ!!!
わたくしがガオンと凄むとキツナさんがボロンと太い尻尾をこぼしたかと思うと一瞬で弁当屋のタヌキになりました。どうやら化けの皮が剥がれてしまったようです。
「わ、私は主犯じゃない!ほとんどはこいつらの作戦!!」
タヌキがキヌツキさんとキヌコさんを指差して必死に抗議の声を上げています。……なるほど……そういう事でしたか……
「あなた……キツナさんね?」
わたくしがキヌツキ(キツナ)さんの手首をガシッと掴むと彼(彼女)はビクッとして硬直し、冷や汗を流し始めました。「ち、違う!これには訳があって……」
「あのタヌキが尻尾を出さなければ完璧に騙されていましたわ~♪」
「「「ヒィ!?」」」三匹の顔から血の気が失われていくのがよくわかります。
「お仕置が必要かしらん?」
「「「ひぃいーっ!?」」」
***
あれから一週間。オソレさんは引退宣言を撤回。映画のオファーも断って今は音楽活動に専念しています。来週は街の大学病院で暑気払いのソロコンサートを開く予定だそうで、今日はそのリハーサルも兼ねてに文月堂に遊びに来るみたいで……。
「結局、スランプの原因の盗作疑惑もコンテスト運営側の不手際だったみたいだし一件落着よね」
キヌコがが朝食のコーンパンをかじりつつそう言った。
「一時はどうなることかと思ったけど」
狐茶を啜りつつあたしが言う。(朝はもちろん薄めのアメリカンだ)
「まぁ良かったんじゃないかしら?一応は丸く収まったんだし」
「それにしても、今回の件で一番得したのは誰なんだ」
スクランブルエッグをつつきながらアタシが言うとキヌコがふむと考え込む。
「文月堂が一番得をしたはずよねぇ……なんせ有名人のお墨付きがもらえることになったわけだから……、あとはやっぱりたぬさんかな勝手にオソレさんを店の宣伝材料にしちゃったし……たぶんこれに関しては損した人はいないんじゃないのかしら?でも勝手に……」
キヌコがぶつくさ独り言を言い始めた。こういう時はしばらく放っといた方がいいだろう……。しばらくしてキヌコが「お姉ちゃんはバカやから……あんま考えたらあかんよ」
とアタシに向かって言った。
内心苦笑しつつ、すっかり冷めた狐茶を飲み干す。まったく……あたしが体張ってあいつに化けたってのに……もうちょっと感謝してくれてもバチは当たらないぜ。
ふと、そんなことを考えていると、チリリンと窓辺に吊るしてある風鈴が鳴った。
「大分涼しくなってきたね」
キヌコが外を見てしみじみと言う。確かにここ最近、朝晩はかなり過ごしやすくなったように思う。日中はまだ暑い日が続いているけれど夜になれば寒いくらいだ。季節の移り変わりを感じるというのはなかなか趣深いものだ。……もう夏も終わりか。今年の夏は何をして過ごしただろうか……夏祭りに行ったきり、あんまり出かけた記憶がない気がする……まぁそんなもんか。
壁の時計を見るとそろそろ店をあける時間だ。あたしはエプロンを手にとりソファーから立ち上がった。
第2話 おわり
***
「おじいちゃんっ!宅配弁当のたぬさんは4時に来るって言ったでしょ!!」
キヌコがが店の入り口に向かって怒鳴った。ちなみに『たぬきそば』ではない、『宅配弁当』である。間違えないでほしい。
「せやかてワシ、お腹ペコペコなんよぉ」長椅子の上に座り込んで爺さんが答えた。ヨボッとした白いひげの生えた顔がこちらに向けられる。
「もぅ……分かったよ。たぬさんに電話してみるね」
キヌコが店の黒電話のダイヤルをジーコジーコと回す。
しばらくして
「あっ、たぬさん?わたしだけど……」キヌコがたぬさんに話しかけ始めた。受話器の向こう側から微かに車の走る音が聞こえるので外にいるようだ。
「今日なんだけど、ちょっと早めに来ていただけないかしら?うん、そうなんだよね、そう……」
おじいちゃんは裏のおじいちゃんである。店の裏手に住んでいるご隠居で少しボケが来ている。最近読んだ小説のキャラクターとアタシを混同しているらしい。
お狐様と人間のオスが恋愛するやつだ。正直迷惑なんだけど……(『馬鹿げてる、あり得ない』と思いつつ、実は密かに主人公の神様と自分を重ねて内心ドキドキしていたりする、神様になって働かずにお供えのお揚げが毎日食べられる生活がしたい)
ーカランコロンー そんなことを考えていたら扉のベルが鳴った。「はいぃ~♪どちら様ですかぁ?」
さっきまでと違いキヌコが愛想良く返事をした。普段の気怠さを消せばコイツはかなりの出来る妹なのだ。
入り口から入ってきた人物を見てオソレはうんざりした。「少しは見直したと思いましたが……結局、庶民派のお店なんですわね……こんな老人ホームみたいな所に長居したわたくしがアホでしたわ!」オソレは腰に手を当て立ち上がる。
「あ……え?え?」
店の入り口では一匹のタヌキがしどろもどろになっている。
たぬさんだ。たぬさんはおっとりした性格の女の子だが、連日の猛暑のせいで制服が汗まみれになっており暑苦しい。お前アライグマみたいだな……。
「あら……あなたは……」たぬさんがオソレの方を向いて、不思議そうに頭をひねる。
「キツナさん、わたくし急用を思い出したので失礼させていただきます」
うわ……機嫌損ねちゃった……まぁ無理もないけど……。
キツナは苦笑いを浮かべながらオソレを見送るしかなかった。
キツナの横をオソレが通る際にフワリといい匂いが漂ってきた。ハニーウードだ。……あ、これいいかも……キツナが思いついたようにオソレに声をかける
「ねぇ、良かったらまた明日遊びにおいでよ。お茶くらいなら出すしさ」
「……」
オソレは何も言わず振り返り店を出て行った。
オソレが出ていったあと、店内はシンと静まり返っていた。怒らせてしまったかな……キツナが不安になったとき、たぬさんが思い出したように口をひらいた。
「こんにちわー、ポンポコ亭です。宅配弁当を届けにまいりまし……ん?」語尾が消えた。
「どうしたの?」
「あの子ってもしかして……」
「オソレのこと?」
「はい」
「あの子もうすぐ引退するってネットで話題になってませんでした?」
***
音楽家の恥として一番最初に禁止されたのが露骨な感情表現だった事をオソレは忘れていなかった。
音楽というものは本来無音から創られるものであり、心を表現するために音を奏でることはあってはならない事なのだ。だから恋をした獣は例外なく失恋する、この世界では常識だ。
でもこれはあくまで一般論であり全ての獣にあてはまるわけではない。
たとえば鳥は翼で風を感じ空を飛ぶ事で空っぽの心を満たすことができるだろう。もちろん魚も水の中で泡の弾ける音や波の音を聴くことで満ち足りた気持ちになる事ができるはずだ。自分のなくしたくないものは……
***
この街を発つ前の日、文月堂にご挨拶に伺いました。昨夜キツナさんからもう一回だけジャムセッションをしないかと誘われていましたので、お邪魔することにしました。
夕方お店に着き裏口から入ろうとしたのですが鍵がかけられていて中に入ることができません……。
おかしいですね、約束の時間よりだいぶん早いはずなのですが……
とりあえずインターホンを押してみると、しばらくして返事がありました。
「あっ、オソレさん!今開けるね」
キヌコさんの声のようです しばらくすると扉が開き奥の部屋へ通されました。そこには……
ピアノの前に座っているのはきヌコさんではなく一匹の立派な狐でした。彼は椅子の高さを調節しながら言います
「お待たせして申し訳ありません。僕がきぬちゃんの代わりに演奏をさせてもらいます。よろしいでしょうか?」
「はい。お願いします……」
忘れるハズがございません。あれはわたくしの初恋の相手、そして今も変わらず好きな方……
「それじゃぁ始めましょう」彼が鍵盤の上に指を置くと部屋の空気が一瞬にして変わった気が致しました。
~~♪ 最初の一音が鳴り響くと同時に全身の血が沸騰するのを感じます。彼の紡ぐ旋律に合わせて身体が自然と動き出してしまう自分がおりました。どのぐらい経ったのでしょう。よく覚えていません。おそらく1時間ぐらいでしょうか?。最後の和音が部屋に響き渡り、ゆっくりと余韻を残して消えていきました。
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「いいと思うよ」
キヌコは柔らかい笑顔を浮かべた。
そして、ゆっくりと頷いた。
3日前、閉店後の文月堂。3匹の獣が密談していた。内容はオソレの引退についてだ。たぬさんによると、オソレはここ一年スランプに苦悶しており、このまま続けても成長が見込めないと判断し、自ら引退を決意したのだという。
「そんなことがあったのか……」
キツナは複雑な表情を浮かべた。オソレの才能については素直に関心していたし、クソッタレグマがいなくなること自体は喜ばしかったのだが……なんだろコレ、モヤっとする……
「私も……ファンの一匹としてオソレさんに辞めてほしくありません」
たぬきさんは目を閉じて言った
「そこでキツナさ~ん、私にいい考えがあるんですけどぉ」なんだよその顔。一体何を思い付いたんだ……キツナが眉間にシワを寄せタヌキを睨む。
「ほら私って弁当屋やってますから~たまにお店に人間が来るんで。『人を化かす』のは得意なんですけど~熊を化かしたことはまだなくて……だからキツナさんが~♪」
イタズラっぽく微笑み、たぬさんがペロンと葉っぱを頭にのせた。一瞬でたぬさんが『アタシ』に変身した。葉っぱを使って化けたのだ。よくもまぁ……
「こんな風にね♪」たぬさんがアタシの声で話しかける。
「アタシってこんなに頭にデカかったっけ?足もなんだか短いような……」
うーん、なんか変な気分だな、自分を客観視するのは……でもこれ以上立ち入ると物語の本筋から外れそうな気がする……ですのでそーゆートコロは割愛させていただきたいと思います。
「キツナ。あなたがオソレさんを騙すコン♪」
そう言ってアタシ(たぬさん)がニヤリと口角をつり上げた。
「はぁ!?」
「大丈夫、バレないように私がフォローしてあげるから」
そう言ってもう一匹のアタシはお腹をポン!と叩いた。
***
「ふぅ」キヌツキさんとのセッションを終えたわたくしは壁掛け時計を眺めました。時刻はすでに夜の8時を回っています。少し長居しすぎたかもしれません。
「オソレは自分の気持ちに素直なんだね」
キヌツキさんがぽそりと言いました。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。音楽とは自分を表現するためにあるものだ、でも君の音楽は他人を傷つけてしまうかもしれない。なぜなら君自身が誰かを好きになった時に自分の感情をそのまま音に乗せてしまうからね」
「……」
確かにそうかもしれません。わたくしのモチベーションはキヌツキさんへの恋心で成り立っていますから……。「忖度なしにものをいう態度は、確かに素直だと思う。だけど、君は大切なことを一つ見落としている。それは、恋愛というものは、相手の同意がなければ成立しないという事。どんなに魅力的な異性だって、嫌がる事を強要したら、嫌われるだけだ」
キヌツキさんが立ち上がりわたくしを見下ろしました。
「僕は君が好きですよ。でもね、僕はこの店を先代から預かっている身でもある。僕個人の勝手だけで、九尾の狐並みに美人な僕の娘たちに迷惑をかけるわけにはいかない」
彼は一呼吸おいて続けます
「だからオソレ。今の僕では、あなたの想いを受け入れることはできない。ごめんなさい」
彼の声が静かに部屋の中に響いていきます。
わかっていたことですが、改めてフラれるというのは辛いものでございます。心の痛みに耐えかねて、思わず顔を伏せてしまいました。涙を見せたくないと思ったのです。
しかし次の瞬間、予想外なことが起こります。なんとキヌツキさんがわたくしのことを抱きしめたではありませんか!
突然の出来事に頭が真っ白になってしまいます。混乱している間にもどんどん強くなってゆく抱擁。あ、あわわ……これはまさか!?……その……アレでしょうか……つまりキッス……とかいうやつ……!!
顔を上げると彼と目が合いました。彼の瞳が真っ直ぐこちらに向けられております。恥ずかしくてまともに見る事ができず視線を落としました……すると唇に触れる柔らかなものを感じ取り、わたくしは反射的に目を閉じていました。キス……されたのですね……心臓が爆発しそうなほど高鳴っております……ああ……もう死んでもいいかも……
ゆっくりと身体を引き離されていきます。名残惜しく思いながらも目を開けると彼が優しく微笑んでおりました。
「オソレ……、君に『チュアー』を預ける。引退するは早計過ぎるよ」
彼が両手で楽器を差し出しております。
「いいのですか?」
差し出されたそれを受け取ると、今まで以上に愛着が湧き上がってくるの感じました……不思議です。
まるで以前から使っていたかのような馴染み具合に感動すら覚えたくらいなのです。
「ありがとうございます……」わたくしがそう言いかけたとき、ガタン!宝石棚の影から物音が聞こえてきました。
何事かと思ってそちらを窺うと、なんとそこにはキツナさんが……!(しかも先日より心なし顔がふっくらしている気がします)
……盗み見とは関心しませんわね。いい根性してらっしゃる……ぶっ飛ばしますわ!!!
わたくしがガオンと凄むとキツナさんがボロンと太い尻尾をこぼしたかと思うと一瞬で弁当屋のタヌキになりました。どうやら化けの皮が剥がれてしまったようです。
「わ、私は主犯じゃない!ほとんどはこいつらの作戦!!」
タヌキがキヌツキさんとキヌコさんを指差して必死に抗議の声を上げています。……なるほど……そういう事でしたか……
「あなた……キツナさんね?」
わたくしがキヌツキ(キツナ)さんの手首をガシッと掴むと彼(彼女)はビクッとして硬直し、冷や汗を流し始めました。「ち、違う!これには訳があって……」
「あのタヌキが尻尾を出さなければ完璧に騙されていましたわ~♪」
「「「ヒィ!?」」」三匹の顔から血の気が失われていくのがよくわかります。
「お仕置が必要かしらん?」
「「「ひぃいーっ!?」」」
***
あれから一週間。オソレさんは引退宣言を撤回。映画のオファーも断って今は音楽活動に専念しています。来週は街の大学病院で暑気払いのソロコンサートを開く予定だそうで、今日はそのリハーサルも兼ねてに文月堂に遊びに来るみたいで……。
「結局、スランプの原因の盗作疑惑もコンテスト運営側の不手際だったみたいだし一件落着よね」
キヌコがが朝食のコーンパンをかじりつつそう言った。
「一時はどうなることかと思ったけど」
狐茶を啜りつつあたしが言う。(朝はもちろん薄めのアメリカンだ)
「まぁ良かったんじゃないかしら?一応は丸く収まったんだし」
「それにしても、今回の件で一番得したのは誰なんだ」
スクランブルエッグをつつきながらアタシが言うとキヌコがふむと考え込む。
「文月堂が一番得をしたはずよねぇ……なんせ有名人のお墨付きがもらえることになったわけだから……、あとはやっぱりたぬさんかな勝手にオソレさんを店の宣伝材料にしちゃったし……たぶんこれに関しては損した人はいないんじゃないのかしら?でも勝手に……」
キヌコがぶつくさ独り言を言い始めた。こういう時はしばらく放っといた方がいいだろう……。しばらくしてキヌコが「お姉ちゃんはバカやから……あんま考えたらあかんよ」
とアタシに向かって言った。
内心苦笑しつつ、すっかり冷めた狐茶を飲み干す。まったく……あたしが体張ってあいつに化けたってのに……もうちょっと感謝してくれてもバチは当たらないぜ。
ふと、そんなことを考えていると、チリリンと窓辺に吊るしてある風鈴が鳴った。
「大分涼しくなってきたね」
キヌコが外を見てしみじみと言う。確かにここ最近、朝晩はかなり過ごしやすくなったように思う。日中はまだ暑い日が続いているけれど夜になれば寒いくらいだ。季節の移り変わりを感じるというのはなかなか趣深いものだ。……もう夏も終わりか。今年の夏は何をして過ごしただろうか……夏祭りに行ったきり、あんまり出かけた記憶がない気がする……まぁそんなもんか。
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第2話 おわり
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