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第七巻「いちばん暗いのは夜明け前」

第二章 Back World

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1

煌々と照り付ける真夏の太陽にも陰りが見え、大陸南方に位置するここ神聖オルヴァドル教国でも、朝晩は秋の気配が感じられ始めた10月。
ようやく涼しくなって来た時季に合わせ、新たな大司教ライアンのお披露目を兼ねた、教国内視察の旅が始まった。
ライアン付きの聖堂騎士団が周りを固め、豪奢な馬車で主要な都市などを回り、大司教ライアンが直接国民、信徒の声を聞くのである。
まぁ、それにかこつけた、家族旅行であった(^^;
馬車にはライアンだけで無く、その娘エルダと娘婿ベルデハイム、内縁の妻であるこの俺ルージュと、様々な差配を取り仕切る為にベテルムザクト司教が同乗していた。
「本当に、申し訳御座いません。ご家族水入らずのところを、私まで馬車に同乗させて頂いて。」
小さくなって畏まるベテルムザクト司教。
「何言ってるのよ。貴方が面倒事一切引き受けてくれて、本当に助かったわ。堅苦しいお仕事は、やっぱり本職に任せると楽ね。」
「おいおい、私だって一応本職なんだよ。まぁ、ベテルムザクト司教のお陰で、色々助かっているのは確かだけどね。」
そう言って、素敵な笑顔で微笑むライアン。
この笑顔だけで、俺の疲れは全部吹き飛ぶ。……まぁ、体はもう中年じゃ無いから、言うほど疲れやしないが(^^;
「そう言って頂けるのはありがたいのですが。」
「それを言ったら、私の方こそ申し訳ありません、義父ちち上、義母はは上。義父ちち上をお守りする騎士団長の身で、ご一緒させて頂くなど。」
そう言って、こちらも小さくなって畏まるベルディ。
「そうね。貴方は外で警護した方が良いかもね。」
と、冗談めかして返すエルダ。
「そうよね。そうすれば、ベルディが騎馬に跨る勇姿を見られて、エルダも惚れ直せたもんね。」
「ちょっ、ちょっと止めてよ、養母かあさん。私、別にそんな事言ってないでしょ!」
顔を真っ赤にして恥ずかしがるエルダ。
一緒になって、顔を赤くするベルディ。
……ふふ、本当に良いもんだ。
こんな俺にも、こんなに素敵な家族が出来たんだな。
そんな幸せな時間を過ごしながらも、俺の心の片隅には、早く確かめたくて仕方無い、と言うわくわく、そわそわした気分も同居していた。
そう、俺はあの名も無き光の神から、ほんの少しばかり神の知識を下賜されていたからな。
だが、そんなに早く動き出す事も出来無かったのだ。
もうひと柱の、神の始末があったからである。

名も無き光の神が眠りに就いた後、俺はそれの始末に困っていた。
……闇の神の欠片。こいつはまだ、生きている。
現状で張れる最強の放置結界を二重に張り、その上から維持結界をもう1枚。
結界越しに、神の気配も瘴気も、一切何も感じられない状態だ。
このままなら何も心配は無い、と一見思える安定した状態であるが、相手は神様である。油断は出来無い。
何より、このままここに放置なんかしたら、俺の結界を破って再び海底、名も無き光の神の体に瘴気の根を伸ばすかも知れない。
折角永劫にも思える1万年の辛苦から解放されたばかりなのに、無責任に放り出して悪夢の日々に逆戻りなど忍び無さ過ぎる。
となれば、お持ち帰りするしか無い訳だ。
……実は、頼まれなくともそうするつもりではあった。
俺は、デイトリアムと出逢った際、こんな事を考えた。
都合良く、意識の無い長命種のアストラル体と魂なんて、その辺に落ちてたりしない。
今、それに近しい、いや、それ以上の拾い物が目の前にある訳だ。
が!
むしろ、それ以上過ぎるのだ。
仮に、この闇の神の欠片を、俺の物質体の中でアストラル体と同居させたとする。
多分、いいやきっと、絶対、俺の魂の方が負けてしまうだろう。
アストラル体と言う保護膜はあれど、ほぼ剥き出しの魂のまま闇孔雀と顔を突き合わせるようなものだ。
俺のちっぽけな魂など、存在を維持出来ずに消えて終わりだ。
闇の神の欠片で、デイトリアムの真似は出来無い。
しかし、厳重に結界を張った今の状態であれば、直接触れさえしなければ、多分大丈夫。
何とか、持ち帰る事は出来るはずだ。
名も無き光の神の為でもあるが、俺は俺の知的好奇心に従い、この貴重で危険な試料を持ち帰る事にしたのである。

一時的にでも、そこいらに放置しておく事は出来無いので、一気にアストラル転移で海上まで出るのでは無く、念動で闇の神の欠片と共に浮上する。
結界もあるし、あれ以降闇の神の欠片は眼を開く事も無く、大人しいものである。
しかし、それでも何かを感じたものか、帰りは近寄って来る生き物もモンスターもいなかった。
行きとはまるで違い、帰りはすんなりと帰り着いた。
危ない土産物があるので、キョウミヤコ拠点で物質体に戻ったら、そのまますぐに帰路へと着く。
ただ、ここで問題になるのが、これにマーキングして物質招喚で移動させて良いものかどうか、だ。
いや、この先の事を思えば、招喚や転移が出来無いのは困るのだが、今はまだ持ち帰ったばかりで、詳しい検査も出来ていない。
となれば、ここで研究を始めるか、物質招喚を用いずオルヴァまで持ち帰るか。
……良し、時間は掛かるが、飛んで帰ろう。
一々キョウミヤコ拠点まで来て研究するのも面倒だし、今の状態で拠点内に放置するのも少し怖い。
こいつの安全な収納には少し考えがあるので、まずは念動で触れないようにした上で、直にオルヴァ拠点へ持ち帰ろう。
タリム拠点やモーサント拠点と言う手もあるが、それはそれでオーガンやキャシーを危険に巻き込む恐れがある。
もちろん、オルヴァはオルヴァで家族を巻き込みかねないが、一応屋敷と拠点は離れているし、巻き込むとしたら盗賊ギルドくらいだ(^^;
何より、こいつの収納の当ては、オルヴァにあるしな。
そこで俺は、キョウミヤコから少し離れて、アオキガハラに入ってからドラゴンゾンビを創って飛び立った。
ここからオルヴァまで、新型フライだって1日は掛かる距離だ。
念動でこいつを運びながら20時間以上も飛び続けるなんて、ちょっとぞっとしない。
どの道気は抜けないが、ドラゴンゾンビの背に体を預けていた方が、まだマシと言うものだ。
そうして俺は、ドラゴンゾンビで1日半、闇の神とのフライトと洒落込んだのである。

2

オルヴァに帰り着いて早々、俺はとある素材をエッデルコの下へと持ち込んだ。
疑似オリハルコン……、俺が試作した新合金である。
オリハルコンってのは、どうやら現実的には真鍮のような金属だったようだが、幻の金属としてフィクションに良く登場する。
アーデルヴァイトにおいては、神々の武具には特別な金属が使われていたとされていて、それは解明されていない名称不明の金属だ。
だから、神々の金属=オリハルコンと俺が勝手に命名し、それを疑似的に再現しようと試みていたのだ。
元々、古代竜の島でしか採れない貴重な素材の中に、最強鉱物アダマンタイトがあり、それを何かに利用出来ないかとは考えていた。
このアダマンタイト、鉱物としてはアーデルヴァイト最硬度を誇り、硬さだけなら古代竜の鱗を凌ぐ。
しかし、古代竜の鱗と違い、魔法的な性質はほとんど持たず、しかもアーデルヴァイト最重量鉱物でもある。
こいつでフルプレートアーマーでも作ったとしたら、物理防御力だけなら地上最強になるが、魔法抵抗力は皆無で重過ぎて歩く事もままならないだろう。
故に、実際には薄く伸ばされ、補強材として様々な用途に使われている。
もちろん、貴重素材ではあるので、使っているのは島ドワーフだけだが。
ただ、である。ファンタジー畑の古参オタクとして、アダマンタイトなんて聞いたら使いたくなるだろう(^^;
とは言え、そのままでは正直使い物にならないのも事実。
そこで、そのままでも使い勝手の良いミスリル銀を、さらに品質改良した島ドワーフ特産の精錬ミスリルと合わせ、合金としてオリハルコンを創ってみよう、と思った訳だ。
アルケミーってのは、漢字で書けば錬金術。元々、屑鉄を金に変えるのも、研究内容のひとつだからな。
こいつは、クロに付いて島へ最初に渡った後、少しずつ研究を続けていた。
仮にオリハルコンが再現出来ても、俺の装備的にはそこまで是非もんでは無い。
どちらかと言えば、実用の為では無く知的探求の意味合いが強かった。
だから成果を急いでもいないので、試作段階の疑似オリハルコンは、そこまで大した金属では無い。
硬度だけなら古代竜の鱗の方が、魔法適性なら精錬ミスリルの方が遥かに上だ。
それでも、並みの鋼鉄よりは硬く、通常のミスリル銀よりは魔法適性も高く、アダマンタイトの1/10ほどの重量となっている。
大陸でなら、こいつはすでに最高級の装甲材と言えるだろう。
……島ならば、いくらでもさらに優れた古代竜の鱗が採れる訳だが(^Д^;
それに、元となるアダマンタイトと精錬ミスリルが貴重だからな。
値を付けるなら、古代竜の鱗以上の値が付く。
今は、まだまだ使い物にはならない代物だ。
試作段階だから、量も少ないしな。
でも、折角の研究成果だ。何か使い道があるなら使ってみたい。
そこで、闇の神の欠片を収納するロケットをこしらえて、直接触れずに身に付けられるようにしようと考えた。
結界があるとは言え、直に肌に触れるのはやっぱりな。
気休めかも知れないが、間に疑似オリハルコンを挟めば、少しは安心出来る。
闇の神の欠片は、形は鏃みたいで大きさは小指の先程度。
ロケットに仕舞い、首から下げるのには丁度良いサイズだ。
これほど小さな神が、海底ほど大きな神を苦しめていたんだ。
今は、名も無き光の神同様眠りに就いているのか静かなものだが、もし全力で力を解放されたら俺の結界なんて光子力研究所のバリアみたいに簡単に割れてしまうだろう(笑)
本当は、身に付けるなどリスクが大き過ぎるのだが、然りとてこれをどこかに遺棄するなんて、気が気で無くなる。
危険な代物だからこそ目の届くところに置いておきたいし、であれば出来る限りの対策は講じておかないとな。
デザインはチュチュに、疑似オリハルコンの加工はエッデルコに頼み、ゲイムスヴァーグも作業に加わった。
「悪いけど、他の作業は後回しにして、最優先でお願いね。結界の所為で判らないかも知れないけど、これ、ちょっと危ない代物なのよ。私の手にも余るくらいの、ね。」
「……わ、判りました。奥様がそう言うんなら、多分俺らの想像を超えた代物なんでしょうな。しかし、この金属は何です?こいつの説明から聞かせて貰いましょうか。」
エッデルコは、最初こそ戸惑ったものの、すぐに頭を切り替えたようだ。
疑似オリハルコンについては、組成データなんかを提示してやれば、すぐ扱えるようになるだろう。
元は、島ドワーフ馴染みの素材だ。
さて……、帰って来たら、ライアンにはちゃんと説明しておかないとな。

「……と言う訳で、しばらく私は拠点の方で寝泊まりするわ。念の為にね。」
帰宅したライアンに、名も無き光の神の事、闇の神の欠片の事を打ち明けた。
さすがに絶句するライアン。
当然だ。神族では無く神。死んだはずの神に出逢った。俺だったら信じられない。
「……と、とにかく、君が無事で良かったよ、ユウ。信じられない話だけど、君の話は信じられない事実ばかりだからね。島に降臨した悪魔も、それこそ神と同格と言って良い化け物だったんだろう?本当ならあり得ない話だけど、すでにあり得た話だよね。驚きはしても、信じるよ、ユウ。」
そう。いきなり神に逢った、なんて言っても信じられない話だが、俺たちの場合すでに下地が出来てしまっていた。
闇孔雀が想像通りの存在なら、これもほぼ同じ存在だと言える。
「あぁ、それから、もうひとつ。光の神に聞いた話の中で、私たちに関係ある話があったの。丁度良いから、それも話しておくわね。」
「私たち……と言うと、クリスティーナも含むのかい?」
「えぇ、その通り。私たち、地球の人間について。」
名も無き光の神は、大分記憶が曖昧になってはいたが、いくつか興味深い話を聞かせてくれた。
俺が高位の神聖魔法を使えない理由が、それで判明した。
「元々神様って、他の世界からアーデルヴァイトの前身となるこの世界にやって来たそうよ。もう、元の世界の記憶なんて無いようだけど、この世界へ連れて来たのは創造神。創造神は神たちと同じ種族の者なんだけど、特別だったらしいわ。彼だけが、世界を渡る事が出来た。」
彼、とは言ったが、性別も容姿も性格も名前も、何ひとつ思い出せないそうだ。
「最初の創世の後、神々の創世が始まると、いつしか創造神の姿は見えなくなっていた。もしかしたら、彼だけ他の世界へ行ってしまったのかも知れない。……ここで問題になるのが、世界を渡るなんて、他のどの神にも真似出来無いほど、特別だって事。」
「……そう考えると、異世界から勇者を招喚するオルヴァの儀式は、あり得ない話だね。」
「えぇ、普通なら無理な話。一応、特別な儀式で時間を掛けて、過去の失敗からも学んでようやく完成した奇蹟の術なんだろうけど、それでも人間の成せる業じゃ無い。」
「人間の、成せる業じゃ無い?」
「そう。実は、神の加護によるものなんだって。でも、アーデルヴァイトの神じゃ無い。……地球の神様。」
再び絶句するライアン。
ライアンが敬虔なクリスチャンだったかどうかまでは知らないけど、少なくとも現代日本人だった俺は、地球の神は想像の産物だと思っていた。
信じる者だけ救う、人知を超えた全知全能の存在が、仮にいたとしたら人間なんか意にも介さないだろう。
あくまでも、人心掌握術として、人間が人間の都合で創作したものが神であり宗教。
俺はそう思っていたからこそ、無宗教の無神論者だった訳で。
「……高位の神聖魔法って、それが現役の神の奇蹟か残滓かは不明だけど、神々の加護を受けた者に与えられる奇蹟なんだって。でも、私たちはすでに他の神様の加護を受けているの。世界を渡る時に、ヤハウェだかお釈迦様だか大日如来だか月読様だか空飛ぶスパゲッティ・モンスターだか知らないけど、神様の加護のお陰で無事にアーデルヴァイトに渡れたって事ね。すでに他の世界の神の加護を受けているから、私たちはアーデルヴァイトの神の加護を受けられず、高位の神聖魔法は発動しないんだってさ。」
そう。大司教にまで昇進したライアンだが、彼も高位の神聖魔法は使えない。
クリスティーナは、そもそも魔法苦手だから高位の神聖魔法なんて試した事も無いだろうけど(^^;
「……僕はこの世界の人間では無いし、神と神族の関係についても知っている。だから信仰心が芽生えずに、高位の神聖魔法が使えないんだとばかり思っていたよ。僕は幼い頃、家族に付き合わされてミサに参加していたけど、大人になってからは教会に足を運んでいなかった。そんな僕でも、神はお見捨てにならなかった、と言う事なのかな。さすがに、神が実在したなんて実感は湧かないけど。」
本当に実在するなら、神は宗教家が言うような信じる者だけ救うせこい存在じゃ無くて、信じない者をも救って下さる器の大きな存在、って事なのかもな(^ω^;
「まぁ、そのご加護も世界を渡る時限定で、こっちに来てからも助けてくれる訳じゃ無いみたいだけどね。それくらい、違う世界へ渡るのって、不可能に近い事なのね。日本へ帰る気なんて無かったけど、そもそも無理だった訳ね。」
「そうだね。……こうして無事アーデルヴァイトへ渡れて、君と出逢えて幸せに暮らせる事は、素直に感謝しないとね。」
「そうね……、それじゃあ、エッデルコを急がせなくちゃ。」
「え?どうしたんだい、急に。」
「もう、だってこの闇の神の欠片をさっさと何とかしなくちゃ、危なっかしくてライアンと一緒に寝られないじゃない。感謝するのは、また一緒に過ごせるようになってからよ。」
「そうか……。それじゃあ、君が屋敷を出る前に……。」
「ちょっ、ライアン。まだキンバリーさんたちだって……。」
そうして、いつもより早いスキンシップが始まってしまったが、疑似オリハルコンのロケットが完成し安全が確認されるまで、寂しい夜を過ごす事になるのであった(^Д^;

3

ロケット自体は、3日ほどで完成した。
デザインは髑髏と茨をモチーフにしたもので、想像したよりも厳つかった。
若い女の子が付ける、可愛い女の子がデザインした、薄い金色の光沢を放つオリハルコン製ロケットペンダントだから、もっと乙女チックなものを想像していたんだが(^^;
チュチュ曰く、近寄り難い切れ味鋭い刃物のような俺をイメージした、トータルコーディネイトの一環である。
うん、まぁ、凄腕女盗賊然とした格好を意識しているのは事実なんだが、俺も側は20歳そこそこの女の子だから、もう少しこう、なぁ。
本物の女より、むしろ男の方が、乙女チックな(女々しい)生き物なのかもな(-ω-)
そんなロックな外見のロケット部分に、三重結界を張った闇の神の欠片をチュチュ謹製魔法絹で包んで収納し、ロケット部分にも半日ほどを費やして儀式結界を張った。
今のところ、闇の神の欠片は完全に沈黙している。
思うんだが、こいつも眠りに就いているんじゃなかろうか。
名も無き光の神だけじゃ無く、こいつだって1万年以上戦い続けて来たんだからな。
かなり攻め疲れた事だろう。
こいつも解放されて、今、お休み中と言ったところなのではないか。
少なくとも、結界越しに神の気配は一切感じられない。
大丈夫……だとは思うので、まずは首に掛けた状態で、念の為さらに1週間を拠点で過ごした。
その間、何も問題は無かったので、10日ぶりにライアン邸へと戻り、寝る時はロケットを外し、ベッドサイドチェストの上に置いてみた。
1週間それを続けた後、やはり何も問題は無かったので、それからはいつも闇の神の欠片を身に付けている。
いやまぁ、激しい時には、気付くと外れている事もあったけど(*^Д^*)
だが、出来るだけ肌身離さず身に付けるよう心掛けている。
理由のひとつは、やはりこんな危険なモノ、目の届かないところに置いておいたら気が休まらないからだ。
俺が目を離した途端、勝手に動き出すんじゃないかとつい妄想してしまう。
もうひとつ理由はある。
デイトリアムの状態と同じとまでは言えないが、こいつは本物の神である。
結界で覆いロケットに封じて身に付けただけでも、その影響は大きいのだ。
まず、能力値が全て10倍になった。
まぁ、抑えている力を解放しちゃうとステータスがバグるのは確認済みだから、あくまでも1%程度に抑えた力が10倍になっている。
これじゃあ、力を抑えていてさえ強い事がバレちゃうから、改めて0.1%まで力を抑える羽目になった(^^;
しかし、本来であれば力を抑える事も難しい行為で、0.1%に抑えるなんてひと苦労……のはずが、こいつを身に付けているとすんなり出来る。
能力値として表れる数値だけで無く、俺自身のあらゆる能力が10倍くらい強化されている感じだ。
例えば、力を抑える事だけで無く、物質体に入ったままでは三重詠唱にも苦労したが、アストラル体となればすんなり三重詠唱も可能だった。
こいつを身に付けていると、物質体のまま三重詠唱も苦にならない。
ただし、さすがに四重詠唱までは届かなかった。
未だ、記憶再生のマニュアル発動は不可能だ。
試した事は無いが、もしかしたらアヴァドラスからも隠れられるようになっているかもな。
……ま、それでもあの悪魔たちには遠く及ばない。
喩えとして闇孔雀を65535と評したが、壁を越えた俺が仮に1000だったとして、10倍してもようやく10000。
その1000にしたって、クロが全身全霊を込めて放ち動けなくなるほどのファイアーブレス並みの力を俺が発揮出来たとして、の1000だ。
実際には、1000にも届かないだろう。
壁を越えた者の9999ってのは、あくまで上限の話であって、実際には壁の手前の上限999だって、壁を越えただけで到達出来る境地では無い。
壁を越えた者が何百年、何千年と掛ければ上限999すら超えられる、と言う話。
実際には、あの時のクロの一撃がこの世で唯一999を越えた一撃だったのではなかろうか。
それほどの差を表現する為の65535と言う馬鹿げた数字であって、八百万と同じであくまでも多いとか高いとか、実際の数字では無くそう言う意味に過ぎない。
10倍されて10000になれたとしても、相手は65535。
力が増すのは良い事だが、そこまで意味は無いな。
ちなみに、ステータスを見ると、装備欄に装飾品として闇の神の欠片と表示されている。
これは、俺がこいつを闇の神の欠片と認識しているから、この名称なのだろう。
アーデルヴァイトの理に登録があれば、この神自身の名前が表示されるはずだもんな。
神代の時代の闇の神だから、神々の創世によって上書きされた、神々の理の中に名前が刻まれていないのかも知れない。
名も無き光の神と同様、この闇の神自身がすでに自分の事を覚えていない、なんて事もあるのかもな。

時間を掛けて色々検証した結果、今は闇の神の欠片と言うマジックアイテム扱いで落ち着いた。
闇の神の欠片が目覚める様子も無いし、普段の生活にも問題無いし、ちゃんとライアンと一緒に眠れるようになった(これ大事(^^;)。
ライアンと一緒に眠っている時は、完全に気を許して熟睡している。
それでも悪さをする事が無いんだから、もう安全だろう。
そんなこんなでひと月ほど経過していたが、この頃にはライアン大司教の視察の話が持ち上がっており、9月となると一番暑い時季なので、少し涼しくなるのを待って今、視察にかこつけた家族旅行中なのだった。
本来は主要都市だけを回る予定であったが、その途中にある小さな村や町にも立ち寄る事になる。
大司教としてのお披露目など乗り気で無いライアンが、生活が苦しくオルヴァまでお参りに来られない貧しい人々の下へも赴くなら請ける、と条件を付けた為だ。
それならいっそ、観光地も巡って家族旅行にしましょ、と俺が提案し、今回の旅となった。
ライアンは勘付いていると思うが、俺がそう申し出たのは、警備の為である。
勇者ライアンを狙う者などほぼいない、とは思うが、一応特例で4人目の大司教へと出世したライアンを狙う可能性ならあると思うので、騎士団長ベルディ、引退させたとは言え凄腕盗賊でもあるエルダ、そして妻として俺が傍にいれば、これ以上の警備体制は無いからな。
……Lv50の壁の向こうにいる聖騎士であるライアンを傷付けられるモノなどそうそういないし、そんなモノがたかが権力争いに加担するとも思わないけどな。
でも、仕方無いだろ。
強い弱いに関わらず、好きな人の身はいつだって心配なんだ。
……いつも危ない真似ばかりする俺の方が、ライアンに心配掛けまくっているけども(-ω-)
と言う事で、たっぷり時間を掛けてオルヴァ国内を回る事になったから、視察が終わる頃には、移住第二陣の送り迎えが始まってしまいそうだ。
今年は予定が詰まっていて、身動きが取れそうも無い。
わくわく、そわそわする気持ちは、来年に持ち越しとなりそうである。
名も無き光の神からは、他にも色々話を聞いた。
う~ん、知的好奇心が疼くぜ。

4

そして、年が開け神聖暦10712年01月。
当面の予定も片付き、新年行事も一段落付いた15日。
俺はようやく、新たな未知への旅に出立する事にした。
まずは、中継地となる古代竜の島を目指す。
闇の神の欠片の影響で全ての能力が10倍になった、とは言ったが、新型フライのスピードまで単純に10倍、時速3000kmとは行かない。
新型フライは、俺自身が飛んでいるのでは無く、風の精霊に飛ばして貰っているからな。
だから、飛行速度は今まで通り。島まで、1日は掛かる。
もちろん、アストラル転移すれば一瞬だ。
体は後から招喚出来るので、俺は事実上、どこへだって短時間で行ける。
が。
俺は今、空っぽの物質体が闇の神の欠片を装備している状況を避ける為、アストラル転移は封印している。
すっかり大人しいから大丈夫なのかも知れないが、アストラル体を抜いた途端、体を奪われては堪らない。
相手は神。念には念を入れて。
ただ、俺流不老不死を維持する為に体から抜け出す必要はあるので、1日1度は闇の神の欠片を首から外し、その上で枷である物質体から抜け出してアストラル感知で闇の神の気配を確認。
何事も無ければ体に戻って首に掛け直す。と言う作業を、新しく日課に加えた。
闇の神の欠片を装備している間アストラル体で行動する事は出来無いので、今一番早い移動方法は新型フライと言う事になる。
……だから今回の旅では、夜になったら家まで帰ってライアンと一緒に過ごす、と言う事が出来無い(TДT)
……その所為で、中々出発する踏ん切りが付かなかった(^Д^;
とまぁ、そんな話は脇に置いておいて、まずは1日掛けて古代竜の島へ。
西の海で確認が取れている陸地は、古代竜の島しか無いからだ。
一度島で休んで、それから未知の空へと飛ぶ事にする。
そう、俺は島からさらに西へ飛ぼうと思っている。
それすなわち、海の向こうを目指すと言う事だ。
名も無き光の神からは、色々な話を聞いた。
残念ながら、成層圏、さらにその先の話は聞けなかった。
記憶も朧気だが、どうやら知らないようだ。
創造神が最初に創世し、その後神々がそれを基に創世を続けたが、全ての神々が創世に関わった訳では無い。
この光の神は、創世を司るタイプの神では無かったようだ。
空の上については知らなかったが、海の向こうの事は知っていた。
海の向こうには……もうひとつのアーデルヴァイトが存在する。
この世界は、アーデルヴァイト大陸の裏にほぼ同じ形の大陸を擁する、表裏一体の世界。
だが、神々はこちら、表のアーデルヴァイトにおいて、創世を行っていた。
創世の影響はあちら、裏のアーデルヴァイトにも同じように現れていたそうだが、当初は直接管理されていなかった。
表のアーデルヴァイトで戦いが始まると、一部の神々は戦線の広がりと共に裏のアーデルヴァイトへも移動したようだが、この光の神は戦いの最中、海に沈んでそれっきりだったから、現在のアーデルヴァイトについて表も裏も知らない。
ただ、そこにもうひとつ大陸がある事だけは知っていた訳だ。
何があるか判らない、何も無いかも知れない、そんな状況で無理をするのはリスクが高いが、在ると知って臨むならこの挑戦には意味がある。
進み続ければ、必ず辿り着けるのだ。
裏のアーデルヴァイトに。

表裏一体、と言う事なので、推測では西の海は最大でも3000km程度だと思われる。
これは、目測でアーデルヴァイトの南北の距離が6000km+α(魔界、エルムス)、東西の距離が3000km、真裏にも同じ大陸があると仮定した場合、表のアーデルヴァイトの西の海1500km、裏のアーデルヴァイトの東の海1500kmを合わせると3000km、と言う計算だ。
ただ、地球と同じように球形をしている場合、その距離はもっと伸びるのかも知れない。
それでも、新型フライなら3000kmを約10時間で飛べるのだ。
倍の6000km飛んだとしても1日程度。
今の俺なら、大して問題は無い。
ただ、途中で降りられる大地があれば助かる。
いざと言う時、空は上がれる高度に限りがある。
今は、アストラル体として行動するのも封印中。
となると、嵐に見舞われたなら、やはり一度島に降りて、嵐をやり過ごしたいものである。
実際に西の海に島があるかどうかは判らないので、最後の島となるかも知れない古代竜の島で英気を養うのは、重要な事である。
「……と言う事だから、今日は泊めて頂戴。」
「……どう言う事だよ。」と冷静に突っ込むクロ。
さっきまでの解説は、俺が頭の中で行っていたこれからについての確認作業であって、クロへの説明では無いからな。
「と言うか、泊まるも何も、ルージュひとりなら一瞬で家に帰れるんじゃないのか?」
「そうなんだけどね。ちょっと事情があって、今、アストラル転移は封印中なの。ここまでだって1日掛けて飛んで来たのよ。だから、今夜の寝床はここで確保したいんだけど……構わないでしょ、ドルドガちゃん。」
「……大恩あるルージュ様の願いとあれば是非もありませんが……、その呼び方は止めて頂きたい。」
そう渋い顔で答えるのは、見た目小学校低学年くらいの男の子に見える、ドルドガヴォイドである。
さすが古代竜の長老、体は子供でもすぐに人間への変化は出来た。
ただその姿は、体の年齢に見合った姿だったのだ。
「ふふ、ごめんなさい。可愛らしい姿だから、つい、ね。」
「確かにな。もう爺ぃって感じじゃ無ぇよなぁ、お爺ちゃん。」
「はぁ……、ガルドがお爺ちゃんと呼んでくれるのは以前よりマシだが、お爺ちゃんらしい姿になれるのはいつになるのやら。」
「古代竜の成長なんて私には判らないけど、成竜の姿になれるまでの辛抱でしょ。クロはまだ1000年生きていないって言っていたから、数百年の辛抱なのかしら。必要な能力はすでに身に付いている分、クロよりも早く成竜の姿になれると思うし。古代竜にとっては、あっと言う間でしょ。」
可愛らしい子供の姿で、腕を組んで難しい顔をするドルドガヴォイドは、やはり可愛らしい(^^;
「確かにそうですが……、何故でしょうね。急に成長を遂げたガルド。父祖よりも強いルージュ様との邂逅。そして、そのルージュ様をも上回る悪魔の降臨。立て続けにこの1万年の間無かったような大きな出来事が起こり、このような姿となった今、今までよりも時間の密度が濃くなったような気がします。時間とは、実際の長さよりも、その中で何があったかにこそ意味がある。どうも、あっと言う間に大人になれる気がしません。今この時、子竜である我が身の心細さよ。」
……判る気がする。
えぇと、今は神聖歴10712年だったな。
この世界に来て、まだたったの12年。
しかし、俺が現世で生きたおよそ50年よりも、遥かに濃密な12年だった。
招喚前の時点で、すでに10代、20代の頃の自分が他人にしか思えなかったが、今では日本で生きていたユウと言う人間は完全に別人だ。
これからの時間は、それまでの時間よりも濃いものとなる……。
いや、もしかしたら、それが当たり前なのかもな。
今はもう忘れてしまった若い頃も、その時その時の“今”が一番濃密だったのかも知れない。
歳を取って気が萎えると、つい惰性で毎日を過ごしてしまうだけで。
俺もドルドガヴォイドも、気が若返ったと言う事かもな。
「若返ったのは、体だけじゃ無いのかも知れないわね。もう一度人生を謳歌する。そう考えれば、悪くは無いでしょ、子竜だって。」
「ふむ……、そうかも知れませんな。いっそ長老職を辞して、若者として生き直すのも面白い、か。」
「……良く判んねぇな。お爺ちゃんはお爺ちゃんだろ。それに、俺なら子供になるなんて御免だけどな。」
クロが子供に戻る事と、俺たちが若返る事は、全く意味合いが違うからな。
俺たちだって、今までの経験を奪われて子供にされるのは嫌だぜ。
「それで、ルージュ。今日泊まるのは構わないが、何か用でもあったのか?移住の方は一段落付いたんだろ。」
「えぇ、そっちはもう終わり。今度は私自身の冒険よ。覚えてる、クロ?初めて島へ渡る時、貴方に聞いたでしょ。島より西の海には何があるの?、って。」
「あぁ、そう言えばそんな事言ってたな。あの時も言ったが、西に飛んだって何も……、って、まさか!?」
「そ、そのまさかよ。明日の朝早く、西に向かって飛ぶわ。」
それを聞いて、顔を見合わせる古代竜ふたり。
「だけど、何も無いんだぜ、そっちには。」
「ルージュ様、何故そんな事を?」
「……貴方たち古代竜には、好奇心ってものが足りないわ。それにね、何も無くなんて無いの。私はそれを、確かめに行くのよ。」
そう、そこに未知の新大陸があると聞いて、じっとなんかしてられない。
それに、1000年を生きるなら、飽く無き探究心くらい持たなくちゃ、きっと退屈しちゃうだろ。

5

翌早朝、俺は晴天に恵まれた西の空へと飛び立った。
最短飛ばせば1日の距離だと思うが、途中安全に降りられる島があるかは判らない、天候が持つかも判らない。
さらに、地球同様丸かった、結果もっと時間が掛かった、となれば、1日では足りないかも知れない。
そこで、大事を取って陽が昇ってから飛び、陽が落ちたら島へ降り、途中で休息を取りながらの移動とした。
食事は、1日1回、夕食を携帯食で済ませる。
気軽にアストラル転移出来た時は毎日帰宅していたけど、元は冒険者、出先で獲物を狩ったり携帯食で済ませるのにも慣れている。
今回は、長く見積もっても数日だから、携帯食で簡単に済ませた。
途中、面白い島を見付けた。
島だと思ったら、実は大きな生き物の背中だった、と言う、お伽話で良くあるあれだ。
ただ、アストラル感知があるから、事前に判ってサプライズにならないんだけどな(^^;
その生き物は全長200mほどもある大亀だったが、全長1kmもある蛸魚を見た後だけに、インパクトも弱い(^Д^;
とは言え、他では見られない面白い風景が、海上には広がっていた。
未知への冒険は、やっぱり楽しい。
天候が崩れる事も無く、飛行は順調で3日目の昼には陸地が見えた。
いよいよ、裏アーデルヴァイトへ上陸となる。

まぁ、アストラル感知があるので、こちらでも実際に上陸する前に少し判った事がある。
どうやら、裏アーデルヴァイトの支配者は、人間族では無いようだ。
違う歴史を辿った以上、違う種族が繁栄していても不思議は無いが、少し意外だった。
最初に発見した港町。
ここの住人の多くを占めるのが、神族、そして魔族であったのだ。
その気配から、神族と魔族の戦場となっている、訳では無いと判る。
どうやら、神族と魔族が共存しているようなのだ。
神族魔族と比べると、人間、エルフ、ドワーフ、ホビット、グラスランダーたちの数は少ないようだ。
随分と、表アーデルヴァイトと事情が違う様子である。
視覚拡張で見てみれば、建物の大きさが人間たちの建物の倍ほどもある。
これは、エルムスの建物と同じ傾向だ。
つまり、やはり神族たちは4m程度の巨人なのだろう。
しかし……その建築様式は、どちらかと言えば近世に近いのではないだろうか。
エルムスは古代と言った風情であったし、表アーデルヴァイトは中世的だ。
現代とまでは言わないが、中世よりも進んでいるような気がする。
現世で、多少見慣れていた建物に、雰囲気がどこと無く似ている。
郊外には人間族ばかりが目立ち、その姿は強制労働に従事する奴隷のように見える。
他に目にするのはドワーフかグラスランダーで、彼らは裕福そうには見えないものの、奴隷然ともしていない。
どうやら、人間族の扱いが特に悪そうだな。
郊外に神族魔族の姿は確認出来無かったし、取り敢えず街へと赴いてみよう。
そうすれば、もう少し詳しい事が判るだろう。

街へ近付きしれっと紛れ込んでみたものの、俺は大分目立つようだ。
奴隷と見紛う姿の人間ばかりで、給仕仕事をしている人間族にしても、かなりみすぼらしく見える。
彼らは満足に身繕い出来ておらず、それに対し輝く金髪にナチュラルメイクの綺麗な顔立ち、チュチュがデザインに凝った仕立ての良いボディコンワンピースと、それに包まれた出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるスタイルに、鍛え上げられた美しい肢体。
そんな俺の姿は、美し過ぎて逆に目立つ(^^;
向こうでも人目を惹く方だったが、こちらではあり得ない姿の人間族と映るようだ。
人間族よりは身綺麗にしているエルフであっても、そこまで上等な身なりでは無い。
人間族が奴隷、下働き並みなら、エルフたち他の亜人種は下層民的な扱い。
街を闊歩し貴族のように着飾っているのは、神族と魔族に限られた。
ふ~む、しかし、神族と魔族が仲良く暮らし、一緒にカフェでお茶している姿は、何とも違和感のある光景だ……。
違和感、と言えば、先程から感じているこの違和感は何だろう。
もちろん、向こうとこちらの種族たちもそうなのだが、それとは別に、空気感と言うか、こちらの世界そのものに違和感を覚える。
何かが違う、決定的に。
そこで、街中では目立つ事もあり、ステルス状態で上空へと退避してみた。
上空から見渡せば、その違和感に気付けるかも知れない。
……こちら側でも、同じように風が吹く……、いや、同じか?
……、……、……精霊が少ない。
アーデルヴァイトは物質界、精霊界、アストラル界の三界に分かれており、精霊界は他の世界と隣り合っている。
精霊たちは、精霊界に身を置きながらも、気紛れに、気楽に、当たり前のように、物質界へも顔を出す。
物質界のあらゆる場所で、精霊たちの姿を視る事が出来る。
こちら側にも、精霊たちはいる。
しかし、その数が圧倒的に少なく見える。
物質界と精霊界は位相が少しだけずれているだけで、同じ場所に存在しているに等しい。
だから、正確には精霊たちはいるのだが、物質界に顔を出している精霊が少ないのだ。
普段、特に喚び掛けなくても俺の周りには風の精霊がまとわりついて遊んでいる事が多いが、こちらでは精霊界側に潜んで顔を出して来ないのだ。
何故、精霊たちはこちら側には遊びに出て来ないのか……。
……、……、……そうか、マナだ。
マナが薄い気がする。
特に強く影響を感じるほどでは無いが、善く善く集中してみると、マナ濃度が希薄に感じる。
もちろん、場所によって違いはあるものだが、あくまで俺の感覚的な目測として、あちら側の平均を1とした時に、薄い場所でも0.9を下回る事はまずあるまい。
俺が結界でマナを吸収し、結界内のマナ濃度を上げたりする時も、数値化するなら1→1.1にする程度。
その程度の違いでも、充分大きな変動と言う事だ。
それを踏まえ、今感じるマナ濃度は0.7くらい。
目に見える影響が無いとは言え、数値化してみるとその異常性が際立つ。
この街がそうなのか、こちら側全般そうなのか、それはまだ判らない。
しかし、永い時間薄いマナの中で暮らしていれば、何らかの影響は出そうだよな。
もしかしたら、俺が考える以上に、こちら側の種族と向こう側の種族は違っているのかも知れない。
さて、どうしたものか……。
取り敢えず、酒場でも探すか。
神族魔族と接触するのは後に回し、まず亜人種たちから話を聞いてみよう。
神族魔族が来ないような場所に、彼らの憩いの場くらいあるだろう。

6

スラムのような一画は、神族魔族が滅多に来ない為か、建物のサイズも人間サイズだった。
人間族も実際に奴隷な訳では無く、最下層民ではあっても仕事の対価は支払われるようで、人間族同士が利用する露店や安酒場はあった。
エルフ、ホビットは魔法的な、ドワーフ、グラスランダーは技術的な、職人階級として働く事が多いようで、それなりの暮らしをしているようだ。
俺は、エルフやドワーフたちが暮らす区画の酒場へ入った。
正直、こちら側の人間族には、何も期待出来そうに無い。
奴隷では無いと言ったが、最下層民から這い上がれる見込みも無いのか、完全に目が死んでいる。
神族に庇護される前の人間族は、数も多く無ければ力も弱く、魔法も満足に扱えない最弱種族だった。
こちら側が違う歴史を辿り、神族の庇護を受けていないとすれば、人間族はその力に見合った立場を強いられ続けて来たのだろう。
多分こちら側では、最弱種族の中から勇者や英雄の類が生まれる。そんな夢物語すら存在しないのだ。
他の亜人種たちは向こうとそう変わらないが、随分柄は悪かった。
神族魔族に頼りにされて、職人として充実した生活を送っている……と言う訳じゃ無さそうだ。
あくまでも、神族魔族に他の種族は支配されており、今の境遇に甘んじているに過ぎない。
その鬱憤を晴らすように、味わう為で無く酔う為だけに、酒を呷るのだ。
向こうでも、スラムの酒場は似たようなもんだった。
下卑た男どもの、卑猥なちょっかいすら懐かしい。
そうして粉を掛けようとしたエルフ男を軽くいなして、金袋をスリ盗ってやった。
悪さしようとした馬鹿な男から慰謝料代わりに頂いて、それで支払いをしようと言う訳だ。
何故なら……案の定、硬貨が違う。
袋の中身は銀貨と銅貨だが、向こうの物とは明らかに違う。
まぁ、そもそも、向こうの硬貨が小さめだったからな。
神の名の下に価値が担保されているから、硬貨自体は値段分の価値が無い仕様だった。
こちらの銀貨、銅貨は、あちらと比べれば1枚1枚が大きめだ。
500円硬貨くらいはあるな。
さて、これで元手も出来た事だし、情報収集を始めますか。

結局、下心丸出しの男どもに奢らせて、銅貨1枚すら使わずに色々話を聞いた。
ちなみに、酒も飯もそこそこ美味かった。
まず通貨。信用出来る組織が存在しないので、硬貨自体がその価値を担保しなければならない。
つまり、1枚の銅貨には銅貨1枚分の価値を担保する銅が使われており、1枚の銀貨には銀貨1枚分、1枚の金貨には金貨1枚分、それぞれ硬貨自体に価値がある。
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚と言うのは一緒だった。
亜人種にとっては大き過ぎて嵩張るが、神族魔族から見れば硬貨が小さいくらいだから、問題無いようだ。
物価的には、ここがスラムである事を差し引いても、少し高いな。
それと、少し気になる事も聞いた。
エルフの魔導具製作技術者たちの話によれば、大分前から徐々に魔法の力が弱まっているそうだ。
エルフの父祖たちから語られている話だから、期間としては数千年単位の話ではあるが、昔と比べると魔導具の品質も落ちていると。
……これは、マナ濃度の低下と関係ある話だろう。
どうやら、昨日今日、この辺だけと言った、限定的な現象では無さそうだ。

こちら側最大の特徴は、力が支配する世界だと言う事だ。
貴族と言う概念はあるものの、その地位は力で勝ち取るのだ。
この国は、ガイドリッドと言う神族の男と、ヴェールメルと言う名の魔族の女が支配している。
このふたりは夫婦で、最強の神族と最強の魔族が手を組み、もう数千年支配を続けているそうだ。
神族と魔族の間には子供が出来にくい為、ふたりの間に子供はいない。
それぞれ側室を設け、それぞれの子供たちが国の要職を固めている。
しかし、その地位は血縁で得たものでは無い。
それぞれの子供たちの中には、戦いに敗れ死んだ者も数多く、権力争いと言う実戦の中で生き残った者たちが、結果的にガイドリッド、ヴェールメルの血縁者ばかりとなった形だ。
神族魔族は長命種だ。
このふたりは、ずっと最強だから王の地位を守り通している。
ふたりで王を務める国は珍しいようだ。
本来であれば、自分ひとりで支配したがるのが常。
だが、神族は暗黒属性に弱く、魔族は神聖属性に弱い。
それは、神代の頃から変わらない。
ひとりで最強を維持しようとしても、いつ相性の悪い挑戦者が現れるか判らない。
だがこのふたりは、助け合う事で相性の悪い相手を退ける事が出来る。
まぁ、それはあくまで結果論で、ふたりは愛し合って結婚したそうだが。
それぞれの子供たちも、互いを助け合う両親を倒す事は叶わず、その配下に甘んじていると言う事だ。
ここ、ガイドリッド=ヴェールメル王国は、数千年の歴史を誇るだけに、かなりの大国らしい。
そんな歴史ある大国ですら、力で地位を勝ち取るのだ。
こちら側では、それが当たり前なのだ。
この港町アントンスィンクを治める地方領主、ベルメルコとウォーリーヴーマーも王の子供たちで、神族と魔族のコンビだ。
国境線から遠く滅多に戦闘など起こらない比較的平和な街なので、このふたりは子供たちの中では然程強くないそうだが。
それでも、その地位を脅かそうと下剋上を狙う部下たちは後を絶たないので、相対的には充分強いと言う。
裏アーデルヴァイトには、そんな大国がいくつかあって、しかし多くはひとりの支配者が小さな領国を抱えて隣国と領土争いを繰り返す、戦国状態である。
強さこそが絶対的価値観故、己を鍛え続け軍備を揃え、他国と争いながらも、時に自軍の中から己を脅かす者が現れる、戦いの絶えない世界。
数少ない大国は比較的平和だが、それ以外の国ではこの街の人間族の生活すらマシと思えるような、荒廃した世界が広がっているそうだ。

神族と魔族が支配階級で、彼らは同格だ。
どちらも4mからの巨人であり、強靭な肉体と魔法の力を有し、他の亜人種たちと強さの桁が違う。
そう、あくまで彼らが支配階級なのは、その強さ故である。
屈強なドワーフでも力で敵わず、魔法種族たるエルフとホビットも魔法力で敵わない。
いくら手先が器用で素早いとは言え、それだけでグラスランダーが敵うはずも無く、最弱種族は言わずもがな。
結果、支配階級である貴族は皆、神族と魔族なのである。
さすがに、歴史、神話と言った類の話は聞けなかった。
力が全てな上、その力で神族魔族が他の種族を圧倒、且つドワーフ、ホビットで数百年、エルフで1000年生きられない中、神族魔族は数千年を生きる。
偶然特別優れた伝説の魔法使い、伝説の戦士がエルやドワーフには生まれたかも知れないが、彼らが小さな領国を護り切れるのも、その伝説たちが生きている間だけ。
最強の神族魔族は、仮に一時そのエルフやドワーフに手を焼いたとしても、1000年待てば勝手に死ぬ。
神族魔族以外は、国すら維持出来無い。
だから現状、職人階級として生かされている亜人種たちには、余計な知識は与えられない。
ましてや、奴隷同然の人間族に至っては、教育すら必要とはされない。
そこから這い上がる事など、不可能であろう。
余程巧妙に隠された隠れ里などはあるのかも知れないが、基本裏アーデルヴァイトは神族魔族が力で支配する修羅の国。
知識を持ち得るのは、神族魔族だけだな。
仕方無い。それじゃあ、会いに行こうじゃないか。
取り敢えず、この街の支配者たちに。
何だったら、俺が力で支配しちゃおうか(^^;

つづく
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