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第4部 大いなる実践的な秘密、または、知の実現
第4部 第2章 若さを保つ方法と、若返りの方法。カリオストロの秘密。復活の可能性。復活者ギヨーム ポステルの例。ある奇跡を起こす労働者の話
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第4部 第2章 若さを保つ方法と、若返りの方法。カリオストロの秘密。復活の可能性。復活者ギヨーム ポステルの例。ある奇跡を起こす労働者の話など。
酩酊しないで、適度に仕事をする、完全に規則正しい生活の人は、たいてい長生きできる、事は知られている。
ただし、エリファス レヴィの考えでは、長生きは、老年の延長に過ぎない。
エリファス レヴィが話している魔術の知から、老年の延長、以外の特権や秘密について尋ねる権利が読者には有る。
長く若くいる事、または、若返る事は、多数の人には、望ましい大事な事に思われるであろう。
長く若くいる事、または、若返る事は、可能なのか?
長く若くいる事、または、若返る事は、可能なのか? 調べよう。
高名なサンジェルマン伯爵は死んだ、事は疑わない。
しかし、サンジェルマン伯爵が老いて行く姿を見た人はいない。
サンジェルマン伯爵は、常に40歳に見えた。
名声が絶頂の時に、サンジェルマン伯爵は、80歳を超えている、と話している。
ニノン ド ランクロは、老年の時でも、未だに若く美しく魅力的な女性であった。
ニノン ド ランクロは、老いずに、死んだ。
高名な手相占い師Desbarrollesは、長い間、35歳に見えている。
もしDesbarrollesが自分の出生証明書を大胆にも見せたら外見年齢とは全く異なる実年齢が記されているであろうが、誰も信じないであろう。
カリオストロは、常に同じ年齢のままに見えた。
カリオストロは、少しの間だけ若返る、若返り薬エリクサーを持っていると話していただけではなかった。
「魔術の歴史 第6巻 第2章」でエリファス レヴィが詳しく説明して解析したカリオストロの方法で、カリオストロは、肉体の復活が可能であると自ら誇っていた。
カリオストロとサンジェルマン伯爵は、若さを保てた原因が、万能薬の存在と利用であるとしていた。
非常に多数のヘルメスの錬金術師達は、空しくも、万能薬を探求した。
16世紀の秘伝伝授者である、善良な学の有るギヨーム ポステルは、ヘルメスの錬金術の大いなる秘密を所有しているとは話さなかった。
それにもかかわらず、老いた衰弱した姿が見られた後に、ギヨーム ポステルは、しわの無い、輝く色艶の顔と肌、黒々とした髭と髪、生き生きとした力強い肉体という姿で再びあらわれた。
ギヨーム ポステルへの敵対者は、ギヨーム ポステルが化粧をして髪も黒く染めた、と誤って主張した。
なぜなら、他人を笑いものにする人や似非学者は、自分が理解できない現象に対して、何らかの説明を見つける必要が有る。
大いなる魔術の、肉体の若さを保つ方法とは、「最初」の生き生きとした感情と思考を大事に保って、魂を老化から守る事である。
堕落した大衆は、「生き生きとした感情と思考」を妄想と呼んでいる。
エリファス レヴィは、「『最初』の生き生きとした感情と思考」を「永遠の真理の『最初』の幻想」と呼ぶつもりである。
地上で、幸福、友愛、思いやり、人の歩みを全て数えていてくれて人の涙に報いてくれる母性的な神意を信じている人を、堕落した大衆は、完全にだまされている人である、と誤って話すであろう。
堕落した大衆は、魂の全ての喜びを失くしている自分は強い者である、と誤って思い込んでいる自分こそ、だまされている人であると理解していない。
心の善良さを信じる事は、心の善良さを所有する事に成る。
そのため、マタイによる福音18章で、世界の人々の救い主イエスは、神の王国を幼子の様な者に成った人に約束した。
幼子の様な者とは、何者なのか?
幼子の様な者とは、信じる時期の者である。
幼子は、人生について未だ何も知らない。
そのため、幼子は、不滅の確信という光を放って輝いている。
幼子は、母の腕の中で、献身、思いやり、友愛、神意の愛を疑えるか? いいえ! 幼子は、母の腕の中で、献身、思いやり、友愛、神意の愛を疑えない!
心で幼子の様な者に成りなさい。
心で思いやりや神意を信じなさい。
そうすれば、肉体を若いまま保てるであろう。
美しさと善良さにおいて、神の実体や、自然の実体は、全ての人の想像を、無限に超越している。
そのため、この世が嫌に成っている人は、幸福に成る方法を知らない人である。
この世に幻滅している人の嫌悪は、この世に幻滅している人が、濁った流れの水で酩酊しているだけである事を証明している。
肉欲の快楽を楽しむためにすら、人は倫理道徳的な感覚を持つ必要が有る。
人生を中傷する人が、人生を濫用しかしていないのは確かである。
すでに証明した様に、高等魔術は、人を、最も清らかな倫理道徳の法へ導いて戻す。
ある達道者は、「神聖なものを見つけるか、神聖な者に成るか、である」、「神聖なものを見つけるか、神聖な事を為すか、である」と話している。
なぜなら、「幸福に成るためには、この世ですら、人は、神聖な者に成る必要が有る」と高等魔術は理解させる。
神聖な者に成る!
言うのは簡単である。
しかし、どの様にして、もう信じていない人に、信心を与えるのか?
どの様にして、悪徳によって「塩味」を失くした心に、徳という「塩味」を取り戻すのか?
(マタイによる福音5章13節「塩気」、「塩味」)
「知、大胆さ、意思、沈黙」、「知る、大胆に行う、思う、沈黙を守る」、「知るために考える、大胆に行う、思う、沈黙を守る」という知の4つの言葉を、人は頼る必要が有る。
人は、嫌悪を抑えて、義務を学び、好んでいるかの様に義務を実践する必要が有る。
あなたは不信心者であるが、キリスト教徒に成る事を望んでいるのか?
それならば、キリスト教の儀式を行いなさい。
キリスト教の言葉を用いて、規則正しく定期的に祈りなさい。
秘跡を信じているかの様に、秘跡に近づきなさい。
そうすれば、いつの間にか、あなたは、キリスト教を信じているであろう。
「行動する事によって、行動に対応している概念を得る」事が、イグナチオ デ ロヨラの「霊操」が含んでいる、イエズス会の秘密である。
同様にして、愚者は、知を忍耐強く望めば、賢者に成れるであろう。
魂の習慣を変える事によって、人は、肉体の習慣を変える事ができる、のは確かである。
すでに話した様に。すでに方法を説明した様に。
特に、人を醜悪にして、人を老化させる物は、何であるか?
人を醜悪にして、人を老化させる物は、憎悪と恨みである。
人を醜悪にして、人を老化させる物は、他人について行う好意的ではない判断、裁きである。
人を醜悪にして、人を老化させる物は、虚栄心を傷つけられて怒る事、虚栄心を傷つけられて逆恨みする事である。
人を醜悪にして、人を老化させる物は、満たされない肉欲である。
思いやり深い哲学は、人を醜悪にして人を老化させる全ての悪を予防してくれる。
もし人が隣人の欠点に目をつぶり、隣人の美点だけを考えたら、人は普遍に善や善良さと思いやりや善行を見つけられるであろう。
最悪な人にも良い面は有る。
そのため、人が、最悪な人の良い面を理解する方法を知ると、最悪な人は悪を和らげるであろう。
もし、あなたに悪人と共通点が無ければ、悪人の悪い所に気づく事すらないはずである。
あなたにも悪い所が有るので、悪人の悪い所に気づくのである。
友愛と、友愛が鼓舞する献身は、牢獄ですら見つかる。
フランスの恐怖の犯罪者ラスネールは、借りた金を誠実に返し、頻繁に寛大な優しい行いをした。
盗賊ルイ ドミニク カルトゥーシュと盗賊ルイ マンドランの犯罪者人生の中にも涙を誘う善行が存在した事を疑わない。
完全な悪人も、完全な善人も、存在しない。
マタイによる福音19章17節で、最も善人である主イエスは、「善い者は、神だけである」と話している。
多くの場合、人が徳への熱意と呼んでいる自分の美点は、高飛車な隠れた自惚れ、隠れた嫉妬、矛盾に満ちた傲慢でしかない。
次の様に、神秘的な神学者は話している。
「明らかに無秩序な者や恥ずべき罪人を見た時は、神が、私達よりも、大きな試練を罪人たちに受けさせている、と信じよう。
また、確実に、または、少なくとも十中八九、私達は、罪人たちよりも、劣悪である、と信じよう。
また、私達が罪人たちの立場に立っていたら、私達は、罪人たちよりも、悪い事を多数しているはずである、と信じよう」
平和! 平和!
平和は、魂の無上の幸福である。
平和を人に与えるために、イエス キリストは、この世に降臨した。
ルカによる福音2章14節で、救い主イエスが生まれた時に、天使達は、「無上の高みでは、神に栄光あれ! 地上では、神の御心に適う人に平和あれ!」と叫んでいる。
初期のキリスト教の古代の教父達は、悲しみを、8番目の大罪、8番目の死に至る大罪に数えていた。
実際、真のキリスト教徒にとっては、後悔や良心の呵責ですら、悲しみではない。
後悔や良心の呵責は、慰めであり、喜びであり、勝利である。
「私は、悪を望んでいたが、もう悪は望まない。
私は、かつて死んでいたが、これからは生きている」
ルカによる福音15章で、放蕩息子の父は、放蕩息子が(父の所に、神の所に、善に)戻ったので、肥えた子牛を屠って祝った。
放蕩息子の悔い改めを父が受け入れてくれた時、放蕩息子に何ができるであろうか?
放蕩息子の悔い改めを父が受け入れてくれた時、放蕩息子が困惑して涙を流すのは、疑い無い!
ただし、放蕩息子の悔い改めを父が受け入れてくれた時、放蕩息子は、何よりも、喜ぶであろう!
この世には、罪と狂愚という、唯一の悲しい物が存在する。
私達は、罪と狂愚から解放されたのだから、微笑み、喜びの声をあげよう。
私達が神とイエスに救われたので、天で私達を愛している者達は全て喜ぶ!
人は、全て、死の原理と、不死の原理を心の中に抱いている。
死は、獣である。
(獣は、肉欲の例えである。)
常に、死という獣は、非人間的な狂愚をもたらす。
神は、狂人、愚者を愛さない。
なぜなら、神の精神は、知の精神と呼ばれている物である。
狂愚は、受難と奴隷としての労苦によって、狂愚の罪をつぐなう。
棒は、獣のために創造された。
棒は、動物的人間のために創造された。
常に、苦しみは、警告である。
「苦しみは、警告である」と理解していない人には、苦しみは、より一層、悪く成ってしまう。
自然が手綱を痛いくらいに引く時、人は正道から外れている。
人は道を踏み外している。
自然が鞭打つ時は、人に危険が迫っている。
苦しみについて熟考しない人には災いが有る!
人は、死ぬ用意が出来たら、悔い無く命を離れ、人に命を取り戻させようとさせる事は何ものにもできないであろう。
ただし、死が早過ぎる時は、魂は命を惜しみ、巧みに奇跡を起こせる人は、魂を肉体に呼び戻す事ができるであろう。
聖書には、復活に用いる必要が有る手順が記されている。
預言者エリシャと使徒パウロは復活に成功している。
死んでいる人を復活させたい人は、自分の両足を死んでいる人の両足の上に重ねて、自分の両手を死んでいる人の両手の上に重ねて、自分の口を死んでいる人の口に重ねて、死んでいる人を磁化する必要が有る。
それから、長時間、意思を全て集中して、できる限りの思いやりの思いを込めて、思いやりの有る全ての事を考えて、肉体から離脱した魂を意思に呼び寄せる。
もし、術者が、魂に、多数の愛情か、大いなる畏敬を吹き込めたら、もし、術者が魂と磁気的に交流している思考の中で、術者が「魂には未だ命が必要である」事と「魂には、下の『この世』で、幸福な日々が未だ用意されている」事を魂に説得できたら、魂が肉体に戻るのは確かであろう。
そして、ありふれた科学者にとって、外見の死は、昏睡状態に過ぎなく成るであろう。
女子修道院長ジャンヌは、ギヨーム ポステルを、昏睡状態の後に、復活させて、若返らせた。
そのため、ギヨーム ポステルは、「復活者ポステル」と名乗る様に成った。
以下略
酩酊しないで、適度に仕事をする、完全に規則正しい生活の人は、たいてい長生きできる、事は知られている。
ただし、エリファス レヴィの考えでは、長生きは、老年の延長に過ぎない。
エリファス レヴィが話している魔術の知から、老年の延長、以外の特権や秘密について尋ねる権利が読者には有る。
長く若くいる事、または、若返る事は、多数の人には、望ましい大事な事に思われるであろう。
長く若くいる事、または、若返る事は、可能なのか?
長く若くいる事、または、若返る事は、可能なのか? 調べよう。
高名なサンジェルマン伯爵は死んだ、事は疑わない。
しかし、サンジェルマン伯爵が老いて行く姿を見た人はいない。
サンジェルマン伯爵は、常に40歳に見えた。
名声が絶頂の時に、サンジェルマン伯爵は、80歳を超えている、と話している。
ニノン ド ランクロは、老年の時でも、未だに若く美しく魅力的な女性であった。
ニノン ド ランクロは、老いずに、死んだ。
高名な手相占い師Desbarrollesは、長い間、35歳に見えている。
もしDesbarrollesが自分の出生証明書を大胆にも見せたら外見年齢とは全く異なる実年齢が記されているであろうが、誰も信じないであろう。
カリオストロは、常に同じ年齢のままに見えた。
カリオストロは、少しの間だけ若返る、若返り薬エリクサーを持っていると話していただけではなかった。
「魔術の歴史 第6巻 第2章」でエリファス レヴィが詳しく説明して解析したカリオストロの方法で、カリオストロは、肉体の復活が可能であると自ら誇っていた。
カリオストロとサンジェルマン伯爵は、若さを保てた原因が、万能薬の存在と利用であるとしていた。
非常に多数のヘルメスの錬金術師達は、空しくも、万能薬を探求した。
16世紀の秘伝伝授者である、善良な学の有るギヨーム ポステルは、ヘルメスの錬金術の大いなる秘密を所有しているとは話さなかった。
それにもかかわらず、老いた衰弱した姿が見られた後に、ギヨーム ポステルは、しわの無い、輝く色艶の顔と肌、黒々とした髭と髪、生き生きとした力強い肉体という姿で再びあらわれた。
ギヨーム ポステルへの敵対者は、ギヨーム ポステルが化粧をして髪も黒く染めた、と誤って主張した。
なぜなら、他人を笑いものにする人や似非学者は、自分が理解できない現象に対して、何らかの説明を見つける必要が有る。
大いなる魔術の、肉体の若さを保つ方法とは、「最初」の生き生きとした感情と思考を大事に保って、魂を老化から守る事である。
堕落した大衆は、「生き生きとした感情と思考」を妄想と呼んでいる。
エリファス レヴィは、「『最初』の生き生きとした感情と思考」を「永遠の真理の『最初』の幻想」と呼ぶつもりである。
地上で、幸福、友愛、思いやり、人の歩みを全て数えていてくれて人の涙に報いてくれる母性的な神意を信じている人を、堕落した大衆は、完全にだまされている人である、と誤って話すであろう。
堕落した大衆は、魂の全ての喜びを失くしている自分は強い者である、と誤って思い込んでいる自分こそ、だまされている人であると理解していない。
心の善良さを信じる事は、心の善良さを所有する事に成る。
そのため、マタイによる福音18章で、世界の人々の救い主イエスは、神の王国を幼子の様な者に成った人に約束した。
幼子の様な者とは、何者なのか?
幼子の様な者とは、信じる時期の者である。
幼子は、人生について未だ何も知らない。
そのため、幼子は、不滅の確信という光を放って輝いている。
幼子は、母の腕の中で、献身、思いやり、友愛、神意の愛を疑えるか? いいえ! 幼子は、母の腕の中で、献身、思いやり、友愛、神意の愛を疑えない!
心で幼子の様な者に成りなさい。
心で思いやりや神意を信じなさい。
そうすれば、肉体を若いまま保てるであろう。
美しさと善良さにおいて、神の実体や、自然の実体は、全ての人の想像を、無限に超越している。
そのため、この世が嫌に成っている人は、幸福に成る方法を知らない人である。
この世に幻滅している人の嫌悪は、この世に幻滅している人が、濁った流れの水で酩酊しているだけである事を証明している。
肉欲の快楽を楽しむためにすら、人は倫理道徳的な感覚を持つ必要が有る。
人生を中傷する人が、人生を濫用しかしていないのは確かである。
すでに証明した様に、高等魔術は、人を、最も清らかな倫理道徳の法へ導いて戻す。
ある達道者は、「神聖なものを見つけるか、神聖な者に成るか、である」、「神聖なものを見つけるか、神聖な事を為すか、である」と話している。
なぜなら、「幸福に成るためには、この世ですら、人は、神聖な者に成る必要が有る」と高等魔術は理解させる。
神聖な者に成る!
言うのは簡単である。
しかし、どの様にして、もう信じていない人に、信心を与えるのか?
どの様にして、悪徳によって「塩味」を失くした心に、徳という「塩味」を取り戻すのか?
(マタイによる福音5章13節「塩気」、「塩味」)
「知、大胆さ、意思、沈黙」、「知る、大胆に行う、思う、沈黙を守る」、「知るために考える、大胆に行う、思う、沈黙を守る」という知の4つの言葉を、人は頼る必要が有る。
人は、嫌悪を抑えて、義務を学び、好んでいるかの様に義務を実践する必要が有る。
あなたは不信心者であるが、キリスト教徒に成る事を望んでいるのか?
それならば、キリスト教の儀式を行いなさい。
キリスト教の言葉を用いて、規則正しく定期的に祈りなさい。
秘跡を信じているかの様に、秘跡に近づきなさい。
そうすれば、いつの間にか、あなたは、キリスト教を信じているであろう。
「行動する事によって、行動に対応している概念を得る」事が、イグナチオ デ ロヨラの「霊操」が含んでいる、イエズス会の秘密である。
同様にして、愚者は、知を忍耐強く望めば、賢者に成れるであろう。
魂の習慣を変える事によって、人は、肉体の習慣を変える事ができる、のは確かである。
すでに話した様に。すでに方法を説明した様に。
特に、人を醜悪にして、人を老化させる物は、何であるか?
人を醜悪にして、人を老化させる物は、憎悪と恨みである。
人を醜悪にして、人を老化させる物は、他人について行う好意的ではない判断、裁きである。
人を醜悪にして、人を老化させる物は、虚栄心を傷つけられて怒る事、虚栄心を傷つけられて逆恨みする事である。
人を醜悪にして、人を老化させる物は、満たされない肉欲である。
思いやり深い哲学は、人を醜悪にして人を老化させる全ての悪を予防してくれる。
もし人が隣人の欠点に目をつぶり、隣人の美点だけを考えたら、人は普遍に善や善良さと思いやりや善行を見つけられるであろう。
最悪な人にも良い面は有る。
そのため、人が、最悪な人の良い面を理解する方法を知ると、最悪な人は悪を和らげるであろう。
もし、あなたに悪人と共通点が無ければ、悪人の悪い所に気づく事すらないはずである。
あなたにも悪い所が有るので、悪人の悪い所に気づくのである。
友愛と、友愛が鼓舞する献身は、牢獄ですら見つかる。
フランスの恐怖の犯罪者ラスネールは、借りた金を誠実に返し、頻繁に寛大な優しい行いをした。
盗賊ルイ ドミニク カルトゥーシュと盗賊ルイ マンドランの犯罪者人生の中にも涙を誘う善行が存在した事を疑わない。
完全な悪人も、完全な善人も、存在しない。
マタイによる福音19章17節で、最も善人である主イエスは、「善い者は、神だけである」と話している。
多くの場合、人が徳への熱意と呼んでいる自分の美点は、高飛車な隠れた自惚れ、隠れた嫉妬、矛盾に満ちた傲慢でしかない。
次の様に、神秘的な神学者は話している。
「明らかに無秩序な者や恥ずべき罪人を見た時は、神が、私達よりも、大きな試練を罪人たちに受けさせている、と信じよう。
また、確実に、または、少なくとも十中八九、私達は、罪人たちよりも、劣悪である、と信じよう。
また、私達が罪人たちの立場に立っていたら、私達は、罪人たちよりも、悪い事を多数しているはずである、と信じよう」
平和! 平和!
平和は、魂の無上の幸福である。
平和を人に与えるために、イエス キリストは、この世に降臨した。
ルカによる福音2章14節で、救い主イエスが生まれた時に、天使達は、「無上の高みでは、神に栄光あれ! 地上では、神の御心に適う人に平和あれ!」と叫んでいる。
初期のキリスト教の古代の教父達は、悲しみを、8番目の大罪、8番目の死に至る大罪に数えていた。
実際、真のキリスト教徒にとっては、後悔や良心の呵責ですら、悲しみではない。
後悔や良心の呵責は、慰めであり、喜びであり、勝利である。
「私は、悪を望んでいたが、もう悪は望まない。
私は、かつて死んでいたが、これからは生きている」
ルカによる福音15章で、放蕩息子の父は、放蕩息子が(父の所に、神の所に、善に)戻ったので、肥えた子牛を屠って祝った。
放蕩息子の悔い改めを父が受け入れてくれた時、放蕩息子に何ができるであろうか?
放蕩息子の悔い改めを父が受け入れてくれた時、放蕩息子が困惑して涙を流すのは、疑い無い!
ただし、放蕩息子の悔い改めを父が受け入れてくれた時、放蕩息子は、何よりも、喜ぶであろう!
この世には、罪と狂愚という、唯一の悲しい物が存在する。
私達は、罪と狂愚から解放されたのだから、微笑み、喜びの声をあげよう。
私達が神とイエスに救われたので、天で私達を愛している者達は全て喜ぶ!
人は、全て、死の原理と、不死の原理を心の中に抱いている。
死は、獣である。
(獣は、肉欲の例えである。)
常に、死という獣は、非人間的な狂愚をもたらす。
神は、狂人、愚者を愛さない。
なぜなら、神の精神は、知の精神と呼ばれている物である。
狂愚は、受難と奴隷としての労苦によって、狂愚の罪をつぐなう。
棒は、獣のために創造された。
棒は、動物的人間のために創造された。
常に、苦しみは、警告である。
「苦しみは、警告である」と理解していない人には、苦しみは、より一層、悪く成ってしまう。
自然が手綱を痛いくらいに引く時、人は正道から外れている。
人は道を踏み外している。
自然が鞭打つ時は、人に危険が迫っている。
苦しみについて熟考しない人には災いが有る!
人は、死ぬ用意が出来たら、悔い無く命を離れ、人に命を取り戻させようとさせる事は何ものにもできないであろう。
ただし、死が早過ぎる時は、魂は命を惜しみ、巧みに奇跡を起こせる人は、魂を肉体に呼び戻す事ができるであろう。
聖書には、復活に用いる必要が有る手順が記されている。
預言者エリシャと使徒パウロは復活に成功している。
死んでいる人を復活させたい人は、自分の両足を死んでいる人の両足の上に重ねて、自分の両手を死んでいる人の両手の上に重ねて、自分の口を死んでいる人の口に重ねて、死んでいる人を磁化する必要が有る。
それから、長時間、意思を全て集中して、できる限りの思いやりの思いを込めて、思いやりの有る全ての事を考えて、肉体から離脱した魂を意思に呼び寄せる。
もし、術者が、魂に、多数の愛情か、大いなる畏敬を吹き込めたら、もし、術者が魂と磁気的に交流している思考の中で、術者が「魂には未だ命が必要である」事と「魂には、下の『この世』で、幸福な日々が未だ用意されている」事を魂に説得できたら、魂が肉体に戻るのは確かであろう。
そして、ありふれた科学者にとって、外見の死は、昏睡状態に過ぎなく成るであろう。
女子修道院長ジャンヌは、ギヨーム ポステルを、昏睡状態の後に、復活させて、若返らせた。
そのため、ギヨーム ポステルは、「復活者ポステル」と名乗る様に成った。
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