百合短編集

南條 綾

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62 感傷のスクラップ・ドール

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 空が青かったなんて、きっと嘘だと思う。  
見上げる天井は、いつだって酸化した鉄の錆色か、汚染物質をはらんだ重苦しい鉛色だ。
この「廃工場街」で、私は今日も価値のないゴミを漁っている。

 私の名前は、綾。
この「廃工場街」で、動かなくなった機械の臓腑を暴き、使える部品を拾い集める整備士をやって食い繋いでいる。
私の指先はいつもオイルで黒く汚れ、心は砂嵐に削られて乾燥しきっていた。

 ここでの生活に、名前なんて記号以上の意味はないからある意味ロボットたちと同じかもしれない。
昨日の食べ残しを探し、明日のための燃料を拾ってお金に変える。
それだけの繰り返しの毎日に、感情なんて贅沢品は必要なかった。
心なんて、この街に蔓延する「感情汚染病」でとうの昔に焼き切れてしまった。
私の視界には、喜びも悲しみも映らない。ただ、生きるか死ぬか。それだけが世界の基準だった。

 その日、私は居住区から外れた第4廃棄場にいた。
巨大なプレス機で押し潰された金属の残骸が、山のようになっている。
そこで私は、見てしまった。山積みのスクラップの中から覗く、白すぎる指先を。

「……また、遺棄されたドールか」

 私は吐き捨てるように呟いた。
ドール。それは、人間が自分たちの処理しきれない負の感情を外へと吐き出させるために作られた、安価な器だった。
持ち主のストレスや悲しみをすべて身代わりに吸い込み、限界が来ればショートして動かなくなる。
この街じゃ、そんな「誰かの心のゴミ」を詰め込まれた残骸が、毎日当たり前のように捨てられている。

 放っておけばいい。そう思ったのに、私の指は勝手にスクラップをどけていた。
掘り出されたのは、私と同じくらいの年格好をした、少女の形をしたドールだった。
ドレスはボロボロで、金色の髪には油汚れがべったりとついている。

 ガタッ。驚いた。電源は切れているはずなのに、そのドールが痙攣するように動いた。
閉ざされていたまぶたが、ゆっくりと持ち上がる。
その瞳を見た瞬間、私の指先が、今まで感じたことのない嫌な熱を帯びた。
ドールの瞳は、濁りにごりのない深い藍色をしていた。
その奥に、何かが揺れている。
それは、この世界にはもう存在しないはずの「光」だった。

「……あ、あ……」

 ドールの喉が、鳴らないはずの声を絞り出す。
そして、信じられないことが起きた。
彼女の目尻から、透明な雫が溢れ、汚れた頬を伝ったんだ。

「……涙?」

 私の声が震えた。ドールは感情の肩代わりをするが、自ら「泣く」ことなんてありえない。
それはプログラムにはない、エラーだ。
彼女は震える手で、私の服の裾を掴んだ。
冷たいはずの機械の指が、なぜか火傷しそうなくらい熱く感じて、私は反射的に振り払おうとした。

「……ない……で」

「何?」

「……一人に、しないで……」

 心臓が、跳ねた。感情を殺して生きてきたはずの私の胸の奥に、鋭い棘が刺さったような痛みが走る。
不快だ。でも、そのドールのすがりつくような瞳から、目を逸らすことができなかった。
私は自分の合理性を呪いながらも、その泥だらけのドールを背負い上げた。
ズッシリと重い。鉄の重みじゃない。誰かの「心」を背負っているような、そんな重さだった。

「勘違いしないで。……あんたのパーツ、高く売れそうだから拾うだけよ」

 自分でも驚くほど冷たい声が出た。
でも、背中でドールが小さく「……ありがとう」と囁いたとき、私の視界を覆っていた不変の「灰色」が、一瞬だけ、歪んだ気がした。

 居住区の湿った空気が漂う、私の狭い部屋。
作業台の上で横たわる金色の髪のドールを、私はただ見下ろしていた。
ドールの首筋に刻まれた型番は、掠れていて読めない。
ただ、胸元のプレートに、かろうじてノエルという愛称らしき文字が刻まれていた。

「……ノエル。それがアンタの名前?」

 私が問いかけると、ノエルは藍色の瞳を微かに揺らした。
彼女の頬を伝う「涙」は、洗浄液を浸した布で拭いても、拭いても、後から溢れてくる。
ドールは泣かない。泣くはずがない。
なのに、彼女は私の指先を掴み、熱を帯びた声でこう言ったんだ。

「……綾。私の、中に……誰かの寂しいが、入り込んで、消えないの」

「それはエラーよ。初期化すれば消える」

「……消したくない。この重みがなくなったら、私はただの鉄クズに戻っちゃう」

 ノエルの指が、私の手のひらに食い込む。
痛い。でも、その痛みが、死んでいた私の感覚を無理やり叩き起こしてくる。
私は、彼女の胸のハッチを開いた。そこにある動力核は、過負荷で今にも焼き切れそうに赤く発光している。
このままじゃ、この子は壊れる。
そして、この子の叫びに当てられている私の心も、どうにかなってしまいそうだった。

「……わかったわよ。少しだけ、その『エラー』を私に預けなさい。あんたの代わりに、私がその寂しさを引き受けてあげる」

 私が提案すると、ノエルは悲しそうに微笑んで、私の首に細い腕を回した。
それは、ドールに溜まった「猛毒」を、私の生身の心へと流し込むという、正気とは思えない行為だった。

 本来、人間が耐えきれない感情をロボットに渡して処理させるためのシステムなのに、ノエルの中に溜まった感情の洪水を、再び人間である私が引き受ける。
それは世界の理に逆らう、愚かで、あまりにも無意味な救済だった。

「……いいの? 綾の世界も、もう、灰色じゃいられなくなるよ?」

 唇が触れ合う距離で、ノエルが囁く。
私は答えなかった。答える前に、彼女が抱えていた耐えがたいほどの熱い「寂しさ」が、私の冷え切った胸の奥へと、一気に雪崩れ込んできたから。

 頭の中が真っ白にかき回されるような衝撃に、私はノエルの肩を強く掴んだ。
指先から伝わってくるのは、鉄の冷たさじゃない。何層にも積み重なった他人の悲鳴、誰にも届かなかった祈り、そして、使い潰されたドールたちの絶望の残りカスだ。

「……あ、が、……ぁ……っ!」

 声にならない悲鳴が漏れる。
本来、人間が捨てるためのゴミを、私は今、自らの意思で飲み込んでいる。
システムに逆流する猛毒は、私の視界を真っ赤に染め上げ、心臓を異様なリズムで叩き、灰色の平穏を粉々に打ち砕いた。

 重いし痛い。死にたくなるほどの自己嫌悪と孤独が、私の精神を侵食していく。
でも、その濁流だくりゅうの底で、私は見つけた。
数多あまたの他人のゴミに埋もれて、今にも消えそうに震えている、ノエル自身の小さな光を。

「……もう、いいわ。全部……私に、寄こしなさいよ」

 私は彼女の頭を抱き込み、その熱をすべて吸い出すように抱きしめた。
どれだけの時間が過ぎたかわからない。
嵐が去った後の部屋には、重苦しい静寂と、微かな機械の駆動音だけが残っていた。
ノエルの動力核は静かな青い光へと落ち着き、あんなに止まらなかった涙は、もう乾いている。

 代わりに、私の心には、一生消えないひどい汚れがこびりついてしまった。
もう、何も感じずに機械みたいにゴミを拾っていた頃の私には戻れない。
他人の寂しさを自分の痛みとして知ってしまった私は、この先、この錆びついた世界を見るたびに、胸が締め付けられるような苦しみを抱えて生きていくことになる。

「……綾。顔、ひどいよ」

 ノエルが、人間のような柔らかな手つきで私の頬に触れる。
その指先は、拾った時のような熱はなく、ただ優しく温かかった。

「……あんたのせいよ。……最悪な気分」

 私は毒づきながら、彼女の手を握り返した。
燃料を拾ってお金に変えるだけの毎日は、昨日で死んだ。
これから私たちは、この不自由で色鮮やかな地獄を二人で歩いていく。
壊れた心を引き受けて、人間として壊れていく。
それが、鉛色の空の下で見つけた、たった一つの私たちの正解であり、私と彼女の、最低で最悪な終わりの始まりだった。
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