百合短編集

南條 綾

文字の大きさ
61 / 89

61 サボリの約束

しおりを挟む
 冬特有の刺すような風が、屋上のフェンスを鳴らしていた。 
私が独り占めしているはずのベンチには、先客がいた。

 強めの風に煽られて、制服のプリーツスカートが激しく羽ばたいている。
コートを着るにはまだ早くて、けれど指先が少しかじかむような、そんな中途半端な午後。
五時間目のチャイムを背中に聞いて階段を上りきった私は、そこで不意に足を止めた。

そこにいたのは、瀬戸せとまゆだった。

 同じクラスの彼女はいつも窓際の席で、透明な壁でも張っているみたいに静かに本を読んでいる。
陶器のような白い肌に、さらさらと流れる長い髪。
前髪の隙間から覗く瞳はどこか遠くを見ていて、クラスの喧騒とは無縁のお人形さん。
それが私の抱いていた彼女の印象だった。

 そんな瀬戸が、私の聖域に座っている。
膝の上には開かれたままの文庫本。
彼女は風にページをさらわれないよう細い指で押さえながら、ぼんやりと空を仰いでいた。
私の足音に気づいたのか、彼女がゆっくりとこちらを振り向く。

「……綾、さん?」

 不意に名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。 
小刻みに震えるような、小さな声。
けれど、彼女は確かに私の名前を呼んだ。

「あ……うん。そうだけど。……なんで名前、知ってるの?」

 クラスで自己紹介なんてまともにした覚えはない。先生が名簿を読み上げる時くらいしか、苗字は覚えていてもおかしくないけど、名前を知ってるのはすごくびっくりした。
動揺を隠せない私を見て、瀬戸は少しだけ困ったように眉を下げて、隣のスペースをそっと叩いた。

「見てたから」さらりと、彼女は言った。

「ここ、あまり人が来ないでしょう? だから、綾さんが本を読んだり、時々お昼寝したりしてるの……ずっと、見てたんです。勝手に座っちゃって、ごめんなさい」

 顔が、一気に熱くなるのが分かった。 
見られていた? 私がここでだらしなく寝転んでいたのも、寝顔も、全部?

「べ、別に、怒ってないよ。誰のものでもないし」

 平静を装って、私はベンチの横に腰を下ろした。
一人分以上の、不自然な距離を空けて。 瀬戸は再び空を見上げた。
雲の切れ間からこぼれる薄い陽射しが、彼女の横顔を淡く照らしている。

「ここ、気持ちいいですね。風が強くて、誰も来なくて……独り占めしたくなる気持ち、分かります」 

「……まあね」

 二人で並んで、同じ空を見る。
奇妙な沈黙だったけれど、居心地は悪くなかった。
むしろ、一人でいる時よりもずっと、この場所の空気が澄んでいるようにさえ感じられた。

「どうして今日、ここに来たの?」

 私の問いに、彼女は少しだけ間を置いてから答えた。

「なんとなく、逃げたくなって。五時間目、体育でしょう? 私、球技が苦手で。見学してると、先生の視線が痛いから」 

「あはは、わかる。私も体育は基本パスかな。面倒くさいし」

 意外な共通点に、思わず笑みがこぼれる。

「でも、綾さんはいつもサボっているのに、不思議と怒られませんよね」

「それはね、ちょっとしたコツがあるの。バレないための、テクニック」

「……教えてください」

 瀬戸がこちらを向いた。 目が合った。
至近距離で見つめる彼女の瞳は、潤んだようにきらきらと輝いていて、長い睫毛が影を落としている。
薄いピンク色の唇が、少しだけ開かれた。 
近い。 心臓の音が、風の音よりも大きく響く。

「あ、えっと……まあ、習慣だよ。言っても無駄だと思うから叱られない」

耐えられなくなって視線を逸らすと、隣から「ふふ、ずるい」と小さな笑い声が聞こえた。
その悪戯っぽい笑顔が、胸に刺さった。

 それからは、堰を切ったように言葉が溢れた。 
好きな本の話、嫌いな教師の癖。他愛もない、透明な時間。
繭は恥ずかしそうに、自分が「百合」……女の子同士の恋の物語が好きだと教えてくれた。

「女の子同士って、純粋で、すごく綺麗だと思うんです」

 少し赤くなって俯く彼女を見て、私はどうしようもなく動悸が激しくなるのを感じた。

「私……そういうの、読んだことないな」

「もしよかったら、貸してあげましょうか? 本当に、素敵なんですよ」

「……うん。貸して」

 その言葉を口にした瞬間、心の中で何かが繋がった気がした。
もっと、この子を知りたい。
この冷たい風の中で、体温を感じられる距離で、ずっとこうして話していたい。
六時間目のチャイムが遠くで鳴ったけれど、私たちはどちらも立ち上がろうとしなかった。

「……そろそろ、帰ろっか」

 重い腰を上げて、フェンスの鍵を閉める。
階段を下りる隣には、さっきまで遠い存在だった少女がいる。

「ねえ、繭」

「なんですか?」

「明日も……ここ、来る?」

 繭は一瞬だけ驚いたように目を見開いて、それから、今日一番の優しい笑顔を見せた。

「うん。来ようと思います」

その笑顔が、私の胸に深く沈んでいく。
冷たい冬の午後の、たった一時間のサボり時間。
それが私の、初めての恋の始まりだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

白雪様とふたりぐらし

南條 綾
恋愛
高校1年生の紫微綾は、生きることに疲れ、雪の山で自らの命を終えようとしたその瞬間―― 美しい御小女郎姿の少女・白雪が現れ、優しく彼女を救う。 白雪は実は古の仏神・ダキニ天の化身。暇つぶしに人間界に降りた彼女は、綾に「一緒に暮らそう」と提案し……? 銀髪の少女と神様の、甘く温かなふたりぐらしが始まる。 【注意事項】 本作はフィクションです。 実在の人物・団体・宗教・儀礼・場所・出来事とは一切関係ありません。 作中で登場する神仏や信仰に関する表現は、物語の雰囲気づくりを目的とした創作によるものであり、特定の宗教や思想を推進・否定する意図は一切ございません。 純粋なエンターテイメントとしてお楽しみいただければ幸いです。

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...