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3章 不条理な山の招待
82話 泥と氷の交わりは?
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氷? 影の異形の奴らが近づいてくる。
「……っ、クソ……」
俺は一歩踏み込む。
「はっ……、せいッ!」
エレナを左腕で抱き寄せながら、ミスリルソードを真横に一閃させた。
剣の軌道が空気を切り裂き、鋭い風切り音が響いた。
左腕の筋肉が張り、彼女の体をしっかり固定しながら、右腕に全神経を集中して薙ぎ払った。
刃が異形の胴体に食い込む瞬間、ガキィィン!と、硬質なクリスタルが粉砕されるような、耳を劈く高音が鼓膜を震わせる。
衝撃が腕にまで伝わり、剣がわずかに跳ね返る。
確かな手応えがあった。
足跡がある以上物体があるはずだが、なんだこれは?
斬り伏せたはずの異形の身体は肉も血もまき散らさず、
無数の輝く氷結の欠片となって弾け飛んだ。
欠片は空中でキラキラと回転し、青紫の光を散らしながら、雪原に降り注ぐ。
まるで砕けたガラス細工が、月光を反射して輝くように美しい……のに、
その美しさが逆に不気味で、背筋が凍る。
「……っ!? なんだ、これ……熱い……ッ!」
降り注ぐ光の粒が肌に触れた瞬間、心臓が跳ねた。
内側から湧き上がるような、どろりとした不自然な火照りだ。
毒か呪いか。
身体が麻痺する気配はないが、精神のどこかを直接見えない指で愛撫されたような気味の悪い感覚が脳を焼く。
頭の奥で、何かがねっとりと絡みつく。
「もっと……もっと……」という、甘く粘つく囁きが、幻聴のように頭の中で響いてきた。
視界の端が熱く滲み、息が浅くなる。
エレナを抱く左腕に力が入りすぎて、彼女の体がわずかに震える。
エレナの息が、俺の耳元で急に乱れる。
「シビさん……どうしたの……?」
心配と驚きが混じった声。
エレナにはこの状況になっていないのか。
それは少し安心だけど、欲情がエレナや俺自身の体を求めてやがる。
俺は歯を食いしばり、剣を握り直す。
この火照りは、ただの熱じゃない。
山が、俺の精神に触手を伸ばしてきてる。
くそ……このままじゃ、エレナを守るどころか、俺自身が狂っちまう。
俺たちの魂の端を少しずつ削り取っていく、冒涜的ななにかの一端に思えてならなかった。
「……あ、はぁっ……、シビ、さん……っ、んんっ……」
隣でエレナが膝をつき、顔を林檎のように赤く染めていた。
慈愛の女神の娘とも言われている彼女が、商売女のようなふるまいをしていた。
金髪が汗で額に張り付き、頬から首筋まで紅潮が広がり、普段の穏やかな微笑みはどこにもない。
焦点の合わない瞳で虚空を仰ぎ、熱っぽい吐息を漏らしている。
その艶めかしい喘ぎ声は、静まり返った雪原にあまりにも不釣り合いだった。
声が震え、途切れ途切れに漏れるたび、彼女の肩が小さく跳ね、
僧侶服の裂け目から覗く白い肌が、青紫の光の残滓でかすかに脈打っている。
吐息が白く凍り、唇がわずかに開いて、甘く湿った音を立てる。
エレナも俺と同じ呪いにかかっている。
あの氷の欠片が彼女にも触れ、侵食が急速に進んでいる。
先ほどは俺の異変に心配して呼んでくれた声だったのに、
今はもう理性が溶け始め、喘ぎに変わってしまっている。
彼女の体が熱く火照り、膝が折れ、俺の腕の中で震えが止まらない。
「シビさん……熱くて……体が、おかしくて……っ、はぁ……」
俺は歯を食いしばり、彼女の肩を強く掴む。
「エレナ、しっかりしろ! 俺だ!」
俺は咄嗟に剣を収め、崩れ落ちる彼女の身体を正面から強く抱きしめた。
細い肩を抱き、俺の体温を無理やり叩き込む。
彼女の金髪が俺の頬に触れ、汗と霜が混じった匂いが鼻をくすぐる。
胸が彼女の胸に密着し、彼女の心臓の乱れた鼓動が俺の胸板に直に響く。
冷え切った彼女の体が、俺の熱を貪るように吸い込み、
同時に俺の体温が彼女の冷気を溶かそうとする。
彼女の細い腰に腕を回し、背中を強く押さえつけ、
まるで彼女が消えそうになるのを防ぐように、離さない。
俺には、彼女が必要だから……普段の彼女が……だから安心させるように抱きしめた。
「……ぁ、ふ……っ」
しばらくの間、俺の胸に顔を埋めていたエレナの呼吸が、次第に穏やかなものへと変わっていく。
削られた精神の隙間を、互いの接触で辛うじて埋め合わせているような、危うい安堵感だった。
彼女の金髪が俺の肩に落ち、汗で湿った髪先が首筋をくすぐる。
吐息が俺の耳にかかり、冷たかった頬が徐々に温かさを取り戻す。
「シビさん……ありがとう……ございます……」
彼女の声が、弱々しくも優しく響く。
俺は無言で彼女の背中を撫で、安心させる。
この温もりが、まだ俺たちを繋ぎ止めていることを確かめた。
俺は荒い息を吐きながら、周囲を睨みつける。
霧、逆光、巨大な人型の影。
理屈を言えばブロッケン現象だが、物質を持っていたことや、光源である太陽が正面にある以上、科学的な説明なんてつきゃしねえ。
影が音を立てて砕け、熱を残して消えるなんて、なんなんだ。
当たり前だが、この世界は俺が生きていた感覚では、ファンタジーである以上理解不能っていうのは多いだろう。
剣と魔法の世界ならなおさらだ。
それにしてもだ。この世界に来て半年以上過ごしてきたのだが、異質すぎる。
冒険者としてのスキル。生前得たこの世界には無い一般的な科学などの知識が一切通じない場所。
どうすればいい?
「……とりあえずここに長居は禁物だな」
あの影とも氷ともいえる人影がいない以上。動かないといけない。
とりあえず安全と言える場所に移動できればいいのだが。
俺は魔法の目を発動させ、吹雪の向こう側を透視する。
視界が一瞬青く染まり、霧の粒子が無数の光点として浮かび上がる。
数百メートル先の岩壁に、身を隠せそうな手頃な洞を見つけた。
洞口は狭く、風が吹き抜けにくそうで、内部は暗く深く、雪がほとんど入り込んでいない。
外からの視線も遮られそうで、ひとまずの避難所としては悪くない。
「あそこなら、一晩は凌げるか……」
凌げなくても態勢を整える場所が必要だからうってつけともいえる。
俺はまだ身体を熱くさせているエレナを抱え直し、雪を蹴ってその闇へと走り出した。
左腕に彼女の体重をしっかり預け、右腕でミスリルソードを構えながら、
膝まで埋まる雪を強引に踏み抜く。
雪が粉を舞い上げ、視界を白く汚すが、魔法の目で道筋を確かめながら進む。
エレナの金髪が俺の肩に揺れ、彼女の吐息が首筋に温かくかかる。
まだ火照りが残っているのか、彼女の体温が俺の胸に染み込んでくる。
「シビさん……大丈夫……ですわ……」
弱々しい声が、俺の耳に届く。
俺は無言でうなずき、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
雪原を抜け、俺たちは岩壁に口を開けた狭い洞へと滑り込んだ。
洞口をくぐると、風がぴたりと止まり、静寂が包む。
内部は意外に広く、地面は凍った岩で滑りやすいが、雪はほとんど入っていない。
奥は暗く、魔法の目で確認すると、奥行きは10メートルほどで、行き止まり。
壁に小さな亀裂があり、冷たい風が漏れているが、入り口を塞げばしのげる。
入り口を魔法の障壁で仮封鎖し、カバンの中に入れておいた枯れ枝に火を灯す。
パチパチと爆ぜる火の粉の音が、ようやく俺たちの五感を「現実」へと繋ぎ止めてくれた。
炎の橙色が洞内の岩壁を照らし、影がゆらゆらと揺れる。
外の吹雪の音が遠く、障壁越しにくぐもって聞こえるだけ。
洞内は冷たい空気が淀み、息が白く凍るが、火の温もりが少しずつ肌に染み込んでくる。
枯れ枝の焦げる匂いが、甘ったるい腐敗臭を薄めてくれる。
「……少しは落ち着いたか、エレナ」
「はい……。シビさんに抱きしめていただいたおかげで消えてしまいそうな……変な高揚感や味わったことがない快楽がありましたが、自分を繋ぎ止めることができました」
俺の革ジャンを肩にかけ、岩肌に身を預けたエレナが小さく頷く。
その頬はまだ微かに上気し、俺を見つめる瞳は、聖女としての慈愛よりも、もっと生々しく、湿り気を帯びた熱を宿しているように見えた。
金髪が火の光に照らされて橙色に輝き、汗で湿った髪先が頬に張り付いている。
唇がわずかに開き、吐息が白く漏れるたび、彼女の肩が小さく震える。
普段の穏やかな微笑みは影を潜め、代わりに瞳の奥に、理性の隙間から覗くような、危険な輝きがちらつく。
削り取られた精神の欠片。
その隙間に、この島の狂気にも似た肉欲なのか。それとも、単なる吊り橋効果なのか。
なぜこうも恐怖ではなく色欲の方に持っていく?
そこが変だ。
三等室にいた冒険者たちは無残に殺され、あの洞にいた冒険者も恐怖で死んだ。
なのに俺たちは確かに恐怖もあるのだが、どちらかといえば快楽の方に持っていっているようにも思える。
山が、俺たちを殺すんじゃなく、取り込むために、わざと快楽を植え付けているのか……?
「……シビさん、あれを……」
俺が思考の海に入っているところに、エレナが震える指で、洞窟の奥を指差しながら伝えてきた。
俺は火の点いていない松明を焚火に付け、岩壁の方に近づけた。
炎が揺らめき、壁面を照らす。
そこにあったのは、ただの岩壁ではなかった。
「……壁画、か?」
所々が剥がれ落ちた壁面には、おぞましい「記録」が刻まれていた。
描かれているのは、海から這い上がる無数の異形の魚。そして、それらを「神」として崇める、かつての島民らしき人間たちの姿だった。
魚の鱗は青紫に輝き、目が無数に並び、口から触手のようなものが伸び、体が半透明で、内側に脈打つ光がぼんやりと描かれている。
人間たちは跪き、手を広げて祈りを捧げているが、その表情は恍惚と苦痛が混じった歪んだもの。瞳が虚ろに輝き、口が半開きで、涎のように線が引かれている部分もある。
その人間たちの描写がおかしい。
手足は異常に長く、関節は不自然に多く曲がっている。
指先が細く鋭く、膝や肘の曲がり方が人間の限界を超えており、
そう、さっき俺たちが切り裂いた『氷の影』そのものの姿をしていた。
線は粗いが、筆致は狂信的で、人間たちの体が魚の鱗に侵食されていく様子が、段階的に刻まれている。
「シビさん、これは……崇拝の儀式ではありません。……変質の記録です」
エレナの声が恐怖で震える。
彼女の指が俺の袖を強く握り、爪が布地に食い込み、震えが止まらない。
金髪が火の光に照らされて橙色に輝き、頬が青白く、瞳が大きく見開かれている。
「変質の記録?」
壁画の後半には、人間たちが自分たちの肉体を削ぎ落とし、半透明の「何か」へと成り果てていく過程が描かれているようにも見えた。
肉を削ぎ、手足を伸ばし、影のように実体化していく様子が、段階的に刻まれている。
太陽を正面に仰ぎ、自らの影を実体化させ、精神を捧げることで、永遠の住人になる儀式にも見える。
太陽の光が逆さまに描かれ、影が地面から立ち上がり、人間を飲み込んでいく。
その影は、氷のように透明で、内側に青紫の光が脈打っている。
「物理法則じゃない。多分だが、あいつらは、太陽の光を反転させて影を実体化させているのかもしれない」
「そんな魔法聞いたことありませんが、これも超古代の魔法なんですか、シビさん」
「俺も知らない。まだわからないことも多い。なぜこの島が現れた?凪はなぜ起きた?一体全体、わからないことだらけだ」
多分だけど、さっき俺たちが浴びた氷結の欠片は、
攻撃じゃなく、俺たちの内側に住人としての種を植え付けるための……ものかもしれない。
体温を吸い取り、精神を溶かし、快楽で抵抗を削ぎ、影として生まれ変わらせるための……種なのか?
欠片が肌に触れた瞬間から、頭の奥で囁きが始まったことを思い出す。
甘く粘つく声が、今も耳の奥で響いている。
俺は、もう一度よく見てみる。
壁画が完璧な状態ではなくかすかにはがれている場所をよく観察してみた。
変化の前には、先ほどの氷の華が描かれていた。
華の中心に、女の顔がぼんやりと浮かび、
その表情は恍惚と苦痛が混じったもの。
周囲に無数の手が伸び、華に飲み込まれていく様子が描かれている。
そしてまたはがれているのだけど……女か……。
この氷の華は元が女だったのかも。
そう推理すれば、エレナが触って氷に取り込まれたのにも理由がついた。
華の花弁が、女の髪のように広がり、中心の顔がエレナに似た輪郭に見えて、ぞっとする。
「……毒や呪いだと思ったが、それより質(たち)が悪いな」
俺はミスリルソードを傍らに置き、焚き火の火を絶やさないよう枝をくべた。
パチッと火の粉が弾け、壁画の影が一瞬長く伸びる。
幸い、洞窟の奥から新たな気配は感じられない。だが、身体の奥に居座る、
「何かわかったのですか?」
「想像の域だけどな。世界には男と女が必ずいるってことだ」
「どういうことですの?」
「ここに氷の像っぽいのがあるだろう?」
「そう見えますわ。でもその前や後半は欠けていて何かわかりませんわ」
「あぁ、男は泥になり、女性は氷の華になる。そして……それを取り込み永遠に生きる氷の影が産まれると仮定する」
エレナは何を言いたいのかわからなくて、俺の顔をしっかりと見つめている。
彼女の瞳が焚き火を映して揺らめき、頬の紅潮がまだ引かず、吐息が浅い。
「あの氷の華は母体なんだ。そして女性はずっと欲情をして受け入れる。男だったものをすべて、そして永遠の存在のものが産まれる。個体というものがない存在に生まれ変わるために。そうなると最初の魚は何かわからないんだけどな」
「そんな事……そんな教理はどんな神にもありませんわ。そんな狂気なことなんて」
エレナの声が、最後の方でかすかに途切れた。
彼女の瞳が焚き火の炎を映して揺らめき、金髪が肩に落ち、汗で湿った髪先が頬に張り付いていた。
頬の紅潮がまだ引かず、吐息が浅い。
指が俺の袖を強く握り、爪が布地に食い込み、震えが伝わってくる。
洞窟の空気が、重く淀み、火の粉がパチッと弾ける音だけが響く。
壁画の影が、俺たちの背後でゆっくりと動き、まるで今も壁から這い出そうとしているように見えた。
「あぁ。俺も詳しくはないのだが、破壊の女神ノクシアや欲望や暗黒を好む変革神ヴァルグにもないだろうな」
エレナの瞳がわずかに見開かれ、
「ノクシア様は……滅びの後に再生をお与えになる方ですわ。ヴァルグ様は……混沌と変革を司り、闇を愛されますが……こんな事ってありませんわ」
彼女の声が小さくなり、首を振る。
金髪が揺れ、火の光に照らされて橙色に輝く。
エレナ自身、アウリス神の信者だけど多少は他の神の教えなどにも精通しているだろう。
そうではないとしっかりと違いや教えを伝えたりできないからだ。
「はい、ですが……あの壁画は神殿や教会の壁画の様式にも見えますわ」
俺自身、神話を詳しく知っているのはギリシャ神話。神話ではないけど聖書ぐらいだ。
後はアニメや漫画、小説などで使われたものだ。
この神が善、この神が悪という簡単な世界だったらいいけど。所詮立場が違うだけだと俺は思っている。
実際に取り入れられていろいろに名前が変わったり立場が変わった神も多くいる。
所詮はそういうものだ。
そんな事を考えていたら、俺の中に、あの消えない火照りが、まるで壁画の中の異形たちと共鳴するように、じわりと脈打った気がした。
頭の奥で、甘く粘つく囁きが再び響きだした。
「もっと……受け入れろ……そこに最高の女がいるだろう……おのれの豊満な柔肌とそこにある柔肌と交わり合え」
言葉が、脳の奥底から直接染み込んでくる。
甘い蜜のようにねっとりと絡みつき、
俺の理性の隙間を這い回り、胸の奥を熱く溶かしていく。
「おのれの胸の重み……柔らかく揺れる感触……彼女の白い肌に押し当てるんだ……交わり合え……溶け合え……」
囁きが重なり、頭の中で何重にも反響する。
視界の端が熱く滲み、色がにじんでぼやける。
息が浅くなり、肺が熱く焼けるように痛む。
俺は左腕で彼女をやさしく抱きしめる。
彼女の柔らかな体が俺の胸に密着し、その感触が、囁きをさらに増幅させる。
拳を握りしめ、爪が掌に食い込む痛みで火照りを押し殺す。
汗が額から滴り落ち、銀髪に張り付き、
首筋を伝って冷たい感覚が一瞬だけ理性を呼び戻す。
だが、囁きは止まらない。
「受け入れろ……お前はもう、俺たちのものだ……彼女も……永遠に……」
「黙れ……!」と心の中で叫び、俺は舌を噛んだ。
鋭い歯が舌の肉に食い込み、鉄の味が口いっぱいに広がる。
血の味が、甘く粘つく囁きを一瞬だけかき消す。
それを飲み込み、喉が焼けるように痛むが、それが俺を現実につなぎ止めた。
山が、俺の精神に触手を伸ばしてきている。
くそ……このままじゃ、エレナを守るどころか、俺自身が狂っちまう。
俺は、エレナを放し、いったん深呼吸をして自分を取り戻した。
そのまま俺は、力ある言葉を発する。
「熱源展開」
本来常春の気温が、軍隊規模の広さで展開できるフィールド呪文なんだが、現在はこの空域を維持するだけで精いっぱいだった。
手の平に小さな橙色の光が灯り、洞窟の空気をわずかに温める。
光の膜が俺たちの体表を薄く覆い、冷気を少しだけ押し返す。
だが、膜の端が霧に溶けるように揺らめき、すぐに薄くなる。
もし魔法がここまで低下しているのなら、ザハクレベルいや……ヴォイド・ヴェノムウルフにも勝てるのか怪しいぐらいだな。
俺は、多分最後まで大丈夫だけど、エレナはいつまで正気を保っていられる?
時間はそこまで残されてないようにも思えてきた。
焦れば焦るほど墓穴を掘るようにも思える。
俺はエレナの方を少し見て決断をした。
「今夜は、ここで一夜を明かすぞ。エレナ、交代で眠るぞ。何かあったらすぐに起こしてくれ」
「……はい。シビさん、どうか、わたくしのそばに……」
エレナが縋るように俺の腕を掴む。
金髪が俺の肩に落ち、彼女の体温がわずかに伝わってくる。
まだ火照りが残っているのか、彼女の指先が熱く、震えが止まらない。
吹雪が入り口の障壁を叩く音を聞きながら、俺たちは互いの体温を頼りに、この異質な島での夜を迎えた。
「……っ、クソ……」
俺は一歩踏み込む。
「はっ……、せいッ!」
エレナを左腕で抱き寄せながら、ミスリルソードを真横に一閃させた。
剣の軌道が空気を切り裂き、鋭い風切り音が響いた。
左腕の筋肉が張り、彼女の体をしっかり固定しながら、右腕に全神経を集中して薙ぎ払った。
刃が異形の胴体に食い込む瞬間、ガキィィン!と、硬質なクリスタルが粉砕されるような、耳を劈く高音が鼓膜を震わせる。
衝撃が腕にまで伝わり、剣がわずかに跳ね返る。
確かな手応えがあった。
足跡がある以上物体があるはずだが、なんだこれは?
斬り伏せたはずの異形の身体は肉も血もまき散らさず、
無数の輝く氷結の欠片となって弾け飛んだ。
欠片は空中でキラキラと回転し、青紫の光を散らしながら、雪原に降り注ぐ。
まるで砕けたガラス細工が、月光を反射して輝くように美しい……のに、
その美しさが逆に不気味で、背筋が凍る。
「……っ!? なんだ、これ……熱い……ッ!」
降り注ぐ光の粒が肌に触れた瞬間、心臓が跳ねた。
内側から湧き上がるような、どろりとした不自然な火照りだ。
毒か呪いか。
身体が麻痺する気配はないが、精神のどこかを直接見えない指で愛撫されたような気味の悪い感覚が脳を焼く。
頭の奥で、何かがねっとりと絡みつく。
「もっと……もっと……」という、甘く粘つく囁きが、幻聴のように頭の中で響いてきた。
視界の端が熱く滲み、息が浅くなる。
エレナを抱く左腕に力が入りすぎて、彼女の体がわずかに震える。
エレナの息が、俺の耳元で急に乱れる。
「シビさん……どうしたの……?」
心配と驚きが混じった声。
エレナにはこの状況になっていないのか。
それは少し安心だけど、欲情がエレナや俺自身の体を求めてやがる。
俺は歯を食いしばり、剣を握り直す。
この火照りは、ただの熱じゃない。
山が、俺の精神に触手を伸ばしてきてる。
くそ……このままじゃ、エレナを守るどころか、俺自身が狂っちまう。
俺たちの魂の端を少しずつ削り取っていく、冒涜的ななにかの一端に思えてならなかった。
「……あ、はぁっ……、シビ、さん……っ、んんっ……」
隣でエレナが膝をつき、顔を林檎のように赤く染めていた。
慈愛の女神の娘とも言われている彼女が、商売女のようなふるまいをしていた。
金髪が汗で額に張り付き、頬から首筋まで紅潮が広がり、普段の穏やかな微笑みはどこにもない。
焦点の合わない瞳で虚空を仰ぎ、熱っぽい吐息を漏らしている。
その艶めかしい喘ぎ声は、静まり返った雪原にあまりにも不釣り合いだった。
声が震え、途切れ途切れに漏れるたび、彼女の肩が小さく跳ね、
僧侶服の裂け目から覗く白い肌が、青紫の光の残滓でかすかに脈打っている。
吐息が白く凍り、唇がわずかに開いて、甘く湿った音を立てる。
エレナも俺と同じ呪いにかかっている。
あの氷の欠片が彼女にも触れ、侵食が急速に進んでいる。
先ほどは俺の異変に心配して呼んでくれた声だったのに、
今はもう理性が溶け始め、喘ぎに変わってしまっている。
彼女の体が熱く火照り、膝が折れ、俺の腕の中で震えが止まらない。
「シビさん……熱くて……体が、おかしくて……っ、はぁ……」
俺は歯を食いしばり、彼女の肩を強く掴む。
「エレナ、しっかりしろ! 俺だ!」
俺は咄嗟に剣を収め、崩れ落ちる彼女の身体を正面から強く抱きしめた。
細い肩を抱き、俺の体温を無理やり叩き込む。
彼女の金髪が俺の頬に触れ、汗と霜が混じった匂いが鼻をくすぐる。
胸が彼女の胸に密着し、彼女の心臓の乱れた鼓動が俺の胸板に直に響く。
冷え切った彼女の体が、俺の熱を貪るように吸い込み、
同時に俺の体温が彼女の冷気を溶かそうとする。
彼女の細い腰に腕を回し、背中を強く押さえつけ、
まるで彼女が消えそうになるのを防ぐように、離さない。
俺には、彼女が必要だから……普段の彼女が……だから安心させるように抱きしめた。
「……ぁ、ふ……っ」
しばらくの間、俺の胸に顔を埋めていたエレナの呼吸が、次第に穏やかなものへと変わっていく。
削られた精神の隙間を、互いの接触で辛うじて埋め合わせているような、危うい安堵感だった。
彼女の金髪が俺の肩に落ち、汗で湿った髪先が首筋をくすぐる。
吐息が俺の耳にかかり、冷たかった頬が徐々に温かさを取り戻す。
「シビさん……ありがとう……ございます……」
彼女の声が、弱々しくも優しく響く。
俺は無言で彼女の背中を撫で、安心させる。
この温もりが、まだ俺たちを繋ぎ止めていることを確かめた。
俺は荒い息を吐きながら、周囲を睨みつける。
霧、逆光、巨大な人型の影。
理屈を言えばブロッケン現象だが、物質を持っていたことや、光源である太陽が正面にある以上、科学的な説明なんてつきゃしねえ。
影が音を立てて砕け、熱を残して消えるなんて、なんなんだ。
当たり前だが、この世界は俺が生きていた感覚では、ファンタジーである以上理解不能っていうのは多いだろう。
剣と魔法の世界ならなおさらだ。
それにしてもだ。この世界に来て半年以上過ごしてきたのだが、異質すぎる。
冒険者としてのスキル。生前得たこの世界には無い一般的な科学などの知識が一切通じない場所。
どうすればいい?
「……とりあえずここに長居は禁物だな」
あの影とも氷ともいえる人影がいない以上。動かないといけない。
とりあえず安全と言える場所に移動できればいいのだが。
俺は魔法の目を発動させ、吹雪の向こう側を透視する。
視界が一瞬青く染まり、霧の粒子が無数の光点として浮かび上がる。
数百メートル先の岩壁に、身を隠せそうな手頃な洞を見つけた。
洞口は狭く、風が吹き抜けにくそうで、内部は暗く深く、雪がほとんど入り込んでいない。
外からの視線も遮られそうで、ひとまずの避難所としては悪くない。
「あそこなら、一晩は凌げるか……」
凌げなくても態勢を整える場所が必要だからうってつけともいえる。
俺はまだ身体を熱くさせているエレナを抱え直し、雪を蹴ってその闇へと走り出した。
左腕に彼女の体重をしっかり預け、右腕でミスリルソードを構えながら、
膝まで埋まる雪を強引に踏み抜く。
雪が粉を舞い上げ、視界を白く汚すが、魔法の目で道筋を確かめながら進む。
エレナの金髪が俺の肩に揺れ、彼女の吐息が首筋に温かくかかる。
まだ火照りが残っているのか、彼女の体温が俺の胸に染み込んでくる。
「シビさん……大丈夫……ですわ……」
弱々しい声が、俺の耳に届く。
俺は無言でうなずき、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
雪原を抜け、俺たちは岩壁に口を開けた狭い洞へと滑り込んだ。
洞口をくぐると、風がぴたりと止まり、静寂が包む。
内部は意外に広く、地面は凍った岩で滑りやすいが、雪はほとんど入っていない。
奥は暗く、魔法の目で確認すると、奥行きは10メートルほどで、行き止まり。
壁に小さな亀裂があり、冷たい風が漏れているが、入り口を塞げばしのげる。
入り口を魔法の障壁で仮封鎖し、カバンの中に入れておいた枯れ枝に火を灯す。
パチパチと爆ぜる火の粉の音が、ようやく俺たちの五感を「現実」へと繋ぎ止めてくれた。
炎の橙色が洞内の岩壁を照らし、影がゆらゆらと揺れる。
外の吹雪の音が遠く、障壁越しにくぐもって聞こえるだけ。
洞内は冷たい空気が淀み、息が白く凍るが、火の温もりが少しずつ肌に染み込んでくる。
枯れ枝の焦げる匂いが、甘ったるい腐敗臭を薄めてくれる。
「……少しは落ち着いたか、エレナ」
「はい……。シビさんに抱きしめていただいたおかげで消えてしまいそうな……変な高揚感や味わったことがない快楽がありましたが、自分を繋ぎ止めることができました」
俺の革ジャンを肩にかけ、岩肌に身を預けたエレナが小さく頷く。
その頬はまだ微かに上気し、俺を見つめる瞳は、聖女としての慈愛よりも、もっと生々しく、湿り気を帯びた熱を宿しているように見えた。
金髪が火の光に照らされて橙色に輝き、汗で湿った髪先が頬に張り付いている。
唇がわずかに開き、吐息が白く漏れるたび、彼女の肩が小さく震える。
普段の穏やかな微笑みは影を潜め、代わりに瞳の奥に、理性の隙間から覗くような、危険な輝きがちらつく。
削り取られた精神の欠片。
その隙間に、この島の狂気にも似た肉欲なのか。それとも、単なる吊り橋効果なのか。
なぜこうも恐怖ではなく色欲の方に持っていく?
そこが変だ。
三等室にいた冒険者たちは無残に殺され、あの洞にいた冒険者も恐怖で死んだ。
なのに俺たちは確かに恐怖もあるのだが、どちらかといえば快楽の方に持っていっているようにも思える。
山が、俺たちを殺すんじゃなく、取り込むために、わざと快楽を植え付けているのか……?
「……シビさん、あれを……」
俺が思考の海に入っているところに、エレナが震える指で、洞窟の奥を指差しながら伝えてきた。
俺は火の点いていない松明を焚火に付け、岩壁の方に近づけた。
炎が揺らめき、壁面を照らす。
そこにあったのは、ただの岩壁ではなかった。
「……壁画、か?」
所々が剥がれ落ちた壁面には、おぞましい「記録」が刻まれていた。
描かれているのは、海から這い上がる無数の異形の魚。そして、それらを「神」として崇める、かつての島民らしき人間たちの姿だった。
魚の鱗は青紫に輝き、目が無数に並び、口から触手のようなものが伸び、体が半透明で、内側に脈打つ光がぼんやりと描かれている。
人間たちは跪き、手を広げて祈りを捧げているが、その表情は恍惚と苦痛が混じった歪んだもの。瞳が虚ろに輝き、口が半開きで、涎のように線が引かれている部分もある。
その人間たちの描写がおかしい。
手足は異常に長く、関節は不自然に多く曲がっている。
指先が細く鋭く、膝や肘の曲がり方が人間の限界を超えており、
そう、さっき俺たちが切り裂いた『氷の影』そのものの姿をしていた。
線は粗いが、筆致は狂信的で、人間たちの体が魚の鱗に侵食されていく様子が、段階的に刻まれている。
「シビさん、これは……崇拝の儀式ではありません。……変質の記録です」
エレナの声が恐怖で震える。
彼女の指が俺の袖を強く握り、爪が布地に食い込み、震えが止まらない。
金髪が火の光に照らされて橙色に輝き、頬が青白く、瞳が大きく見開かれている。
「変質の記録?」
壁画の後半には、人間たちが自分たちの肉体を削ぎ落とし、半透明の「何か」へと成り果てていく過程が描かれているようにも見えた。
肉を削ぎ、手足を伸ばし、影のように実体化していく様子が、段階的に刻まれている。
太陽を正面に仰ぎ、自らの影を実体化させ、精神を捧げることで、永遠の住人になる儀式にも見える。
太陽の光が逆さまに描かれ、影が地面から立ち上がり、人間を飲み込んでいく。
その影は、氷のように透明で、内側に青紫の光が脈打っている。
「物理法則じゃない。多分だが、あいつらは、太陽の光を反転させて影を実体化させているのかもしれない」
「そんな魔法聞いたことありませんが、これも超古代の魔法なんですか、シビさん」
「俺も知らない。まだわからないことも多い。なぜこの島が現れた?凪はなぜ起きた?一体全体、わからないことだらけだ」
多分だけど、さっき俺たちが浴びた氷結の欠片は、
攻撃じゃなく、俺たちの内側に住人としての種を植え付けるための……ものかもしれない。
体温を吸い取り、精神を溶かし、快楽で抵抗を削ぎ、影として生まれ変わらせるための……種なのか?
欠片が肌に触れた瞬間から、頭の奥で囁きが始まったことを思い出す。
甘く粘つく声が、今も耳の奥で響いている。
俺は、もう一度よく見てみる。
壁画が完璧な状態ではなくかすかにはがれている場所をよく観察してみた。
変化の前には、先ほどの氷の華が描かれていた。
華の中心に、女の顔がぼんやりと浮かび、
その表情は恍惚と苦痛が混じったもの。
周囲に無数の手が伸び、華に飲み込まれていく様子が描かれている。
そしてまたはがれているのだけど……女か……。
この氷の華は元が女だったのかも。
そう推理すれば、エレナが触って氷に取り込まれたのにも理由がついた。
華の花弁が、女の髪のように広がり、中心の顔がエレナに似た輪郭に見えて、ぞっとする。
「……毒や呪いだと思ったが、それより質(たち)が悪いな」
俺はミスリルソードを傍らに置き、焚き火の火を絶やさないよう枝をくべた。
パチッと火の粉が弾け、壁画の影が一瞬長く伸びる。
幸い、洞窟の奥から新たな気配は感じられない。だが、身体の奥に居座る、
「何かわかったのですか?」
「想像の域だけどな。世界には男と女が必ずいるってことだ」
「どういうことですの?」
「ここに氷の像っぽいのがあるだろう?」
「そう見えますわ。でもその前や後半は欠けていて何かわかりませんわ」
「あぁ、男は泥になり、女性は氷の華になる。そして……それを取り込み永遠に生きる氷の影が産まれると仮定する」
エレナは何を言いたいのかわからなくて、俺の顔をしっかりと見つめている。
彼女の瞳が焚き火を映して揺らめき、頬の紅潮がまだ引かず、吐息が浅い。
「あの氷の華は母体なんだ。そして女性はずっと欲情をして受け入れる。男だったものをすべて、そして永遠の存在のものが産まれる。個体というものがない存在に生まれ変わるために。そうなると最初の魚は何かわからないんだけどな」
「そんな事……そんな教理はどんな神にもありませんわ。そんな狂気なことなんて」
エレナの声が、最後の方でかすかに途切れた。
彼女の瞳が焚き火の炎を映して揺らめき、金髪が肩に落ち、汗で湿った髪先が頬に張り付いていた。
頬の紅潮がまだ引かず、吐息が浅い。
指が俺の袖を強く握り、爪が布地に食い込み、震えが伝わってくる。
洞窟の空気が、重く淀み、火の粉がパチッと弾ける音だけが響く。
壁画の影が、俺たちの背後でゆっくりと動き、まるで今も壁から這い出そうとしているように見えた。
「あぁ。俺も詳しくはないのだが、破壊の女神ノクシアや欲望や暗黒を好む変革神ヴァルグにもないだろうな」
エレナの瞳がわずかに見開かれ、
「ノクシア様は……滅びの後に再生をお与えになる方ですわ。ヴァルグ様は……混沌と変革を司り、闇を愛されますが……こんな事ってありませんわ」
彼女の声が小さくなり、首を振る。
金髪が揺れ、火の光に照らされて橙色に輝く。
エレナ自身、アウリス神の信者だけど多少は他の神の教えなどにも精通しているだろう。
そうではないとしっかりと違いや教えを伝えたりできないからだ。
「はい、ですが……あの壁画は神殿や教会の壁画の様式にも見えますわ」
俺自身、神話を詳しく知っているのはギリシャ神話。神話ではないけど聖書ぐらいだ。
後はアニメや漫画、小説などで使われたものだ。
この神が善、この神が悪という簡単な世界だったらいいけど。所詮立場が違うだけだと俺は思っている。
実際に取り入れられていろいろに名前が変わったり立場が変わった神も多くいる。
所詮はそういうものだ。
そんな事を考えていたら、俺の中に、あの消えない火照りが、まるで壁画の中の異形たちと共鳴するように、じわりと脈打った気がした。
頭の奥で、甘く粘つく囁きが再び響きだした。
「もっと……受け入れろ……そこに最高の女がいるだろう……おのれの豊満な柔肌とそこにある柔肌と交わり合え」
言葉が、脳の奥底から直接染み込んでくる。
甘い蜜のようにねっとりと絡みつき、
俺の理性の隙間を這い回り、胸の奥を熱く溶かしていく。
「おのれの胸の重み……柔らかく揺れる感触……彼女の白い肌に押し当てるんだ……交わり合え……溶け合え……」
囁きが重なり、頭の中で何重にも反響する。
視界の端が熱く滲み、色がにじんでぼやける。
息が浅くなり、肺が熱く焼けるように痛む。
俺は左腕で彼女をやさしく抱きしめる。
彼女の柔らかな体が俺の胸に密着し、その感触が、囁きをさらに増幅させる。
拳を握りしめ、爪が掌に食い込む痛みで火照りを押し殺す。
汗が額から滴り落ち、銀髪に張り付き、
首筋を伝って冷たい感覚が一瞬だけ理性を呼び戻す。
だが、囁きは止まらない。
「受け入れろ……お前はもう、俺たちのものだ……彼女も……永遠に……」
「黙れ……!」と心の中で叫び、俺は舌を噛んだ。
鋭い歯が舌の肉に食い込み、鉄の味が口いっぱいに広がる。
血の味が、甘く粘つく囁きを一瞬だけかき消す。
それを飲み込み、喉が焼けるように痛むが、それが俺を現実につなぎ止めた。
山が、俺の精神に触手を伸ばしてきている。
くそ……このままじゃ、エレナを守るどころか、俺自身が狂っちまう。
俺は、エレナを放し、いったん深呼吸をして自分を取り戻した。
そのまま俺は、力ある言葉を発する。
「熱源展開」
本来常春の気温が、軍隊規模の広さで展開できるフィールド呪文なんだが、現在はこの空域を維持するだけで精いっぱいだった。
手の平に小さな橙色の光が灯り、洞窟の空気をわずかに温める。
光の膜が俺たちの体表を薄く覆い、冷気を少しだけ押し返す。
だが、膜の端が霧に溶けるように揺らめき、すぐに薄くなる。
もし魔法がここまで低下しているのなら、ザハクレベルいや……ヴォイド・ヴェノムウルフにも勝てるのか怪しいぐらいだな。
俺は、多分最後まで大丈夫だけど、エレナはいつまで正気を保っていられる?
時間はそこまで残されてないようにも思えてきた。
焦れば焦るほど墓穴を掘るようにも思える。
俺はエレナの方を少し見て決断をした。
「今夜は、ここで一夜を明かすぞ。エレナ、交代で眠るぞ。何かあったらすぐに起こしてくれ」
「……はい。シビさん、どうか、わたくしのそばに……」
エレナが縋るように俺の腕を掴む。
金髪が俺の肩に落ち、彼女の体温がわずかに伝わってくる。
まだ火照りが残っているのか、彼女の指先が熱く、震えが止まらない。
吹雪が入り口の障壁を叩く音を聞きながら、俺たちは互いの体温を頼りに、この異質な島での夜を迎えた。
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