【R18】恋を知らない令嬢と死を望む化物のはなし

てへぺろ

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27. 六日目夜④

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 森に入ってしばらくすると、ぷつんと膜を通り抜けるような、妙な感触があった。それとともに、ぐっと身体が重くなる。
 目に見える風景は変わらないが、何かがまとわりつく濃密な気配があった。それが何か、シウにはよくわからなかったが、とにかく、ここが人の領域でないことは、よくわかった。

(空気がおかしい。早く終わらせなきゃ)
 
 いつ、あの魔獣の仲間が出てもおかしくない。もし、襲われたら一貫の終わりだ。
 足が震える。
 数歩進んで、恐怖に耐えきれずしゃがみこむ。
 シルクスタの外に出さえすればいいのだ。ここでも、問題ないはずだ。

 震える手でリュックの中から、携帯用のランプと木の箱を取り出す。木の箱は、シウの両手で抱えられるほどの大きさだ。宝石箱と言うには質素で、ただの書類入れにしてはものものしい。
 
 上部をぱかりとあけると、ボタンやスイッチがびっしりと並ぶ。端のアンテナを起こし、高く伸ばした。
 リュックから青色の透明な石を取り出して、真ん中の窪みに納める。左から順番に、スイッチをオンにする。蓋裏に書いてある番号に従ってボタンを押す。横の回転式のハンドルをゆっくりとまわした。

(お願い、つながって)

 脳裏に浮かぶのは、あの慌ただしい一日。
 平穏なズコット家、最後の日。
 父の書斎で震える弟の手を握りしめるしか、シウにはできなかった。

⸺魔力でジャミングされている! しかも逆探知された! シルクスタ内じゃ、この通信機は使えない!

 滅多に取り乱さない父親の、焦りに満ちた声。
 机を叩く鈍い音。
 扉を激しく叩く音。
 たくさんの重い足音。

 恐ろしい記憶を振り払い、シウは箱に仕込まれた機械の調整に集中する。

 ザザーと、ノイズ音が聞こえる。
 どんなにハンドルをまわしても、ノイズ以外の音が何も聞こえない。

(もっと、この森の奥にいかなきゃ。シルクスタから離れなきゃ)

 箱を抱えてなんとか立ち上がり、森の奥へ一歩進み出す。

 その途端、足元が沈んだ。
 ついさっきまで、ただの地面だったはずなのに、まるで泥沼のように足が沈む。慌ててランプで照らせば、地面だったはずの場所は漆黒の沼と化していた。
 
 そこからぬるりと黒い触手が何本も湧き上がり、シウの腕に、足に絡みつく。触手が触れたところから、身体の力が抜ける。恐怖のあまり、歯の根が合わない。
 沼に引きずり込むように、触手がぐいっとシウの身体を引っ張る。たまらず膝をつき、腕もつく。持っていたランプが転がって、それも沼に沈んだ。あたりは再び、月明かりだけが頼りの闇が支配する。

 反射的にゼンの名前を呼びかけて、唇を噛む。ここまで来たのは、シウの判断。シウの目的のために、なかば彼を騙すような真似までして、ここに来たのだ。危険は承知していた。この期に及んで、ゼンまで危険にさらすつもりはなかった。

(お父様、カルロ、助けられなくてごめんなさい)

 父と弟のことを思う。
 亡くなった母の面影を思う。

 無力感に、絶望に、打ちひしがれるシウの耳に、羽ばたきが聞こえた。すぐ手前の、木々の隙間から何かが羽ばたきながら降りてくる。

(飛竜!? ゼンさん!?)

 見上げたシウの目に映ったのは、そのどちらでもなかった。
 褐色の肌に黒い髪。漆黒のコウモリのような翼を背中に広げ、男が月の光を背に浴びながらゆっくりと降りてくる。見た目の年齢は、ゼンと同じか、もう少し上くらいか。
 
 背筋が粟立つほど、美しい男だった。彫刻すらもここまで美しく刻むことはできないだろう。人ではありえない奇跡の造形。
 強いて言うなら、ちょっと目つきが悪い気がする。しかしそれも、眼光の鋭さと相まって、そうあるべきと思わせる迫力に満ちていた。

(魔族!)

 シウは恐怖を通り越して、驚愕で、声が出ない。
 魔族は、ここ二百年以上、目撃情報がない。
 魔獣の森の奥にいるという噂だが、あまりに見ないので、実はいないのではないか説すら囁かれている。
 
 しかし、シウが一般教養で習った魔族の条件に、その男はぴったり当てはまっていた。本に描かれていた、耳まで口が裂けた魔族の絵は、こんなに美しくはなかったが。
 人を見れば必ず殺し喰らう負の生き物。
 喰われた魂は永遠に救われない。
 人類の永劫の敵。
 それが魔族だと、本には記されていた。
 
 男はシウのすぐ前に降りると、しゃがんだ。
 頬杖をついて、漆黒の瞳でシウを眺めてくる。

「こんにちわ?」

 魔族が普通に挨拶してきた。しかも、ちょっと微笑みかけてくれた。
 それにも驚いて、シウは固まってしまう。
 とにかく、相手が何を考えているのかわからなくて、恐ろしくて仕方ない。

「あれ? おっかしーなー。知能があればどんな生き物でも、会話できるはずなんだけど」

 しばらく首を捻っていた魔族は、ぽむっと手を打った。

「そっか、これでびっくりしちゃったか」

 するすると、シウの身体から黒い触手が離れる。沼のようだった地面も普通に戻った。

「安心してほしい。俺に触手プレイをする趣味はないんだ」
「そういう発想はなかったですから!」

 突っ込んで初めて、声が出たことに気づいた。あまりに魔族らしからぬ言葉に、条件反射で受け応えてしまった。

「こんにちわ?」
「こ、こんにちわ」

 今度は、シウも挨拶を返すことができた。
 ただ、腰が抜けて立ち上がれないが。

「何しに来たの?」
「ちょっと、シルクスタの外に出てみたくて」
「でもここは、人間が入っちゃいけない約束になってるよね?」

 その通りだ。
 基本的に、魔獣の森に入るのは禁忌も禁忌。
 万が一、魔族を怒らせたら、どんな目に合わされるかわからない。シウはその危険性を知りながら、家族を助けたくてここに来た。この魔族は、穏やかな雰囲気だが、それが本心とは限らない。
 シウの喉の奥は、カラカラだった。

(きっと、私の事情なんて、魔族には関係ない)

 シウは一つ大きく深呼吸して決心した。こういう時にやることはひとつだ。
 リュックから、白い箱を取り出す。高さが親指の長さ程度の平べったい箱だ。それを、両手で差し出して、地面におでこがくっつかんばかりに頭を下げた。

「勝手に入って申し訳ありません! こちら、お詫びの品になります! どうかこれで見逃してください!」

 ズコット家伝統のとりあえず平謝りである。必要があれば全力で謝る。そういう教育を、シウは受けていた。
 魔族は大人しく白い箱を受け取ると、ぱかりと蓋をあけた。そこには、色よく焼けた褐色のクッキーが綺麗に並んでいる。本来なら、おやつに食べるつもりでもってきてたのだった。

「ん。なるほど、詫び菓子ってやつ?……これならなんとか言い訳たつかな」

 魔族はクッキーをしばらく眺めて、顎に手をやりふむふむ頷いて、ちょっと匂いを嗅いだりなんかしている。
 
「一個食べちゃお」

 上機嫌に魔族が箱をあけてクッキーを一個取り出す。シウは、さっと茶を用意して渡した。

「ありがとう、君もどうぞ」

 一個くれたので、魔族の横に座って、一緒に食べる。甘いものを食べると、少し落ち着いた。
 横の魔族を見ると、片手で祈るポーズをしたあとに、上品に食べている。口を開けたときにちらりと犬歯のあたりに尖った牙が見えた。

「これは美味しいねー。俺の部下も喜びそうだ。甘味好きなやつがいてね」

 魔族が嬉しそうなので、他のおやつも薦めてみる。なかなか良い食べっぷりの魔族だった。

「うまぁい、魔力変換効率、だいぶいいな」

 ごちそうさまと言いつつ、また祈りのポーズをしている。雰囲気からして感謝の祈りだ。食材に、作り手に、感謝を捧げることを習慣としているのだろう。
 しかも、シウの作ったお菓子を、どれも丁寧に食べてくれた。一気にこの魔族への好感度が、爆上がりしたシウだった。

「いっぱいもらっちゃったから、礼代わりにひとつ、君の問題を解決してあげるよ。さっき、なんか苦労してたろ」
 
 魔族はシウの足元に転がっていた箱を取り上げる。ひっくり返したり、軽く中を開けたりしていじりはじめた。
 シウは壊されやしないか心配になった。機械魔術都市から取り寄せた高価なものなのだ。

「それ、大事なやつなんです」
「でもここじゃ使えないだろ? 俺が張ってる結界のせいだと思う」

 しばらくいじっていたら、ザザーというノイズの合間に、途切れ途切れに音声が聞こえてきた。しかしどうにも音が小さい。

「魔力不足っぽいな? これ、動力どうしてんの」

 シウが真ん中の石を指すと、魔族が石に人差し指を押し当てた。黒い靄がその石の中で渦巻く。その途端、クリアで明るい声が響き渡った。
 
「きこえますか!? こちらアクムリア連邦王国外務担当です!」

 シウは慌てて、マイク部分に話しかけた。
 
「お世話になっております。ズコット商会のシウリールです。シルクスタからの亡命を希望します。虹の荒野での保護対応を要請します」
 
 暗い魔獣の森に、シウの声が響いた。
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