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「アニキ、返事できました?」
「う、まだ……」
昼に届いた梓からのメッセージは、今夜食事に行かないか、というものだった。
仕事の合間にとりあえず梓の名前は伏せてノリに相談をすると、どこか呆けた顔で感心されるという不思議な反応が返ってきた。
そもそも連絡先を交換したこと自体に驚いて、食事の誘いをどうするか悩んでいる事に更に驚いたらしい。
だってアニキ、今まで誰に誘われても悩みもせずに断ってたでしょとの言葉に、怜は苦笑しながら頷くしかなかった。
今は仕事も終わって、ノリを引き止めてスタジオの外でしゃがみ込んでしまったところだ。
どうしたらいいのか分からない。隣に並んでしゃがんでくれたノリに悪いと思うのに、何も決断することが出来ないでいた。
「ねぇアニキ。これは俺のひとり言なんですけど」
「……へ?」
「人間関係ってたしかに大事だけど、アニキの心を磨り減らしてまで新たに持つ必要はないって思ってたんすよね。俺とか加奈とか、分かってるヤツが少しでもいる事がアニキにとって良いんじゃないかなって。それは今も思うっす。でも……アニキが悩んでるのに、なんだか今は嬉しい、っつうか」
「嬉しい?」
「はい。だってアニキ、今までの……苦しんで悩んでる時の顔とは違うっすよ。その人との関係、大切にしてみたいって思ってるんじゃないすか?」
「そう、なのかな」
「少なくとも、二週間もやり取りできるくらいには楽しいんでしょ?」
「……ん」
ノリの言う通りなのだろうと、疑う隙すら本当はないと怜はゆっくり自覚する。
窮地から助けてくれた優しさ、すぐに生まれた気安い会話の楽しさ。ほんの少しメッセージを送り合う時間を、実は待ち望んでいる。
自分はまだ、新しく誰かと関係を結ぶ事が出来るのだろうか。
職場の客から友達だとか、ひとつ踏み込んだ親しい仲になってもいいのだろうか。
それを、望んでいるのだろうか。
自分に問うてみると、明確な答えが浮かぶよりも先に、今日の誘いにイエスと答えたいと自然にそう思う。
「ノリくん、僕行ってみるよ」
「ほんとっすか!? アニキがそうしたいならそれがいいと思うっす」
「うん、ありがとう」
「へへ、どういたしましてっす。じゃあほら、返事しなきゃ」
「そうだね、えっと……」
そうと決まったならと怜はメッセージアプリを開き、けれど次はどう返そうかと悩んでしまう。
画面とにらめっこをしながら下を向いていると、自分の事のように隣でそわそわしていたノリが不意に声を上げた。
「あ、梓くんだ。おーい」
「へ……え!?」
「ん? アニキどうしたんすか?」
ノリは立ち上がって、遠くに見えたらしい梓に手を振る。驚いて怜もそちらを見ると確かに梓の姿があって、思わず慌ててしまう。
怜の様子に不思議そうにノリが首を傾げているけれど、メッセージの相手は梓なのだと、たったそれだけの言葉が出てこない。
「あ、えっと……」
「怜さん、ノリくん、こんばんは」
「梓くんこんばんは! 今日カペラさん予約入ってたっけ? って……ん? 何かあった?」
そうこうしている間に、ものの数秒で梓が二人の目の前に到着してしまった。昼から返信をしていないままなのだから怜は気まずい。ノリはいつもと違う空気を感じたようで、今度は反対方向に首を傾げる。
「今日はレコーディングじゃないんだ。怜さんに会いに来た」
「へ? アニキに?」
「あー……ノリくん、返信しようとしてた相手、アズサさ……梓くん、なんだ」
「え……え!? アニキを助けてくれて、実は近くに住んでたって分かった、今日ご飯一緒に行くのが梓くん!?」
「あは、ノリくん全部知ってる」
ノリが丁寧にそう言うと、梓はマスクに拳を当てて可笑しそうにくすくすと笑った。勝手に相談してしまった手前、怜は気まずさを覚え指先で頬を掻く。
「ごめん梓くん……ノリくんにあの、話聞いてもらってて」
「いや、全然大丈夫ですよ。俺も押しかけちゃったしすみません」
「あ、ううん。返事できてなくて僕こそごめん」
「ぷっ、あはは!」
「ノリくん?」
二人で謝り合っていると、堪えきれないとでも言うようにノリが吹き出した。怜と梓が同時に名前を呼ぶとそれも可笑しかったらしく、今度はひぃひぃと腹を抱えて笑いながら、にじみ出た涙を拭っている。
「はぁ~。安心したらすげー笑っちゃった。アニキ、俺さっきはああ言ったっすけど、実はどんなヤツか不安だったんすよね」
「ノリくん……そうだったんだ」
「っす。アニキが変なことされないか尾行して見極めようと思ってたし。でも梓くんなら俺心配ないっす!」
「尾行? ふふ、そっか。ノリくんありがとう」
少しだけ物騒な言葉に怜は目を丸くしたけれど、その明るい顔に覚えるのはただただ親身になってくれているノリの優しさだった。それだけノリは怜の事を気にかけているのだ。
ノリに改めて感謝して、梓に食事に行こうと口頭で返事をする。よかった、とほっとしたような顔を見せてくれる。
すぐに返信できず悪いことをしたなと悔やんでいるところに、そう言えば、とノリが怜を呼んだ。
「アニキは知らないままでしたっけ。ほら、梓くんって、アニキがよく聞いてるシー、」
「わ、ノリくん! 待って!」
「……へ、梓くんなに?」
何かを言いかけたノリを梓が慌てて遮る。それからノリの体をくるりと反対側に回して、梓は何か耳打ちをし始めた。
一体どうしたのだろう。目の前で秘密を交わされるのは、どうにも居心地の悪さがある。
怜が落ち着かないながらも待っていると、振り返ったノリが苦笑しながら頭を掻いた。
「あー、っと。アニキ、さっきのは何でもないっす。俺の勘違いだったみたいで」
「……怪しい」
「ほんとに! ほんと、梓くんとは俺も仲良くしてもらってるんすけど、すごくいい人だから。ね?」
「それは分かるけど……」
怜がチラリと梓を見上げると、あたふたしているノリを見てくすくすと可笑しそうに笑っている。
やっぱり面白くない、何故かチクチクと胸が痛むくらいに。
けれど同い年らしい二人には、二人だけの話があっても何も不思議じゃない。不機嫌になるなんて年上として恥ずかしいし、ここは飲みこもうと怜は頷く。
それに本当に何か隠し事があったって、ノリが自分を悪いように騙すことはないと信じられる。それだけの関係を築いてきたつもりだ。
「ま、いっか。じゃあ梓くん、今日はよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
「ぶふっ、やっぱり二人とも面白い」
「ノリくーん」
「ほらまたハモッた!」
気を取り直し梓へ頭を下げると、真似するように梓もぺこりと会釈をした。それをノリが笑うから、二人してじとりとした目を向けてまた同時に彼の名を呼ぶ。こんな戯れのような会話が愛しいほどに楽しい。
三人でひとしきり笑い、じゃあそろそろ帰るねと手を振るノリを見送ってから、怜と梓は街へと向かった。
「う、まだ……」
昼に届いた梓からのメッセージは、今夜食事に行かないか、というものだった。
仕事の合間にとりあえず梓の名前は伏せてノリに相談をすると、どこか呆けた顔で感心されるという不思議な反応が返ってきた。
そもそも連絡先を交換したこと自体に驚いて、食事の誘いをどうするか悩んでいる事に更に驚いたらしい。
だってアニキ、今まで誰に誘われても悩みもせずに断ってたでしょとの言葉に、怜は苦笑しながら頷くしかなかった。
今は仕事も終わって、ノリを引き止めてスタジオの外でしゃがみ込んでしまったところだ。
どうしたらいいのか分からない。隣に並んでしゃがんでくれたノリに悪いと思うのに、何も決断することが出来ないでいた。
「ねぇアニキ。これは俺のひとり言なんですけど」
「……へ?」
「人間関係ってたしかに大事だけど、アニキの心を磨り減らしてまで新たに持つ必要はないって思ってたんすよね。俺とか加奈とか、分かってるヤツが少しでもいる事がアニキにとって良いんじゃないかなって。それは今も思うっす。でも……アニキが悩んでるのに、なんだか今は嬉しい、っつうか」
「嬉しい?」
「はい。だってアニキ、今までの……苦しんで悩んでる時の顔とは違うっすよ。その人との関係、大切にしてみたいって思ってるんじゃないすか?」
「そう、なのかな」
「少なくとも、二週間もやり取りできるくらいには楽しいんでしょ?」
「……ん」
ノリの言う通りなのだろうと、疑う隙すら本当はないと怜はゆっくり自覚する。
窮地から助けてくれた優しさ、すぐに生まれた気安い会話の楽しさ。ほんの少しメッセージを送り合う時間を、実は待ち望んでいる。
自分はまだ、新しく誰かと関係を結ぶ事が出来るのだろうか。
職場の客から友達だとか、ひとつ踏み込んだ親しい仲になってもいいのだろうか。
それを、望んでいるのだろうか。
自分に問うてみると、明確な答えが浮かぶよりも先に、今日の誘いにイエスと答えたいと自然にそう思う。
「ノリくん、僕行ってみるよ」
「ほんとっすか!? アニキがそうしたいならそれがいいと思うっす」
「うん、ありがとう」
「へへ、どういたしましてっす。じゃあほら、返事しなきゃ」
「そうだね、えっと……」
そうと決まったならと怜はメッセージアプリを開き、けれど次はどう返そうかと悩んでしまう。
画面とにらめっこをしながら下を向いていると、自分の事のように隣でそわそわしていたノリが不意に声を上げた。
「あ、梓くんだ。おーい」
「へ……え!?」
「ん? アニキどうしたんすか?」
ノリは立ち上がって、遠くに見えたらしい梓に手を振る。驚いて怜もそちらを見ると確かに梓の姿があって、思わず慌ててしまう。
怜の様子に不思議そうにノリが首を傾げているけれど、メッセージの相手は梓なのだと、たったそれだけの言葉が出てこない。
「あ、えっと……」
「怜さん、ノリくん、こんばんは」
「梓くんこんばんは! 今日カペラさん予約入ってたっけ? って……ん? 何かあった?」
そうこうしている間に、ものの数秒で梓が二人の目の前に到着してしまった。昼から返信をしていないままなのだから怜は気まずい。ノリはいつもと違う空気を感じたようで、今度は反対方向に首を傾げる。
「今日はレコーディングじゃないんだ。怜さんに会いに来た」
「へ? アニキに?」
「あー……ノリくん、返信しようとしてた相手、アズサさ……梓くん、なんだ」
「え……え!? アニキを助けてくれて、実は近くに住んでたって分かった、今日ご飯一緒に行くのが梓くん!?」
「あは、ノリくん全部知ってる」
ノリが丁寧にそう言うと、梓はマスクに拳を当てて可笑しそうにくすくすと笑った。勝手に相談してしまった手前、怜は気まずさを覚え指先で頬を掻く。
「ごめん梓くん……ノリくんにあの、話聞いてもらってて」
「いや、全然大丈夫ですよ。俺も押しかけちゃったしすみません」
「あ、ううん。返事できてなくて僕こそごめん」
「ぷっ、あはは!」
「ノリくん?」
二人で謝り合っていると、堪えきれないとでも言うようにノリが吹き出した。怜と梓が同時に名前を呼ぶとそれも可笑しかったらしく、今度はひぃひぃと腹を抱えて笑いながら、にじみ出た涙を拭っている。
「はぁ~。安心したらすげー笑っちゃった。アニキ、俺さっきはああ言ったっすけど、実はどんなヤツか不安だったんすよね」
「ノリくん……そうだったんだ」
「っす。アニキが変なことされないか尾行して見極めようと思ってたし。でも梓くんなら俺心配ないっす!」
「尾行? ふふ、そっか。ノリくんありがとう」
少しだけ物騒な言葉に怜は目を丸くしたけれど、その明るい顔に覚えるのはただただ親身になってくれているノリの優しさだった。それだけノリは怜の事を気にかけているのだ。
ノリに改めて感謝して、梓に食事に行こうと口頭で返事をする。よかった、とほっとしたような顔を見せてくれる。
すぐに返信できず悪いことをしたなと悔やんでいるところに、そう言えば、とノリが怜を呼んだ。
「アニキは知らないままでしたっけ。ほら、梓くんって、アニキがよく聞いてるシー、」
「わ、ノリくん! 待って!」
「……へ、梓くんなに?」
何かを言いかけたノリを梓が慌てて遮る。それからノリの体をくるりと反対側に回して、梓は何か耳打ちをし始めた。
一体どうしたのだろう。目の前で秘密を交わされるのは、どうにも居心地の悪さがある。
怜が落ち着かないながらも待っていると、振り返ったノリが苦笑しながら頭を掻いた。
「あー、っと。アニキ、さっきのは何でもないっす。俺の勘違いだったみたいで」
「……怪しい」
「ほんとに! ほんと、梓くんとは俺も仲良くしてもらってるんすけど、すごくいい人だから。ね?」
「それは分かるけど……」
怜がチラリと梓を見上げると、あたふたしているノリを見てくすくすと可笑しそうに笑っている。
やっぱり面白くない、何故かチクチクと胸が痛むくらいに。
けれど同い年らしい二人には、二人だけの話があっても何も不思議じゃない。不機嫌になるなんて年上として恥ずかしいし、ここは飲みこもうと怜は頷く。
それに本当に何か隠し事があったって、ノリが自分を悪いように騙すことはないと信じられる。それだけの関係を築いてきたつもりだ。
「ま、いっか。じゃあ梓くん、今日はよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
「ぶふっ、やっぱり二人とも面白い」
「ノリくーん」
「ほらまたハモッた!」
気を取り直し梓へ頭を下げると、真似するように梓もぺこりと会釈をした。それをノリが笑うから、二人してじとりとした目を向けてまた同時に彼の名を呼ぶ。こんな戯れのような会話が愛しいほどに楽しい。
三人でひとしきり笑い、じゃあそろそろ帰るねと手を振るノリを見送ってから、怜と梓は街へと向かった。
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