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一章
初めての会話
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翌日。今日も朝からきちんと登校し、全ての授業を受けた。尊の異変も板についてきたようで、ケンスケとナベから冷やかされることもなくなってきた。
帰りのホームルームも千歳の観察をしながら終え、大きなあくびと共にぐっと伸びをする。ひとつ前の席のケンスケが「ゲーセンでも寄って行かね?」と言えば、「それいいな!」とナベもやってきた。放課後の解放感に浮足立つ、ふたりの会話に適当に頷いていた時。ふと聞こえてきた会話に尊はつい耳をそばだてる。
「私は犬派だなあ。懐いてくれて可愛いし!」
「俺も絶対犬!」
「俺もー。なあ三上は?」
尊との間でもつい昨日上がったばかりの話題で、そいつは猫派だぞなんて心の中で横槍を入れる。猫も可愛いよ、と言ってコッペの写真を見せたりするのだろうか。
だがそんな予想は的外れなのだと、すぐに知ることとなる。
「うん、犬ってかわいいよな」
「だよなー!」
ついぽかんと口を開け、斜め前に座る千歳の笑顔を尊は凝視してしまった。
本音を言えない性分なのだろうことは、ここ最近で分かってきている。だから気の乗らない球技大会のリーダーを引き受けてしまうし、他の頼まれごとも決して断らない。その後にこっそりとため息をつくくせに。
だがまさか、そんなことにまで同調してしまうとは。オレは猫がいちばん好きだよ、とたったそれだけ言えば済むことだろうと尊は訝る。昨夜俺に言ったみたいに、と。
歯痒さを覚えケンスケとナベへの相槌も疎かに、浅く腰かけた背で椅子に凭れかかり、くちびるを噛む。
何かがそうさせるのだろう、三上千歳という人物に。そしてそれは誰にも気づかれず、千歳の本音はあの笑顔の奥で消えるのか。千歳はそれでいいのだろうか。
得体の知れない焦燥感を持て余していると、そろそろ帰ることにしたらしい千歳たちの集団は教室の出入口へと向かい出す。最後尾に続く千歳の背がどうしても気になり、尊はひとつ舌を打って立ち上がった。
「俺が欲しい景品、電車乗んなきゃ置いてるとこなくてさ。って、尊?」
「どしたー?」
ケンスケとナベへの返事もしないまま、まっすぐ千歳へと近づきその手首を掴む。
「おい」
「え……え、花村!?」
「お前さ」
「っ、えっと……?」
「あー……」
けれど尊は口籠る。勢いだけはよかったが、いったい何を言えばいいのだろう。お前本当は猫が好きだろ、なんて言ってしまえば、ゲームもここで終了になってしまう。
だがそれでも。何もせずにはいられなかった。
よほど驚いたのか顔を赤くしている千歳の手首を開放し、彷徨った手は自ずと胸ポケットへと向かった。何かを考える時や手持無沙汰な時、そこに収まっている気に入りの飴を舐めるのは尊の癖だ。無意識な動きにラッキーとばかりに従い、飴をひとつ取り出す。
「これ、やる」
「っ、この飴……え、っと。貰っていいの?」
「おう」
「ありがとう……すげー嬉しい」
それにしたって、だ。話したこともなかった相手を突然引き止めて、飴を渡すなんておかしいに決まっている。どう言い訳をしようか。焦り始めた尊の背中に、想定外のブーイングが飛んできた。
「はあ!? 尊それ俺には絶対くんねーじゃん!」
「はいはーい、俺も俺も!」
「……いやお前らガキかよ」
「だってなあ? マジで1回ももらったことねーし」
「食いたかったら自分で買え」
「三上にはあげるのに?」
「ケチー! 贔屓だ贔屓!」
「っだー、うっせえ!」
ケンスケとナベがそんなことを言うものだから、貰っていいものかと千歳が狼狽え始めてしまった。手の上の飴と喧嘩でも始まってしまいそうな自分たちを、交互に見やっている。
「花村、これ……」
「いいから」
「でも」
「俺はお前にあげたの。な?」
「……うん」
「アイツらは気にしなくていいから。引き止めて悪かった」
教室の外でダチが待ってるぞ、と視線で知らせ、自分の席の方へと踵を返す。けれどすぐに振り返り、もう一度千歳を引き止めた。
「なあ」
「っ、なに?」
「俺は猫が好き」
「っ、……そう、なんだ」
じゃあな、と千歳に軽く手を上げて、今度こそ席に戻る。飴ぐれーで騒ぐな、とふたりを軽く小突き、けれど頭の中を占めるのは千歳ばかりだった。
「飴ぐれーってんならちょうだい」
「それな」
「やだ」
「ほら! 贔屓!」
「だってもう持ってねえもん」
「は……最後の一個あげたのか? あんな気に入ってんのを? 尊が?」
「それな。てか、尊が俺ら以外に話しかけんのも久々見た」
「天変地異マジで来るわこれ」
「な」
「お前らそれ言いたいだけだろ……」
クラスが同じになってもう秋だというのに、千歳と初めて会話をした。あんなに冷たく目を逸らされてきた割には、実際に話してみると嫌われているという印象に違和感を覚え始める。思わず掴んだ手を振りほどかれることもなかったし、それこそ飴ぐらいであんな喜ぶか? と思えるくらいには嬉しそうだった。
そして違和感は尊自身にも起こっていた。驚いたからとは言え淡く染まった顔を見られたことに、なぜか胸は高鳴っている。
「ゲーセン行くんだろ。早く行くぞ」
「あ、そうだった!」
面白いな、と確かに思う。あの三上千歳が妙な手を使ってまで、自分と関わろうとしたその事実が。それでもこの高揚感の正体は不明で、どうしたらいいのか分からない。そんな煩わしさを紛らわすように、行くなら早くしろとふたりを急かした。
そうして迎えたその晩、千歳からのメッセージに、尊は緩んでしまう口元をそっと押えることになる。
《今日はいいことがあった》
《どんな?》
《いいものもらった》
《へえ。高いもん?》
《美味しいもの》
《へえ》
自分との出来事にも当てはまる、かといって確証はない。俺のことだったらいいのに、なんて思ってしまう理由はやっぱり分からないけれど。コンビニで買い足した飴のカラカラと転がる音が、なんだかいつもより軽やかに聞こえたことだけは確かだった。
帰りのホームルームも千歳の観察をしながら終え、大きなあくびと共にぐっと伸びをする。ひとつ前の席のケンスケが「ゲーセンでも寄って行かね?」と言えば、「それいいな!」とナベもやってきた。放課後の解放感に浮足立つ、ふたりの会話に適当に頷いていた時。ふと聞こえてきた会話に尊はつい耳をそばだてる。
「私は犬派だなあ。懐いてくれて可愛いし!」
「俺も絶対犬!」
「俺もー。なあ三上は?」
尊との間でもつい昨日上がったばかりの話題で、そいつは猫派だぞなんて心の中で横槍を入れる。猫も可愛いよ、と言ってコッペの写真を見せたりするのだろうか。
だがそんな予想は的外れなのだと、すぐに知ることとなる。
「うん、犬ってかわいいよな」
「だよなー!」
ついぽかんと口を開け、斜め前に座る千歳の笑顔を尊は凝視してしまった。
本音を言えない性分なのだろうことは、ここ最近で分かってきている。だから気の乗らない球技大会のリーダーを引き受けてしまうし、他の頼まれごとも決して断らない。その後にこっそりとため息をつくくせに。
だがまさか、そんなことにまで同調してしまうとは。オレは猫がいちばん好きだよ、とたったそれだけ言えば済むことだろうと尊は訝る。昨夜俺に言ったみたいに、と。
歯痒さを覚えケンスケとナベへの相槌も疎かに、浅く腰かけた背で椅子に凭れかかり、くちびるを噛む。
何かがそうさせるのだろう、三上千歳という人物に。そしてそれは誰にも気づかれず、千歳の本音はあの笑顔の奥で消えるのか。千歳はそれでいいのだろうか。
得体の知れない焦燥感を持て余していると、そろそろ帰ることにしたらしい千歳たちの集団は教室の出入口へと向かい出す。最後尾に続く千歳の背がどうしても気になり、尊はひとつ舌を打って立ち上がった。
「俺が欲しい景品、電車乗んなきゃ置いてるとこなくてさ。って、尊?」
「どしたー?」
ケンスケとナベへの返事もしないまま、まっすぐ千歳へと近づきその手首を掴む。
「おい」
「え……え、花村!?」
「お前さ」
「っ、えっと……?」
「あー……」
けれど尊は口籠る。勢いだけはよかったが、いったい何を言えばいいのだろう。お前本当は猫が好きだろ、なんて言ってしまえば、ゲームもここで終了になってしまう。
だがそれでも。何もせずにはいられなかった。
よほど驚いたのか顔を赤くしている千歳の手首を開放し、彷徨った手は自ずと胸ポケットへと向かった。何かを考える時や手持無沙汰な時、そこに収まっている気に入りの飴を舐めるのは尊の癖だ。無意識な動きにラッキーとばかりに従い、飴をひとつ取り出す。
「これ、やる」
「っ、この飴……え、っと。貰っていいの?」
「おう」
「ありがとう……すげー嬉しい」
それにしたって、だ。話したこともなかった相手を突然引き止めて、飴を渡すなんておかしいに決まっている。どう言い訳をしようか。焦り始めた尊の背中に、想定外のブーイングが飛んできた。
「はあ!? 尊それ俺には絶対くんねーじゃん!」
「はいはーい、俺も俺も!」
「……いやお前らガキかよ」
「だってなあ? マジで1回ももらったことねーし」
「食いたかったら自分で買え」
「三上にはあげるのに?」
「ケチー! 贔屓だ贔屓!」
「っだー、うっせえ!」
ケンスケとナベがそんなことを言うものだから、貰っていいものかと千歳が狼狽え始めてしまった。手の上の飴と喧嘩でも始まってしまいそうな自分たちを、交互に見やっている。
「花村、これ……」
「いいから」
「でも」
「俺はお前にあげたの。な?」
「……うん」
「アイツらは気にしなくていいから。引き止めて悪かった」
教室の外でダチが待ってるぞ、と視線で知らせ、自分の席の方へと踵を返す。けれどすぐに振り返り、もう一度千歳を引き止めた。
「なあ」
「っ、なに?」
「俺は猫が好き」
「っ、……そう、なんだ」
じゃあな、と千歳に軽く手を上げて、今度こそ席に戻る。飴ぐれーで騒ぐな、とふたりを軽く小突き、けれど頭の中を占めるのは千歳ばかりだった。
「飴ぐれーってんならちょうだい」
「それな」
「やだ」
「ほら! 贔屓!」
「だってもう持ってねえもん」
「は……最後の一個あげたのか? あんな気に入ってんのを? 尊が?」
「それな。てか、尊が俺ら以外に話しかけんのも久々見た」
「天変地異マジで来るわこれ」
「な」
「お前らそれ言いたいだけだろ……」
クラスが同じになってもう秋だというのに、千歳と初めて会話をした。あんなに冷たく目を逸らされてきた割には、実際に話してみると嫌われているという印象に違和感を覚え始める。思わず掴んだ手を振りほどかれることもなかったし、それこそ飴ぐらいであんな喜ぶか? と思えるくらいには嬉しそうだった。
そして違和感は尊自身にも起こっていた。驚いたからとは言え淡く染まった顔を見られたことに、なぜか胸は高鳴っている。
「ゲーセン行くんだろ。早く行くぞ」
「あ、そうだった!」
面白いな、と確かに思う。あの三上千歳が妙な手を使ってまで、自分と関わろうとしたその事実が。それでもこの高揚感の正体は不明で、どうしたらいいのか分からない。そんな煩わしさを紛らわすように、行くなら早くしろとふたりを急かした。
そうして迎えたその晩、千歳からのメッセージに、尊は緩んでしまう口元をそっと押えることになる。
《今日はいいことがあった》
《どんな?》
《いいものもらった》
《へえ。高いもん?》
《美味しいもの》
《へえ》
自分との出来事にも当てはまる、かといって確証はない。俺のことだったらいいのに、なんて思ってしまう理由はやっぱり分からないけれど。コンビニで買い足した飴のカラカラと転がる音が、なんだかいつもより軽やかに聞こえたことだけは確かだった。
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