幻灯書庫の守人

高柳神羅

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第7話 泡沫の唐繰士

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 こんこん、と側面を軽く叩かれた本棚が、すっと浮かび上がる。
 右にスライドする本棚を見つめて、シオンはぱっと顔を輝かせた。
 振り返り、背後に佇む師の目を見つめる。
「ふむ」
 アルシャは頷いて、静かにシオンに歩み寄った。
 移動した本棚を見て、それからシオンの方へと顔を向ける。
「ちゃんとできたようじゃな」
「……私、魔法使えたんですね!」
 やったぁ、と小さく飛び跳ねるシオンの腰に下げられていた太陽の書が、苦笑混じりに呟くのが聞こえた。
「……本棚ひとつ動かせたくらいで、大袈裟だな」
「初めてとは、得てしてそういうものじゃよ」
 何か懐かしいものでも見るように、アルシャは微笑んだ。
「これで、別室への移動が自由にできるようになったの」

 ルナの妨害があってから、2週間。
 真面目に鍛錬を重ねてきたシオンは、簡単な魔法であれば扱えるほどには成長を遂げていた。
 書庫の本棚を動かすこと。手の届かない位置にある本を魔法で動かすこと。
 魔法としてはどれも初歩的なものではあるが、何もできなかった頃と比較すると大きな進歩である。
 特に、本棚を動かせるようになったのは大きい。これまではアルシャの助けがなければ部屋の移動もままならなかったことが、1人でできるようになったのだから。
 1人前に1歩近付いたという実感が、彼女の気分を高揚させる。
 鼻歌混じりに書の整理を行っていた彼女は、
「いらっしゃいませ!」
 扉から入ってきた少女を、これ以上ないというくらいの満面の笑顔で出迎えた。
「こ……こんにちは」
 その少女は、踊り子のような煌びやかな装束を身に纏っていた。
 腕や腰を揺らす度に、しゃらりと鈴の音のような軽やかな音を立てる。
 花のように結い上げた金の髪には金細工の花飾り。要所にあしらわれたオパールが、ランプの明かりを反射して虹色に輝いている。
 傍らに細工が見事な兜らしき帽子を被った小さな人形を連れている。少女が特に何かをすることもなく動いているのは、この人形自体が自分の意思で自由に動く機関を備えた自動人形オートマトンだからなのだろう。
 頭部が大きく、兜を深く被っているために目線を何処に向けているのかは分からない。しかし少女の意にそぐわない行動は取らないように造られているようで、勝手に動き出す気配は感じられなかった。
「此処にはどんな本でもあるって、本当?」
 少女は腰に手を当てて、言った。
「あたし、どうしてもお金稼ぎがしたくてさ。何か商売のヒントになるような本、探してるんだけど」
「えっと……経済学の本とか、そういう本ですか?」
「これはまた、可愛いお客様じゃのう」
 自分の席から飛び降りて、アルシャは少女の傍らに佇んでいる人形を見上げた。
「ふむ……魔法人形オートマトンか。珍しい型じゃな」
「そりゃそうさ。ロワはあたしが1から設計した特別製だからね」
 少女は胸を張り、右手で軽く宙を撫でる仕草をした。
 ロワ、と呼ばれた人形が、アルシャの方に向き直ってぺこりと頭を下げた。体の大きさの割に小さな手足をしているにも拘らず、一連の動作は滑らかだ。
「あたしはエム。ロワと世界中を旅してる流れの唐繰士さ。普段は国の方で依頼される魔物討伐で生計を立ててるんだけど──」
 エム、と名乗った少女は、肩を竦めた。
「命張る割に実入りが少なくてね。国の依頼って。それで、何か他にできる商売みたいなのがないか考えてるんだよ」
 そこで幻灯書庫の話を聞き、何か商売のネタになるような知識を求めて来たのだと、彼女は説明した。
 本との出会いを求める人にも色々いるんだな、とシオンは胸中で呟いた。
 アルシャは微笑んだ。
「此処には様々な書がある。御主が求めるような品も、何処かにはあるじゃろう」
 シオンの方についと視線をずらして、彼女は言った。
「シオン。一緒に探しておあげ。本棚を動かせるようになった御主なら、そう苦もなく探すことができるじゃろうて」
「へぇ、魔術師なんだ。君」
 エムはシオンの全身を値踏みするように見つめて、笑った。
「変わった格好をしてるなとは思ったけど。宜しく頼むよ、若い司書さん」

 エムが住む世界には、魔術師という存在がいるらしい。
 魔女と同じように数多の魔法を操り、様々な仕事をして日々を暮らしているのだという話をエムはシオンに語って聞かせた。
 見たこともないような実在する世界の話に、シオンは顔を輝かせっぱなしだった。
 新しい本を手に取った時のようなときめきが、彼女の心を満たしていた。
 そんな世界が本当に存在するのなら、いつか見に行ってみたい、と思うのだった。
 『扉』を自由に開くことができるようになれば、そういう好奇心も満たすことができるようになるのだろうか。
 いつか必ず、できるようになろう。そう決意を固めつつ、彼女は手を伸ばして頭上にある本を1冊手に取る。
「こんな本は如何ですか?」
 ストライプ模様の装丁が施されたその本の表紙には、道化師のシルエットが描かれている。
「道化師が奇術を使って人を驚かせる、奇譚です」
 梯子を器用に登ってきたロワに本を手渡す。
 ロワは片手で器用に梯子を伝いながら降りていき、足下で待っていたエムに受け取った本を手渡した。
 シオンが勧めた椅子に腰掛けて、彼女は本の表紙を捲る。
 読み進めること、しばし。
 ふと顔を上げて、エムは右手で軽く手招きをした。
 主人の命を受けたロワが、ちょこちょこと彼女の隣まで歩いていく。
 そんな小さい肩を軽くぽんぽんと叩いて、エムは大仰な台詞を述べ始めた。
「御覧あそばせ、お客人。此処におわします唐繰の、夢を紡いだささやかな魔法のひとときを」
 ロワが両手をすっと頭上に掲げる。
 小さく細い、3本指の黒い手。その掌に、山吹色に輝く炎の玉が出現した。
 炎の玉は大きくなっていき、ロワの頭と同じほどの大きさまで成長したところで、ぽんっと軽い音を立てて弾けた。
 紙吹雪と色とりどりのリボンが飛び散って、辺りの床を花咲いたように彩る。
 ぽかんとするシオンに、エムは苦笑を向けた。
「魔術師なら、この程度の魔法なんて見ても驚かないだろ? 面白い顔するね、君」
「シオンは、まだまだ駆け出しじゃからなあ」
 テーブルの上で書き物をしていたアルシャが、笑いながら横から口を挟む。
 シオンは何だか恥ずかしくなり、思わず声を上げていた。
「せ、先生!」
「あはは、誰だって最初は駆け出しだよ。照れなくたって、恥ずかしいことじゃないじゃないか」
 うん、と頷いて、エムは再度本に目線を落とした。
「大道芸をする唐繰士は、結構いるんだ。ロワみたいに魔法を使う唐繰はそうそうお目にかかれないけどね」
 そっか、と何やら納得したように呟いて、言う。
「そこが、珍しい芸になるのかなぁ……ひとつの方法として、真面目に考えることにするよ」
「お役に、立ちましたか?」
「それなりにね」
 エムはにこりと微笑んだ。
 その笑顔につられて、シオンもまた笑い出す。
 アルシャは、そんな彼女たちの遣り取りを微笑みながら見つめていた。

「うぅん……」
 長らく本に目を落としていたエムが、両腕を頭上に上げて背筋を伸ばした。
「ずっと活字に目を向けてると肩凝るね。今何時だい?」
「えっと……」
 シオンは辺りを見回した。
 幻灯書庫には、時計の類はない。窓もない建物の造りでは、一見して時間を把握するのは困難だ。
 外界とは異なる時の流れ方をしている場所なのだから、何ら不思議なことではないのだが。
 しかし、外からの客人にとっては不便だろう。
 シオンも大分慣れてきたとはいえ、未だに書庫のそういう部分には戸惑うことがあった。
 時を把握するものが何かないかと探しているシオンに、アルシャは助け舟を出した。
「そろそろ、夕方になるかのう」
 席から降りて、隣の部屋に行く。
 茶器一式を持って戻ってきた彼女は、テーブルの上にそれを置き、尋ねた。
「紅茶でも如何かね?」
「夕方か」
 エムは本の表紙を閉じて、席を立った。
「すっかり長居しちゃったね。あたしはそろそろ御暇するよ」
 本返さなきゃねと本棚の方に行こうとしたので、シオンは彼女から本を受け取った。
 梯子を上がり、本を元の位置に返して。
 扉の方に歩いていくエムとロワを見送りに、早足でそちらへと歩いていく。
 エムは扉の前で振り返り、ロワと共に優雅に一礼をした。
「今日はありがとう。有意義だったよ」
「またいつでもお越し下さい」
 シオンの言葉に、エムはにこりと微笑んで。
「次に来る時は商売の自慢話ができるように、精進するよ」
 ロワがふりふりと小さな手を振る。

 そうして、小さく煌びやかな客人は幻灯書庫を後にした。

「私、もっと真面目に修行しなきゃなって思いました」
 本棚に本を片付けながら、シオンは言う。
「禁書の処理ができるくらいに……いえ」
 本を1冊本棚に戻したところで手を止めて、ふっと口元の笑みを消して、彼女は、
「ルナさんに負けないくらいには」
「まだ気にしていたのか」
 ソルは溜め息に似た吐息を漏らした。
「焦っていても足下を掬われるだけだ。焦る必要はない。ひとつずつ、目の前の目標を丁寧にこなしていけ。今はまだそれでいい」
 言ったはずだ、と彼はシオンの腰で揺られながら言った。
「私がいるうちは、奴の好き勝手にはさせん。慌てなくていい」
「向上心があるのは良いことじゃがな」
 紅茶を啜りながら、アルシャはのんびりと正面を見据えた。
 見慣れた本棚の壁が、ランプの明かりに照らされてゆらゆらと波打っているように見える。
 いつも通りのその風景に何を見ているのか、何処か遠い目をしながら、彼女は呟く。
「……儂も、心を決める時期に差し掛かっているのかもしれんな」
 かちゃりとカップを皿の上に置く。
 その呟きを聞いていたのかいまいか、ソルが気難しげな声を漏らした。
「そろそろ護衛術程度は、教えておいた方が良いかと」
「そうじゃのう」
 アルシャは頷いた。
「今後のことを考えたら、今からでも教えておくべきなんじゃろうな」
 次にルナが現れた時に、気後れしないように。間違ったことを間違っていると、声高に唱えられる自信が持てるように。
 アルシャはシオンの背中を見つめた。
 振り返ってくるシオンの視線をまっすぐに受け止めながら、彼女は、
「どうじゃろう。その気があるなら、次に教える魔法は護衛術にしようかと思うんじゃがの」
「はいっ」
 シオンは大きく返事をした。
 拍子にソルの重みで重心を崩し、梯子から落ちそうになって慌てて体勢を直す。
 1歩ずつ梯子を降りてくる弟子から目を離し、アルシャはテーブルの上に置いていた自分の杖を手に取った。
 使い古され、年季の入った愛杖を撫でながら、言う。
「書庫が変わっていくように、儂も変わっていかねばならんか。定めとはいえ、淋しいものじゃな」
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