幻灯書庫の守人

高柳神羅

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第9話 未来を見る眼

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 ぱちん、ぱちんとあちこちで火花が散る。
 縦横無尽に飛び回る悪戯精霊ピスキーは、草葉のような深緑色の衣裳の裾を翻し、アルシャが放つ魔法をことごとく避けては彼女を眼下に捉えて笑っていた。
「一筋縄ではいかんな」
 アルシャは杖を構え直し、溜め息をついた。
 その後方では、シオンが同じように杖を構えて悪戯精霊ピスキーの動向をじっと観察していた。
 すう、と息を深く吸い、唇を開く。
 高音で紡がれる彼女の歌声は、室内に満ちて悪戯精霊ピスキーの興味を引いた。
 悪戯精霊ピスキーの動きが止まる。全身を丸めるような格好になって、ゆっくりと中空から下りてくる。
 そのまま、それは霧のように薄れて消えていく。
 それまで周囲でがたがたと騒がしく暴れていた禁書たちも、子守唄を聞いたかのようにぴたりと動きを収めて、静かになった。
 ほう、とアルシャは声を漏らして構えていた杖を下ろした。
「たまげたのう。処理していない禁書まで一気に黙らせてしまうとはの」
「上手にできましたか? 私」
「上手下手、などという話ではないよ」
 構えを解いてアルシャに注目するシオンに、アルシャは笑いながら振り向いた。
「纏めて浄化など、儂にはできん。禁書の処理に関しては、儂よりも御主の方が数段優れておる」
「本当ですか?」
 はしゃぐシオンの腰で揺られながら、ソルは静かに言った。
「短期間で、よく此処まで成長したものだ」
「シオンは真面目に鍛錬を続けておったからな」
 ソルの言葉にうんと頷きながら、アルシャは杖を自分の席に置いた。
「もう1度、やってみるかね? 練習材料には事欠かないからの」
「はい!」
「ソル。禁書を運ぶのを手伝っておくれ」
「はい」
 シオンの腰のホルダーから取り出された太陽の書は、人の姿に瞬時に変わると別室へと向かった。
 自らも禁書が保管されている別室へと向かいながら、ふと思い出したように、振り返るアルシャ。その視線は、シオンが持つ杖に向けられている。
「そろそろ、杖を新調する頃合いかもしれんな」

 シオンが禁書の処理を行えるようになってからは、幻灯書庫に保管されている禁書の数は目に見えて減っていった。
 禁書を1冊ずつ処理するアルシャとは異なり、シオンは場に運んだ全ての禁書を一気に『浄化』してしまうからだ。
 歌声を媒体とする彼女の浄化魔法は、日にそう何度も行えないのが欠点ではあったが、それでも差し支えないほどに成果を上げている。
 今までいたちごっこを続けていた日々が嘘のようである。
 むしろ逆に処置が終わった本を元あるべきの本棚へと片付けることの方が大変になったくらいだ。
 それは、嬉しい悲鳴であると言えよう。
「えっと……30312番はこっちに……これはあっち……」
 ぶつぶつと呟きながら、シオンは処理が終わった本たちを丁寧に本棚へと戻していく。
 時折本が彼女の手を離れて飛んでいくのは、念動の魔法を掛けられているからだろう。
 使いこなせる魔法が増えてから、シオンはとにかく魔法を行使する機会が増えた。
 彼女にとっては、片付けひとつに魔法を用いるのも鍛錬のうちなのだ。
「この調子でいけば、すぐに禁書庫は空になりそうじゃな」
 大きなさざれ石を小さな棒鑢で削りながら、アルシャは言う。
 隣で紅茶を淹れていたソルが、そんな彼女に提言した。
「ルナがどう出るか、次第かと」
 角砂糖を2個とスプーンを沿えて、アルシャへと差し出す。
「あれが事を黙って見過ごすとは思えません。シオンが浄化魔法をものにした今、1番警戒しなければならないのは奴の存在です」
 自分が本気になったら此処を潰すことなど造作ない。
 ルナがソルに残した言葉だ。
 ルナは、言葉通りに今は遊んでいるのだ。いたちごっこを敢えて楽しんでいるのである。
 その裏に彼なりの思惑があることをソルは承知している。
 互いに分かっていて、互いに相手を捨て置いていることを知っている。
 遊ぶのをやめた時。その時は、争いになるだろう。
 果たして、相手がどう出るか。それがソルの懸念だった。
「アルシャ様」
 ソルは言った。
「始まりの禁書──アルシャ様はあれを焚書にしないと仰っておいでですが、あれはそんなに特別な書なのですか。わざわざ禁書のまま保存している理由が、私には理解しかねるのですが」
「……あれは、のう」
 紅茶に角砂糖を入れて掻き回しながら、アルシャはソルの顔を見た。
「人を封じた魔道書なのじゃよ」
 紅茶を一口啜り、カップをソーサーの上に置いて。
 芳香の付いた息を鼻からゆっくりと吐き出し、続けた。
「本来ならば、儂の代わりに幻灯書庫の守人になるはずだった人物……儂の父親が封じられている本なんじゃ」
「父君が……?」
「元々この書庫を作ろうと最初に言い出したのは、儂ではなく父の方での。儂は父の代わりに此処を作り、今日まで此処を守ってきたのじゃよ」
「……では、かの書に封じられている悪戯精霊ピスキーというのは、もしや」
「うむ」
 アルシャは頷いた。
「父のアドレアなんじゃ」
「…………」
 ──何故、アルシャが禁書を焚書にしたがらないのか。
 その理由の一端を知らされたような気がして、ソルはふぅと大きく息を吐いた。
 ルナを強く諌めない理由。きっとそれと同じようなことなのだろう。
 本を本棚に片付ける作業を終えたシオンが、梯子からゆっくりと下りてくる。
 そちらに目を向けて、ソルはテーブルの上に腰を下ろす。
 瞬時に太陽の書へと変化し、彼は静かに言うのだった。
「あまり、情に翻弄されすぎませぬように」
「分かっておるよ」
 アルシャは苦笑する。
 自分はもう子供ではない。守るべきものと、切り捨てるべきものの分別は付けているつもりだった。
 それでもやはり、心の何処かでは捨てきれない部分がどうしてもあるのだろう。
 我ながら矛盾しているな、と彼女は胸中で独りごちた。
「片付けが終わりました。先生」
 報告にやって来るシオンの顔をじっと見上げる。
 怪訝そうに小首を傾げたシオンが、尋ねた。
「どうかしましたか?」
 今守るべきは幻灯書庫と、此処にいる愛弟子なのだ。
 自分に言い聞かせ、アルシャは何でもないとかぶりを振った。
「シオンも休憩におし。ずっと動きっぱなしで疲れたじゃろう」
「悪いけど」
 唐突に、聞き慣れた声がアルシャの言葉を遮る。
 本棚の隣の扉が開き、小脇に何冊かの古めかしい本を抱えたルナが姿を現した。
「休ませるわけにはいかないかな。そのお嬢さんは、放置しとくわけにはいかないって俺の勘が告げてるから」
 無造作に、抱えていた本をばさりと宙に放り投げる。
 本は床に落ちずに、ルナの周囲を固めるように浮遊しながらその表紙をそれぞれ開いた。
 辺りが濃い闇色の霧に包まれ、魑魅魍魎のような出で立ちをした悪戯精霊ピスキーが何体も出現する。
 牙を剥き出しにし、長く凶悪な爪を光らせて、それらは一斉にシオンを注視した。
「!」
 びくりと身を震わせて、シオンは腰に差していた杖を手に取った。
 一瞬遅れて、彼女の足下に小さな魔法陣が現れる。
 それは光の蔦を幾本も伸ばし、絡み合って、彼女を包み込む鳥籠のような形になった。
 今の魔法を放ったのは。
「禁書庫から持ち出したのか……」
 シオンの前に立ち塞がるソル。いつにも増して、眉間に皺が寄っている。
 彼は右手でさっと印を切り、ルナを牽制する構えを取った。
「此処まで来ると、もはや悪戯の域を超えている。覚悟はできているだろうな」
「俺は前に言ったよ? その子を此処に置き続けるなら、俺にも考えがあるって」
 ルナは飄々と肩を竦めた。
「無理矢理排除するしか、ないよねぇ?」
 悪戯精霊ピスキーが、同時に動き出す。
 アルシャは席を立ち、杖の先端を文字を描くように動かした。
 先端がなぞった箇所から、光の帯が生まれ出て悪戯精霊ピスキーへと飛んでいく。シオンに飛びかかろうとしていた悪戯精霊ピスキーの1体は、それに全身を絡め取られて甲高い悲鳴を上げながら黒い塵と化した。
「ルナ」
 別の1体に先と同じ魔法を放ちながら、アルシャはルナに視線を向けた。
「できるだけ避けたかったんじゃが……仕方ないの」
 ふう、と溜め息をつき、双眸を閉ざす。
 再度開いた時には──彼女の顔から、普段のおっとりとした柔らかさは消えていた。
「幻灯書庫の守人として、御主を禁書と認定する。禁書には然るべき処置を……後は、言わずとも理解しておるな?」
「…………」
 ルナは口の端を上げて、左手をすっと前方に持ち上げた。
 人差し指から生まれた輝きが、細い光線となってシオンへと飛んでいく。
 それを障壁を生み出して阻んだソルは、眼前に迫りつつある悪戯精霊ピスキーの腹部に青色のオーラを纏った左手を押し当てた。
 打ち出された衝撃波が、悪戯精霊ピスキーの胴体を真っ二つに割った。悪戯精霊ピスキーは苦悶の表情を浮かべ、掠れた声を発してソルの目の前から消えていった。
「わ、私だって……」
 きゅ、と杖を握るてに力を込めて、シオンは大きく息を吸った。
 恐怖に震えながらも紡がれる彼女の歌声は、残った悪戯精霊ピスキーの動きを停止させた。
 紅茶に溶かす砂糖のように崩れ去っていく悪戯精霊ピスキーたちを視界の端に捉えながら、ひゅうとルナは口笛を鳴らす。
「へぇ、ちょっと前までただの女の子だったのに。やるねぇ」
 ただの世界書に戻り床上にぼとぼとと落ちていく書の1冊をぱしっと宙で受け止めて、表紙を開く。
「浄化魔法……か」
 中を確認してぽいっと無造作にそれを床に放り投げ、唇を舐めにやりとする。
「俺には意味ないけど、禁書を出すのも意味はない、か」
 そして、ぼふんと煙のように姿を眩ませてしまった。
 辺りを見回すソルをくすくすと笑いながら、何処からともなく声を投げかける。
「作戦変更ーってね。今日のところは帰ってあげる。感謝してよ?」
「待て!」
 ソルは声を張り上げると、早足で本棚の間の扉を開き、飛び込むようにその場から姿を消した。おそらく禁書庫に戻ったであろうルナを追いかけていったのだろう。
 彼が施していた魔法の効果が消失し、シオンの周囲を護っていた光の蔦が消滅する。
 ゆっくりとその場から動いて、シオンは床に散らばった本を拾った。
「先生……」
「そろそろ、御主にも話しておくべきなのかもしれんのう」
 足下に落ちていた本を拾い、アルシャは小さく溜め息をついた。
「何故、この書庫が創られたのか……儂が此処で書庫の守人をしておるのか。この書庫にまつわる話を、全て」
 頭上を、見上げる。
 高く高く聳え立つ本棚の壁は、ランプの光を浴びながら、静謐に彼女たちのことを見下ろしている。
 3千年と変化することのなかった姿をもって、そこに佇み続けていた。
「聞いておくれ。儂の弟子としてではなく……一介の魔女として」
 シオンへと移ったアルシャの眼差しは、真摯で真剣そのものだ。
 シオンは拾った本を胸元に抱いて、ゆっくりと、静かに頷いた。
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