三十路の魔法使い

高柳神羅

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第100話 グルーヴローブを覆う影

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 俺は倒れたままの少女を抱き起こした。
 少女は完全に白目を剥いており、開いた口から粘液まみれの卵を溢れさせたまま動かなかった。頬に涙の跡が残っており、鼻の穴からは鼻水が垂れて筋を作っている。体を支える腕に時折びくんと震える感覚を感じるので、生きてはいるようだが……こちらの呼びかけに反応できるほどの意識は残っていなさそうだった。
「うえぇ……キモイなぁ、口から無理矢理卵産みつけられるなんてさ。何かさ、こういう映画、昔やってなかったっけ?」
「人間襲って脳味噌食っちまう地球外生命体が出てくるアレか? 面白ぇとは思うけどよ、外国映画って結末がワンパターンだから最後の方になると観るの飽きちまうんだよな」
 少女の様子を見たシキとリュウガが何やら世間話を始めた。
 あの二人、性格は真逆な感じなのだが歳が比較的近いためか、意外と話は合うらしい。俺だと知っている話題の年齢層に微妙なズレがあるから、その辺は羨ましいなと思う。
 二人の会話の遣り取りを聞きながら、俺は少女を俯かせて口の中に詰まっている卵を吐き出させる。
 口から出てきた卵が糸を引きながら地面に落ちていく。これを見てると冗談抜きで丼にてんこ盛りにされているいくらを連想してしまうから余計に腹立たしくなる。畜生、何でこんなに美味そうな見た目してるんだよこの卵。日本人に見せたら絶対にいくらと勘違いすると思う。俺だってあの蜘蛛が実際に卵を産みつけてる場面を見てなかったら、いくらと間違えてたかもしれない。
 口の中に人差し指を突っ込んで、中に残っている卵と粘液を丁寧に掻き出してやる。
 何とか口の中は綺麗になったが……どうやら卵は喉の奥の方にまで産みつけられてしまっているらしく、少女はまともに呼吸をしていない。粘液のせいで気道が完全に塞がってしまっているのだろう。腹も心なしか膨れてるような感じがするし、下手をしたら胃の中にまで卵が詰まってるかもしれないな。
 喉の奥に指を突っ込めばある程度は吐かせることができるが、それだけでは胃の中身まで完全に外に出すことはできない。
 仕方ない……命が懸かってるんだ、つべこべ言っていられない。
 俺は少女の体を一旦地面の上に横たえて、ボトムレスの袋から鍋と飲み水と塩を取り出した。
 鍋にカップ一杯分の水を入れ、威力を抑えた火魔法を唱えて火種を水に放り込み、湯を沸かす。大量の水を沸かす時はきちんと竈を作った方が良いのだが、今回は水が少量だし急いでいるのでこの方法を取らせてもらった。
 俺が火魔法を使った様子を見ていたアヴネラが、素っ頓狂な声を上げた。
「君、此処で火魔法は使わないでって言ったじゃないか! 人はいなくても、精霊たちの監視はあるんだよ! 君が火魔法を使ったなんて知られたら……」
「馬鹿野郎! 命と掟、どっちを優先するべきかなんてちょっと考えれば分かるだろうが! 黙ってろ!」
 俺が怒鳴ると、アヴネラはびくっと顔を強張らせて全身を震わせた。
 その間にも、俺は作業を進めていく。
 沸かした湯の中に、塩をスプーンで三杯入れて、掻き混ぜる。本当は計量スプーンがあれば良かったのだが、ないので大体の分量になるように目で確認した。
 そうして完成した塩水をカップに移し替え、少女の体を抱き起こして顔を上向かせる。
 噎せないように少しずつ、全ての分量を少女に飲ませていく。喉の中にものが詰まった状態で飲み込めるものかと心配だったが、何とか、少女は塩水を全て飲み込んでくれた。
 リュウガが小首を傾げながら尋ねてくる。
「何飲ませたんだよ、おっさん」
「ただの塩水だ。効果があるかは分からんが、俺が子供の頃は、間違って変なものを食べた子供に吐かせる時はこの方法がいいって言われてたんだよ。いわゆる民間療法ってやつだな」
 他にもマスタードをお湯割りにしたやつを飲む方法とか、卵の白身とオクラの茹で汁を混ぜたやつでうがいをする方法とかがあるらしい。
 あくまで民間療法なので、確実に効果があるわけじゃない。近くに病院があるのなら速攻で担いでいった方が確実なので、救急車を呼んでもすぐに来ない状況下にある時とか、そういう時に使ってほしい奥の手だ。
 この方法は、明確に効果が現れるまで三十分くらいかかる。少女の意識も朦朧としているので、あまり期待はできないが……何もしないよりはマシだろうと、そう信じたい。
 ほー、とシキが感心した声を漏らしながら手を叩いてくる。
「年寄りの知恵ってやつか! そんな方法があるなんて初めて知ったなぁ、俺。さっすが、おっさんだね! 頼るべきは先人の経験ってね!」
「年寄りって言うんじゃない。俺はまだ三十だ。おっさんって言われるのはしょうがないのかもしれんが、爺さん扱いはするんじゃない」
「俺から見たら立派な年寄りだよ。俺より十一も年上じゃなぁ。悪いけど若者扱いはできないね!」
「だったらもう少し敬えよ」
「えー、無理。おっさん、威厳ゼロだもん。さっきキレてた時はちょっと迫力あるなって思ったけどさ」
「…………」
 張り合おうとした俺が馬鹿だったようだ。
 俺は溜め息をついて、少女の体を再び地面に横たえた。
 周囲を見回して、散らばった蜘蛛の死骸をどう処理するべきかと考えていると。

「そこにいる貴様ら! 何をしている!」

 巨大な弓を持った女たちが、物凄い形相をしながら軽快な走りでこちらへと近付いてきた。
 チャイナドレスのようなデザインの白い服の上に、純白の胸当てを身に着けている。金属が御法度の国なので金属製でないことだけは分かるのだが、強度がありそうだということ以外は分からない謎の材質だ。太腿まである長いブーツを履き、両手には右と左で長さの異なる手袋を填め、頭には葉っぱの飾りが付いた帽子を被っている。そんな格好をした美女たちだ。もちろん言うまでもなく全員エルフである。
「ドライアドの報告を聞いてまさかとは思ったが……本当に、人間がこの国にいるとはな……しかも、そこの貴様、こともあろうに火を使ったそうだな!」
 美女軍団の先頭にいる人物が、俺に指先を突きつけてくる。
 彼女だけは、他のエルフたちとは着ているものが違っていた。白を基調とした武具というのは同じなのだが、服というよりも、ドレスのような形状をした鎧を身に着けている。他のエルフたちが着ている胸当てと同じ材質なのだろうが、本当に何でできているのだろうか……微妙に光沢があるそれは、ガラスのようにも、陶器のようにも見えた。流石にそんな脆い材質のものを鎧に使うはずがないので、少なくともそれらが材料になっているわけではないということだけは分かるのだが。
 また、彼女だけが持っている武器が違う。他のエルフたちが弓を持っているのに対して、彼女は剣を持っていた。背負った鞘に納められたそれはかなり長く、横幅もある。こちらも鎧同様に材質は不明だが、それなりに強度を備えているように見える。
「この国は人間の滞在を認めていない! 火を使うような輩ならば、ますます放置しておくわけにはいかん! 即刻此処から立ち去り、二度と姿を見せるな! 警告を無視するのであれば、この場で処分して──」
「待って、ウルヴェイル! この人たちはボクが連れてきたんだ! ボクの話を聞いて!」
 剣を抜きかけた女騎士を、前に出ながら制するアヴネラ。
 アヴネラが此処にいることに今初めて気付いたのか、彼女は驚愕の顔をして抜剣の手を止めた。
「姫様!?」
「此処にいる人たちは、ボクと一緒に森を滅びの危機から救ってくれた恩人なんだ。人間とエルフが争う時代は、終わったんだよ!」
 アヴネラは必死に訴える。これまでの俺たちとの旅生活の中で見聞きしてきたことから知った、この世界に存在する真実を。
 彼女の話に黙って耳を傾けていたウルヴェイルは、幾分かは冷静になった様子で静かに口を開いた。
「……ドライアドから話は聞いています。姫様がこの森を滅びの危機からお救いになられたこと。その偉業に助力した人間がいるということも」
 ウルヴェイルの深い群青色の瞳が、一瞬だけ俺たちの方を見る。
「……姫様の仰ることが真実であることは、認めましょう。……しかし、それが全ての人間族への信用に繋がるわけではありません。申し訳ありませんが、我々は、人間を信頼することなどできません」
「どうして!?」
 縋り付くようにウルヴェイルに迫るアヴネラ。
 ウルヴェイルは眉間に皺を寄せると、小さく溜め息をついて、その理由を口にした。
「姫様も御覧になられたでしょう。この国を蹂躙している、この忌まわしき蜘蛛共を……これを放ち、今もなお我らエルフ族を滅ぼさんと目論んでいるのは──他ならぬ、人間なのですよ」
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