悪役令嬢エリザベート様は一途な夢を見る

高柳神羅

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第1話 強欲なエリザベート

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「……もう一度、申し上げましょうか」

 わたくしは目の前で蹲っている少女に向けてそう言いました。
 少女、といっても、年齢は私の記憶が間違っていなければ、私と同じ十八歳だったはずです。
 この国では男女共に十五歳になれば成人として扱われ、結婚が許される年齢。そういう意味では、私も彼女もとっくに少女として扱われる年齢を過ぎているということになります。
 でも、私はどうも二十歳以下の方を大人として扱うことに一種の抵抗がありました。
 何故なのでしょう? 明確な理由は分かりません。分かりませんが、私の中にいる私が私に言うのです。あれはどうしても大人として見ることはできないと。これはどんなに教養があって礼儀が身に付いている方であろうと同じです。私にとって二十歳以下の方は、一律で子供なのです。
 そういうわけで、私は二十歳に満たない方はどなたであっても少年少女として扱うことにしていました。
 ですから、私もまだ少女です。夢を見ていたいお年頃なのです。
 しかし今は、少女に向けて夢の欠片などこれっぽっちもない冷たい言葉を述べています。
 仕方のないことなのです。これは、私にとって必要なことなのですから。

「あの御方との婚約を解消して頂けますか? あの御方と貴女とでは貴女の方が階級が上なのですから、そうすることは容易いはずです」

「嫌ですっ」

 少女は額に貼り付いたプラチナブロンドを指で掻き分けながら、震える声で私に訴えます。
 この街で五本の指に入るとも言われている美貌も、何百万とかけて仕立てたであろうワインレッドの上品なドレスも、全身から被った泥水のせいで台無しです。可哀想に。まあ、彼女に泥水を容赦なく浴びせたのは他ならぬ私なんですけどね。

「そもそも、どうして貴女にそのようなことを言われなければならないのですか!」

 彼女の名前はシャーロット・リーグル。この街で二番目の名家、リーグル家の令嬢です。
 通っている学園で一番の成績を修め、乗馬の技術も優秀。穏やかで誰にでも優しい性格はまるで女神のようだと街中の評判で、彼女に恋心を抱いている殿方も少なくないといいます。まさに人から愛されるために生まれてきた存在です。
 美しさも、富も、名声も手にしている恵まれた彼女ですが、それ以上に、彼女には恵まれていることがありました。
 それは、とある御方と婚約関係にあるということ。
 その御方は、この街で『ベルモット商会』という店舗を経営している貴族、ベルモット家の御曹司。文武両道な方で、商才にも恵まれており、その上美しく性格も良いという、まさに非の付け所がない殿方です。
 貴族としての階級はそれほど高い方ではありませんが、ベルモット商会といえば遠方の国にまでその名が知られている屈指の大店。所有している資産は王家にすら匹敵すると言われています。そこの御曹司であるあの御方と結ばれることは、数多くの女性が夢見ていた女性として最高の幸せなのです。
 その女性として最高の幸せを掴み取ったシャーロットは、おそらくこの世で最も幸せな少女であると言えるでしょう。
 あの御方と彼女の婚約は、彼女の周囲にいる者誰もが祝福しています。……ただ一人を除いて。
 私は薔薇色のルージュを引いた唇を笑みの形に作って、はっきりと答えました。

「それは、私があの御方を気に入っているからですわ。私は、あの御方が欲しいのです」

 ──そう。私はシャーロットの婚約者であるあの御方が欲しいのです。
 あの御方を一目見た時から、思っていました。あの御方は、必ず私のものにしてみせると。
 私が十八年間の人生の中で培ってきた知識と、女性としての魅力が詰まったこの体を使って。どんな手段を用いたとしても。
 既に決まっている婚約者を攻撃して婚約を破棄させることなど、小手調べのようなもの。どれほどの外道な手段を用いたとしても良心はこれっぽっちも痛みません。
 ああ、流石に女性相手に暴力を振るったりはしませんわよ? 確かに顔を原型がなくなるほどに殴って女性としての魅力を失わせてしまうのが最も手っ取り早い方法ではあるのですが、生きること自体が辛くなってしまうほどの苦痛を押し付けて喜ぶほど私は悪趣味なつもりはありませんので。
 私としては、これでも大分シャーロットのことを思いやっているつもりなのです。泥水を浴びせる程度で済ませてあげているのですから、優しいものでしょう?
 私は未だに中身が残っている木のバケツを右手で掲げる格好をしながら、言いました。

「あの御方は私のものになってこそ真の価値が出る御方です。貴女のような、ただ周囲に愛想を振り撒いて笑っているだけのお人形のような女性には相応しくありませんわ」

「貴女のような悪女に、あの御方は絶対に渡しません! 婚約破棄など、する気は毛頭ございません!」

「……まあ、学園の首席ともあろう御方が随分と物分りが悪いですこと。そんな聞き分けのない子には……こうですわ」

 べしゃっ。
 私はバケツの中に残っていた泥水を残らずぶちまけました。
 バケツの底に泥の塊が入っていたらしく、掌サイズの泥がシャーロットの額に命中しました。
 顔を伝っていく泥を必死にドレスの袖で拭うシャーロット。サファイアのような瞳が、潤んで普段以上に輝いて見えます。
 そういえば、泥ってお肌に塗ると汚れが落ちて美肌になるのでしたっけ。良かったですわね、シャーロット。貴女の自慢の肌が一層美しくなるようで羨ましいですわ。

「ふふっ、貴女の今の格好、貴女によくお似合いですわよ。体を洗うために泥遊びをしている子豚のようで」

 私は空になったバケツをその辺に放り投げました。バケツはがつんと固い音を立てて地面の上を転がっていき、ある人物の足下で止まりました。
 その人物は静かにバケツを拾い上げ、唇を真一文字に結んで、私たちのことを睨むように見つめていました。

「……また、君か……エリザベート」

 短く整えた金茶の髪が、そよ風に撫でられてふわふわと揺れています。
 光の加減によって淡い紫色にも見える灰色の瞳は、相変わらず最高級の宝石のようです。
 整った顔立ちは、まさに神様の芸術作品と申しても差し支えありません。髪が長かったら女性と見間違えてしまうかもしれない中性的なお顔は、まさに私のものになるに相応しい魅力を醸し出しております。
 私はスカートの裾をついと持ち上げて、彼に挨拶をしました。

「御機嫌よう、ルーク様。こんなところにまで私に会いに来て下さったんですの? 光栄ですわ」

 そう、彼が話題の御方──ルーク・ベルモット様。私が欲してやまない御方であり、現在はシャーロットの婚約者である御方です。
 ルーク様は唸るような低い声で、言いました。

「僕は以前言ったはずだぞ。もう二度と僕やシャーロットに付き纏うなと。それを懲りもせず……もう五十回にもなる。いい加減にしたらどうだ」

「五十回ではありませんわよ。まだ四十八回ですわ」

「どっちだろうが大差はない! いいか、君が理解するまで何度だって同じことを言うぞ! 僕やシャーロットに近付くな! 僕たちは迷惑してるんだ!」

 この遣り取りはいつものことです。私がシャーロットに婚約を解消するように交渉を持ちかけていると、まるでその空気を感じ取ったかのように何処からともなく現れて、似たような台詞を言うのです。
 今回で、四十八回目。いい加減同じ台詞は飽きました。たまには違う言葉を聞いてみたいものですわね。

「ルーク様が現在の婚約を解消して私のものになって下さるのでしたら、今すぐにでもシャーロットに近付くのはやめて差し上げますわよ」

「ふざけるな! シャーロットを貶めようとする悪女が! もう二度と、僕たちの前に姿を現すな!」

「……その御要望にはお答えできませんわね。貴方に近付かなければ、貴方を私のものにすることができませんもの」

 私は肩を竦めて小さく溜め息をつきました。
 ルーク様は興奮しています。今の彼にはどんな言葉を掛けたところで聞き入れてはもらえないでしょう。
 こうなってしまったら、素直に退散するのが賢い選択です。
 ルーク様が落ち着くのを待って、改めて、交渉にお伺いしましょう。欲しいものを手に入れるためには、時には一歩引くことも大切ですわ。

「今日のところは、これで失礼させて頂きますわ。また日を改めて、お話に伺わせて頂きますわね」

「君の話など聞く気はない! 帰れ!」

「それでは、御機嫌よう」

 私は二人に背を向けて、誰もいなくなった学園の庭を歩いていきます。
 背後から小さく、ルーク様がシャーロットを気遣う声が聞こえてきました。
 何と優しく、そして甘い言葉なのでしょう。私に浴びせていた罵詈雑言とは大違いです。
 いつか必ず、彼に甘い言葉を掛けて頂きます。そのために、どんな手を使っても、ルーク様を手に入れてみせますわ。
 私はエリザベート・ヴィーヴル。欲しいと思ったものは、この頭と体を使って必ず手に入れてきた女です。
 さあ、今回はどのような手を使いましょうか……
 考えを巡らせ一人含み笑いを零しながら、私は自分のお屋敷へと帰るのでした。
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