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第2話 エリザベートは思案する
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「……それで、そんな眉間に皺を寄せて気難しげな顔をしているのか」
私の正面に座り、控え目な動作で紅茶を飲みながら彼は言いました。
私はテーブルの中央に置かれている苺ジャムのクッキーを一枚手に取って、頷きます。
「私のこれからの人生を左右する大切な問題ですもの」
学園へは週に三日通うことになっていますが、その三日の中には半日しか学園で過ごさない日があります。その日は自宅勤勉の日と銘打たれており、生徒は各々の自宅で自主的に勉学に励むのです。
私は、こういう日に家庭教師の先生をお招きして、護身術の手ほどきを受けるように決めていました。
私はこの街で一番の爵位を持つヴィーヴル伯爵の一人娘です。ヴィーヴル家が持つ莫大な資産を狙って私の誘拐を企てようとする不届きな輩はごまんといます。
ですから、万が一襲われても自分で身を守れるように、護身術を身に付けることにしたのです。そうすればわざわざ護衛を連れて歩く必要もありませんからね。
因みに、護身術を学ぶことを最初に言い出したのは父ですが、どのような護身術を学ぶかは私が自分で決めました。そのための家庭教師を探して雇ったのも私です。
それが、今私の目の前に座っている彼というわけです。
「全く、お前の欲は底を知らないな。強欲の悪魔も真っ青だ」
「お褒めに預かり恐縮ですわ、ソウル先生」
「褒めてない。呆れてるのさ」
彼の名はソウル・ユグン。遥か東方にある離島出身だという御方です。
年齢は今年で三十五になると言っていましたが、とてもそうは見えない若々しい容姿をしています。
東方の離島生まれの人間の特徴である黒髪は、つやつやとしていてまるでカラスの濡れ羽のよう。眉間に深い傷があるのは、昔お仕事をしていた際に負った傷の跡なのだとか。でもそれが逆に彼の妖艶な魅力を引き出していると私は思います。派手な服は好かないといつも真っ黒な宣教師のような服を身に着けておりますが、きちんと身なりを整えれば道行く女性が放っておかないでしょうに……全く、勿体無いものです。
ソウルは手にしたティーカップをソーサーの上に戻して、私の顔をじっと見つめました。
黒曜石のような瞳に、私の姿が映り込んでいます。
「……それで、どうするんだ。今までにも色々やって、それでも全く成果がなかったんだろう?」
「そうですね……」
私はクッキーを食みながら考えます。
最初はルーク様に真正面から当たって交渉しましたが、ルーク様は全く取り合ってくれませんでした。
次にシャーロットに狙いを定めて彼女の鞄の中に脅迫文を忍ばせましたが、破り捨てられました。
すれ違いざまに足払いを仕掛けて転ばせても、掌をほんの少し擦り剥いただけで終わってしまいました。
彼女のお弁当に毛虫を仕込みましたが、悲鳴を上げさせる以上の役には立ちませんでした。
そして今日は彼女に泥水を浴びせました。結果は御覧の通りです。
ルーク様はシャーロットから離れようとせず、シャーロットも婚約は破棄しないとの一点張り。
此処まで来ると逆に清々しくもありますね。斬首台でも持ってこなければ、あの二人を繋いでいる絆は断ち切れないような気さえします。
でも、その程度で私の心は挫けたりしません。
逆に一層燃え上がります。次はどんな手を使ってやろうかと。わくわくするのです。
思案を巡らせていると、つい口元が緩んでしまいます。
その様子を見ながら、ソウルは言いました。
「どうだ、いっそのこと、最終手段に出るというのは」
「……と、申されますと?」
小首を傾げる私に、彼はにやりと何かを企む悪童のような悪い笑みを浮かべながら続きを述べます。
「既成事実を作るのさ。男が婚約者以外の女を抱いたという事実が周囲に知られれば、流石に何もなく婚約者と結婚というわけにはいかなくなるだろう。身分の高い名家ほどそういうことを気にするタイプが多いからな。上手くいけば、女の方から婚約を解消すると言い出すかもしれん」
「……成程」
ソウルは私のただ一人の理解者です。私が持ちかけるどんな相談も、彼は嫌な顔ひとつせずに聞いて、一緒に悩んで下さいます。
彼はとても頭が回る御方です。彼が私に対してして下さる助言は、いつも目から鱗が落ちるものばかり。その頭の良さは素直に尊敬してしまいます。
いつか、その知恵の回し方を私に教えて頂きたいものですわね。
「確かに、それが手っ取り早いかもしれませんわね。その場面をシャーロットが目撃してくれればなお都合が良いのですが、流石にそこまで現実は甘くはありませんか……でも、やってみる価値はありそうですわね」
「……俺が言い出しといて何だが、お前、自分の体を使うことに何の抵抗もないんだな」
「あら。利用できるものは何でも利用しろと私に教えて下さったのはソウル先生ですわよ?」
「それは、そうだが」
微妙にばつが悪そうに呟くソウル。彼は私からそっと目を逸らして、紅茶を一口飲みました。
ええ。私は欲しいものを手に入れるためならばこの体を捧げることすら厭わない女です。ルーク様を手に入れるためならば、純潔くらい喜んで捧げてみせましょう。
私は心の底から湧き上がってきた感情に身を震わせながら、微笑みました。
「本当に……悪い御方ですわね。ソウル先生は」
「お前ほどじゃないさ、エリザベート。何処までも強欲な悪魔の女」
「褒め言葉として受け取っておきますわね」
相談を終えた私たちは、それから幾許かの他愛のない会話を楽しみました。
そして、夕刻になり──今日のお役目を終えたソウルは、私に別れの挨拶をして自分の家へと帰っていきました。
ソウルのお家がこの街の何処にあるのかは、私は知りません。何やら人に詮索されたくないことが色々と彼の身の上にはあるようで、彼は誰かと一緒に暮らすことを敬遠しているのです。
彼がそう言い出さなければ、私は最高の待遇で彼をこの屋敷にお迎えしましたのに。残念です。
空になった皿とティーカップを片付けながら、私は考えます。
いつ、ルーク様のところへ寝取られに行くのが最良かと……
私の正面に座り、控え目な動作で紅茶を飲みながら彼は言いました。
私はテーブルの中央に置かれている苺ジャムのクッキーを一枚手に取って、頷きます。
「私のこれからの人生を左右する大切な問題ですもの」
学園へは週に三日通うことになっていますが、その三日の中には半日しか学園で過ごさない日があります。その日は自宅勤勉の日と銘打たれており、生徒は各々の自宅で自主的に勉学に励むのです。
私は、こういう日に家庭教師の先生をお招きして、護身術の手ほどきを受けるように決めていました。
私はこの街で一番の爵位を持つヴィーヴル伯爵の一人娘です。ヴィーヴル家が持つ莫大な資産を狙って私の誘拐を企てようとする不届きな輩はごまんといます。
ですから、万が一襲われても自分で身を守れるように、護身術を身に付けることにしたのです。そうすればわざわざ護衛を連れて歩く必要もありませんからね。
因みに、護身術を学ぶことを最初に言い出したのは父ですが、どのような護身術を学ぶかは私が自分で決めました。そのための家庭教師を探して雇ったのも私です。
それが、今私の目の前に座っている彼というわけです。
「全く、お前の欲は底を知らないな。強欲の悪魔も真っ青だ」
「お褒めに預かり恐縮ですわ、ソウル先生」
「褒めてない。呆れてるのさ」
彼の名はソウル・ユグン。遥か東方にある離島出身だという御方です。
年齢は今年で三十五になると言っていましたが、とてもそうは見えない若々しい容姿をしています。
東方の離島生まれの人間の特徴である黒髪は、つやつやとしていてまるでカラスの濡れ羽のよう。眉間に深い傷があるのは、昔お仕事をしていた際に負った傷の跡なのだとか。でもそれが逆に彼の妖艶な魅力を引き出していると私は思います。派手な服は好かないといつも真っ黒な宣教師のような服を身に着けておりますが、きちんと身なりを整えれば道行く女性が放っておかないでしょうに……全く、勿体無いものです。
ソウルは手にしたティーカップをソーサーの上に戻して、私の顔をじっと見つめました。
黒曜石のような瞳に、私の姿が映り込んでいます。
「……それで、どうするんだ。今までにも色々やって、それでも全く成果がなかったんだろう?」
「そうですね……」
私はクッキーを食みながら考えます。
最初はルーク様に真正面から当たって交渉しましたが、ルーク様は全く取り合ってくれませんでした。
次にシャーロットに狙いを定めて彼女の鞄の中に脅迫文を忍ばせましたが、破り捨てられました。
すれ違いざまに足払いを仕掛けて転ばせても、掌をほんの少し擦り剥いただけで終わってしまいました。
彼女のお弁当に毛虫を仕込みましたが、悲鳴を上げさせる以上の役には立ちませんでした。
そして今日は彼女に泥水を浴びせました。結果は御覧の通りです。
ルーク様はシャーロットから離れようとせず、シャーロットも婚約は破棄しないとの一点張り。
此処まで来ると逆に清々しくもありますね。斬首台でも持ってこなければ、あの二人を繋いでいる絆は断ち切れないような気さえします。
でも、その程度で私の心は挫けたりしません。
逆に一層燃え上がります。次はどんな手を使ってやろうかと。わくわくするのです。
思案を巡らせていると、つい口元が緩んでしまいます。
その様子を見ながら、ソウルは言いました。
「どうだ、いっそのこと、最終手段に出るというのは」
「……と、申されますと?」
小首を傾げる私に、彼はにやりと何かを企む悪童のような悪い笑みを浮かべながら続きを述べます。
「既成事実を作るのさ。男が婚約者以外の女を抱いたという事実が周囲に知られれば、流石に何もなく婚約者と結婚というわけにはいかなくなるだろう。身分の高い名家ほどそういうことを気にするタイプが多いからな。上手くいけば、女の方から婚約を解消すると言い出すかもしれん」
「……成程」
ソウルは私のただ一人の理解者です。私が持ちかけるどんな相談も、彼は嫌な顔ひとつせずに聞いて、一緒に悩んで下さいます。
彼はとても頭が回る御方です。彼が私に対してして下さる助言は、いつも目から鱗が落ちるものばかり。その頭の良さは素直に尊敬してしまいます。
いつか、その知恵の回し方を私に教えて頂きたいものですわね。
「確かに、それが手っ取り早いかもしれませんわね。その場面をシャーロットが目撃してくれればなお都合が良いのですが、流石にそこまで現実は甘くはありませんか……でも、やってみる価値はありそうですわね」
「……俺が言い出しといて何だが、お前、自分の体を使うことに何の抵抗もないんだな」
「あら。利用できるものは何でも利用しろと私に教えて下さったのはソウル先生ですわよ?」
「それは、そうだが」
微妙にばつが悪そうに呟くソウル。彼は私からそっと目を逸らして、紅茶を一口飲みました。
ええ。私は欲しいものを手に入れるためならばこの体を捧げることすら厭わない女です。ルーク様を手に入れるためならば、純潔くらい喜んで捧げてみせましょう。
私は心の底から湧き上がってきた感情に身を震わせながら、微笑みました。
「本当に……悪い御方ですわね。ソウル先生は」
「お前ほどじゃないさ、エリザベート。何処までも強欲な悪魔の女」
「褒め言葉として受け取っておきますわね」
相談を終えた私たちは、それから幾許かの他愛のない会話を楽しみました。
そして、夕刻になり──今日のお役目を終えたソウルは、私に別れの挨拶をして自分の家へと帰っていきました。
ソウルのお家がこの街の何処にあるのかは、私は知りません。何やら人に詮索されたくないことが色々と彼の身の上にはあるようで、彼は誰かと一緒に暮らすことを敬遠しているのです。
彼がそう言い出さなければ、私は最高の待遇で彼をこの屋敷にお迎えしましたのに。残念です。
空になった皿とティーカップを片付けながら、私は考えます。
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