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10 精霊教会

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 バシャッ

 靴に水がかかった。

「っ! 申し訳ございません! お許しを……って、なんだ。人形姫か」

 早朝に部屋から出ると、掃除中のメイドたちに出くわした。

 バケツを倒した粗相を謝罪しかけたメイドは、相手が私だと分かると、卑しむような顔で見て来た。

「こんな朝早くから邪魔をしないでくださいよ」

「ほんと、不気味ね」

 私は王女なのに、メイドたちからもバカにされている。

 いつものように何も聞こえていないふりを続けて、人形のように静かに歩く。

「あーあ。こんなのでも王女だから、働かなくていいなんて、ほんとうらやましい」

「しかも、婚約者があの賢者アスランの子孫のアーサー様でしょう!」

「『生贄聖女と賢者アスラン』良かったよね~。ラストは涙で本がびしょ濡れよ」

 ブルーデン家が出版した小説は、瞬く間に流行した。王都の女性に大人気だ。

「アーサー様は、賢者アスランと聖女様の子孫なんでしょう?」

 !?

 後ろから聞こえたメイドの声に驚いて立ち止まる。

「何それ?」

「『聖女の契り~真実の愛はあなただけ~』に書いてあったのよ。精霊界にたどり着いた賢者アスランは、一人の赤子を託されるの。それは、二人の涙の別れの夜に、聖女が身ごもった賢者アスランの子供なの!」

「きゃー!! 二人は一夜をともにしてたの?」

 !!してませんっ!!

 顔が熱くなる。違う、違う。あの夜は、私達はキスしかしてないっ!

「違うってば、それは二次創作された作り話よ。ちなみに、私は、賢者アスラン派じゃなくて、精霊宰相派よ。生贄を迎えに来た美貌の精霊と聖女の間に愛が芽生えて、二人はめくるめく夜を共にするの」

 !!してませんっ!!

 今度は背筋が寒くなる。
 ああ、ぶるぶる。あの冷血精霊と何が芽生えるって? 夜をともに?
 うぇ。吐きそう。気持ち悪い。

 ああ、嫌な会話を聞いたなぁ。
 アスラン様の小説が流行ったのはいいけれど、勝手に派生小説を書いて出版している人がいるみたい。大人向けの二次創作が受けているのか……。

 掃除もせずに盛り上がっているメイドたちを後に、私は離宮を出た。

 まだ早朝なため、息が白い。こんなに冷たい朝は100年前にはなかった。
 空から降りて来て、肩にとまった鳥の精霊をマントのポケットに入れてから、フードを深くかぶった。

 ルリの空間移動の力で、目的地まで直接行ってもよかったのだけど、100年ぶりに自分の足で教会まで歩きたかった。

 100年前も、この離宮から一人で精霊教会に歩いて通っていた。聖女になる妹を補佐するために。

 誰もいない離宮の裏門を通って、寂れた通りを歩く。
 薄汚れて、ごみが錯乱した道には、物乞いが眠っている姿が目立つ。やせ細って、死んだように眠る彼らに横に、紙に包んだ銀貨をそっと置く。

 昔は、この通りは、教会へ通う人たちでにぎわっていた。道の両端には出店が並び、客に呼びかける声で騒がしかった。各地でとれた色鮮やかな果物が、かごいっぱいに積まれていた。
 でも、精霊の加護のない今は、果実はもう実らない。

 目的地の精霊教会に着く頃には、持ってきた銀貨はほとんどなくなっていた。
 高くそびえたつ礼拝堂を仰ぎ見る。誰も掃除をしないのだろう。焼け焦げたすすで壁が黒く変色している。

 あれほど豪華で壮大だった教会の建物は、今はもうない。
 精霊の加護がなくなったことを逆恨みした民が、教会の豪華な建物に火をつけたのだ。礼拝堂だけが焼け残った。

 感慨深く立ち止まって見つめていると、隣のゴミ捨て場に大きな魔物蜘蛛の影が見えた。

「朝ごはん! 食べてくる」

 ポケットから出て来た鳥の精霊が、嬉しそうに飛んでいく。

「行ってらっしゃい。残さず食べてね」

 パタパタと飛ぶ青い姿を見送ってから、礼拝堂に一礼してから中に入った。

「100年……、ううん、15年ぶりね」

 空っぽの礼拝堂の中で、私のつぶやき声が響いた。
 精霊宰相が赤子の私をメイドに渡した場所だ。
 ゴミを避けながら、精霊王の像の前に立つ。

 どこか遠くを見つめている白い石の彫刻は、粗削りで、顔立ちや体つきは良く分からない。背中には大きな翼がある。

 聖女候補として修行した時、私はこの像を一日に何度も磨かされた。100年間も手入れされていないのに、白い石はかつてと同じ輝きを見せている。手を伸ばして、その冷たい石に触れる。

「私は、王女としての務めを果たせましたか? 生まれて来た罪を償えましたか?」

 昔のように、ひざまずいて祈ることはもうしない。私はもう、聖女じゃないのだから。

「どうか私の罪が許されますように。どうか私が国民を愛して、彼らのために命を捧げることができますように。……なんて、毎日祈っていた私の声は届いてました? 罪深い私は100年を生き延びてしまいました。王女として受け入れてもらっておきながら、国民のために死ねなかったのです」

 こつん。
 私は白い石像をこぶしでたたく。こんなこと、昔は畏れ多くてできなかった。でも、この石像には何の力もないことは、もう分かっているもの。

「私が生まれたことって、そんなにも罪深いことだった? 不貞を犯して私の母を妊娠させたのは、父でしょう? 私生児の私に何の罪があるっていうのよ」

 100年前の答えを求めようと、私は精霊王の像に語り掛ける。

「教会で下働きとして育てられたことも。神聖力が多いことが分かったとたん、王女として離宮に引き取られたことも。聖女候補になりながら、精霊王に選ばれなかったことも。全て、私のせいだっていうの?」

 感情が爆発して、涙があふれてくる。

「聖女に選んだ妹は、結局は浮気したのよ。そっちだって選ばれなかったんだから。ざまあみろ!」

 何も答えない白い彫刻を今度は思いっきり蹴りつける。
 っう、痛い……。
 足を押さえて振り返る。
 物音が聞こえた。
 誰かいる?


「はっ、あきれたな」

 低い声とともに、黒い影が教会の入り口から姿を現した。
 黒いマントに真っ黒な髪をした男の人だ。
 目も黒い。
 帝国人だ!

「かつては先祖が世話になったというのに、精霊王をなじるのか」

 バカにするように鼻で笑って、男は私に近寄って来た。
 呆然と立ちすくむ私のすぐ目の前に来る背の高い男。

 私の言葉を聞かれていた? 
 どこまで?
 私が王女とバレた?

「教会で発する言葉がざまあみろとは、とことん腐った国民だな」

 逃げ場をふさぐように、壁に手をついた男は私を見下ろした。
 黒い瞳が軽蔑の色を浮かべている。

 ざわりと、背筋が冷える。
 真っ黒な男。
 こわい。
 魔物と同じ色をしている。
 男は、獲物を狙うように目を細めた。そして、深くかぶった私のフードを覗き込もうとする。

「おまえ、顔を良く見せろ。その目は……? 暗いな。炎よ! 明かりを灯せ」

「!」

 男の左手に炎が出現した。

 魔法使いだ! この男は、帝国の貴族!

「ルリ!」

 呼び声に答えて、青い鳥が男の顔を狙うように飛んでくる。

「なんだ? 鳥?!」

 ルリを避けようと男が離れた隙に、私は出口へ走った。

「おい! 待て! なんだ、この鳥は?!」

 全速力で教会の外に走り出て、飛んできたルリの転移の力で離宮に戻った。
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