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【第一鐘〜夜の少年と真白き少女〜】
6 夢現
しおりを挟む白と黒ではなく、暗と冥。
明滅を繰り返し闇色のノイズが走るその向こう。
“いつか”の記憶に繋がる扉が、ほんの僅かに開かれる。
扉の向こうへと意識を向ける。その時には、開いた隙間を覗き込むようにして見る視界から、向こう側の世界を垣間見ていた。
吹雪くでもなく、けれど雪のように降り続く白の欠片。
見上げる空には、青を幾重にも重ね、明るさを失った漆黒の闇があり、広がる限りに続く大地の白さに、生き物の気配は何処にもなかった。
けれど“トゥリア”はその場所に一人佇んでいた。
何を見ていて、何を見続けているのか、ただ一人きりで仰ぎ、眺めている空。
景色を眺めているのでもなく、そこに注意深く見なければいけない何かがある訳でもなく、ただ、その青い瞳が映すままに彼方を仰ぎ続けている姿。
(これは夢だ・・・)
思う意識に反応してか、一瞬だけ、光景を引き裂く程にノイズが酷くなる。
けれど、その一瞬が過ぎ去れば、そこには変わる事なく、誰かを待つでもなく、何かを待つでもないトゥリアがただ一人で白の大地に佇んでいる姿がある。
何処にも行くことは出来ず、誰かを呼ぶ声すら持たない、これはそんないつもの夢だった。
トゥリアの記憶する限りに、この情景についての記憶はない。
この景色はトゥリアの知らない場所で、その筈だったのに、いつからかトゥリアはこの夢を見るようになっていた。
変化のない、どの世界からも切り離されてしまったかのような停滞した時間を思わせる光景。
雪のような白い欠片の明滅だけが、かろうじて流れている時間の証明であるかのように、けれど、そこにいるトゥリアには一切の動きがないままで。
この夢に、意味があるのかすらも分からない。
けれどその白く静かな光景を見ている時、トゥリアは決まって狂おしい程の切なさに焼け付く程の思いを感じてしまうのだ。
だからトゥリアは探し続けていた。この光景に続く場所と、その狂おしいと感じてしまう感情の先にあるものを。
ーサァー・・・
鋭くも柔らかくもない風が、白の欠片の数片を巻き込むようにして吹き抜けた。
はためく衣服に、トゥリア黒髪が靡く。
けれど、たったそれだけの事にトゥリアは驚きを感じずにはいられなかった。
風は、春のそよ風という程には弱くなく、嵐を呼ぶ突風という程には強くない。
初夏の水気の豊かさも、晩秋の乾燥した涼やかさでもない。季節感に欠けた、空虚な大地を征くそれだけの風。
けれどそれは、トゥリアの見続けてきたこの変わる事のない夢の中での、紛れもない一つの変化だった。
ーリィンー
(・・・鈴?)
静かな風の揺らす、鈴の音を思った。
その微かな音色は、この静寂の夢にあっても聞き逃してしまいそうな程に小さな響きだった。
いつも一人仰いで、ただ見ていた漆黒の空。
ふと気が付けば、いつの間にか降り続けていた白の欠片は止んでいて、本当に黒一色の果てない空がトゥリアの視界の限りに広がっていた。
本当にこの夢は、いつもと何かが違うのかもしれなくて・・・
ー見つけた・・・ー
「・・・っ・・・え?」
間近に聞いた声へトゥリアは思わず反応していた。
そうして、弾かれたように“開く”双眸。
トゥリアは自分の発した声が帯びている驚きの感情を、自分自身の耳で聞いて認識する。
開いた目。その瞳は光を感じ、耳が言葉を音として拾っている。
自分自身の口が紡いだ、単純で意味のない言葉の断片を聞いたのだ。
「え・・・?」
更にもう一度、口に出してしまう戸惑いの声。
トゥリアは開いていた目を瞬かせる。
夢ではないのだと、ただそれだけの漠然とした理解が、徐々にトゥリアの意識へと浸透して行く。
光を感じる。
先程の夢の光景とは違い、不明瞭な視界そのものでも感じる事が出来る光。そこには瞳が映す限りの世界に、薄靄の白が茫漠とした世界へと広がっていた。
見ていた夢の方が、今現実だと感じている光景よりもはっきりしていると言う奇妙な感覚。
それはトゥリアが目を覚ましたばかりで、覚醒しきれていない意識が、急速に不鮮明になりつつある夢の残滓を引きずっている事だけが理由ではなかった。
夢は、どれだけ鮮烈なものだったとしても、目を覚ましてしまえば、その瞬間から、朝日を浴びた朝靄のように記憶から消えて行ってしまう。
名残惜しいと思うには焦がれ過ぎていて、トゥリアは自身の探し求める光景を繋ぎ止めようと必死に夢への情景を想う。
目を閉じ、瞼の裏に思い浮かべる事の出来る光景へ、まだここにあるのだと言う微かな安堵。
トゥリアは、強過ぎる焦熱の思いを、浅い呼吸のもとにやり過ごす。
一度目を閉じ、そして開く。
その頃には、ようやくだがトゥリアは自分が今いる場所の様子を確認する余裕が出来ていた。
「・・・霧、ここは、そう、イージスの森」
小さく呟くようにして、トゥリアは少しずつ自分自身に確認していく。
緩やかな瞬きを一回、二回。
覚えていること。忘れたくない事。頭は懸命に、記憶を整理するべく動き出している。
「そう、見つけた、って・・・」
夢か現実か、けれど、確かに聞いた声を覚えていた。
それから、左右へ、上下へと視線を動かしてみるが、トゥリアのそばには誰の姿もなく、何かの気配を感じる事もなかった。
「夢・・・?」
目だけを動かして、もう一度周囲の様子を見回す。
何かを探す為でもあったが、仰向けのまま、体を動かさずに確認しているのは一先ずの安全でもあった。
トゥリアはもう一度目を閉じ、より深く周囲を探って行った。
耳をすまし、肌で空気を感じるが、やはり周囲に“誰か”の存在どころか、生き物の気配すらもない事に、落胆とも安堵とも判然としない気持ちになる。
危険な生き物がいないと言う事に安堵はするが、生き物の気配が全くないと言うのは、なんらかの要因が生き物を寄せ付けていない可能性があるともとれる。そして、聞いた声を発した誰かがいないのなら、やはりあれは夢でしかなかったのだろうと言う結論。
「・・・っ、たた」
小さく呻くトゥリア自身の声。
それ以上深く考え込む事がないようにと、確認出来た安全から身体を身じろがせるが、本格的に起こそうとした上半身が軋み、起き上がろうとしたトゥリアの意思に抗議するかのように、全身の筋肉が鈍い悲鳴を上げる。
どれ程の時間、自分はこの場所の地面へと仰向けに横たわっていたのだろうかと思わずにはいられなかった。
ベッドの上どころか、屋内ですらもないのに、眠っている時のように横たわっていたトゥリアの身体。
下は一応乾いてはいるが硬い土の地面で、トゥリアは今までそこに倒れていたと言うのが正解だろう。
それでもとトゥリアは思う。この全身の硬直具合はどういう事なのかと。
野宿の経験はそれなりにあるが、ここまで寝起きが悪いのも珍しい、そんな思案をしながらも、ゆっくりと筋を伸ばすように四肢を動かし、身体を少しずつほぐして節々の痛みを和らげて行く。
そうしてどうにか起こした身体で、目だけではなく、首を使って周囲を見回してみた。
時折垣間見る、黒い影のような木々の連なり。
漂うでもなく、その場に満ちた、深い霧の不鮮明な光景。
その光景はやはり、未だトゥリアが夢の中にいるかのように、世界を曖昧なものに見せている。
そんな感覚に更に拍車をかけているのが、霧と言ってはみたが、感じない空気の湿り気や、霧の発生に伴われる筈の土や木々の匂いだろうか。
通常、霧の出た森で感じる事になる様々な感覚。それらの情報が得られない事で、自身が森の中にいると言う事すらも、何処か希薄に感じてしまっている状態だった。
「えっと・・・?」
何があったんだっけ、と思い出そうとしてみる今の自分の状態だったが、思うように考えが纏められない。
トゥリアの意識の片隅にあるのは声の響きだった。
そして聞いた筈の言葉の内容。
あの時、目覚める間際に聞いたその声が、どうしようもなくトゥリアの意識を攫っていく。
「・・・なにが、どこまでが、夢・・・・・・?」
トゥリアは声に出して呟いている。
「・・・・・・」
今の自分の状況と、この先の事。
焦りは正しく、本当ならトゥリアは直ぐにでも動かなければならない。
けれど、そんな場合ではないと理解しつつも、逸れて行く思考は、探るようにして夢の答えを求め続けて行ってしまう。
「声を・・・“聲”?」
呟くトゥリアが不意に思い出すのは、あの声を自分は耳で聞いた訳ではないのではと、そんな漠然とした感覚だった。
覆うようにして押さえた左耳を、そのまま左手で擦るようにして撫でてみる。
耳が音として意味を聞き取ったのではなく、頭の内側に直接意思の形を響かせられているかのような、そんな不思議な感覚の“聲”を思う。
“心話”や“念話”、所謂テレパシーと呼ばれる技能を思った。
聴覚で捉えている訳ではないから、トゥリアには聞く事を拒む事の出来ない“聲”で、通常の会話と異なり、距離すらもほとんど問題としないその方法は、一方的な意思の伝播になる。
けれど、トゥリアにはその“聲”に対する心当たりがない訳で・・・
「夢なのかな」
夢でしかないのだからと言う諦感。
夢でなけば良いと言う切望。
「夢?」
「うん」
「夢を見たの?」
「そ、う・・・?」
その瞬間の遅すぎる違和感がトゥリアに首を傾げさせる。
「・・・え?」
「うん?」
傾げた首。傾いた視界。
唖然と漏れ出た、自分のものとは思えない声にトゥリアは硬直する。
-リィン、チリン-
近く、遠く。
鈴に似た、何かを転がし、ぶつかり合うような響きが空気を微かに震わせた。
トゥリアの見詰めるその場所には、淡く弾け、舞い散る光が瞬いて・・・そこには、トゥリアと同じように首を傾げた少女の姿があった。
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