空白の叙事録〜誰が忘れた罪禍の記憶〜

羽月明香

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【第一鐘〜夜の少年と真白き少女〜】

10 イージスの森と言う場所

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西風の乙女ゼピュロシア・・・」

 呟き、トゥリアは目を瞬かせる。
 それは、この家に招かれた時、フィンが詠じる魔法の一説にあった名前だった。
 あの時、一瞬でこの場所へと移動した事を、転位の魔法だと判断したのはトゥリア自身であり、そうフィンにも伝えていた。『さっきいた場所からここまで一瞬だったから、転位の魔法で連れて来てもらったんだなって思ってさ』と、確かにそんな事を言ったのだ。

「どうして僕は気づかなかったんだろう」
「うん?」
「ここはイージスの森なんだ」

 トゥリアは真剣な眼差しでフィンを見詰めるが、フィンには意味が分からないのだろう。
 見返して来る薄い藍色の瞳がトゥリアを映し、表情のないまま小首を傾げると言う仕種で分からないと言う事を伝えてくる。 

「僕に魔法がきかないとかはおいておいて、そもそも、イージスの森は魔法が使えない。それは、魔法の種類とか、魔法が使える者の力の強弱だとかには関係がないんだ」
「魔法が使えないのは場所で、イージスの森」
「そう、魔法士のトップ、王様たちの力があってもイージスの森では魔法の発動ができないって聞いてる」
「魔法が使えても、使えない」

 フィンの抑揚に欠けた声が言葉を繋げ、疑問を形作る。
 それはフィン自身の疑問と言うより、聞いた内容を簡潔にし、トゥリアが答えを探し易いように再提示して来ている。そんな感じがあった。

「さっき、少し話した、魔法って力と、魔法を発動させる為の波動パルスの関係。魔法を成すための波動パルスが干渉を受け付けないのだとか、波動パルスどうしの干渉が強すぎて魔法としての事象にできないとか、世界にはそう言った場所が何ヵ所か確認されているんだけど、イージスの森はそんな場所の一つなんだ」

 魔法が発動出来ない場所。魔法の発動を阻害する為の仕組みは幾つかあった。
 まず、その地に圧倒的な力を持つ主がいる場合、それが、所謂干渉を受け付けない状態に繋がる。
 主の放つ波動パルスが、その地に満ちる波動パルスを掌握してしまっている為に、他の魔法使いからの干渉を許さないのだ。
 そして、もう一つ。その土地そのものが強い波動パルスの坩堝と化している地。魔境等と呼ばれる場所の存在がある。
 その地に生息する生き物や植物、鉱物等が発している波動パルスが複雑に干渉しあい、魔法使い達が望む事象へと働きかけたとしても、上手く魔法へと繋げられないのだと言う土地。

 トゥリア自身は魔法が使えない。だからそれらの事をフィンへと伝えるにしても、どうしても伝聞調になってしまうのだが、トゥリアは一応自分が知っている範囲で、それらの事を説明してみた。

「“主”と“魔境”、ここもそう?」
「わからないんだ」
「うん?」

 またも首を傾げさせてしまい、トゥリアは困ったように笑う。

「説明が説明じゃなくなっちゃうんだけど、イージスの森には、それらしい主が確認されていないし、植生や生き物なんかも、独特なものはあっても、波動パルスがそれほど複雑な干渉をしあっている訳じゃないらしいんだ」
「使えない理由があてはまらないのに、魔法にならない」
「そういうこと、星喰いの災禍から“こちら側”を守る“楯”。だからイージスの名前を白の王より与えられているんだけどね」
「星喰いの災禍・・・」

 不穏な響きを感じ取ったのか、フィンは呟く。

「白の王と黒の獣、聞いたことあるかな?」

 突然の話題の転換だとトゥリアも分かっているが、この先を話す為には必要な確認だった。
 トゥリアが告げたのは、この世界で最も有名な物語の名前。伝承であり、そして歴史でもある物語の題名タイトル

「白の王?と・・・分からない」

 白の王と黒い獣の話しはあまりにも有名で、子供向けの童話から、大人向けの劇場の公演、詩や書籍あらゆるものに編纂され今なお親しまれ、伝えられている、知らない者等いないに等しい筈の物語だった。
 だから、知っているかどうか等、本来ならば確認するまでもない筈で、けれど問い掛けたトゥリアの言葉にフィンは分からないと答えたのだ。

「分からないか、じゃあ、ちょっと話してみるから聞いていて欲しい」

 知らない者などいない筈で、けれど、心の何処かで半ば予想していた答えだった為に、驚きは表情にすることなく、そう言ってトゥリアは僅かに笑むと、そのまま話し始めた。


 それは、古い物語り。
 ずっと昔で、でも本当にあった出来事。

 世界には人間がいて、人でない妖精がいて、獣と同じような部位をもつ人に似た種族がいて、魔族や怪異なんて種族もいた。
 そして争いがあった。

 切っ掛けが何だったかなんて、誰も覚えていない。
 けれど、人と人でないもの、人どうしですらも些細な事からいがみあい武器を取る。
 幾千の憎しみと幾万の悲しみの中、争いが争いを呼び、そして、誰もが戦う理由すらも見失っていく、そんな時代。

 大地には昼夜を問わず、悲鳴や怒号がこだまして、そして、遂には覚める事のない夜の夢が世界へと舞い降りてしまう。 

 それは、夜色の深遠。
 その果てに目覚めた黒き夜闇の獣。
 黒き獣は、人を、動物を、そして大地を蝕み、侵し、喰らって行った。 
 空が、大地が、海が喰われ、多くの命は失われてしまった。

 黒き獣に数多の勇者や英雄が挑み、けれど、誰にも、倒せなかった。

 誰もが等しく絶望したんだ。
 世界はこのまま滅びの一途を辿るのかって。

 でも、そこに白銀(しろがね)の騎士が立ち上がる。 
 黒き獣と対峙する白銀の騎士が纏う光は“夜”の侵蝕のことごとくを防ぎきり、その手に携えた光は、獣の身体を容易く切り裂いた。
 力の限り、想いの限り、白銀の騎士は戦って戦って戦い抜いた。

 そして幾夜の時を戦い続け、白銀の騎士は遂に黒き獣を打ち倒した。
 世界を覆う闇夜を切り裂き、蝕の侵食を打ち払い、光ある平穏を人々に取り戻したんだ。

 そして戦いの後、白銀の騎士は人々に望まれるまま王となり、白銀の君または白の王と呼ばれるようになった。

 それはこの世界に伝わる英雄譚。 
 偉大で崇高なる彼の王の物語 。


「これで、おしまい」

 終わりを告げて、冷めてしまったお茶を一口。
 あれだけ凄まじいと感じたお茶の味が、ハニーバーの強い甘さの余韻の為か、今なお口当たり滑らかに、そして飲み込む事で長く話して疲れた喉を潤して言った。

「聞いてくれてありがとう」

 トゥリアはそう告げると、トゥリアをその双方に映し眺め見るフィンの瞳を意識し微笑んた。
 感情の揺らぎを見せる事のない、静かな薄い藍色の瞳は、凪いだ湖面のように深沈とした色合いを湛え、その思考の一切をトゥリアに窺わせる事がないままに。けれど、聞いてはいてくれたようで、フィンは口を開いた。

「黒い獣、夜闇の獣、夜・・・ノクス
「そう、その黒い獣が起こした災禍、それが星喰いと呼ばれていて、その災禍の跡地は今なお獣の放っていた波動パルスに蝕まれたままで、星喰いの地って呼ばれているんだ」
イージスのこちら側とあちら側」
「だいぶ話しがそれちゃったけど、イージスの森って魔法が使えない場所がここで、魔法が使えないけれど、たぶその原因である“なにか”が森の向こう側にあるって言われてる星喰いの災禍から、僕らの暮らすあちら側を守っているんだ」
「魔法が使えない、魔法じゃない?」
「そこなんだよね」 

 トゥリアの遠回しな説明から、フィンもそこに思い至ったらしい。
 イージスの森は魔法が使えない。ならば、フィンの力は一体なんなのだろうか。と、そこでトゥリアは、自分が魔法に似た力を他にも見ていた事に気が付いた。
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