空白の叙事録〜誰が忘れた罪禍の記憶〜

羽月明香

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【第一鐘〜夜の少年と真白き少女〜】

23 イルミンスール

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 じゃあ行こうと、その言葉通りフィンは旅の準備を始める為にか、空になったバスケットやカップ等を手早く自身の影へと落とし込むと立ち上がり、帰路へと着いていた。
 
 その帰り道でトゥリアが驚いたのは、湖から森への道とも言い難い獣道に踏み込み、数百メートルといった場所に見覚えのある家屋が見えた事だった。
 はっきり言って、トゥリアは湖からあの森の小屋にまで戻る為の道筋を全く覚えてはおらず、申し訳ないが、フィンに先を歩いてもらわないといけないと思っていたのだが、思った矢先にはその光景が目に入ったと、そんな感じだったのだ。

 ただ、そこにあったのは小屋と言うよりも家屋だった。
 上った日の光に明るくなった現在、見上げるようにして眺め見るその場所は確かに黒い子犬と遭遇した場所なのだと思うのだが、建っていたのはもう少し、それこそ小屋と言って差し支えのない建物ではなかったかと、トゥリアはそんな事を思っていた。

 木造りはそうだが、単純な平屋建てではなく、平屋建てのロフト付と言ったところだろうか、二階建てにしては低く、一階建てにしては高い三角屋根の下にそれなりの空間があるような気がした。

 この場所までの距離感もそうだが、このログハウスに対する大きさの認識能力もまた、感じていたものへの差異がトゥリアの首を内心で傾げさせている。
 あの夜、食事をした部屋や、休ませて貰った部屋の大きさや高さからこの外観なのはまだ分からなくはないのかもしれない。けれど、湖からここまでの距離感はどうなのだろうかと。
 黒い子犬を追いかけていた時には、それなりの距離を移動したように思うのだが、フィンの後に続いて引き返した今回は、本当に大した距離ではないかのように思えたのだ。

「夜だからって言うのもあるかもしれないけど、どうなんだろう」

 ログハウスの正面に立ち、その佇まいを見上げながら、トゥリアは呟いていた。
 考えても答えは出ない。結局は気のせいと言う事で、今度はログハウスのその隣に建つ煉瓦造りの小屋を見た。
 煉瓦造りの小屋は、ログハウスよりも二回り以上は小さな建物でまさしく小屋と言った感じだろうか、恐らくは温湿度管理が必要な物資の保管、あるいは狩猟で得た獲物の解体場等ではないかとトゥリアは思った。
 街から離れた場所にある、滞在用の狩り人達の拠点をトゥリアは思い出していたのだ。

「・・・偏見とかではないけど、狩りはともかく、解体もフィンが自分で?」

 ふと思いトゥリアは呟いていた。
 先程のパイに使われていた肉。店での購入が出来ないこの場所で、肉類を得るには自分で狩るしかない。そしてただ狩っただけでは肉は食べられないのだ。
 狩るだけならまだどうにかなるだろうが、皮を剥いだり、骨を外したりと、解体にはそれなりに力がいるし、技術も必要になる。何より、血抜きにより溢れる血液や、それまで生きていたと言う生き物の肉を捌くと言う行為は、慣れるまでかなりキツいものがある。
 ログハウスの裏手に歩いて行くフィンの腕は、しなやかだが細い。肌の白さもあり、獲物の解体どころか、戦いとも無縁にすら思える。

「って、ながめてる場合じゃなかった。フィン、なにか手伝えることないかな?」

 考え込んでいる場合ではないと、声をかけながらフィンの背中を追いかけるトゥリア。
 そして、ログハウスの裏手に出た時、トゥリアはこの場所に感じていた様々な違和感の内の一つに答えを得る事が出来た。

 降り注ぐ光の暖かさ。ログハウスの裏手には、ログハウスが建つ敷地と同程度の開けた空間があった。
 木々の枝葉に空を遮ぎられる事なく、その日当たりの良い空間に植えられているのは、何種類かの野菜と、香辛料だけでなく、薬効成分もあるハーブの数々。
 そして、森の木々とは何処か様相の異なる一本の木が、ログハウスの屋根に少しだけ被るように枝葉を伸ばしていた。
 それは灰白色のなめらかな樹皮を持つ樹高が十五メートル程の樹木。枝は太くしなやかで、枝に茂る葉は緑にぎざぎざの切れ込みが入り、左右対称の形をしていることからまるで鳥の羽のようにもトゥリアには見えた。

 日の光に照らされる事で、その木は白銀の幹と緑柱石エメラルドの葉を持つかのように見え、この場所で清浄な空気を纏い、粛然と聳え佇んでいたのだった。

「イルミンスール、世界樹の枝・・・」

 眺め、見上げるようにしてトゥリアは呟いていた。
 
 世界樹イルミンスール。それは幾つもの世界を跨いで生えると言われる大樹の名前だった。
 イルミンスールが何処にあるのかは分かってはいないが、その枝を持ち帰ったと言う伝説は幾つか存在していた。
 そして、枝を持ち帰った者は英雄と呼ばれている。それは、彼や彼女等が、苦難の旅の果てに持ち帰った枝を大地に挿し、国を興したからだった。

「イルミンスールの枝は大地に根づいてその地を守る。どう言う原理なのかはわからないけれど、イルミンスールが見える場所では、どれだけ敵対関係にある生き物たちもあらそうことがないんだ。だから、安全って言われている大きな街の中心には、だいたいイルミンスールが植わっている」

 説明している訳ではないが、トゥリアはそうフィンへと話しかけた。
 イージスの森にあって、このログハウスが襲われない理由。それがここにあるイルミンスールのおかげだったのだろう。
 そう思い、けれど、湖までの道筋でも大丈夫だった事をトゥリアは思い出し、まだここには何かあるのかもしれないと考え込んでしまう。

「ひとも、この木が見える場所では争わない?」
「うん、そうだね、イルミンスールのある場所で自分以外の血を流すと、その加護を失うって言われているから。それは、その場所にあるイルミンスールだけでなくて、すべてのイルミンスールでって話しだから、やっぱり世界中にあるイルミンスールはもともとは一本の木で、それぞれの地で根づいてもなんらかのつながりがあるんだろうって言われてるかな」

 街では多少のいさかいはあっても、流血沙汰になるような争いが起きる事はまずない。
 人間の敵が人間だけではないこの世界で、数少ない安全圏を自ら手放すような事は誰も望まないのだ。

「この木の枝があれば皆安全?」

 トゥリアの横に来て、その枝葉を見上げながらフィンが聞いて来る。

「それがそうもいかないみたいで、枝自体に安全を保証する加護があるわけじゃなくて、あくまでも地面に根をおろした状態でないと意味がないらしいんだ。それなのに、増やすにも始めの一本から分かたれたイルミンスールの枝までしか大地に根をおろすことができないって制約があるみたいで、だからみんなってわけにはいかないって感じかな」

 世界の何処にあるのかも分からない、最初の世界樹イルミンスール。そこから直接採取した枝と、その枝が根付き、木となった上で採取する枝までしか増やす事が出来ない。
 そして、採取出来る枝には限りがあり、欲張れば木、本体が枯れてしまうのだ。

「親のイルミンスールがいて、子供のイルミンスールがいる。子供の子供までは良いけど、その次は駄目?」
「そう、そんな感じ。だから増やすことができるイルミンスールの木はどこでも厳重に管理されているし、増やすことができなくても、安全を確保できるって点は変わらないから、増やされたイルミンスールも大切にされているんだ・・・ん?」

 自分で言っている言葉に生じた疑問にトゥリアは硬直した。

 イルミンスールは最初の一本を第一世代とすると、かつての英雄達が持ち帰った第二世代にまでしか繁殖能力がない。
 そして、貴重な第二世代は、“王”や“長”、それに“教会”なんかが厳重に管理し、その枝を長い月日をかけて要所要所に植える事で安全圏を確保していっている。人の手で増やされたそれらは第三世代であり、その枝を挿しても根付く力を持たないが、安全は確保出来る為、当然その土地土地の者が大切に管理している。

「このイルミンスール・・・」

 何世代目なんだろうと、その疑問をトゥリアは口に出す事はなかった。
 第二世代と第三世代は何処でもしっかり管理されている。こんな森の奥深くにイルミンスールが生えている筈がないのだが、聞いても恐らくフィンには分からないだろうし、トゥリアが考えたところで答えが出る事もないと思ったからだ。

「後から植えたのか、もとから生えていた場所にログハウスを建てたのかわからないけど、このイルミンスールがここを守ってくれているって言うのは間違いないと思うし、それだけでいいかな」

 かわりに呟いた、自分で納得出来る言葉にトゥリアは一つ頷いていた。

 見上げていたイルミンスール。首が疲れて来たので、その視線を幹沿いに下ろして行き、そして根もと辺りの地面に何かがある事にトゥリアは気付いた。
 根もととトゥリアがいる場所までには、トゥリアの胸辺りまで丈のあるハーブの樹や、蔓に実る野菜のようなものが、支柱の枝や、支柱と支柱の間に張られた網のようなものに伝わせられて植えてあり、トゥリアの位置からはっきりとイルミンスールの根もとの地面が見えた訳ではない。
 それでもトゥリアは、繁った葉と茎のあいまを縫って、一瞬何かを垣間見た気がしたのだ。

「なにか気になるかな」

 呟いて、イルミンスールの根もとへと向け歩き出すトゥリア。
 畑の向こうへと回り込み、トゥリアは自分が見たと思うものを確認する。

「・・・剣と弓?もしかして、これって」
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