空白の叙事録〜誰が忘れた罪禍の記憶〜

羽月明香

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【第一鐘〜夜の少年と真白き少女〜】

31 カクリノラスとのやり取り

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「レディ・・・あの子のことだよね?あの子も貴族とかそう言う感じなの?」
ー・・・ハ?ー
「え?」

 トゥリアはここに来て始めてカクリノラスの虚を突く事に成功したのかもしれない。
 それが良かったのかと言われれば、ほぼほぼ意味はないのだと思うが、嘲る笑みを消し、きょとんとした感じのカクリノラスの表情は意外と愛嬌があるなと、トゥリアは場違いと思いながらも寧ろ感心すらしてしまっていた。

「レディって貴族のご夫人とかにつける敬称かなにかじゃなかったっけ?」

 それはそれと、カクリノラスの反応の不可解さを気にしながらも、トゥリアが困惑気味な様子で告げれば、カクリノラスが何とも言えないと言った、寧ろ嫌そうな表情をした。

 カクリノラスもトゥリアが真面目にそう言っていると分かったのだろう、なに言ってんだとばかりのその表情はあからさまで、けれど、トゥリアには自分の発言の何処に問題があったのかがいまいち分からなかった。

「冗談ではないよ?でも、そう。あの子にカクリノラスが必要ないって意味を聞いても良いなら、答えをくれる感じにはなったのかなって?」

 トゥリアはカクリノラスへと笑みを向ける。
 咄嗟に全て計算の内と言った言動をとっていたが、分からなかったのは本当だった 。
 けれどトゥリアは頭の回転が鈍い訳ではないのだ。だから、カクリノラスの反応から自分が何に反応をしなければいけなかったのかを判断して、そう問いかけていた。

 悪魔デーモン相手にこんな切り返しが出来る自分は結構図太いんじゃないかとトゥリアは思ったが、後にライへとこの時のやり取りを話した時、図太いどころか気違いだと評される事になる。それ程迄に、悪魔デーモンと言う種族は色々な意味でとんでもないのだ。

 細められる双眸は、警戒や窺うと言うより見透かすようにだろうか、いや鼻白む感じなのかもしれない。
 けれど、その後に目が逸らされないのは、やはり暇潰しと言うぐらいの感覚があるのだろうと、そんな気がした。

「あの子にはね、僕どころかネビロスの力も必要じゃないんだ」

 何処かふてくされたような様子で空中に座る“少年”にトゥリアは目を瞬かせた。

 カクリノラスがいたその場所。トゥリアが瞬きをしたその一瞬の視界の切り替わりに入れ替わったとしか思えない、そんな場所に黒い犬の大きな体躯ではなく、年の頃、十二、三歳程度の黒髪の少年の姿があった。
 浴びる日射しを、少しも反す事なく飲み込む髪の闇色と浅黒い肌。子供特有の華奢な体つきこそカクリノラスと似ても似付かないものだったが、その目だけはそのままに、だからトゥリアは疑問形ながらもその名前を口にする。

「カクリノラス?」
「なに?見て分からないの?」

 告げると、嘲笑うように口角を上げて、少年はニンマリと嗤う。
 その、獣の姿の時と変わらない笑い方こそが確信になるのだが、それでも、分かる筈がないとも思う。何故、翼すら持つ大きな犬の姿から人の姿へと変わっているのかと。

「アンタとは波長が合いにくいから、面倒なんだよね」
「ああ、幻想種ファンタズムは精神生命体だから僕が見ている姿ぐらいはどうにでもなる感じなんだ」
「そこまで自由でもないよ」
「ネビロス?」
「なんで今、話しがとんだの?まあイイけどさ」

 不満と言うより怪訝そうにか。
 トゥリアとしては、話しを飛ばしたのではなく、自分の内で一応の納得をした為にもとに戻しただけなのだが、カクリノラスにはそんな事分かる訳がないので、言葉通り、急に出て来たネビロスの名前に話しが飛んだように感じたのだろう。

「アンタも少しは知っているみたいだけど、僕らは物質的な身体を持つ事も出来るけど、基本は精神性に依存した霊的なイキモノ。でも、少しは融通がきくこっちの姿はともかく、本性は変えられないし、イロイロと条件も、ってそんな話しはどうでもよくて」
「うん、あの子に僕でもわかる君たち“規格外”の力が必要ないって、どうして?こんなところで生活しているんだから絶対必要だと思うんだ」
「お前・・・」

 どうでも良いといったカクリノラスの言葉にあっさりと同意したトゥリアを、“アンタ”から“お前”と変化した呼び方とともに、カクリノラスが物凄く嫌そうな顔で見て来た。

「君らみたいなのとはまともに会話するんじゃなくて、いかにリズムをくずすかなんだって聞いたから」
「実践しなくていいやつだよ。誰、そんなこと言ったの・・・はぁ」

 笑顔を向けて来るトゥリアへと、カクリノラスは疲れたような嘆息を一つ。

「ネビロスは僕の上、少将だよ。レディは弱くないけど、そこそこでしかない。それでも、僕らの存在を絶対に必要ってところに置かないのがレディなんだ」
「どうして?」

 カクリノラスとの会話を試みた時から既に危うい橋を渡っている自覚はあったが、トゥリアは今、その橋を明確に踏み外した瞬間を意識した。
 何故なのかと問いを重ねたトゥリアを見るカクリノラスの双方からすぅっと感情が消えたのだ。
 口角を歪める笑みだけはそのままに。底のない沼のような双方がトゥリアを映す。向けられたその瞳にトゥリアはただ息を呑んだ。

「カクリ、ノラ・・・」
「それが、分からないお前が、なんでレディのそばにいる?」
「・・・・・・」

 命を刈り取られる瞬間。首に宛がわれた死神の鎌をトゥリアは幻視していた。
 何が気に障ったのか分からない。気に障るどころか、間違いなく地雷だった。

「じゃあ、どうしてあの子、違う、どうして君は、あの子の呼びかけに応じたの」

 一度唾液を嚥下し、途切れ途切れとなりながら、それでもトゥリアはその質問を口にした。
 その瞬間にカクリノラスが浮かべた表情。その表情に、トゥリアは感じている畏怖はそのまま、霧散させる緊張感と共に目を見開く。

「分からない?必要じゃないのに僕を喚ぶ。それって、すっごく・・・」

 カクリノラスの浮かべた、これ以上ない程の満面の笑み。喜色に弾むその声音は、けれど、全てを吐き出す前に唐突に途切れてしまった。
 どうしたのだろうかと思った時には、音もなく開いたそのドアの様子が答えなのだろうと理解した。

「カクリノラス」

 グラシアスではなくカクリノラスと呼ぶ、抑揚に欠けた声。

 何故かは分からない。分からないが、それでもこの短いやり取りの中でも何となくトゥリアの理解出来たカクリノラスは、どうにも歪んでいて、もっと軽く言えば、癖が強くひねくれていると言うべきだろうか。
 そんなカクリノラスは、小屋から出て来たフィンへと、先程の言葉の続きを聞かせる事を良しとしなかったのだろう。

(示す好意は隠さない。でも伝えようとは思っていない。知られてもかまわないどころかわかって欲しいけれど、聞かれたくはない。一周回って素直なのか矛盾してるのか)

「レディ」

 トゥリアは思わずと言ったようにカクリノラスを見た。
 どうしたのかと思う程に、告げたカクリノラスの声音は硬かった。
 何もない宙空に浮き、抱え込むように曲げて引き寄せた片膝へと頬杖をついていたカクリノラスは、見詰めたフィンの姿に地面へと両の足で降り立つと、そのまま歩み寄って行く。

「カクリノラス」
「ん」

 カクリノラスは浮くのを止めてしまうと、フィンよりも頭が半分程度低い場所に目線が来るらしく、そうしていると、本当に普通に子供のように見えてくる。
 上目遣いでその表情を見て、フィンの何かを窺い、何に納得したのか、カクリノラスは再び呼ばれた名前へと何処か安堵したように短く応じていた。

「カクリノラス、小さくなった?」

 表情の変化にもやはり乏しく、傾げる小首の仕種だけがフィンの疑問を疑問だと伝えて来る。

「小さくって、」

 思わずの絶句。
 フィンは始めからこの黒髪の少年を普通にカクリノラスと呼んでいて、けれど、まさかの小さくなった発言にトゥリアは、そう言う問題ではないと、反射的に突っ込みそうになる言葉を飲み込んだ。

「こっちで一回消滅させられかけて、向こうに強制送還されたんだよ。知ってるでしょ?」
「ん?」

 普通に応じるカクリノラスの答えに、心当たりがあるのかないのか、どちらとも取れそうなフィンの反応を見ながら、トゥリアはとんでもない事を聞いたと目を僅かに瞠った。
 カクリノラスは強い。実際に戦闘状態に入った訳ではないが、トゥリアへと向けられる気配の端々から嫌と言う程に理解させられていた。
 それにそもそも、カクリノラスは悪魔デーモンであり、幻想種ファンタズマだ。物質的な身体に依存しない彼等には、詰まるところ物理的なダメージに対する意味合いがほぼほぼ存在しない。
 通常の剣で切りつけたり、槍で突いたりが意味をなさないのだから、下手をすれば攻撃手段事態がなくなる。
 そんな相手が消滅一歩手前まで追い込まれたと言うなら相手はいったい、どんな存在だったと言うのだろうか。

「それに、小さくなったのは僕だけじゃないよね?」
「・・・え?」

 驚愕の思考の中にあって、トゥリアは聞いたカクリノラスの言葉に無意識だが疑問の声を上げていた。
 声に出し、それから疑問を疑問だと意識してカクリノラスを見る。

「それは、どういう・・・?」

 どうにか疑問を言葉にして、けれどトゥリアは向けられる事のないカクリノラスの眼差しに口を噤んだ。

「っ・・・」
「カクリノラス」

 呻くようなカクリノラスの声。そして、囁くような声でフィンがカクリノラスを呼ぶ。

「・・・準備、終わったんだよね」
「そう」

 一転してカクリノラスが笑う。
 一瞬前のやり取りの余韻すら消し去る、そんな笑みを幼いとすら思える少年の顔に浮かべて。
 そしてフィンもまた、何事もなかったかのようにカクリノラスへの問い掛けに応じていた。

 トゥリアの頭を疑問が巡る。自分が見聞きしていたものとそれぞれの反応を考えながら、そもそも何を考えなければいけないのすら手探りの状態だと、そんな事を思う。

 カクリノラスが必要ではないフィンと、必要とされていないと分かっていて召喚呼び出しに応じたカクリノラス。

「じゃあ乗せてあげるよ、奉仕サービス
「賄賂じゃなくて?」
「そうとも言うかな」

 何者かに消滅させられかけて、縮んだ?らしいカクリノラス。それはカクリノラスだけに起きた事ではないらしくて、でもカクリノラスは誰が“そう”なのかは言わなかった。

(言わなかったていうより・・・)

「賄賂が奉仕サービス?」
「そう、それ。モノじゃないから証拠が残らなくてネビロスにも怒られないし」

 トゥリアはカクリノラスと会話を続けるフィンを見た。
 小さくなったと、その意味をカクリノラスへと問おうとした言葉を呑み込むに至ったあの瞬間、あの時トゥリアが口を閉ざしたのはカクリノラスが原因ではなかったのだ。

「抵触しない?」
「レディは分かっているでしょ?」

 トゥリアの問いが発しきられる前、一瞬の張り詰めたような空気の変化。その直後にカクリノラスは話題を逸らし、そしてトゥリアもまた問うタイミングを失った。

 カクリノラスが細める双眸に、口角を上げて笑う。
 その頬をフィンが人差し指の背中で撫でる仕種はまるで褒めるように。そうしてカクリノラスは少年の姿から、喚ばれた当初の、翼を広げた大きな黒い犬の姿に、その姿を変えていた。

「トゥリア」
「うん?」

 トゥリアが疑問を疑問として整理している間にもフィンとカクリノラスの会話は続いていて、そうしてフィンが不意にトゥリアを呼んだ。

喚びますおいで
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