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【第一鐘〜夜の少年と真白き少女〜】
32 魔剣 アイン
しおりを挟むフィンが喚ぶ。
そうして、フィンが自分の体の前へと軽く広げて構えた両手へとそれは現れる。
まずトゥリアの目に入ったのは、艶を消した重厚な黒色だった。そこに燐光が舞う事も、光が迸る事も、そんな特別な演出は何もなく、余りにも自然にただある色彩。
日の光が届かない程の暗く深い森の奥。或いは荒れた海の遥か水底にある静謐。そういった場所に深沈と横たわる闇の色を想起させ、その闇を鞣し形作ったかのようにしてそこにあるのは一振りの鞘であり、そしてその鞘に収まっているのは、一振りの長剣だった。
フィンは両手で、地面と水平にしてその長剣を持ち、そのままトゥリアへと差し出して来る。
差し出され、少しだけ近くなった長剣との距離。鞘の表面を、冷たく無機質な金属光沢の反射に青を反す黒金の装飾が象るのは、蔦の模様のようにも、重なる曲線から成る抽象的な文字のようにも見える図案だが、トゥリアにはそれがまるで、長剣を鞘ごと封じ込めている鎖のように見えた。
装飾はフィンの両の手により支えられる黒い鞘を装い、そこに在る為に鎮め続けるかのように。
「戦うのなら」
端的に告げられる言葉、ただ手渡そうとするそれだけの仕種であり行動でしかない。その筈なのに、トゥリアはそのフィンの所作へと目を瞠り小さく息を呑む。
渡されようとする剣と、緊張しながらも受け取る事を望んでしまう自分。
この先、戦う手段は必ず必要なのだが、そんな事すらも関係がなく、まるで、神殿等で荘厳な空気の中、執り行われる、聖剣神授の儀式の如き一幕をトゥリアは思ってしまっていた。
フィンが持つのは、鞘の持つ色合いからか、聖剣と言うには些か不穏な空気すら纏う長剣で、その傍らには、不穏どころの言葉では済まないカクリノラスの存在があったりする。けれど、それでもトゥリアは、見詰めるこの光景に気圧される程の清廉な空気を感じてしまっていたのだ。
剣を受け取ろうとしてか、固定された視線に、無意識にトゥリアの手は伸ばされる。
その指先が鞘へと触れるか触れないかの場所で動きを止めたのは、何を考えているのかその思考どころか、感情すらも窺う事が難しいフィンの視線を意識したからだった。
巫女姫に出征を祝福される騎士の如き自身の姿を想起し、だからこそトゥリアは自身へと問いかけずにはいられなくなったのだ。
「僕にこれを受けとる・・・」
「これは貴方が受け取るべきもの」
資格を自分自身へと問おうとしたその時、フィンがその躊躇いを抑揚に欠けた声で切り捨てた。
「たぶん?」
「たぶんって、え?」
適当とも取れる言葉で霧散する雰囲気はそのまま消えてしまうのではなく、ここに新たな場を形成する為に。
張り詰め、緊張感を孕んだものではなく、真剣は真剣なのだが、どこか弛緩した意識により成り立つものがあった。
「誰に求められるでもなく、望まれるでもなく、選ばれるのも違っていて、そこにあるものの中から自分が選ぶだけ」
選ばれてしまったのなら、選んだ誰かがいて、望み、求められるならな、望まれるに足る理由と、求められるが故の期待が存在する。
トゥリアの葛藤を知ってか知らずにか、フィンは理由の全てをトゥリアに委ね、それはトゥリアへと託そうとする自分の責任を放棄するかのようにすらもトゥリアは思った。
「ここにトゥリアへと渡せるこの子がいて、あとはトゥリアが受け取るか受け取らないか、それだけ」
「そっか・・・」
この子、とそれは長剣の事だろうと何故か、普通にその呼び方を受け入れている自分がいて、トゥリアは難しく考える必要がないのかと、その時不意に理解した。
「戦う手段はどうあっても必要だから」
告げて、トゥリアは一瞬だけ気の利いた返しでもと考えたが、結局は何も思い付けず、そして、ひざまづくでも勝利を誓うでもなくただ差し出された剣を受け取った。
気付いた全てはトゥリアの思い過ごしでないとは言えなくて、けれどトゥリアは敢えて何かを考える事すらも止めてしまった。
「今の僕に必要だから借りる、それだけでいい」
「うん」
何も考えないとそう決めたからには、と、それ程の切り替えの速さでトゥリアは自身の思考へと区切りをつけ、受け取った長剣を観察する。
「この握り片手半剣だ」
まじまじと眺め、トゥリアは柄へと自分の利き手を添えた。
トゥリアのもともとの装備がそうだったように、長剣は長剣でも、受け取った剣は片手でも両手でも使える仕様で握りが重く柄が普通の長剣よりも長いつくりだった。
全長も一メートルを越えていて、鞘から刀身を半ばまで引き抜いてみれば、斬るだけでなく突きにも対応している事が確認出来る。
「きれいで、不思議な刃文。見ていると引き込まれそう」
自然に零れる言葉。
トゥリアの眺める諸刃の刀身には、透明な闇が湛えられていた。それはまるで、水面に映った遥か彼方の星空をそのまま刃の形に固め研ぎ澄ましたかのようで、見詰め引き込まれた闇の先に、トゥリアは無数の微細な白銀の星々が瞬いているのを見ていた。
「星振りの石から成る刃、銘をアイン」
「アイン、名前持ちの子なんだ。自らが扱う武器に与える名前は使い手との繋がりを強めるって聞いたことがあるけど、この子の使い手は、この子の名前にどう言う意味をもたせたんだろう」
ーそれー
「カクリノラスはなにか知ってる?」
ー魔剣アイン、最初の使い手と同じでただ使われるだけのつまらないヤツだねー
反応はしても答えが貰えるとは思っていなかったのだが、カクリノラスは退屈そうにもさらりとそんな事を告げて来た。
そして、カクリノラスの言葉に聞いたままの、それ以上の情報があった事にもトゥリア内心で驚いていた。
(魔剣、それから“最初”の使い手)
結構な重さがある片手半剣なのだから、フィンが使い手だと言う考えはトゥリアにはなかった。
けれど“最初”と言う表現が使われたのなら、この剣を扱った使い手たる誰かは二人以上いたのではないかと言う事。
それから“魔剣”と言う言葉だ。
「単純になんらかの魔法の力を持つ剣、魔法の種類によっては、物理的な体に縛られることのない相手も傷付けらて、付与に特化していれば、他にも特別な効果を持っているかもしれない」
ーどうでもいいよ、で、行くの?行かないの?ー
「どうでもって、ううん。行く。もうでられるのならすぐにでも」
物理的なもの以外も斬る事が出来る剣。それは、幻想種であるカクリノラスをも傷付ける事が可能と言う事なのだが、それぐらいでは、欠片の驚異にも成り得ないと言う事なのだろう。
気分屋で何を考えているか分からないカクリノラス。その脅威と危険性を思い、それでも今は、戦う手段を得られたのなら直ぐにでも出発したいと、そちらの衝動の方がトゥリアの中で急速に膨らみつつあった。
「じゃあ行こう」
促す抑揚に欠けた声。
トゥリアの横にいたフィンの身体が、音もなく地面を蹴った。そう思った時には、カクリノラスの身体へと着く右手に、フィンは軽くその毛並みを握ると、次の瞬間にはカクリノラスの背へと、自身の身体を引き上げていた。
その無駄なく流れるような一連の動きに、唖然とするトゥリアの目の前へとフィンの左手が差し出される。
トゥリアは正気を保とうとするかのようにただ目を瞬かせ、その手を見詰めてしまい・・・
ー遅いー
「あ」
「え」
中型の獣に全力の体当たりを受けた。それ程の衝撃と共に跳ね飛ばされたトゥリアの体は気が付けば、ごわごわとした毛並みに叩きつけられ、そして、押し潰されるかの如き圧迫感に晒されていた。
何が、と呼吸すらもままならないまま意識の片隅が疑問を呈するが答えを考える余裕はなく、トゥリアはただ、直前まで手にしていたアインの鞘を縋るように強く握る。
「・・・ア、ゆっ・・・り、息・・・て」
酷い耳鳴りの中で、微かな言葉を拾う。
頭痛も酷く、聞いた断片的な音は意味を成さない反響音として頭の中で繰り返される。それから鼻の奥で血の臭いを感じ、競り上がる胃の腑への圧迫感をただ堪えていた。
目は開いているのか、滲む視界が散乱する光を捉えるがそれだけで、強張りの感覚すらも失いつつある手足はただ冷たい。
ー災禍ー
(え?)
ー僕らが名前を呼ぶとどうしようもなく存在が歪む。場合によっては壊れるー
(カクリノラス?そう言えば、声が聞きとりやすくなってるんだけど)
ーそんな状態で気になるのそこなんだ、調律が済んだんだよ。馴れたとも言うけどさー
暗い視界にトゥリアは自分の意識が保てなくなったのかと思ったが、思う事も考える事も出来ている自分の状態と、妙にはっきりと聞こえるカクリノラスの“聲”に動かない首を傾げてしまう。
そして、見えてはいないが、呆れたようなカクリノラスの反応が分かってしまった事に僅かに笑みがこぼれた。
ー余裕そうだね、死にかけてるのにさー
(え、死ぬのは困るよ)
ーふうん、そうそうアレの使い手のことだけどー
トゥリアが死のうが生きようが心底興味がないのだろう。カクリノラスは続ける聲に、トゥリアの様子など完全にお構い無しでそんな話しを続けてきた。
(アレ?)
ーアルトゥリア・ノクス・ナイトウィルドー
(・・・・・・)
ー“夜”すらも食らった災禍の顕主、アイツがそうだよー
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