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【第一鐘〜夜の少年と真白き少女〜】
34 面倒臭がり
しおりを挟む「かけて・・・は、欠ける。欠け落ちるとか、そんな感じになるのかな」
完全にカクリノラスの姿が見えなくなって、それから更にゆっくりと二十秒程を声を出さずにカウントする。
深い吐息に交えて、ようやくトゥリアはそれだけを小さく呟いた。
「休憩いる?」
「ごめん、全然動いてないから体力的には大丈夫なはずなんだけど、少しだけ休んでもよい?」
問われる声へと向ける笑みは力なく、トゥリアは素直にフィンへとそう伝えた。
頷くフィンの仕種を確認すると、トゥリアは地面から飛び出した太い木の根へと座り込んでしまう。
そうして、言葉に出来なかった諸々を吐き出す密かな溜め息を一つついた。
一応は完全に気を抜くわけではなく、警戒だけは怠らないよう、トゥリアは周囲の気配を探り続けてもいる。ここがイージスの森だと言う事を忘れた訳ではないのだ。
意識を周囲へと向けたまま、トゥリアの目は自身の影へと手を翳すフィンの行動を眺め、そのフィンの手に細く湯気を棚引かせたケトルが握られる瞬間を見ていた。
(みていても、わからないものはわからないかぁ)
瞬きの間もなく、気が付けばそこにある。むしろ、始めからフィンは手にそれを持っていて、トゥリアが今ようやくその事に気づいただけであると、そんな気さえして来る。
茶筒と二つのカップが同じように取り出され、茶筒の中身が安定した木の根の上に並べられたカップの中に少量ずつ入れられる。そこにケトルのお湯が注がれていく様子。
立ち上る湯気とともに鼻腔を擽る香りは薄荷だろうか、トゥリアはぼんやりとした眼差しでフィンの行動を眺め見続けていた。
何も考えず頭を空っぽにするよう意識して、警戒をしつつも全ての思考を放棄する。安全地帯でも何でもない筈のこの場所で、直ぐに行動を起こせなくなる事は自殺行為だと分かってはいたが、それでもトゥリアは今の自分にこの時間は必要だと判断したのだ。
「集まるものは向こうに行っているし、カクリノラスも混ざっていったから、賑やかで」
「う、ん?」
「それで、そうでないものは距離をとるか、隠れて息を潜めるから」
渡されるカップを受けとると、フィンがそう告げて来る。
手のひらから伝わる温もりが心地よく、薄荷の清涼感ある香りが空っぽにした頭へと思考の断片のようなものを呼び込み始めている。
一口、カップへと口をつけ、中身を啜ると、香りとは異なる柔らかな甘みが口内に広がり喉を伝い落ちていった。
「朱槿・・・じゃなくて白使だっけ」
「白使も使ってて、色々」
「そっか、いろいろかぁ」
小さく笑うと、トゥリアはゆっくりと残りのお茶を味わった。
「隠れていても、気にはしていて、その間にすり抜ける」
「影を媒体にした空間収納系の魔法かな」
「・・・色々と入ってる」
「いろいろかぁ」
聞いているようで、フィンの言葉をトゥリアは理解してはいなかった。
その為に、考えなくてはならない事ではなく、見ていたもの、感じていた事へと意識が向いてしまっていて、噛み合っていない会話にも、先程と同じ言葉を呟いていた。
「えっと、うん、僕がダウンしてからのことなんだけど、まずは地上からの攻撃があったよね」
残り一口分程を残したお茶のカップから顔を上げ、僅かに気分を切り替えたトゥリアはそう尋ねた。
「影竜のブレス」
「ブレス?!地上を見たわけじゃないからはっきりと分からないけど、かなり高い場所を飛んでいたはずだよね?」
気を取り直しかけて、早々の衝撃にトゥリアは目を瞠る。
影竜は普段、地面などに落ちた影として潜んでいて、獲物が接近すると姿を現し補食行動を行う、躯の平面と立体を自在に変化させると言う厄介な特徴を持った生き物だった。
一応竜とは呼ばれるが、影から出た体躯の多くは翼を持った蜥蜴と言った感じで、影として潜むと言った性質から危険で面倒な相手ではあれど、そこまで大きな個体はおらず、せいぜいが六人乗りの乗り合い馬車と同等程度と言ったところの筈なのだ。
「ブレスって個体の体躯の三倍程度が最高射程だって聞いたことがあるんだけど」
「たぶんそれくらい、範囲じゃなくて貫通特化だったからヒュンッって」
「はぁーってやるんじゃなくて、ふって吹く感じだったんだ、たしかに強そうだけど?」
実際にその姿を見ていた訳ではないからトゥリアに正確な事は言えない。それでも、かなりの高度を飛んでいたと言う認識と、カクリノラスの翼を射抜きかけた光線のような攻撃から想像してしまう姿に、驚愕と戦慄を覚えずにはいられなかった。
「無視して貰って、飛んでもらった方向に濡羽色のハルピュイアが七羽いたから射た」
「濡羽色、もしかしてケラエノ?」
トゥリアの発した名前を聞いた事がないのか、フィンはトゥリアを見たまま首を傾げる。
ハルピュイアは人間の女性の胸から上の部位を持つのだが、鳥の翼と下半身をあわせ持つ歴然とした魔物だった。そしてその羽の色は個体によって様々であり、その中でも特定の色を持つ個体はハルピュイアと言う種の中でも特殊で危険な能力を有するとされ、別種としての名前で区別されているのだ。
「黒い羽のハルピュイアはケラエノって呼ばれていて、普通のハルピュイアの何倍も強いし、ケラエノの鳴き声は生き物の精神を狂わせるらしいから、ものすごく危ない相手って言われてるんだ」
そう言えば、矢が直撃した場所に黒い羽が舞っていたなと、トゥリアは思い出していた。
「フィンの弓技すごかったね、魔弓技ってはじめて見たよ」
「フェイルノート、視認するか、相手の存在を感知出来ればまず外さない」
「フェイルノート?あれは自分の魔法で矢を作って射ったんだよね」
弓矢は遠くから一方的に攻撃が出来ると言う有用性はあるが、接近された時の対応の難しさや、そもそもの矢にかかるコストから、トゥリア達冒険者には敬遠されがちな武器の一つだった。
斥候職をメインとする者が、パーティでの戦闘時、牽制程度に扱うのを見るのが殆どであり、使用する矢も、個人の稼ぎではなくパーティの必要経費として賄って行くのが普通の装備なのだ。
けれど、魔弓技を扱う魔弓士や魔法射手ともなれば話しが変わって来る。
魔弓技は魔法を魔法として扱うのではなく、矢や矢と言う形状そのものを媒介として魔法の力を行使する。
技を極め、自分の魔法の力のみで矢を賄う事が出来る為、コストの問題は解決するし、扱う魔法の威力によっては、普通に魔法として放つよりもかなり効果が得られるらしく、そこまで来ると、魔弓技の使い手達は、パーティの主要攻撃役としてかなり重宝されるのだ。
「なかなか魔弓技を習得するのは難しいみたいだから僕も見たのははじめてだったんだ」
楽しげに、説明をそんな言葉で締め括ったトゥリアはフィンの反応を窺った。
自分の能力を隠したがる冒険者は多い為、フィンが嫌がるなら直ぐに話題を変えようと思っていたのだが、結局トゥリアは自分の興奮を晒すまで行ってしまっていた。
「集まって来るなら、もっと集合していて貰おうと思ったら、カクリノラスに面倒臭がりって言われた」
「うん?」
「戦いになれば、他の子等が来る。来るなら来るで派手にやって、もっと来て貰って、そこにいてもらおうかなって」
「ん、ん?」
「皆を相手にしていたらきりがない」
トゥリアの理解が追い付いた瞬間だった。
「あ、あーあーあー、だからめんどうくさがり」
思わず上げてしまう声に、ようやくの納得をトゥリアは告げる。
空にいる時、カクリノラスは言っていたのだ、相変わらず面倒臭がりと、そしてフィンなら大した手間ではない。とも。
信じきって良いかまでは分からないが、先程の弓技の威力だけでもフィンの実力がかなりのものだとトゥリアにも分かる。
恐らく、この辺りにいる魔獣等を一人で相手にしても、フィンが遅れを取る事はないのだろうと思ってしまう程に。
十分相手取る事が出来る。なのに、敢えて騒ぎを起こし、その現場から自分達だけは逸早く立ち去る事で、騒ぎの現場に集めた物達との戦いをまるっと回避し、その後の道行きでの遭遇戦をも出来る限り免れるように動いたとそう言う事。
けれど、それは面倒臭がりと言うことになるのだろうかともトゥリアは考えてしまう。
相手は出来ても、簡単に制圧しきる事が出来るとは限らない。確かな退路が確保出来ている訳でも、いざとなれば逃げ込める、安全の保証がされた拠点が直ぐそばにある訳でもない。
多少の無茶すらも避けた方が良い状況ならば、回避出来る戦いは回避するべきだと、トゥリアでも判断するだろう。
と、そんな思考は実のところ一瞬で、そして、ふと浮かんで来てしまう疑問をトゥリアは意識した。気にしなくて良い、或いは気にしてはいけないと、そんな曖昧さを自身に感じながら。
得てして、そう言った感覚を抱いてしまう時は、その感覚を明確にするべきではない事が多い。それが命を左右される類いの警鐘とまではいかなくても、自分自身が何らかの予感を抱き、それが良くないものであると察してしまう“何か”を無意識下で感じている為なのだから。
けれど、予感や曖昧さと言ったものを放置出来なかったトゥリアは、それを明確にし、疑問として口に出してしまう。
「・・・ねえフィン、僕と話すの大変だったりする?」
「・・・・・・う、うん」
「え、その間って、本当に、フィン?」
無反応の沈黙からの曖昧過ぎる反応に、トゥリアは一瞬本気で泣きそうになった。
まさかとは思いたくなくて、それでもまさかなのだと思うしかない現実の無情さ。
「大変は、そう」
「やっぱり?!」
確定の言葉は追い討ちでしかない。
「伝えようとする。伝わらない。言葉を選ぶ。考える。だから大変」
「それは・・・」
「五重強化」
「なんて?」
突然の鋭い声音。予想だにしなかったその一言にトゥリア自身が上げた驚きの声は、トゥリア当人ですら間が抜けていると思う声だった。
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