空白の叙事録〜誰が忘れた罪禍の記憶〜

羽月明香

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【第一鐘〜夜の少年と真白き少女〜】

35 片鱗

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「え、えぇ?」

 フィンの白金の髪が光の残像を残す。
 予想だにしない、あまりに速すぎる動きだった。
 反射的に立ち上がりながらも見送ってしまい、トゥリアは自分自身が上げる情けなさ過ぎる声を聞いていた。

 完全に振り回されているだけの自分自身をトゥリアは自覚していた。遭遇する、あらゆる物事に対して後手に回っているどころか、分からない事を分からないと認識する暇すら満足に与えられていないといった、そんな現状。
 これではいけないと言う焦燥や、何故、どうしてとそんな不満や不安すらも感じている余裕がない。ただその時その時を、瞠目しながら見送ってしまうだけ。 

「ちょ、え、フィン?」

 唖然とした声をトゥリアは上げ、けれど、その表情は直ぐに、厳しく焦ったものへと取って変わられる。
 分からない事は分からないまま、けれど今、トゥリアが持つ明確な優先順位は分からないままである事すらも良しとして、トゥリアにただ行動を促した。

 カップは足もとへ、そして、駆け出しながらもトゥリアはフィンから受け取った魔剣アインを抜き放つ。
 始めて握った筈なのに、手に馴染むその感覚を不思議に思う間もあればこそ、木々の障害をものともせず、全力で駆けたトゥリアもまた直ぐにその場所へと辿り着いた。

 木陰と射し込む日の光の陰影の間で閃いた白銀色。
 弾けるように散る光に色はなく、そして赤く濁った飛沫が飛び散る様。
 視界を遮る木々の間を抜けたトゥリアが見たのは、凄惨で、けれど幻想的でもあるそんな光景の中、細身の剣を振り切った体勢で佇むフィンの姿だった。

「フィン!」

 フィンは焦ったように名前を呼ばれた事でトゥリアを見る。
 フィンがトゥリアへと視線を向ける、そんな動きの最中、トゥリアは黒灰色の体躯が獲物へと襲い掛かった姿勢のまま不自然に静止し、そして倒れ伏していく様子を見ていた。

 トゥリアが言葉で確認するまでもなく、フィンの左手に握られている細身の剣。その青白い光を纏った刀身から滴る濁った鮮血だけが、トゥリアが着いたときには終わっていたに等しい、行われたであろう戦闘の余韻を如実に語っている。

「うん?終わった、よ?」

 抑揚に欠けた声が告げる一つの戦の終わり。
 鋭い動きと雰囲気を霧散させた薄藍の双眸がトゥリアを見て、それが何処か不思議そうなのか印象的で、けれど、それどころではないのだ。

「終わったのはわかるけど、じゃなくて、大丈夫?けがとかしてない?腕は?痛みとかでなくても、違和感とか」

 弾かれたように慌てて残りの距離を詰めると、トゥリアは一気に捲し立てた。
 トゥリアのその驚きは至極真っ当なものの筈のだった。フィンが対峙し、たった今仕留めた相手が相手だったのだ。
 黒灰色の体躯が自らの体で作った小山。既に動かないそれは、フィンの三倍以上もある大きさの熊の魔獣だった。
 大き過ぎる体躯もそうだが、地面に投げ出された腕から伸びた太い爪は、引っ掛けただけでフィンの体を挽き肉にしてしまえる程でトゥリアですら対峙したら死を覚悟するレベルなのだ。
 トゥリアは息絶える最後の場面しか見ていないが、そんな相手とフィンが対峙した。現実に起きてしまった後だが、その瞬間を想像するだけでも冷や汗が吹き出、卒倒してしまっているのがトゥリアだった。

「大丈夫?」
「疑問系!やっぱりどこか痛めて」

 フィンに見たところの外傷はなさそうで、けれど大丈夫と答えた言葉のその微か過ぎるニュアンスの違いを聞き分けたトゥリアは悲鳴に近い声を上げてしまう。

「怪我はない。見て、大丈夫」

 トゥリアの緊張を他所に緩く首を振り、フィンは見てと言う言葉のまま、僅かに両腕を開くとトゥリアを見返していた。
 少なくとも出血をともなうような外傷はないし、服の汚れ等も確認できない為に、打ち身や打撲等も大丈夫だと思われる。瞬時に視線を走らせ、それらを確認したトゥリアはようやく少しだけ落ち着く事が出来た。

「だから、大丈夫はトゥリア」
「え、だいじょうぶ、僕?」

 見返され、聞き返され、落ち着きを取り戻し始めていたが、完全には平静に戻れていなかったトゥリアはただ混乱する。
 戦っていたのはフィンで、心配していたのはトゥリアの方の筈で、なのに今はトゥリアが尋ねられていると言う状況の意味が分からなかった。

「この子は違う」
「ちがう・・・?」
「近付き過ぎて、少し影響を受けただけ」
「影響・・・影響を受ける。影響を与えるなにか」

 分からないなりにトゥリアは自分でもフィンの言わんとする事を考える。
 情報は幾つかあるのだ。それが結び付くかどうかすらも分からない状況ではあるのだが、考えない訳にはいかないと、トゥリアはそう思った。

「・・・この先にある。もしくはいる?」

 唐突な閃きのように思い至ったのはそれだった。口にしたトゥリア自身にしてもはっきりとしないままの考えで、けれど間違っていないと予感するのはトゥリア自身がこの先を予感していたからだ。

「探し物?」
「うん、僕が探していて、見つけないといけないもの。たぶんこの先にある」
「そう」

 答えるフィンを真っ直ぐに見詰め、そしてトゥリアは目を軽く伏せ頭を下げる。

「フィンごめん」
「うん?」

 トゥリアの告げる突然の謝罪にフィンが首を傾げる。
 その様子に、顔を上げたトゥリアはふっと笑みを浮かべ、そして、伝えなければいけない事を伝える為に口を開く。

「ここまでありがとう」
「・・・・・・」

 まずはお礼。けれど、突然過ぎて意味が分からないのだろう、瞬かせる双眸でフィンはトゥリアを見ていた。

「探して、ちゃんと見つけたら。借りた剣を返しに行くから、だから一度ここでお別れ」
「・・・・・・」

 そして、告げる本題にフィンの薄藍色の瞳が深沈とした色合いの中にトゥリアを見ていた。

「かなり勝手なことを言ってるってわかってる。だからやっぱりごめん。でも、この先はだめなんだ。僕一人で行くから」
「・・・・・・」

 ここまで連れて来て貰って、それ以外にも色々として貰っていながら何を言っているのかとトゥリア自身ですら、自分の言動へと呆れを感じている。

 フィンは何も言う事なく、その表情から何らかの感情を読み取る事も難しい。
 感情が抜け落ちてしまったかのような無表情とは違っていて、けれど違うと思っても、トゥリアには、フィンが自身を映す瞳に宿した硬質的な光の意味すらも分からなかった。

「フィン・・・?」
「夜のうた、が」
「歌?」

 何を感じ、何処を見ているのか。僅かに首を仰け反らせ、仰ぐ虚空へとフィンは呟いた。
 そして、フィンの呟きの一欠片を拾い、トゥリアは唇に乗せるようにしてその音を繰り返しながらも耳をすませる。

ー・・・、・・・・・・ー

 何も聞こえず、静寂の中で、トゥリアの抑えられた息遣いだけが空気を微かに震わせていた。

(なにも?)

 イージスの森と言えど森は森なのだ。
 そんな筈がないと気付き、見遣る何の変哲もない森の光景へとトゥリアは目を眇る。

「・・・・・・」
「フィン、どこへ」

 呟くフィンが進める歩みへ、トゥリアは木々の向こうへと向けつつあった意識を引き戻され、その背中へと声をかけた。

「お別れなら、私はいらない」
「フィン?」

 呼ぶトゥリアをフィンは振り返る事なく、そして、止められる事のないその歩みは引き返す為のものではなかった。

「フィンだめだよ!」

 気付いたトゥリアは伸ばす手にフィンへと追い縋ろうと足を踏み出し、けれど、続く言葉がその行動を遮った。

「トゥリアは、何も言わない」

 その言葉は変わる事なく抑揚に欠けていて、けれどトゥリアは言われたその言葉に息を呑み、僅かに目を見開いた。

 問い質されない事に安堵していた。けれど聞かれない事はトゥリアにとって不安でもあった。

(詮索されても答えられることは多くなくて、でも聞いてもらえないのは興味がないから)

「守られることのない約束に意味はない」

 口を開き、けれど何かを言う事のないトゥリアの状態等省みられる事もなく、フィンはただそう続ける。
 その抑揚に欠けた声。その、感情を欠落させた響きに、トゥリアは自分の胸がざわつくのを感じた。

 続く言葉を聞きたくない。それ以上に言わせてはいけないのだとトゥリアは自分自身が発する警鐘の音を聞く。

「私は、いらない」
「フィン!」

 致命的とも思う決定的な言葉を思った。
 追い縋った勢いそのままにトゥリアの掴むフィンの左手。
 
「私は言葉を探して、伝えることを考える。伝わらなくて、私自身が分からなくて、疲れた」

 抵抗なく歩みを止めたが、フィンの声は抑揚を欠き平淡なままに。

「疲れたからもう良い」

 振り返る事がないまま、告げられるその一言にトゥリアはただ息を呑む。


ーチリッー

 鳴り損ねた鈴の音のようなものを聞いて、そして・・・世界が変質した。
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