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第二章 オフセット印刷VS異種族
第8話 納品の受難
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◆
「聞いてねえよ守衛さんよおッ!」
「この世界には短気でなければならない法律でもあるんですか?」
砦に到着するなり聞こえてきた罵声に、絢理は辟易した。
エックホーフ領への入場を規制する石造りの砦には、立派なアーチ状の門が構えられている。門の向こうには街中の往来がかすかに見えるが、門には鉄格子が降り、喧騒と外界とを隔絶していた。
門番を務める守衛が二名、門の左右に仁王立ち。鎧越しにも分かる屈強な肉体を持つ彼らは、その眉間に厳格な皺を深く刻んでいた。
不審とあらば鼠一匹通すまいという佇まいに、果敢にも食って掛かる先客の姿があった。
「あっしらは商人! そいつぁ商売道具! それを取られたとあっちゃあ、中で何をしろってんだ!」
「何度でも言おう。君達の身分でこの魔導書の持ち込みは許可されていない」
眉一つ動かさない守衛に、先客は口角泡を飛ばす。
「あっしらは商人! そいつぁ商売道具!」
「それを取られたとあっちゃあ――って何度目でしょうねこのやり取り」
「少なくとも十六回かな。僕らが到着する前からやってたみたいだけど」
すっかり脳にこびりついたフレーズを絢理がさらい、オルトが律儀に回数を数える。
先客は特徴的な姿をしていた。緑色の肌に痩せた体躯、長い耳に狡猾さを窺わせる大きな口。絢理も漫画やアニメで見たことがあった。
ゴブリンだ。
商人を名乗るゴブリンは、抑揚をつけた口調で守衛に何度も詰め寄っている。それも全く同じ口上で。
事態が前進するとは、傍目にも思えなかった。
「普段は魔導書一冊くらい隠してても通れるんだけど、今日は厳しいみたいだね。しかし不味いな……ここで足止めを食うと納品に遅れる……」
オルトが太陽の位置を見上げる。その表情には焦燥の色が濃い。
絢理としても、せっかくここまで巻き返しての遅延は歯がゆい。そもそも仕事柄、納期遅れには殊更に敏感なのだ。
「そもそも何を揉めてるんです? 魔導書の持ち込みは許されないんですか?」
「身分によってはね。魔導書や貴金属の類なんかは、貴族以上か、貴族の発行する通行証がないと通れないんだ」
「前時代的な……」
呆れとともに嘆息する。
口論の種となっている魔導書は、ゴブリンの細腕によって掲げられている。目測では、サイズこそA4に近い大振りだが、厚さは1センチもなさそうだった。50頁程度だろうか。
あれがそんなに大層な代物なのだろうか。
「ちなみに私たちが持ち込むことは?」
「可能だけど、僕らが代わりに持ち込んで後で返す、なんて交渉は期待できないよ」
「何故です?」
「ただでさえ猜疑心が強いゴブリンで、しかも商人。一瞬だって他人を信用しやしないさ」
「確かに、融通が利きそうには見えませんね」
水掛け論を続けるゴブリンと守衛から視線を転じれば、積み荷をどっさりと積んだ彼らの馬車が控えている。幌に隠れて判然としないが、中身は彼らの商売道具だろう。
絢理は一計して、ゴブリンと守衛へと歩を向けた。
「少しお邪魔しても?」
「あっしらは――!」
「商人なんでしょう聞き飽きましたよ」
振り返りながら叫ぶゴブリンに被せるようにして台詞をさらう。
ゴブリンという初見の存在をいざ目の前にすると、そのディテールに気圧されそうになる。
だがいまは、納期が迫っている。ビビっていては快走印刷の名折れというものだ。
「貴方がたの積み荷で問題になってるのは、その魔導書一冊きりですか?」
「あっしらの荷物かい! そうだよ!」
「なら私たちがいまここで買い取りましょう」
「ほう! 客か! 金はあるか!」
途端にゴブリンは目の色を変えた。本当に白から黄金色に変わったものだから、絢理の背筋がゾワリと震えた。
「とりあえずその金切り声やめてくれませんかね」
「あっしらは商人! 声を張らにゃあ客は気づかねえ! 気づかねえ客は客じゃあねえ!」
「あーもーいいですちょっと待っててください」
その叫声は耳を塞いでも鼓膜をガンガン震わせてきた。絢理は顔をしかめながら、オルトの馬車へと歩み寄り、幌の中に頭と手を突っ込んだ。
「生憎と手持ちは円しかないんですが、流石に使えませんよね――と」
探り当てたのは、絢理が印刷した魔法陣だ。
まだあったのかと呆れるオルトを尻目に、絢理はその紙束をゴブリンに差し出す。
「――なので物々交換といきましょう」
「凄いな! 何百枚ある!」
「さあ? ちゃんと数えてませんが二百枚はあるんじゃないですか?」
「曖昧は駄目だ! あっしらは信じない! 何枚ある!」
「ですって、ほら」
「僕が数えるのか……」
絢理から差し出されたそれを、オルトは文句を言いながら、しかし律儀に数え上げた。結果的に絢理の提示した魔法陣は224枚あり、交渉は成立した。
魔導書を手に入れ、絢理とオルトは改めて馬車に乗り込み、納品先へと鼻先を向ける。
◆
「恐れ入りますが、タビタお嬢様はお会いにはなれません」
到着するなり、屋敷前で出迎えたのはメイドだった。クラシックスタイルの、装飾の少ないメイド服を身に纏い、柔らかな物腰に厳格さを内包した佇まい。年の頃は絢理とそう変わらないだろう。
そして何より、絢理が遭遇した異世界の住人の中でもダントツで穏やかだった。
「異世界人全員うるさい説、立証されなくて何よりです」
静かに感動する。
魔法書士オルトの得意先というのは、まさにこの街、エックホーフ領を治める領主であるらしい。正確には領主の一人娘とのことだが、成程焦るわけだと得心した。
領主というのがどれだけの権力を持つのかは判然としないが、とにかく広大な敷地面積を誇る屋敷がそれを物語っている。凄まじい上得意先なのだと容易に想像できる。
街道から林道に入ったかと思えばそこは広い庭だったことが分かり、屋敷の門は砦のそれよりも遥かに重厚かつ細かい装飾が随所に散りばめられていた。
門前から見渡す屋敷は高層マンションを横倒しにしたのではというくらいに長大で、距離感を失わせる。
金ってあるとこにはあるんだなーと絢理が感心する横で、しかし雲行きは怪しい。
時間には間に合ったようだが、しかし逆に受け取り拒否ときたものだから、オルトが焦るのも無理はない。
「そんな! ぎりぎりにはなりましたが、納期には間に合っているはずです!」
「申し訳ございません。急用でございまして」
「……急用、ですか?」
慇懃に頭を下げるメイドに、オルトも溜飲を下げる。
どうやら、納期すれすれでの納品に立腹している訳ではないらしい。オルトはひとまず安堵の息をつき、小さく肩を竦めた。
「ええ。突然、王都から使者が来訪されまして――」
と、言葉を遮るように門が開いた。ズズ……と重たげな音と共に、ゆっくりと左右観音開きに開門していく。
門の向こうから、慌ただしく数台の馬車が飛び出してきた。オルトの荷馬車とは違い、立派な装飾の施された馬車だ。
機能よりも華美であることを優先した馬車の先端には、金に塗られた獅子の彫像が天を仰いでいた。
1台、2台と見送った後、殿を務める3台目がオルトと絢理の目の前で停止した。
カーテンで隠されているが、馬車の内部からこちらを窺う気配と声があった。
「遅くてよオルト・ハウンドマン! 私は多忙の身なのだから、刻限の三時間前には姿を見せなさい!」
それは、まだ若い女性の声だった。
恐らく彼女こそ、オルトのクライアントなのだろう。絢理が横目に見やれば、オルトはすっかり苦い顔をしている。
「本日は出かけたまま戻りませんので、明日のこの時間、改めて依頼の品を持ってきなさい!」
ぴしゃりと言い放ち、馬車は再び走り出した。随分と急いでいるようで、すぐにその後ろ姿は見えなくなる。
風のように駆け抜けていった馬車。
そして取り残された絢理とオルトと、メイドが一人。
「クライアントに罵られた気分はどうですか?」
「切り替えて明日出直そう……」
「貴方さては慣れてますね?」
そういうわけで、絢理とオルトはエックホーフの屋敷を後にするしかなかった。
<続>
「聞いてねえよ守衛さんよおッ!」
「この世界には短気でなければならない法律でもあるんですか?」
砦に到着するなり聞こえてきた罵声に、絢理は辟易した。
エックホーフ領への入場を規制する石造りの砦には、立派なアーチ状の門が構えられている。門の向こうには街中の往来がかすかに見えるが、門には鉄格子が降り、喧騒と外界とを隔絶していた。
門番を務める守衛が二名、門の左右に仁王立ち。鎧越しにも分かる屈強な肉体を持つ彼らは、その眉間に厳格な皺を深く刻んでいた。
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「あっしらは商人! そいつぁ商売道具! それを取られたとあっちゃあ、中で何をしろってんだ!」
「何度でも言おう。君達の身分でこの魔導書の持ち込みは許可されていない」
眉一つ動かさない守衛に、先客は口角泡を飛ばす。
「あっしらは商人! そいつぁ商売道具!」
「それを取られたとあっちゃあ――って何度目でしょうねこのやり取り」
「少なくとも十六回かな。僕らが到着する前からやってたみたいだけど」
すっかり脳にこびりついたフレーズを絢理がさらい、オルトが律儀に回数を数える。
先客は特徴的な姿をしていた。緑色の肌に痩せた体躯、長い耳に狡猾さを窺わせる大きな口。絢理も漫画やアニメで見たことがあった。
ゴブリンだ。
商人を名乗るゴブリンは、抑揚をつけた口調で守衛に何度も詰め寄っている。それも全く同じ口上で。
事態が前進するとは、傍目にも思えなかった。
「普段は魔導書一冊くらい隠してても通れるんだけど、今日は厳しいみたいだね。しかし不味いな……ここで足止めを食うと納品に遅れる……」
オルトが太陽の位置を見上げる。その表情には焦燥の色が濃い。
絢理としても、せっかくここまで巻き返しての遅延は歯がゆい。そもそも仕事柄、納期遅れには殊更に敏感なのだ。
「そもそも何を揉めてるんです? 魔導書の持ち込みは許されないんですか?」
「身分によってはね。魔導書や貴金属の類なんかは、貴族以上か、貴族の発行する通行証がないと通れないんだ」
「前時代的な……」
呆れとともに嘆息する。
口論の種となっている魔導書は、ゴブリンの細腕によって掲げられている。目測では、サイズこそA4に近い大振りだが、厚さは1センチもなさそうだった。50頁程度だろうか。
あれがそんなに大層な代物なのだろうか。
「ちなみに私たちが持ち込むことは?」
「可能だけど、僕らが代わりに持ち込んで後で返す、なんて交渉は期待できないよ」
「何故です?」
「ただでさえ猜疑心が強いゴブリンで、しかも商人。一瞬だって他人を信用しやしないさ」
「確かに、融通が利きそうには見えませんね」
水掛け論を続けるゴブリンと守衛から視線を転じれば、積み荷をどっさりと積んだ彼らの馬車が控えている。幌に隠れて判然としないが、中身は彼らの商売道具だろう。
絢理は一計して、ゴブリンと守衛へと歩を向けた。
「少しお邪魔しても?」
「あっしらは――!」
「商人なんでしょう聞き飽きましたよ」
振り返りながら叫ぶゴブリンに被せるようにして台詞をさらう。
ゴブリンという初見の存在をいざ目の前にすると、そのディテールに気圧されそうになる。
だがいまは、納期が迫っている。ビビっていては快走印刷の名折れというものだ。
「貴方がたの積み荷で問題になってるのは、その魔導書一冊きりですか?」
「あっしらの荷物かい! そうだよ!」
「なら私たちがいまここで買い取りましょう」
「ほう! 客か! 金はあるか!」
途端にゴブリンは目の色を変えた。本当に白から黄金色に変わったものだから、絢理の背筋がゾワリと震えた。
「とりあえずその金切り声やめてくれませんかね」
「あっしらは商人! 声を張らにゃあ客は気づかねえ! 気づかねえ客は客じゃあねえ!」
「あーもーいいですちょっと待っててください」
その叫声は耳を塞いでも鼓膜をガンガン震わせてきた。絢理は顔をしかめながら、オルトの馬車へと歩み寄り、幌の中に頭と手を突っ込んだ。
「生憎と手持ちは円しかないんですが、流石に使えませんよね――と」
探り当てたのは、絢理が印刷した魔法陣だ。
まだあったのかと呆れるオルトを尻目に、絢理はその紙束をゴブリンに差し出す。
「――なので物々交換といきましょう」
「凄いな! 何百枚ある!」
「さあ? ちゃんと数えてませんが二百枚はあるんじゃないですか?」
「曖昧は駄目だ! あっしらは信じない! 何枚ある!」
「ですって、ほら」
「僕が数えるのか……」
絢理から差し出されたそれを、オルトは文句を言いながら、しかし律儀に数え上げた。結果的に絢理の提示した魔法陣は224枚あり、交渉は成立した。
魔導書を手に入れ、絢理とオルトは改めて馬車に乗り込み、納品先へと鼻先を向ける。
◆
「恐れ入りますが、タビタお嬢様はお会いにはなれません」
到着するなり、屋敷前で出迎えたのはメイドだった。クラシックスタイルの、装飾の少ないメイド服を身に纏い、柔らかな物腰に厳格さを内包した佇まい。年の頃は絢理とそう変わらないだろう。
そして何より、絢理が遭遇した異世界の住人の中でもダントツで穏やかだった。
「異世界人全員うるさい説、立証されなくて何よりです」
静かに感動する。
魔法書士オルトの得意先というのは、まさにこの街、エックホーフ領を治める領主であるらしい。正確には領主の一人娘とのことだが、成程焦るわけだと得心した。
領主というのがどれだけの権力を持つのかは判然としないが、とにかく広大な敷地面積を誇る屋敷がそれを物語っている。凄まじい上得意先なのだと容易に想像できる。
街道から林道に入ったかと思えばそこは広い庭だったことが分かり、屋敷の門は砦のそれよりも遥かに重厚かつ細かい装飾が随所に散りばめられていた。
門前から見渡す屋敷は高層マンションを横倒しにしたのではというくらいに長大で、距離感を失わせる。
金ってあるとこにはあるんだなーと絢理が感心する横で、しかし雲行きは怪しい。
時間には間に合ったようだが、しかし逆に受け取り拒否ときたものだから、オルトが焦るのも無理はない。
「そんな! ぎりぎりにはなりましたが、納期には間に合っているはずです!」
「申し訳ございません。急用でございまして」
「……急用、ですか?」
慇懃に頭を下げるメイドに、オルトも溜飲を下げる。
どうやら、納期すれすれでの納品に立腹している訳ではないらしい。オルトはひとまず安堵の息をつき、小さく肩を竦めた。
「ええ。突然、王都から使者が来訪されまして――」
と、言葉を遮るように門が開いた。ズズ……と重たげな音と共に、ゆっくりと左右観音開きに開門していく。
門の向こうから、慌ただしく数台の馬車が飛び出してきた。オルトの荷馬車とは違い、立派な装飾の施された馬車だ。
機能よりも華美であることを優先した馬車の先端には、金に塗られた獅子の彫像が天を仰いでいた。
1台、2台と見送った後、殿を務める3台目がオルトと絢理の目の前で停止した。
カーテンで隠されているが、馬車の内部からこちらを窺う気配と声があった。
「遅くてよオルト・ハウンドマン! 私は多忙の身なのだから、刻限の三時間前には姿を見せなさい!」
それは、まだ若い女性の声だった。
恐らく彼女こそ、オルトのクライアントなのだろう。絢理が横目に見やれば、オルトはすっかり苦い顔をしている。
「本日は出かけたまま戻りませんので、明日のこの時間、改めて依頼の品を持ってきなさい!」
ぴしゃりと言い放ち、馬車は再び走り出した。随分と急いでいるようで、すぐにその後ろ姿は見えなくなる。
風のように駆け抜けていった馬車。
そして取り残された絢理とオルトと、メイドが一人。
「クライアントに罵られた気分はどうですか?」
「切り替えて明日出直そう……」
「貴方さては慣れてますね?」
そういうわけで、絢理とオルトはエックホーフの屋敷を後にするしかなかった。
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