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第四話 月蝕〜マスカレード・ナイト

#1 新月の夜に

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「“花”を懲らしめて」

 つかつかと入ってきた蝶子は、席に腰かける間もなく、Dに迫った。
 二ヶ月ぶりの来店だった。

「花ちゃんを? どうしました? 何があったんですか、蝶子さん」
「あの子、目ざわりなのよ」

 ここは、会員制高級ハプニングバー Ilinx(イリンクス)。
 月に一度、満月の夜にだけひっそりとオープンする、禁断の社交場。

 ライトプレイ用からディーププレイ用までさまざまな性格のフロアをその日の気分で選べ、プレジャーソムリエと呼ばれるプレイアテンダントと遊ぶこともできる。個室のほか、イベントフロアや、ゲストも登壇できるステージまである。多様な設定でシチュエーションプレイを楽しめるのが、このサロンの特長だった。

「あのおめでたい子に、世の中そんなに甘くないって教えてやって」
「おめでたい?」
「あの子、全然わかってない。官能小説業界のことも、ここだってそうよ。実態がどうかとか、何も知らずに甘く見て」

 売れっ子官能小説家蝶子が、取材をきっかけにこのサロンに通いはじめてしばらくになる。当初は居合わせたゲストとゆきずりの“ハプニング”に興ずることも少なくなかったが、最近ではもっぱらトップソムリエのDを相手に、シチュエーションプレイを楽しんでいる。

 “花”はシチュエーションプレイ用の架空のキャラクターだが、何度かなりきってプレイするうちに、二人の間ですっかり独立人格の“花”として定着していた。そしていつしか、蝶子の中でもまた──。

「浮わついちゃって。怖い目にでも遭って、懲りるといいんだわ」
「怖い目、ですか」
「ええ。二度とこの店に近づきたくないような、怖い目に」

 駆け出しの官能小説作家、花。文章に色気がないからと担当者に連れてこられたこの店で、過激なエロスの洗礼を浴び、あっという間に快楽に溺れた。性にも恋愛にも何の免疫もなかった真面目でうぶな娘が、いきなりプロの手練手管をたっぷり施され、知らなかった快楽の世界に引きずり込まれたのだ。溺れない方が無理というものだった。あれ以来、いつまでたっても、蝶子の中の花がそわそわと落ち着かない。

(もう消えてほしい)

「もう二度とこの店に近づかないように? それは結構な目に遭わないとですね」
「いいんじゃない? そうでないと躾けにならないでしょ」

(店だけじゃない。あなたのこともよ)

 絶頂も指淫も、外も中も。花には、何もかもDが初めてだった。
 そのせいか、彼女の体験しためくるめくときめきはあまりに鮮やかで、折に触れて蝶子の中でハウリングを起こしていた。

 何より許せないのは、蝶子の聖域に侵入してきたことだ。
 自分(花)の体験だけで満足していれば良いものを。

「でも、そんなことしたら蝶子さんにも類が及んでしまう」
「私は平気。あんな小娘と一緒にしないで」

 あの夜、初めて彼にキスを許した。
 深い口づけに溺れた。

 あれはDと蝶子だけの体験だったのに。

 なのに、どうしてか花までもがDとのキスの記憶に心揺れ、身体を疼かせている。

(図々しいったら)

「わかりました。でもやっぱり、身体は蝶子さんですから。多少の精神的ダメージを受けてもらうことにしましょう」
「いいから。多少じゃなくたっぷり、めちゃめちゃにして。ぼろぼろの粉々にして、思い知らせてやって。傷跡が残るとかじゃなければ、身体もいたぶってかまわないわ」
「……ほんとうに?」
「ええ。やっちゃって」
「ちょっと考えさせてください」

 その日、プレイはしなかった。
 そして軽く飲んでの帰り際、Dから一枚のカードを手渡された。

 光沢のある黒いカード。
 「eclipse」と小さな金文字で刻印されている。

(エクリプス。月蝕……?)

「二週間後、新月の夜に来てください。入店時にこれを渡して」

 蝶子の知るかぎり、Ilinx(イリンクス)が開くのは満月の夜だけだ。

 それ以外の日にここが何に使われているのか、蝶子は知らない。
 ここで働くスタッフが何者で、普段どこで何をしているのかも。
 ほんとうは、花のことを言えた義理ではなかったのだ。

「ご要望通り、花ちゃんに怖い思いをしてもらいましょう。必ず“花”になりきった状態で来てください。いいですね」

 怜悧なまなざしに射抜かれて、どきんと緊張が走った。

 新月の夜。
 ここで何が起こるのか。

 二週間後の自分達を襲う運命を、蝶子は何も知らない。



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