キ・セ・*

朱音

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第一話 ~前途多難な初めまして~

04 (夏歩)

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 相変わらず鳴り響く車や人々の行きかう音を聞き流しながら、心をどこかへぼんやりと飛ばしていた最中、
「なぁなぁ!」
 声を掛けられたので待ち人が来たのかと思ったのに、顔を上げた先には知らない男の子が二人いた。
 あれ? 一人はさっきモップ掛けをしていた子じゃないかしら。
「その制服、飛生だよね? 頭の良い高校は、今日みたいな休みでも学校に行かなきゃいけないんだー」
 違うわ。土日祝日限らずに、制服を着ているのは私服を持っていないから。
 幾度となく転校を余儀なくされたため、幸いにもと言うべきか色んな学校の制服だけは持ち合わせているから、それを私服代わりにしているのよね。

 そんな事情を、全く知り合いでも無い彼らに説明する必要は無く。どう対応すればいいのかと悩んでいると、思わぬ方向へ話は進んだ。
「勉強ばっかりじゃつまらないだろうし、気分転換に俺らと遊ばない?」
「たまには息抜きも必要だと思うぜ?」
「え、あの……」
「良いじゃん、ちょっとだけ付き合ってよー」
 なんて言ってへらへら笑う彼らの腕が伸びてきた瞬間、前方に待っていた人の姿を見つける。
 背後からその人が近付いて来ていると気付いていない彼らだったけれど、
「おい、誰をナンパしてるんだよ?」
「あぁ!? 何だ……って! 北原さん!?」
 威嚇するような表情で振り向いたものの、声の主を目に止めた途端に慌てふためいた様子。たったさっきまでの調子に乗った表情は消えて、一気に青ざめて涙目になっている。
「西谷、東。お前ら、店長からもうちょっと仕事に対して積極的になれって言われてるよな? ナンパしてる暇があるなら、商品棚の陳列方法を覚えるなり、もしくは学校の勉強をするなり……」
「こちらの女性は北原さんの彼女でしたか!? す、すみませんでしたっー!」
「あっ、こら! まだ話は終わってねーだろうが!」
 ピューッと言う効果音が似合いそうなくらいに、二人組はさっさと逃げて行った。
 その背中を見届けた後、顔を見合わせてから軽く笑ってしまう。だけど冬夜は頭を掻いて溜め息をつきながら謝罪するの。
「あいつら、おれと同い年の後輩なんだよ。悪い奴じゃないんだけど、可愛い女子を見つけるとすぐに声を掛ける癖があってさ。今度、一回絞めておくから許してな」
「気にしていないわ。それに、すぐに冬夜が来てくれたから大丈夫よ」
「そっか?」
 私の返事に安心したらしい瞳がこちらを見下ろし、「本当に夏歩なんだよなぁ」と独り言を呟いたかと思った直後、ふわっと抱き締められる感覚。短い黒髪が頬を掠めて。
「とう、や? どうしたの?」
「いや、だってさ、信じられないんだ。再会出来るなんて思ってなくて、心構えも何も無しだったから……。あー、今のおれは本当に夏歩を抱き締めてるんだよなぁ」
 ここに私がいるとの事実を飲み込むためにか、しみじみと言う声が耳に響いて心地良い。

 ゆっくり緩やかに解かれた腕の中、見上げた先には悪戯っぽく笑う少年のような表情。
 その短い前髪はヘアピンで留められている。格好もラフなパーカーとジーパンで。
 バイト中はきちんとした店員さんに見えるのに、私服姿は少しばかり悪ぶっているように見えるところは変わっていないのね。
「しっかし、一体いつこの街に帰って来たんだ?」
「今日よ。大体察しがついているとは思うけれど、またオバサンの再婚がきっかけで引っ越して来たの」
「またか? あのババア、性格悪いのにモテるよな。だけどまぁ、そのおかげで夏歩に再会出来たんだよな」
「うん。だけどね、なんと今回は相手に子供がいるのよ」
 自嘲気味な笑いを浮かべたまま真実を語ると、ぶはっと吹き出した後、一層大きな声で驚きを表現した。
「はぁっ!? 子持ちか!?」
「しかもその子は私と同い年で同じ学校に通う『お兄ちゃん』よ。オバサンはその子のことが可愛くてたまらないって」
「何だよそれ、信じらんねー! うわ、まじで信じらんねぇ……」
 額に手を当てながら嘆いてくれる冬夜に安心しながらも、少しばかり痛む心。音は何も聞こえないのに、しくしくと確実に痛みを感じる。

「色々と積もる話も聞きたいし、良かったら今からうちに来いよ」
「連絡も無しで突然押しかけちゃったのに、お家にまでお邪魔して良いの?」
「もちろん。だって夏歩は北原家にとってアイドルだし! あ、でも母さんには連絡入れとくわ。じゃないと『スペシャルゲストが来たのに何の準備もしてないだろ』って怒られるから」
 そんなことを言いながら携帯を取り出して耳に当てた様子を見届けて、視線は自然と足元へ向いてしまう。
 冬夜のスニーカー、格好良いな。私も通学用のローファー以外の靴が欲しいな。
「あ、母さん? 今から帰るんだけど、夏歩も一緒だから。うん、夏歩ってあの夏歩。家の事情で帰って来たんだってさ。……え? ホールのケーキを買ってこい? おれ、そんなに持ち合わせてねぇよ。兄ちゃんに頼んでくれ」
 しばらくしてから話し始めた内容に苦笑いしてしまう。
 本当に冬夜のご家族は私のことを可愛がってくれてありがたい。……もしも北原家に生まれることが出来ていれば、幸せだったかな。

 今頃、澄田家では新たな家族三人での楽しい食事が繰り広げられているんでしょうね。自分からその輪に入ることを拒んだんだから、後悔はしていない。
 オバサンが『あっくん』を可愛がっている様子なんて見たくもない。……確かにそう思っているのに。
 ぬるっと通り過ぎた残暑の風が体中を撫でて、傾きかけた陽がどうして胸を切なくさせるのかしら。
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