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03.おいしいくちびる
しおりを挟む毎週月曜日、木曜日が調理の日だ。
そして火曜日、金曜日は食材や栄養、調理法について勉強をする日だった。週に一度、水曜日だけはお休みだった。
木曜日の調理の日、くるみは張り切っていた。
スイーツの日以外はその日に比べてやる気はないのだけど、今回は違った。最初から人に渡す前提で作るとなると心持ちが大きく違ってくる。
鶏肉に昧をつけて揉み込む時は「たくさん染みておいしくなりますように」と願ったし、揚げている時は「サクサクじゅわっとできますように」と願った。いくら願っても実力が伴ってなければいけないだろうに、願わずにはいられない。いつも以上にレシピ通りを忠実に守った。
そのおかげか、完成した唐揚げを試食するとものすごくおいしくなった。昧は染みているし、衣はサクッと、中はジューシー。ばっちりだ。
片付けまで終えると早速くるみはボクシング部へ急いだ。
なるべく冷めないうちに食べてもらいたい。きっと身体を動かしてお腹が減っているはずだ。運動をして暑いところに渡すにはもっと違うものがいいのかもしれないという考えが頭を過ぎったが、しかたない。今日のメニューは唐揚げだったのだ。
ボクシング部の扉をノックしてもやっぱり誰も気づいてくれないので、ドアを開ける。すると壁越しに聞こえていたスパーリングの音が、直に耳に届くようになった。二度目のこの場所は前よりも余裕を持って見渡すことができた。
意外と広い室内の真ん中に大きなリングがひとつ。二人が真ん中で打ち合いをしている。そのまわりではサンドバッグで練習をしているみたいだ。その中から猛を探そうとしても見当たらなかった。
扉付近にいた、前にも会ったことのあるコーチと呼ばれていた人に声をかける。
「あの、お疲れ様です。差し入れを持ってきたんですけど……」
「ああ、前の……小田島に?」
「い、いえあのみなさんに……」
「えっ!」
コーチは声を上げて固まる。
なにかいけないことを言ってしまったのかくるみは不安になるがなにか言う前にコーチは両手を口元に当て、みんなに向かって声を上げた。
「おい! かわいい女子が差し入れ持ってきてくれたぞ!」
コーチの一声で、またしても室内の動きが停止する。
続いて「おおおおお!」という耳が痛くなるくらいの雄叫び。それから一斉にくるみの元へ人が集まってくる。決して多くはない人数だけれど、くるみよりも身長の高い、細いけれど筋肉がしっかりついた逞しい男の人たちが集まってきて、どうしたらいいかわからない。
手に持ったから揚げを入れたバスケットヘとたくさんの手が伸びてくる。
「うおおお唐揚げ! 肉!」
「かわいい女の子から差し入れ!]
いろんな声とともにどんどんから揚げがなくなっていく。何人いるかわからなかったので多めには用意したけれどそれにしてもあっという間になくなっていく。コーチまでいくつか摘まんでいった。
でも、肝心な人がいない。
「あ、あの」
猛がどこにいるのか聞こうとしても、みんな唐揚げに夢中でなにも聞いてくれない。差し入れに夢中になってくれることはうれしいけれど、このままでは彼の分がなくなってしまう。せめて、一個だけでも――。
ガチャリとドアが開く。
「なんの騒ぎっすか……って百瀬?」
「あ、あの猛先輩……助けてください」
「っ、なにがあった」
猛の顔色が変わる。
「差し入れを持ってきたら、こんなことに! 先輩の分がなくなっちゃうのではやく取ってください!」
「差し入れ? 持ってきてくれたのか。まあそういうものに慣れてないから喜んでるんだろ。気にすんな」
「は、はい。あの、はやく、猛先輩も食べてください」
そうじゃないとなくなってしまう。
「なにを待ってきてくれたんだ? クッキーか? ケーキか?」
「えっと、唐揚げです!」
「……」
きっと猛だって好きだろう。
だってみんなこんなに喜んでくれたんだ。
もしかしたらまたあの笑顔が見られるかもしれない。笑顔を見たくて持ってきたわけではないけれど、見ることができたらうれしい。期待を込めた目で見上げる。
「そうか……」
「ど、どうぞ?」
「ああ。ありがとう」
反応が薄い。
もしかして苦手だっただろうか。
「ん、うまい」
ひとつを一口で食べてくれた。じっと見ていたけれど、苦手そうでもなかった。でも前にお礼として渡した時との反応が違いすぎる。
「いえ……よかった、です」
俯に落ちない気持ちでいると、猛の視線が、くるみの手元をじっと見つめていることに気
づいた。
「……お前、それなんだ?」
「え? これはシュークリームです」
「……誰かにあげんの?」
「いえ、今日デザートとしてミニシュークリームを作ったので帰って食べようかと……」
唐揚げの鶏肉に下味をつけている間、時間があったので簡単なミニシュークリームを作った。作るのには慣れているので簡単に出来てしまったが、その場で食べられる量ではなかった。
「…………」
猛はくるみの手元にある袋をじっと見つめて、動かない。
「……食べますか?」
もしかして、唐揚げだけでは足りなかったのかもしれない。
あれだけ身体を動かしているんだから当然だ。もっとガツンと食べたかっただろう。
「っ、お、俺は……」
「たくさんあるので食べてもらえたらうれしいです」
嘘ではない。食べられるけれど食べ過ぎなくらいの量だ。今日中に全部食べるとなると夕飯が入らなくなる。
「じゃあ……外で」
ドアを開け、唐揚げの入ったバスケットを残したまま猛と一緒に騒がしいジムを出た。
誰もいない裏庭に移動して、二人で並んでベンチに座る。シュークリームまであの勢いで取られてしまったら猛がたくさん食べられない。猛にはお世話になっているので、これくらいの特別扱いなら許されるだろう。
「はいどうぞ。いっぱいあるので、嫌いじゃなかったら食べてください」
「嫌いじゃない」
ぼそりとっぶやいて猛はひとつ手に取る。小さなシュークリームは猛の大きな手のひらではさらに小さく見える。
ぱくりと一口、口の中に放り込んだ。
「…………、っ」
「……え、どうしたんですか?」
突然猛は口元に手を当て固まった。
味見をしたから味には自信があったのに、猛の口には合わなかったのかもしれない。やっぱりそもそも甘いものなんて、口に合わないんだ。くるみは不安になりどう声をかけていいかわからなかった。
ただ少し震えているような猛を見ていることしか。
「…………うまい」
しばらくして、ぽつりと声が聞こえた。
「え……?」
「うまい。すごく」
「本当ですか? よかった……」
てっきりおいしくないのかと思っていた。くるみはほっと胸を撫で下ろす。
「すげぇうまい。今まで食べたどのシュークリームより、うまい」
くるみは言葉を詰まらせる。
あまりにうれしくて、泣きそうになってしまった。
自信作のシュークリームを褒めてくれたこともそうだけれど、猛が、笑っている。うれし
そうに笑っているのだ。久しぶりに見れた笑顔はやはり魅力的で、目が離せなかった。
「う、うれしいです……自信作なので」
なんとか口にすると猛はうずうずと、手を伸ばした。
「もうひとついいか?」
「どうぞ!」
ぱくり、ぱくりと一つ二つ三つ。どんどん食べていく。たくさん作っておいてよかった。お腹が減っていたんだろう。いや、きっとそれだけじゃない。
「もしかして、シュークリームが好きなんですか?」
「っ!」
猛の手が止まり、表情が硬くなってくるみを見つめる。
「だ、誰にも言わないでくれ」
「どうしてですか? 私も好きですよ。シュークリーム」
にっこり笑っても、猛は真面目な表情のままだった。あの笑顔はどこへいってしまったんだろう。またはやく見たいのに。
「いや、こんな男の好物がシュークリームだなんて気持ち悪いだろ」
「いいじゃないですか! 甘いもの好きな男の人って、なんかかわいいです」
「か、かわいい?」
猛の弱い声が響く。
男の人に、かわいいは言ってはいけない言葉だったのか。
「だめですか?」
「……いや、すまん。ありがとう」
わずかに顔を赤らめている、気がする。
「実は、この前コンビニで買っていたのも……自分用だったんだ。妹なんか、いない」
「そうだったんですね……そんなシュークリーム大好きな人においしいって言ってもらえて、すごくうれしいです!」
「……百頼」
猛は安堵した表情でくるみを見つめる。
確かに驚きはしたけれど、くるみにとってはうれしいことだ。作るのが大好きなシュークリームを、遠慮なく差し入れすることができる。こんなにうれしいことはない。
「お、おい」
「え?」
たくさんあったはずのシュークリームは無くなりそうになっていた。
「その……今度、これを作っているところが、見たいん、だが」
「シュークリームですか?」
猛がこくりとうなずく。
「はい、よろこんで!」
猛の眩しい笑顔を見られるなら、なんだってしたい。
さっそく次の日に調理室へ集合した。
金曜日、部活のあとに調理室を借りることを先生が許してくれたのだ。練習をしたい、と言ったらあっさりと許可してくれたことに感謝しなくては。
「じゃあさっそく作りますね」
「お、おう」
猛は近くの椅子に座って、くるみを見上げる。いつもとは違う視線の高さが不思議だった。
くるみは手際よく、生地を作っていく。牛乳、水、バター、塩をお鍋で火にかける。慣れている工程なのでテキパキと進み、生地の準備まですぐに終わった。
作っている間、猛はじっとくるみの手元を見ている。
なんだかくすぐったかった。
オーブンで生地を焼いている間に、クリームを作る。今日は猛のリクエストで、カスタードクリームと生クリーム両方が入ったものを作ることにした。
ボウルに入れてくるくると混ぜていき、数分後、出来上がった生地にクリームを挟んでいく。中に入れることもできるけれど今日は簡単に挟むことにした。簡単とは言ってもはみ出したりしてしまってなかなか難しい。
「あ、クリーム」
「え?」
「ついてる。うまそうだな」
くすりと笑った猛にどきりと胸が鴫った。
憧れの先輩が目の前でそんな顔をするなんて、恋じゃないただの憧れの感情だとしてもどきっとしてしまうものだ。
「ど、どこですか」
手で拭おうとしても両手はシューの生地やクリームでべたついている。一度手を洗わなくちゃいけない。蛇口に手を仲ばすと猛の手がくるみの小さな肩を掴んだ。
「ここ」
席を立つとやっぱり背が高い。
猛は腰を折り、くるみの頬についたクリームを舐めとる。
「っ?」
「……甘い。うま」
「あ、あの、あの」
くるみの顔は一気に赤く染まり、驚きのあまり口をぱくぱくと開閉させる。今、なにが起こったのか。なにを、されたのか。
パニックになっているくるみをじっと見下ろし、猛はもう一度近づく。
「うまいし………うまそう」
「え……」
ぺろりと猛の舌が、くるみの唇を舐める。
「ちっこくて、かわい……」
「んっ!」
唇にまでクリームがついていたわけじゃないはずだ。
だって一度舐めたのに止まらないから。
猛の唇が、くるみの小さな唇を覆う。
ちゅ、と音を立てて離れては、またくっつく。離れるたびに終わるのかと思ったらまだ続くのでくるみはどんどん息が苦しくなってくる。
じわりと生理的な涙が滲む。身体に力が入らなくなる。
合間で猛の力強い腕が腰にまわり、密着が深くなった。曖昧だった猛の唇の感触も、妙に明確に感じる。
「あ、あの……」
「もっと食べたい」
「んんぅ」
甘いシュークリームの昧がするファーストキスは、長い間続いていた。
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