流浪の魔導師

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3章 裏切りのジョーカー編 第2部 外道達の宴

108. 戦争の兆し

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「クソッ! 何だこりぁ!」

 ブロスの怒鳴り声が響く。目の前には幅三十メートル程、深さ四、五十メートルはあろうかという巨大な渓谷。そしてそこに架けられていたであろう吊り橋が、崖下へだらんとぶら下がっている。
 ルミー渓谷。実に数ヵ国に跨がり東西に延びている長大ちょうだいなこの渓谷は、大陸中央部と南部とを仕切る境目として認識されている。およそ数キロおきに設置されている吊り橋はそれぞれ管理する国が異なり、東側に位置するこの橋はバルファ支部があるベーゼント共和国の管轄であり、同時にベーゼントの国境線でもある。つまりこの橋の向こう側はベーゼント国内、という訳だ。

「デーム!」

 数人の男がデームの下へやって来た。ジョーカー諜報部員達だ。

「どうでした?」

「ダメだ。ここを中心に東西いくつかの橋が切られている。特に東側は端まで全滅らしい……渓谷を迂回するしかない」

「我々追手に気付いて橋を落としたのでしょうね。いや、最初からそのつもりだったのかも……複数の橋を落とす周到振りですし……」

 その会話を聞いていたブロスが口を開く。

「気付いていようがいまいが、だ。渡れないんじゃどうしようもねぇ。ここからだと東側を迂回する方が近いよな。どれくらい掛かる?」

「四、五日……」

 言葉ずくなに答える諜報部員に「チッ……」と舌打ちをするブロス。ゾーダはため息と共に呟く。

「ふぅ、届かないな……ライエ達は二日でバルファに入ってしまう。さすがに……これは予想していなかった。ここまでやるとは……」

 ゾーダの言葉通りである。ここまでの予想は出来なかった。公共性の高い橋を落とすという事は、当然様々な者の移動に支障が出る。そしてこの場所で一番大きな影響を受けるのはベーゼント共和国だ。この件は当然ベーゼントも調査するはずだ。これがバルファ支部の手により実行された事だと判明すれば、決して小さくないペナルティを受ける事も考えられる。ベーゼントの反感を買う可能性まであるまさに蛮行とも言えるこの行動、果たしてそこまでする必要があるのか。
 しかしその辺りの思惑がどうであれ、事実として橋は渡れない。途方に暮れる一同。呆けている場合ではない、皆それは理解している。しかしこの橋を渡れないという事は、即ちライエ奪還作戦が頓挫とんざするという事なのだ。そして現状、手の打ちようがないのである。


 ◇◇◇


 その日は真夜中に起きた。まだ朝日が昇るずっと前。ライエ奪還作戦がまとまったとの報告があったからだ。真っ暗な中参謀部へ行くと、すでにデームとゾーダの姿があった。程なくしてブロスも現れブリーフィングが始まった。開口一番、エイナは言う。「とても作戦と呼べるようなものではないのだけれど……」
 一通りあらゆる可能性を探ったそうだ。しかし早々にこれ以上の方法はない、との判断に至った。いや、他にやりようがない、と言うべきか。

 エイナが考えた作戦とは、とにかく早くライエに追い付く、という極々単純なものだった。

 距離にして二日分程先を行くライエ達に追い付き、速やかに同行者を排除しライエを奪還。その事実がテグザに伝わる前に、すぐさまライエの弟がいる街へ移動し弟の身の安全を確保し離脱する。何の仕掛けも、何のひねりもない。スピード重視の力業ちからわざだ。時間があればあれこれと策を講じる事も出来ただろう。しかしさすがに時間がない、なさ過ぎたのだ。エイナの表情は終始曇っていた。仮に進退極まった状況でもあらゆる可能性を探り、そしてそれらを積み上げまさに死中にかつ見出みいだすような作戦の立案。その一連の行為にこの上ない快感を覚える戦略中毒者としては、当然の事ながら消化不良なのだろう。何しろ本人の言う通り、作戦などと言う大仰おおぎょうなものではないのだから。

 参加メンバーはこの場にいる者達、俺とブロス、デームにゾーダ。そしてゾーダ率いる二番隊のメンバーが四人程サポートとして加わる。諜報部からの情報では、ライエ達は宿を取りながら南下しているそうだ。そこで俺達は宿を取らず、短時間の野営でしのぎながらとにかく南へ進む。そしてルミー渓谷を越えた辺りで追い付くだろう、とエイナは予測する。

 出発の為参謀部を出ようとする俺達に、エイナは一言こう言った。

「絶対にライエを……連れ戻して!」


 ◇◇◇


「皆さん、進みましょう。ここにいてもしょうがない」

 諜報部員達と何やら話し込んでいたデーム。今後の方針が決まったのか皆に移動するよう促す。

「進むのはいいが、どこ行こうってんだ?」

「セグメト。バルファのすぐ北にある隣街だ。そこに我々諜報部の隠れ家がある。そこへ行こう」

 ブロスの問いに諜報部員の一人が答えた。彼は続けてこう話す。

「状況は常に動いている。まだ諦める時間じゃない、チャンスはある」


 ◇◇◇


「テグザ、狩猟蜘蛛の到着だ」

 キュールはテグザの執務室のドアを開け、左手を前へ差し出しライエに部屋の中へ入るよう促す。ライエはキッ、とキュールを睨むと執務室へ入る。

「おいキュール。女性に向かって蜘蛛はないだろう、気を付けろ」

 そう言うとテグザは立ち上がり、軽く両手を広げてライエを迎え入れる。

「よく来た、ライエ。疲れたろ?」

「……弟はどこ」

「心配するな。お前の弟は、ベクセール君は今日も元気に勉強中だ。勿論学園でな」

「……ここにはいないの?」

「ああ。弟君は何も知らない、いつも通りの生活を送っている。ただ、部下が学園に潜り込み監視してるがな」

「そう……会わせて」

「まぁそうなるよな。だがダメだ」

「な……ふざけないで!」

 ライエは怒鳴りながらテグザを睨み付ける。今にもテグザを攻撃しそうな勢いだ。

「最後まで聞け。本来ならここ支部で少し休ませたかったんだ。だが弟の身が心配なのも分かる。だから会うのはダメだが、見るのはいい。離れた場所から弟君の無事を確認しろ。キュール、ライエを連れてトルムに行ってこい。弟君の姿を見せて安心させてやれ。ただし、確認したらすぐに仕事に取り掛かってもらう。何しろあまり時間がない」

「……どういう事?」

「事情は道中キュールに聞け」

「……あたしからも条件がある」

「はぁ? 狩……ライエ、お前自分の立場が分かってねぇのか? どこをどう押しゃあ条件なんぞ……」

「キュール、黙れ。人質を取って従わせる、理不尽この上ないのは間違いない。条件くらい提示しなきゃあフェアじゃないよな。いいぜ、ライエ。話せよ?」

(フェア? どの口が……)

「どうした? 話せって言ってんだ」

 ライエは沸き上がる怒りをグッと堪える。この場で反発しても損しかない。

「……条件は三つ。一つは弟の……ベクセールの身の安全」

「勿論だ。人質ってのは生きていてこそ価値がある。いいぜ?」

「二つ、あたしの身の安全」

「それも当然だ、問題ない。最後は?」

「最後は……あたしの許可なくあたしの身体に触れるな」

「……アルガンか。何かされたか?」

「されそうになった……」

「そうか、分かった。全て認めよう。キュール、全員に通達しておけ。俺の名において、だ。アルガンにはきつく言っておこう。さて、これで交渉成立だ、晴れて俺達は仲間になった。いいな?」

(仲間って……そんな薄っぺらな言葉、信じるバカがいるはずないじゃない……)

 なかば呆れ気味のライエはキュールに連れられ執務室を出た。


 ◇◇◇


 セグメト。ベーゼント共和国バルファのすぐ北にある小さな街。バルファは街中まちなかを支部の連中が動き回っており隠れ家を置くにはリスクが高い。しかし隣街までは支部の目が届かない。しかもバルファへは馬を駆れば一時間程で着く。隠れ家を置くにはもってこいの場所である。
 セグメトの中心から少し南寄りの旧市街。小さな家屋がひしめき合い細い路地が入り組んだ、まさに下町といった区画にある二階建てのこのアパートは、一棟丸々諜報部の隠れ家として機能している。

「では、しばしゆっくりと休んでくれ」

 ルミー渓谷を東に大きく迂回し四日、ようやくこの隠れ家へ到着した。案内された部屋のテーブルにはパンや肉、ワインといった簡単な食事が用意されている。

「待て待て。気遣いはありがたいが、ゆっくりしてる時間はねぇ。現状何がどうなってんのか知りてぇし、今後の展開も話し合いてぇ。今持ってる情報をくれ」

 ブロスの言葉に諜報部員はチラリとデームを見る。デームは無言でうなずき、それを見た諜報部員は苦笑いしながら話し出した。

「まずは休んでもらい、その間に集まった情報を精査しようと思ってたんだが……ま、気持ちは分かる。では簡単に状況を報告しよう。くつろぎながら聞いてくれ」

 そう言いながら諜報部員は右手をテーブルに向ける。皆が食事に手を出すと再び話し始めた。

「俺は諜報部のユーノルだ。今回諜報部マスターからあんたらの面倒を見てくれと頼まれた。一応この件に関する責任者だ。不明な点は何でも聞いてくれ。さて、現状あんたらはライエに追い付く事が出来ず、今この場所にいる訳だ。あと一歩って所で見事にしてやられたな。だが渓谷で話した通り、まだいくらでもチャンスはある。と言うのは、ここ数日で状況が大きく動いたからだ。恐らくテグザはライエを国境へ連れて行く、戦力としてな。ここまで骨を折って迎え入れたんだ、支部に閉じ込めておくつもりはないだろう。なので接触するチャンスは充分にあるはずだ」

「国境へ、という事は……すでに戦端せんたんが?」

 フォークを片手にゾーダが問う。

「そうだ、戦端せんたんはすでに開かれた。三日前だそうだ、エラグ・エイレイ両国国境付近でアーバンとエクスウェルがぶつかった。まぁ、軽い小競り合い程度だがな。しかし今後いくさの規模は確実に大きくなる。なぜならエクスウェルがエイレイ王を口説くのに成功したからだ。大方おおかたエラグの豊富な鉱物資源を餌に釣ったんだろう。エイレイは軍は強いが国力という意味ではさほどではない。資源に乏しい国だからな。一方アーバンはすでにエラグ王の信任を得ている。つまり今後は両国が動く。状況はすでにジョーカー内部抗争のいきを超え、国家を巻き込んだ戦争へと発展しようとしている」
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